■広井良典『コミュニティを問いなおす』1 時代を画する新しい思考の登場

2009年12月06日

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近代とは資本主義成熟に伴う富の分配の闘争の歴史であるという視点

読んで衝撃を受けた。「ケア」や社会保障論といった政策論から「出発」して、革新的で本質的な社会保障論・定常化社会論を構築してきた広井良典が、近代という時代を全体として鮮やかに捉えるところから「持続する福祉社会(定常型社会)」実現のためのキイとしての「個人をベースとする公共意識」を持つコミュニティを論じる最新の成果である。
1970年代以降の資本主義の現実に根ざした、時代を画する新しい構制の思考であると思える。無理なく平易な言葉で、淡々と客観的な事実から、劇的な変化を遂げた資本主義社会全体の構図と課題を鮮やかに描き出す。

要約すると、近代における社会−政治思想的な対立軸は基本的には、資本主義市場社会の成立に伴う富(ここでは所得=フローとしての富)の再配分の考え方であるとし、自由放任的な市場原理派と社会民主主義的な社会保障派の対立であるとする。政治思想的には前者が自由主義であり、後者が社会民主主義である。後者の極端な例が所有(資産=フローとしての富)の段階において「平等」を実現しようとする社会主義や共産主義的な思想である。
(資本主義の半ばで、マルクスは「資本主義の発展は必然的に資本主義を死滅させる」と予言した。その予言は消費資本主義を通過した今、半分は、実現されようとしている)
しかし、資本主義の発展により後期産業資本主義期=消費資本主義にいたり「豊かな社会」がもたらされると、上記の対立はその幅を狭めてきて、次には環境をめぐる対立軸が出てきた。これは、富の分配の問題ではなく、人類が持ちうる富の総量が、自然の制約下にある、という富の総量の問題である。経済社会システムを「富の総量が増えない=定常化」という現実にあわせて、経済成長なしで持続可能ないわば定常型環境型非資源型社会システムに作り変えるべきだという環境派と、現在の資本主義経済社会システムは成長なしには維持されないとする経済成長派の対立だとする。
そして、時代はもちろん経済成長を前提としない社会へと向かっているのであり、広井は資本主義市場社会を容認しつつ、ストック(資産)の再分配を含む(いわば過激で極端なはずの)社会主義的共産主義的な「政策」(「持続可能な福祉社会」)を現実的な課題として提案している。

社会の現実の「深層」に根ざす言葉

現在の時代社会の全体像の鮮やかなドローイングと「提案」だ。こういう、何らかの前提なく社会の現実から組み立てた明晰なドローイングはこれまでないのではないか。

広井は、われわれの、この社会の実態を、偏見なく見てみれば、もはやその「深層」とでも呼ぶべき本質論的な水準においては、暴力革命の必然性も、政治革命の必要性もなく資本制社会は根底から、「社会民主主義」または「社会主義市場社会」とでも呼ぶべきものに、改変される道を進んでいるのだ、といっているように見える。

それは「意識」から出発する「観念論」の頂点のヘーゲルに対して、社会経済的な現実の、きわめて深い分析から出発して「行動」と「運動」に「意識」を転倒・転換して実現しようとしたマルクスの方法を思い出させる。

「脱構築」を主張することに拠って社会的現実から思考を組み立てる道を放棄し「観念のオートマチズム」に陥ったポストモダンの思考の言葉も、ポストモダン以前の「理念」(かくあるべし、という「べき」論)に軸足を置くこれまでのすべての哲学も思想も相変わらず現実に届かない。
社会経済的な展望を失って「自立」に閉塞した吉本隆明も、同じく展望を失って現実的には妄想でしかない「世界共和国」を唱える柄谷行人も、マルクスに対するヘーゲルであるように見えてくる。
実務的な良心的経済評論家である内橋克人の実務論も、非現実的なスローガンに見えてくる。
思想的偏見(イデオロギー)とくに政治的なそれ、を廃棄して、現実を現実としてみて言葉にすること、を広井はみずから行っているように、みえる。

思うに、意識から始まる近代観念論をその頂点で迎え、体現したものは、日本語圏においては吉本隆明であっただろうか。そのように見てみれば、70年代反近代論から「世界共和国」へと進んだ柄谷行人も80年代ポストモダンの浅田彰も、中沢新一も、90年代の宮台真司も大塚英志も、ゼロ年代の東浩紀も、みんな「観念論」の徒であるように見える。みな媒介項としての観念の学抜きには叙述=発後不可能な、自分の言葉の出自(=近代性のくびき)を感じてしまっているから、大きなパースペクティブを現実として語ることができずデイテールにはまり込んでしまっているように見える。

