かもめ食堂の時代性と、食 その2おにぎりと、シナモンロール――メディアとしての、食と「文化」、の「自立」

2007年12月24日

最初にかもめ食堂の扉を開く客は「日本かぶれ」の、学生トンミである。
トンミはやはり一人でたんたんと行動している日本かぶれの<孤立者>だが、
「日本かぶれ」という風狂=自己投企(=自己同一化への唯一の突破口)のようなものが、
サチエとのコミュニケーション=conviviality(共感・共愉・共有)の扉をうっすらと開く。
つまり「ガッチャマンの歌の歌詞を知っていますか」の呼びかけの一言だ。
些細で、普遍的にはほぼ無意味だが、時代の共有・共生感覚、のようなものが、
個人には、とても大切な意味を有する、
他者との唯一の狭い通路、である、か。
食においては共食共同体=食の家族、の経験、であるか)
文明ではない、「文化」(司馬遼太郎的な)の共有が、人を生かすものである、か。

また最初にサチエが自分から開く他者との接点は、
同じく日本から、ほぼ無意味にフィンランドへ来て、
何の予定も計画もない若い女性ミドリと書店のカフェで偶然出会い、
思わず、ガッチャマンの歌詞を聞くことである。

■食の身体性・自立性
かもめ食堂を手伝うようになったミドリは、
あまりの客の少なさに、
旅行者向けのガイドブックに掲載することをすすめるが、
サチエは、「ガイドブックを見てくる日本人とか、
日本食といえばスシだと思っている人はこの店のにおいと違う。
レストランではなく食堂なのだ」
とにべもなく断る。

他律的な借り物(他律食)でない、
身についた身体性となった食(自立食)
が求められている、のだ。
孤立し分断された個我は、それゆえ時代や社会の文化や、
他者や自分をよく見、感受しうる。
孤独になった個、裸体の自分、
が直截に時代や社会や他者や自分と対峙して
自力で感じとられたもの、戦いとられたもの、
だけが、「わがもの」であり身についたもの、である。

ならば、人を癒し、包み、共感させてくれる農村的共同体が根底から消滅した現在は、
個人が、自分の食について自立することが不可欠で大切な時代だ。

そしてサチエは、「この世の終わりって時には、おいしいものを食べたい。
好きなお酒を飲んで好きな人を呼んで…」
共食共同体」、の夢を語ってみる。

自立食から、自立した個人の共食共同体への通路が夢見られる、のだ。


■おにぎりとはなにか―自立食の固有性と文化性

それでもミドリは、フィンランドではフィンランド人の好むものを出すべきでは、と、
おにぎりにトナカイの肉(ロースト?)、ニシン(オイル漬け?)、
そしてザリガニ(ボイル?)といった
フィンランドの国民食を使うことを提案する。
作って、食べてみるが、
サチエは、おにぎりには合わない、とにべもない。
サチエにとっておにぎりは、父の思い出に繋がる思い入れのある固有の食べものだ。
かつて食べた、日本の固有の食文化にくるまれた、
父の作ってくれた固有のおにぎりでなければならない、のだ。
(数少ない、サチエの、そして荻上の執着の一つだ)

固有性は文化だ。
固有性こそが他者の通路をつなぐもの、であるはず、なのだ。

■シナモンロールとコーヒー(コピ・ルアック)―メディアとしての食
フィンランド人はコーヒー好きだ。(一人当たりのコーヒー消費量が世界で一番多い)
フィンランド人は、コーヒーと一緒にシナモンロールを食べる。

ある日、一人の男がやってきて、おいしいコーヒーの入れ方を教えていく。
おまじないのコトバは「コピ・ルアック」だ。
コピ・ルアックは、「幻の」とも言われるコ−ヒー豆だ。
「ルアック」(=ジャコウネコ)は好んで甘みの強いコーヒー豆を選んで食べるが、
完全には消化されずに、おなかの中で「良い加減に」調整して、ふんとして排泄する。
この豆を仕上げて、製品化したものが、コピ・ルアックだ。
薫り高く、風味豊かな絶品、といわれる。
(ジャコウネコそのものが減少したので幻のコーヒーとなった)

また、サチエは、フィンランド風おにぎりは受け付けなかったが、
翌日シナモンロールを作った。
風味豊かなコーヒーと、
甘やかで、爽やかなシナモンロ−ルの香りは、
店の外で中をうかがう、フィンランドの老婦人たちに届き、心を開き、
中へと導いた。
普通のフィンランド人がお客となった。

文化は徹底して固有性の根を持つものである。
折衷は、結局双方とも中途半端なのだ。
フィンランドに徹して、初めて「日本」への通が開き、
「日本」もまた、フィンランドに受け入れられてゆく。
固有性は文化だ。
固有性こそが他者の通路をつなぐもの、真のメディアであるはず、なのだ。

現実から拒絶されて(夫=他者に出て行かれて)、
絶望と悲しみに絶えられず泥酔し、
サチエたちにも酒を無理強いする孤独な老婦人は、
飲みつぶれるまで飲んではじめて仲間になる。
彼女の叫びのようなグラスを受けてたった、マサコの飲みっぷりは、
ヒトを仲間にする飲みっぷり、だ。

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日本での両親を介護する生活に区切りがついてしまい、
生きることの、プラットホーム(となる共同性)も、意味も喪失したマサコは、
なんとなく、(ほぼ無意味に)フィンランドに来たものの
大きなカバンを空港でなくし、
フィンランドの風土的基盤である森で見つけた大量のきのこをも、
どこかになくしてしまうが、
なくしたきのこは、
なくしたと思っていたカバンの中にぎっしり詰まっている。
あるはずのものはなく、なくしたと思ったものはここにある。
あるはずのものがなくても、人は大して困りはしない。

文化も風土も、過去にも現在にもこだわりはあるが、なくなったとしてもたいしたことはない。
人は、あるがままに生きる現場で、他者と出会い、
他者との出会いを通じて
自分の「文化(リテラシー)」を作り上げてゆくもの、だからだ。

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さて、「コピ・ルアック」とつぶやいて、コーヒーを入れよう、か♪

かもめ食堂の時代性と、食 その1 空虚の明るい孤立〜無意味に堪えて身体に還元される生のリズム

2007年12月21日

今頃になって、荻上直子監督の出世作「かもめ食堂」(2005年製作・2006年春公開)を見た。
(見終わって、何で今まで見てなかったんだろう、と思えた)

かもめ食堂 ポスターフィンランド版.jpg
舞台はフィンランド・ヘルシンキ。
日本から「フィンランド人も鮭が好き、日本人も鮭が好き」という、
ほぼ「無意味」な理由でヘルシンキへ来て、
日本食レストランを営む、小林聡美演じるサチエ。
地域とも、社会とも接点がなく、友人もなく、客はまったく入らない。

サチエは、いつか来るお客を、
それでも心待ちにしながら、あわてず、騒がず、
毎日を食器をぴかぴかに磨いて、
夕方にはプールで泳いで、すごす。
この現実からの遠さ、孤独、孤立、
無意味かと、思ってしまいそうな時間をたんたんと生きる姿が、
ほぼ純粋感覚=時間そのものになったような感覚、
生物として身体そのものに還元されてしまったような感覚で
軽く、淡々と独特のリズム感で描かれる。
これが、荻上直子の世界、である。
心地よい……わたしには。

(この時代の人たちは濃密な共同体に包まれて生まれたのではなく、
生まれながらに、透明な孤独の中にあるだろう。
身についた孤独、とも言うべき、か。)

小津安二郎のひたひたと重いほどの現実感とは対極だが、
描かれる生のリアリティ、という点では共通のものがあるだろう。

純化された身体感覚(生体感覚)は、
サチエが毎夜寝る前に行う「膝行」とプールでの水泳のシーンに象徴されている。
より昇華凝集した次作「めがね」では、
浜での「たそがれる」時間と「メルシー体操」として明快に整理されている。
孤立に堪え、世界の不条理に堪えるためには、ここまで戻るんだよ、といっているように、わたしには思われた。