広井が著書の中で提起した「ケアする動物としての人間」「定常型社会」「人生前半の社会保障」「ストックの分配」「持続する福祉社会」「環境と福祉の統合」といった考え方・広井的述語は、非常にラデイカルに社会的な変化の本質を捉えながら平易に語りだされている。
課題がラデイカルなのに語り口が平易で、やわらかくしかも論点の本質を深いところで捉えていると思える。この平易さは、前時代にはなかったことであり、また外国思想の輸入や敷衍を下敷きにしないというより、ほぼ含まない自前の言説でもあり、この意味でも大いに注目される。

それは、明らかに、時代の変化がもたらす視点の成熟である。
とくに人類の通史、近代史の本質といったスケールの大きなパースペクティブを描くときに、その叙述は魅力的である。多くの賛同者を得る力がある。
それは時代の現実の「深層」に根ざして、現実からいわば自分のものさしで社会総体を分析するという思考方法がもたらすものであろう。広井が多くの文献的蓄積を自分の言葉に昇華させているということでもあろうが、なんら観念的思惟を前提または媒介項とする必要のないところまで、時代が成熟して、直截に時代社会の本質的深層を析出させてきたということにもよる。

人間に、本当に生きる価値があるとしたら、時代というものがときとして、ふと見せてくれる鮮やかな転換をわがことのように感じること、は確かにそのひとつであるだろう。

※本文中に一部詩が引用されているところから、広井には、自分の感性だけで世界や時代やものやひとを捉えきろうとする、詩的なものへの嗜好と感性があるようにも思われ、それがこの平易な叙述につながっているようにも思われる。

論理はいかに切迫した現実の情況に届くか

しかし、平易であることは、実は論理が現実の障害にぶつかることがないために、自己完結して閉じたサイクルを構成しているのではないか、だから、本質的な把握だが本質そのものに届かない、または現実的な理解だが現実には届かない言葉の帯域にとどまっているのではないか、という危惧をも抱かせる。つまり所詮は「学」を形成する事を目的とするアカデミズムの中の革新派に過ぎないのではないか、という危惧もまたありうるのである。
社会保障は、今日、もっとも切迫したアクチュアルな社会的課題である。「少子高齢化」や「若年雇用」、「孤独」なるがゆえの犯罪や自殺といった今日、もっとも切迫した課題に対峙して、これを解きほぐすの社会全体の、社会として生き残るための自己保障、すなわち「社会保障」の課題であろう。
時務的、技術的で政策的な議論の多い社会保障を語るのに、遺伝子論や時間論、独我論、さらには福祉国家論だけでなくその前提としての、人類史の経済社会過程の総論からはじめるという深さは、あるいは論理的な普遍性にいたることを追求する思考の態度は、今日の高齢化や、経済的停滞への本質的視点の提出ではあっても、目前の政策論的時事論的状況への切迫感や臨場感を欠くきらいがあり、大所高所にとどまっている気配は、確かになくはない。
本人はその危険をよく承知しており、社会的には経済システム(資本主義市場社会)というものを容認しながら、これにかかわる幻想領域(学、思想、というようなもの)においては「開かれた」コミュニティということが大事だと繰り返し述べているし、市民運動との連携などの「実践」活動にも取り組んでいるらしい。

論理が閉じないためには「現実」を繰り込んでゆくことだ、閉じようとする組織や共同体を開くには、「外部」を繰り込んで行くことだ、というようなヘーゲル弁証法的認識を述べることなら、すでにわたしたちは吉本隆明にその強靭な先例を見ている。また通り一遍の「実践」を免罪符のようにやるだけなら、古典マルクス主義の中にそれを見出せる。

言葉の柔軟性、思考の柔軟性が、いかに現実を捉え、現実から遊離しないか、それは、言葉が現実から発するものであり続けなければならない、ということだ。
この後も、続けて「コミュニティを問い直す」にしたがって、広井の論理を確認してゆくことにしよう。