また経済性は2つの点で暗示的に象徴的に扱われている。
ひとつは、観客は見ながら、早くかもめ食堂の扉が開かれてほしい、と
やきもきすることで映画に引き込まれることを計算に入れている、
という点で、荻上が社会的な背景を十分に意識して、逆襲している。
もうひとつは、ストーリーの上では、一切触れないということで、
現代哲学同様に忌避している。
とても太刀打ちできないから、である、かな………。

(私などはすぐに、これでは運転資金が…などと思ってしまう(苦笑))

サチエの社会からの分断と孤立、
にもかかわらずたんたんとすごす空虚のような明るさと
生体そのものが持つ原初的なリズム、のような感覚には
ほぼ無意味とわかってしまった生をそれでも扱っていかねばならない、
時代のある本質的なありかたがよく示されているように思う。

米についての史的自註 米から、B食へ?生きるために食べる時代、食べるために生きる時代

2007年10月03日

米が精神的にも文字通りの主食であり、
食の主役であったのは、
ロザリーさんの記憶にも新しい、
1993年の米不足騒動が最後なのではないだろうか。

それ以降、主食として、米が扱われたことは、ない、と思う。
作り手の意識においても、である。
今日、国内で相当な米不足が起こっても、通常の意識で、
わたしたちは食料を調達するだろう。
ある程度の出費は強いられても、精神的なダメージや危機感は薄い。

これは大和時代以来、史上類を見ない、画期的なことである。

◆米は、長らく経済の中心であり、主食とされる米を確保することが政治の中枢でもあった。それは、食料的に生きることが困難な時代であり、まさに生きるために、いかに喰うかが、人の共通の目標であり、精神的風土であり、政治(国家)の意義であった。
そして米を確保するものが、権力者でもあった。
アジア的専制といえよう。

◆近世、徳川幕藩体制は、一方で商品経済の興隆によって
(堺商人や京都商人の協力で軍備を整え)、権力を掌握すると、
直ちに米を機軸とする農本主義的支配体制を構築したものである。
商品経済が発展すれば、支配階級としての武士の存続は危うい、と洞察したものであろう。
明らかに時代の流れに反対だったのに、260年も続いた。

(世界が、「ゆっくり」と歩いていたのか)

当然のこととして「武士道」や「分をわきまえる」ことが称揚され、いびつな精神主義的封建主義の風土が広まったのだ。抵抗の手段としての面従背腹や風狂があらわれた。
変態的なアジア的生産様式、変態的なアジア的専制、というべきか。

◆われわれの近代は悲しい。
イギリスをスポンサーとする明治維新は、欧米の産業革命がもたらしたというべきだろうか。
産業革命するべきほどに成熟した国内の資源は見当たらず、もてる資源としては、米以外に頼るべき十分な規模のものはなかったであろう。
時のひ弱な政府は、米というより、地主階級こそは根幹というような、いびつな農本主義に、官製資本主義を接木して「近代化」に踏み切ったが、
遂に、第二次世界大戦まで、食糧の危機を克服することは出来なかった。

◆アメリカを物心両面でのスポンサーとする第二次大戦後の近代化こそは真の近代化に近いものであったろう。農地解放を核とする農地改革以降、この国に飢饉は、ない。米の輸入は1960年ころまで続いたが、米は国の厳重な専売制のもと、増産が奨励された。

二つの近代化改革を、外国のスポンサードのもとにすすめた
われわれの時代は、それゆえいびつな
精神構造を共同体にも個人にも強いた、と思う。

(わたしたちは、そろそろ自前の経済思想や政策をもつことができるのだろうか)

◆米の減産開始
「近代化」「機械化」とともに米の収穫は順調に増えた。

1969年米の減産政策実施、自主流通米
1973年米の価格自由化
1983年米の販売自由化(食管会計廃止)

米が余るという、未曾有の事態は、いうまでもなく、
経済社会構成にとって量から質への根底的な転換を示すものだった。
わたしたちにとっても、生きるために食べるのではなく、
何か別のことのために食べるという転換点だったろう。

豊かさという共通の目標を失って、
さらにふかくばらばらに分断され、孤立したわたしたちは、
一人ひとりが自分の一番深い底のほうで
自分自身を組み立てなおさねばならなかった。