     ※     ※     ※

■広井良典「コミュニティを問いなおす」ちくま新書2009年8月10日860円+税

目次
プロローグ コミュニティへの問い 009

第1部 視座 029
第1章 都市・城壁・市民―都市とコミュニティ 030
第2章 コミュニティの中心―空間とコミュニティ 066
第3章 ローカルからの出発―グローバル化とコミュニティ 094
第2部 社会システム 115
  第4章 都市計画と福祉国家―土地/公共性とコミュニティ 116
    1 福祉国家と都市計画の国際比較 118
    2 歴史的展開における福祉国家と都市計画 127
  第5章 ストックをめぐる社会保障―資本主義/社会主義とコミュニティ 145
    1 これからの社会保障政策/福祉国家の方向性 147
    2 ストックをめぐる格差と土地・住宅政策 161
    3 福祉政策と都市政策の統合 172
第3部 原理 203
  第6章 ケアとしての科学―科学とコミュニティ 204
  第7章 独我論を超えて 229
  終章  地球倫理の可能性 

■黒田喜夫『人はなぜ詩に囚われるか』3 序詩「遠くの夏」をめぐって(2) 結構と悲劇の予兆

2009年11月27日

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灼けて燃えざるもの、と、幻の魚影

『人はなぜ詩に囚われるか』巻頭にも、沈痛な、あまりに沈痛な「遠くの夏」という作品がおかれている。10ページ、おそよ150行にも及ぶ作品は、黒田の内なる「不可視のコミューン」が、死の淵に臨む孤独な病床に在って、そこに在り続けたのだ、ということを証しているだろう。
詩論集である本書で展開されるの詩の本質論や、当時の情況的なやり取りへの応接を踏まえて書かれたこの作品は、黒田の詩論を実践的に確かめつつする作品行為であるとともに、時代情況への詩的発言でもある。
作品は現実への鋭い感受性が柔らかいイメージを発しつつ、押し詰まる情況の危機感を描き出し、これを打ち破り超出しようとし続ける詩人の不屈の詩的・思想的な「たたかい」が「憤怒」とともに反復しつつ渦巻きつつ展開されるもので重苦しく、痛々しい、といわざるを得ない――であろうか。

    遠くの夏 ―記・初秋某日

一九八×年夏傾く
九月某日 午後ふかく
西南の窓よりひかり悶えつづける
しばらく灼け果てた畳の中空から
家の中を横切り一尾のいさきがひらひらと泳いでいった
灼けて燃えざる九月の藺草の砦
幻を阻まぬ障子
枕頭に破りくる夕暮れ前の魚影 けれども
頃日の事物と幻は答えない
この記される事物と不在の劇はあっても夏の
死の答えはない
(第1連前半 P3)

目前に自らの死を凝視し、傾く時代の思想情況の光を浴び悶えながら、なおも灼熱の幻を泳がせる詩人の妄執。悲劇の予兆であるほかはない。
「一九八×年夏傾く/九月某日 午後ふかく」という日付は、秋へとむかう夏の終わりの現実のカレンダーの日付であるがしかし、詩人の詩的言語は2行の字句のうちに飛躍して、まずは作者と社会の「傾く」情況が「ふかく」押し詰まっていることを現実社会の時間に即して、現実世界からの視線で描き出す。「西南の窓」から「ひかり悶えつづける」ものは、もちろん太陽でもあるが、詩人を照射し続ける詩的、思想的な「不可視」のなにごとか、でもあるだろう。
突如現れ、「ひらひらと泳いでいった」一尾のいさきは、なにごとか、に照射され続けた詩人の内部に「幻視」される不可視のものが浮き出て浮遊する断片または幻であるが、それはあくまで「灼け果てた畳」という、見たくもないのに見続けてきた、見飽きた、見なくても身体として感じられるであろう、みもふたもないようなそっけない、しかしそれだけが唯一の思考と感受性の根拠であるところの「現実」の、その「中空から」現れるのでなければならない。
個人と社会の現実を見続け凝集し、その凝集された社会経済的現実をこそ自らのよって立つ基盤として選び取ったものだけにゆるされる、それは哀しく、惨めなほどの、しかし誇りかな確信であり核心であろう。

その幻のいさきの周りにあるものは、「灼けて燃えざる九月の藺草の砦」や「幻を阻まぬ障子」である。イグサは灼けても尚しぶとく燃え尽きず、あるいは燃え尽きることができず、細く密生して立ち上がり鋭く尖った刃先を天に向けて、自然のちから、生命の力を誇示し、なにごとか挑みかかるようである。とりあえずここでは「砦」の形で幻の戦争の渦中にあり、そこでは幻の兵士が、武器を研いでいるかもしれない。
また、現実には「障子」で閉ざされた家または室内に詩人はいるのだが、閉ざされているイメージは、「幻」を阻まぬことに拠って思想的または詩的な情況をも喚起する。

「夕暮前」の時間に、つまりある種の時間の経過の後の疲労感や沈滞感に包まれる時空の中を、魚影(幻のいさき)は「枕頭に破りくる」。詩人の中にある強いイメージであろう。劇的な転換だが、読むものにはよく分からない。
「けれども」、という副詞によって、またそれに前後する一節に拠って、わたしたちは、一気に別な時間の流れを感じる。
外界の、カレンダー的な時間の描写から始まった「詩」は、「魚影」がその時間を破って「枕頭」の時間、すなわち内部の詩的な時間の流れに「破りくる」のである。
「けれども」、「頃日の事物と幻は答えない」。
「頃日の事物」とは身近な身辺のものやデキゴトであり、「幻」は「破り」きたったはずの「魚影」である。
さらに「この記される事物」=「頃日の事物」と「不在」=「幻」の「劇」(=押し詰まる情況にたいする詩的核心のまぼろしまたは断片としてのあらわれ)はあっても、「夏の死の答えはない」とかさねて詩人は拒絶される。もちろん拒絶されねばならないのである。
なぜなら、詩は「悶え続ける」もののまったき解放と希望を夢見ているだろうが、しかし現実の秩序と自分自身との格闘のなかではそれ(「詩」)は、「生きつつ生きられる」背理としてしか実現されないからである。

それは季(とき)絶えつつ悶える
西南の窓に対し伏す 午後ふかく
幻よりそむける目前のひかりの穴
答えぬ物たちの先端のカーテンを払う 黙するビニールすだれの彼方 窓の外の丈低い雑木の彼方のわが黄褐の陽 ひかりの腫瘍
けれども午後ふかく
目前のひかりの穴 幻より
そむける額と障子の斜面の底の
去り墜ちる陽に手折れ屈している憤怒から
しきりに燻りあがる夕暮前は耐えず
いまわが軀身に答えは燃えよと起つ者は
そのままよろばい路へ出ていった なお
一尾のいさきに似た魚がひらひらと前を泳いでいった
  (第1連後半 P4)

前半に見たと同じように、目前の現実の事物と詩的思想的情況がない交ぜになって、重層する時間の中で、より鋭角にもう一度「体験」され、「拒絶された」詩人はついに「手折れ屈している憤怒」に耐えず「燃える」「答え」を求めて「よろばい路」へとでてゆく。
なお目前の矮小とも見える事物との落差の大きさに、いくらか恥ずかしげに、「いさきに似た魚」がひらひらと先導してゆく。それは鋭く重苦しい中に一点の諧謔的な軽みをもたらす、詩人の生得のユーモアの精神ででもあろうか。

かくて導入部は、作品の結構と悲劇を予兆し、詩人の中の灼熱と幻の劇、「断片」の幻をさらに凝視し、繰り返し凝視し、幻が「非在」としての「実在」と化し、「生きつつ生きられる」劇が展開される「遠い夏」がはじまる。

※あえて、無理を承知で詩作品を「逐語」的に分節・分解するように叙述してみた。少しでも「了解」に接近するべく、「理解」もまた「背理なるもの」として「生きられる」意味を承認されうる、と思われる根拠もないわけではないからである。

※死は、詩人の慣れ親しんだ現実であるとともに切実な詩的テーマでもある。


     ※     ※     ※

目次
序詩
遠くの夏 ――記・初秋某日
T
清瀬村より……15
U
インジヴィジュアルと共振 日本の歌謡と詩・覚書……61
神謡・生きられた詩的母体……89
超意味と不可能性の詩……119
精神の定型と関係主体……127
V
「帰路」の不在……149
不易生活とは何か……158
詩と権力 T君への手紙……167
「あるべき死」と供犠 アンケート・三島由紀夫の自決を考える……191
「阿Q」は生きているか……200
W
第一行をどう書くか……211
詩の生誕「狂児かえる」について……215
「戦後詩・自選」と「戦後」についての二千字のメモ……223
一篇の詩ができるまで……231