吉岡実や吉増剛三や石原吉郎は深い時代意識の中で試みた人たちだ。が、どこにも再生はされなかった、ような気がする。

また、国家、の幻想をはなれた、「農」はいまも消滅の危機に瀕しているように見える。ここでは経済が、最大の阻害要因であろう。
個人の篤農家がばらばらに、突出して、経済性の枠をどうにかクリアして、分断された「農」と「食」に向き合っているように見える。

国家に、もちろん、農の展望はない。自立した農、も自立した農家も、概念として存在しないのであるから。
加えて、国家(という幻想)そのものが、急速に変わり、解体されつつあるだろう。

(わたしたちは、どのようにして再び出会うことができるだろう)

◆産業
1973年オイルショック、ニクソンショック
1980年と85年の輸出自主規制、アメリカブラックマンデー
1985年経済企画庁レポート「未来よりも現在を楽しむ人々の出現」
内需拡大政策と豊かな時代、モノ余りの時代
1991年バブル崩壊〜失われた10年〜IT革命

日本封建遺制の完全解体に引き続いて、日本近代はすぐに
頂点に達し、直ちに急速な自己解体のプロセスに入った、であろう。
ポストモダンとは、「米」の共同幻想も、「官製資本主義」の幻想も捨て去った、個人の登場であったろう。

自由で自立した個人、の概念は可能になった、であろうか。

(「共同幻想論」と「自立の思想的拠点」(吉本隆明)から概ね45年)

◆食のムーブメント
1970年代健康ブーム、ファミレス、ファストフード
1980年代居酒屋、カフェバー、エスニック、イタ飯、ボジョレー、ビール、カジュアル、グルメ、ハナコ現象
1990年代屋台村、もつなべ、地ビール、焼酎、地酒、イタリアン、パシフィックリム、パン、カフェ、4000円居酒屋、カジュアルスペシャリテイ、健康
2000年代カフェ、さぬきうどん、アリガット、エル・ブリ、さとなお(ジバラン)、炊き立てごはん、スウィーツ、パティシェ、地鶏、地方料理、お取り寄せ、健康&美、韓流、アフォーダブルプライス&モアスペシャリティ

あらゆる食べ物の分野で価格ダウンと品質向上という、背反するような事態が同時に進行している。(なんだ、できるんじゃない、もたくさんある)
「近代」という社会全体を覆う魔法が解けると、一から、ものごとが見えてきたような勢いで秩序が革まる。

個人は、桎梏だったものが崩壊した後、自由性を最大に発揮して価値を創造し、共有しようとする。
作り手として、また消費者として。

人々は、生活を楽しむことを至上のものとし、食べることを生きる価値のひとつにし始めたように見える。食べるために生きることさえある、というように。しかし、その具体的なあり方は徹底的に個人的で、やはりばらばらで、刹那的でさえある、ように思われる。「修辞的な現在」ともいえる、のか。

米を主体とする食習慣は脇役となり、諸個人がばらばらに自分の食を、恣意的に、かつ現在の楽しみ重視で組み立てているか。
あるいは何かの指針や求心力や共有や、を求めているだろうか。
「他立」でなく「自立」した食の、何事か、希望のようなものを。

「B食」はかくて始まる、か。

◆通信
1987年携帯電話発売、1993年普及本格化。2005年現在の普及率70%強。
1992年インターネット商用サービス開始、1996年普及本格化、2003年ブロードバンド化、2004年ブログブーム、2005年インターネット普及率70%程度。

わたしたちはインターネット上に、歴史上もっとも容易で自由な、個人から直接他者や社会や世界に届く、表現の場(プラットフォーム)を手に入れたのか。

ここに「B食倶楽部」の場所、も確保された、であろうか。

■私的註
この直接性は、近代には求めて得られなかったもの、だろう。
直接、ということは、よってたつものは自分しかなく、
他者との激しい異和にもさらされるということだ。

「民主主義」というものが、あるとすれば、ここから、なのではないのか。フランス大革命からは200年以上、パリコミューンからも130年余、か。

自分を保護したり、確証するフィールドとして
村落共同体ではない、新しいコミュニテイが求められることになる。
「自立」した個と、背理または逆立しない、共同性、が求めれる。
そのキーが、米から、B食(的理念)であるなら、
B食は、その理念を時代に向かって、照射し続けなければ、なるまい。
(米食から、B食?)