清瀬村(創作)日誌 あとがきに代えて……235
 初出一覧

■黒田喜夫『人はなぜ詩に囚われるか』2序詩「遠くの夏」をめぐって(1) 詩とはなにか 

2009年11月24日

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「屹立」するもの―詩的なるもの

黒田喜夫の評論集にはつねに巻頭に「序詩」がおかれる。
それは、書物全体が「生きつつ生きられる」背理としての「詩」であり、さらには詩人の生存そのものまでもがそこ深く「生きつつ生きられる」「詩」であることの光栄と悲惨とを示しているように思われる。

鮎川信夫が内村剛介の『失語と断念』に対して石原吉郎の「脱走」という詩を擁護した一文がある。

    服従せよ
    まだらな犬を打ちすえるように
    われらは怒りを打ちすえる
    われらはいま了解する
    そうしてわれらは承認する
    われらはきっぱりと服従する
     ―石原吉郎「脱走」部分    

  「われわれはきっぱりと服従する」と言う強い口調の〈断定〉
  は……告発の一歩前に踏みとどまることを意味しており、それがど
  んなに惨めな状態であっても、空間的にはテコでも動かぬ〈屹立
  性〉として了解されるはずである。そしてこの〈屹立性〉は、詩的
  な時間の了解性の範囲では、今もなお服従しないことであり……石
  原は「きっぱりと服従する」ことによって、「永遠に服従しない」
  ことを選んだのである…」
   鮎川信夫「内村剛介の石原吉郎論」

「屹立性」とは、「詩」が「詩」となるということの、確たる現前であり現れである。「詩」というものが成立するとき、言葉は指示的な意味を超越し、詩としての「言葉」になる。詩としての「言葉」になるとは、瞬間に生きられ、同時に廃棄される「言葉にならないもの」が立ち上がり「屹立」して、超越的な、それゆえ「詩」的な「意味」を開示するということである。そこでは「きっぱりと服従する」と書くことが「永遠に服従しないこと」としてのみ了解(「理解」ではなく)されるというような「詩」的な飛躍が空間と時間を超越して人間たちに届いて(「共振」的な「言葉の共同性」として感得されて)いるだろう。いなければならない、のである。

動態としての詩のありか―存在と非在の「瞬間の王」「不可視のコミューン」「神の瞬間」

黒田はこの鮎川の一文に触れて、石原を擁護したあと、続けて以下のように書く。

  ここで尚、わたしが自分の石原論の一要点として(鮎川の所論へも
  ふくめて)更に何かを言うとしたら、だが本当は、その「屹立性」
  ――超意味性が現出するのは何においてなのかというようなことで
  ある。別にいえば、石原は断念とか自己の不条理とかにかかわら
  ず、それを詩に屹立させようとする。自己を他者たらしめるために
  何故「詩」という共振的・共人間的な言語世界を形成しようとする
  のか、その背理は石原にあっての何か、ということである。

  すなわち、例えば〈屹立性が生ずる詩的な時間の了解性の範囲〉と
  は、何においての所在か。その言葉の屹立、反立、超意味性の現出
  は、一口にいえば、ただここに、想像力裡にそのように参入・変
  容・体験化するものに生じている言語空間の関係の動態においてで
  ある。―略―作者主格のほうからいえば、発語と意味の非対応のよ
  うな、言葉の生きつつ生きられる分裂の現出を生き且つ客体化する
  何らかの方法によって、分裂の鋏叉なす全累積の時間性を包含しよ
  うとするその動態においてである。そういう見えない言葉の共同性
  への到達と獲得においてなのだ。――そのような、不条理からの自
  己の、言葉の共同性によるその証立ての背理的な瞬間を、『大地の
  商人』の詩人は「瞬間の王」とよんだし、私などは詩の行為の「不
  可視のコミューン」とでもよびたいし、石原吉郎はおそらく「神の
  瞬間」と思っていたであろう。けれど石原は、自らの「単独者」の
  屹立が、想像力裡の「見えない人間たち」によって証だてられての
  み在ることの、その身体性の劇を知ってはいただろうか。
   P155 「「帰路」の不在」

詩は静的に存在するものではなく「動態」である。
すなわち時間的なものであり、空間的なものである。
それは生きつつ、同時に生きられ、そして永遠として記憶されるものである。
それは激しく非妥協的な孤独のうちに胚胎して、しかも他者性をも併せ持つ。
ここに「単独者」なるがゆえに内部に他者性を併せ持ち、外部の他者性と「共振」するもの、すなわち「詩」のありかがある。

それは、つまり「詩」は、J・デリダいうところの現前と非現前の二者択一を「脱構築」した「幽在」=亡霊的存在、というようなものをこそ現前させるようなもの、である。
またそれは、つまり「詩」は、「共振」する限りにおいて非在なるものとして存在するとでも言うしか言いようのない「不可視のコミューン」となる。
そのような「背理」なるものとしての「詩」を「証立てる」ものは「見えない言葉の共同性への到達と獲得」という困難で冒険的な、つまり詩的な、まことに詩的な飛躍であって、幻として確かに実在するものである。

現代の詩の困難と光栄は、近代資本主義社会における「個人」の成立と困難に、つまり人間が自己意識をもった「人間」や「自我」なるものとして「存在」することの困難にその根拠を負っている。
柄谷行人がついに放棄し、撤退した独我論の困難、認識論の困難も通底している。それは、このころから氾濫したポスト構造主義とよばれる思考が、ついに突破できないままに衰退してゆくかに見える隘路、でもあるだろう。

黒田喜夫は、この時代を跳梁するそうした困難を詩人の眼で見、詩人として「言葉の共同性」へ到達し獲得することで、揚棄しうるというパースペクティヴを、紛れもなく幻視していただろう。

  ※デリダなどフランスポスト構造主義思想を「チャート的」に紹介
  した、浅田彰の「構造と力」が売れたのは1983年のことである。あ
  まりに閉塞的で展望を失った思想や文学の無力のなせる業であった
  といえば言いすぎか。字句は難解で論理は精緻でもマニュアル本の
  ような「軽い」(日本の)ポストモダンの言説を黒田はどのような
  思いで見ていただろうか。

黒田がデリダを読んでいたかどうは知らないが、デリダ的認識は「詩」の本質として、つまり「詩」そのものとして、十分に、「戦後詩の極北」たる黒田のなかに成熟していた。

     ※     ※     ※

目次
序詩
遠くの夏 ――記・初秋某日
T
清瀬村より……15
U
インジヴィジュアルと共振 日本の歌謡と詩・覚書……61
神謡・生きられた詩的母体……89
超意味と不可能性の詩……119
精神の定型と関係主体……127
V
「帰路」の不在……149
不易生活とは何か……158
詩と権力 T君への手紙……167
「あるべき死」と供犠 アンケート・三島由紀夫の自決を考える……191
「阿Q」は生きているか……200
W
第一行をどう書くか……211
詩の生誕「狂児かえる」について……215
「戦後詩・自選」と「戦後」についての二千字のメモ……223
一篇の詩ができるまで……231

清瀬村(創作)日誌 あとがきに代えて……235
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■黒田喜夫『人はなぜ詩に囚われるか』1 1984年の死

2009年11月23日

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「戦後詩の極北」

黒田喜夫は、石原吉郎や菅谷規矩雄などとならんでとても気になる詩人だ。それは鮎川信夫、吉本隆明、谷川雁、吉岡実、吉増剛造というような華やかに詩史を飾る「戦後詩」の「正嫡」ともいえる詩人たちに対して、いかにも「不可能」や「断念」や「失語」といった影の部分をになっているように見える。
はじめてその詩に出会ったときに、最後に行き着くならこの人のような、「えいえん」に身悶えし続ける不条理刑のような、「豊饒なる不毛」みたいな、この、場所ではないか、と思ってしまった。言い知れぬ恐怖感のようなものとともに、思ってしまった。(しかし、「最後」はそのようであるかもしれないが、そこに至る前には郷原宏の『カナンまで』みたいな恋物語や生々した日々があるのだと思っていた)


学生ころに読んだ「空想のゲリラ」は、鮮やかな幻の「革命」や「村」のイメージにが立ち上がり、また苦しげな諧謔と厳しい論理にみちていた。「毒虫飼育」ではいっそう苦しげに「現実」を見ながら同時にまぼろしを見、現実とまぼろしの境界を何とか超えようとする悶えのようなものをつよく印象させられた。
結局身は現在に反転し、思いは幻となって中空に、貼り付けられたように凝視されたまま泳ぎ続けるべき者、であるかも知れぬ。
黒田の詩の言葉は、鮮やかに詩的イメージを描き出すが、「瞬間の王」谷川雁ほどには暗喩(メタファ=凝縮し飛躍した象徴性)として昇華させず、現実の手触りを残しながら野太い論理性を響かせる。が、吉本隆明ほどに厳しく論理そのもの(だけ)を凝縮しつくして現実に反転するような硬質のものではなく、現実や自然の些細な種々を捉えて宇宙のようにひろびろと立ち上がっていく柔らかな感受性の広がりも含んでいた。
中途半端だというようなことでは、無論、ない。それはそれとして徹底している。わたしは、吉本隆明と谷川雁のあいだの真っ暗なブラックホールのような言語の水準として、または対極にあるものとして黒田喜夫を思っていたかもしれない。