※現代哲学の成果では、他者との通底は、不可能性に満ちた冒険、として取り扱われているように思われる。
また、経済がもたらす自己疎外については沈黙しているように、見える。

新米 米についての感情の整理

2007年10月03日

新米。
新米は、かなしく、にがく、甘い。
新米

多く自家用米は、家の近くの手の届く田で作る。
草取りが頻繁だからである。
農薬を控えるので、手がかかる。
また天日で干したりすると、どうしても日数がかかる。
農家が、自家用米を精米するのは、収穫を終えて、秋も深まるころ、である。

幼年のころはすべて手で刈り、はざに架け天日で乾かした。
刈り取りや、はざ架けは、一家総出の重労働で、1964年ころまで、
秋や春は、子供は学校を休んだ。
楽しいこともなくはなかったが、重労働は辛く、学校を休むのが恥ずかしい気がして、悲しくて、人目につかないように、と願ったりした。

少年から青年前期にかけてのころ、
父に反抗したり、学校に反抗したりのわたしは、
それでも農作業だけは手伝っていたが、たくさんの失策をし、
コンバインを用水路に落としたこともあった。
収穫は数日、遅れをとって、それだけで罪ににた意識があった。
苦い思い出だ。
その年、わたしは学校で孤立して、失語し、自失した。
空を見る、ということを知った。
米は、いつもと変わらずおいしかったが、こころににがい米だった。

その後も、亡父が健在のころは、自家用米だけは、はざに架けた。
時代もすすみ、機械化農業のモデル地域、蒲原の我が家では今はそんなこともなくなった。
自家用も、へったくれもない。
愛情もないが(いや、心根にはあるのだが)、桎梏もない。
忌まわしい日本封建遺制の象徴たる農村共同体は、
その最後の砦である「感情」まで解体された、と思う。

いま、作り手にとっては強いられてつくるものではなく経済的な選択肢の一つである。経済だけが、何事かを強いる。
わたし(たち)の感情にとって米は桎梏ではなく、単なる郷愁であり、共同性の幻想ではなく個人の心情と思想で語られ、味わうもの、となった。
(米よ。米も、自立してゆくんだ、ね)

10月に入って、それでも、自家用米にこだわる姉の嫁ぎ先から、おそい新米が届いた。
今年の新米は、7月の多雨、8月の高温のおかげで、出来がよい。
しみじみ、甘い。

米が甘いということは、やはり幼年のころ、母から教えられた。
〜良い米は5回も噛むと甘みが強くなる。10回噛むとお菓子よりあまいよ♪〜
いまも母の言葉を信じて、いる。

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米の味覚:米は戦後期には、ほぼ現在の水準の品種が出揃い、栽培技術も味覚も完成状態といってよいように思う。銘柄や地域で、大きく味が違う、と言うようなことは、わたしには信じにくい。適当な土地で、土地に合わせた技術で、適切に栽培すれば、官能的にはほぼ同水準の味覚を得られるはず、であるとおもう。

米を干す:明らかに食味に影響するのは干し方である。
天日干では、ゆっくり2週間ほどかけて、秋の強い日光をあてて乾燥させる。機械乾燥では、重油または灯油で45℃くらいの熱風に曝して、12時間くらいで乾燥させる。便利になったが、夜乾燥させて、翌日には次の米に入れ替えなくてはならないので、寝る時間がなくなった。それでも、はざかけに比べれば、圧倒的に労働量は減っただろう。ただし胴割れ、ひびが発生しやすい。標準水分は確か14.6%だったように覚えている。天日干のほうが、かけ離れて、食味が良い。

コンバイン:米用の自動刈り取り機と自動脱穀機が連結されたキャタピラ自走式の機械。姿は超小型戦車みたい。米作農業の収穫作業を根本から変えた。

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