今回、『人はなぜ詩に囚われるか』を読みつつ、Wikipediaで黒田喜夫をみてみると「山形県寒河江の生まれ。高等小学校卒業後、上京して京浜工業地帯で工場労働者として働く。戦後は日本共産党に入党、郷里で農民運動に参加するが胸を病み、療養しながら詩作を行う。関根弘、菅原克己らと同人誌「列島」を始め、1959年、第一詩集『不安と遊撃』を刊行、翌年H氏賞を受賞する。プロレタリア詩と前衛詩の結合において戦後詩の一つの極北を示す詩人である」と短く、極く短く出ていた。
「戦後詩の極北」! しばらくその文字を見ていた。

精神のその日暮らし

内ゲバに明け暮れる頽廃期の政治運動にも、時代を捉えることのできない思想の言葉にも失望して、しかし、自力で、時代と対決するだけの文学の言葉も持たなかったおろかな私は、大学をやめ、社会の入角のようなところで、現実社会の波に洗われながら、ただ生きることだけをしていた。そのころ、30歳になり、仕事でも重用されるようになりようやく暗い内部の世界から、入角のようではあっても、現実世界で生きていくことの手触りをそれなりに感じ始めたころで、あくせくとマーケティングや都市計画やコミュニケーション計画(広報や販促)というような「現実世界」の仕事に追われていた。そんなものがお金に換わることがおかしくてしょうがなかった。
モノあまりといわれる産業資本主義の成熟状況の中で、世の中は何かが大きく変わったと思いながら、何がどう変わって、時代はどこへ向かうのか、明確な分析も指針もどこにもなく誰も提出していない、と感じていらだって、精神的なその日暮らしを続けていた(それは今日も!であろう)。
「恋にも革命にも失敗し/急転直下堕落して行ったあの/イデオロジストの顰め面」(鮎川信夫)は、窓から突き出してみるものではなく、行き先なしの日々を送る精神には、内側にしっかりと張り付いた鋳型のように重いものだった。
ただ、少数の内部世界から現実を捉えうる言葉を持つ詩人や文学者、具体的には吉本隆明や黒田喜夫の発言が信じうる数少ないのモノサシと思っていたが、吉本は『「反核」異論』から、「アンアン」に登場して埴谷雄高と論争していたころで、大きく「肯定」の論理へ舵を切っていた。「吉本はリバタリアニズム」的な批判も浴びたころであった。主要な仕事は『マスイメージ論』『ハイイメージ論』『初期歌謡論』などであったが、その言説は「豊かな可能性」を暗示はしているかもしれないと思われたが、時代や社会の明快な見取り図はなく、私には納得できなかった(理解も届かなかったのであるが)。谷川雁は「瞬間の王は死んだ」と述べて沈黙し、病床の黒田喜夫の発言は私の目に届くところにはなかった。
そんな中で、ときどき、思い出したように引っ張り出して読む彼らの詩が、わたしにとっては現実とまぼろしを同時に見ることを思い出させるひそかな慰めだった。

1984年の蛍は見えるか―吉本隆明と黒田喜夫

『人はなぜ詩に囚われるか』一冊を、最後に残して1984年、詩人は、長く病とも自らの内部の敵とも闘い続けた苦しみ多い世を去った。わたしは、しばらくそのことを知らなかったし『人はなぜ詩に囚われるか』も読んでいなかった。詩の雑誌も読まず、文学を語りあうような人との付き合いもなく、一般書店に出回る吉本隆明の新刊を読むくらいであったので当然だった。
そんな私でも、何かの虫の知らせか1984年11月の「試行」第63号は読んでいて、巻頭の「情況への発言」で黒田の死と『人はなぜ詩に囚われるか』で黒田が吉本批判を試みていたことを知った。私は混乱しながら読んだ。たぶん新宿の模索舎で、だったような気がするが定かではない。(現在、所持している『試行』誌はこの号を含めて2冊のみである)
吉本は次のように書いている。

  黒田喜夫が死んじまったから、しんみりするわけじゃないが、ゆと
  りもなくただ走り抜けるだけみたいな、現在のきみ(吉本)の危機
  感は「病人たちの制限された肉体があたえる人生の断片を心情の無
  邪気な歓びのすべてを持って、一つの完全な人生であるように受け
  取るために」(リルケ『フィレンツェだより』森有正訳)に必要な
  「感受性と性格の深い繊細さ」を欠いているんだ。きみ(吉本)が
  欠いているとは敢えて云わないが、そういう時間がきみ(吉本)を
  欠いているんだ。
  黒田が骨の髄まで信じ込んだ理念が、骨の髄まで欠いていたもの、
  欠いたまま黒田を死に追いやったものは、ざっと次のようなもので
  あった。

    少したってその若い婦人は言った、《告白するのが恥ずかしい
    のですが、わたくしは死んだも同様なのです。わたくしの喜びは
    本当に滓のようになり、わたくしはもう何も望んではいないの
    です》。わたくしは何も聞こえないふりをした。それから突然
    うれしそうな調子で叫んだ、《蛍がいますよ。見えますか》。
    彼女は首を振った。《あそこにもいますよ》――《ほら、あそ
    こにも――ほら、あそこにも》とわたくしは彼女を引っ張って
    歩きながらそう付け加えた。彼女は夢中になって数え始めた
    《四つ、五つ、六つ……》。そこでわたくしは笑って言った、
    《あなたは恵みを知らない人だ!これが人生です。六匹の蛍、
    ほかにもまだ何匹もたくさんいる。あなたは否認しようとなさ
    るのですか》。
     (リルケ『フィレンツェだより』森有正訳)

  ようするに蛍が数えられないのさ。お互いにな。そんなの自慢にも
  何にもならねえんだ。
     吉本隆明「情況への発言 ―中休みをのばせ― 1」
     『試行 第63号』1984年11月

読み返して、吉本の悲しみと苛立ちが痛いほど伝わってくる。

黒田喜夫が吉本批判を試みたことは、もちろんショックだった。
近代資本主義がその頂点へ達しようとする、成長と成熟がかさなった時期の1970年代、黒田は、時代を跳梁跋扈するかに見えた吉本の「自立思想」の不明瞭さ、行き先の分からなさに強い異和を唱えながらも、限りなく遠くはなれた同行者のようにして、あるいは陽に対する陰、正にたいする負のようにして、いわば吉本の思想的最深部を浚うようにして自らの詩と思想を鍛えようとしていたように思われたからだ。
(『負性と奪回』1972、『彼岸と主体』1972、『自然と行為』1977)

しかし同世代に属する両者はもともと出自を異にしており、おそらくはその反映として、その詩の成立においても社会批判の主調においても大きく異なってはいた。
黒田は戦争期東北農村の貧困を一身に象徴するような「一反の畑」をさえ失う極貧の小農の家に生まれ、常に「家族」を直接的身体的な経済的危機にさらし、ついには「解体」さえしてゆく経済社会秩序総体を直接に「敵」とせざるを得なかったであろう。
それに対して、吉本は東京の下町の職人的な庶民的な空気を愛しうたっているが、そこには子供に高等教育を受けさせる中産階級的余裕があったから「生活の危機」も「家族の解体」の危機もなかったし、現に吉本は戦争期から戦後の思想形成期までの主要な期間を「学生」的身分で過ごしている。吉本が社会を知り、実践的批判的感覚を身につけたのはおそらく「詩の一篇も書けない時期」の急進的インテリ労働者としての東洋インキの労働運動において、であっただろう。そこでは戦後革命の衰退期に「急進化しようとする労働運動」とその青年指導者をことごとく裏切り、運動の危機をむしろ内部から生み出し、敗北―解体へさえ追いやる「党」の存在と、「党」を生み出す二重構造の支配秩序が「敵」として見いだされたであろう。
黒田における、より根源的な家族の身体的危機、と、吉本の近代的急進的知識人(労働者)としての自己意識の危機とは、いかなる意味でも一致も同調もしないのである。

そして、1984年に戻ると、吉本は黒田の批判の中身はほぼ無視して、リルケを引いてアンビヴァレントな悲憤ともいうべき感情をあらわにした。(そのことはいくらかわたしを和ませた)

そのことだけを確かめて、わたしはそのまま、この暗澹たる歴史の交錯の現場に触れないで来た。『人はなぜ詩に囚われるか』も今日まで目にすることはなかった。
現実がますます希薄になり現実でなくなるような、頼りない生を呆然と、ただ生きて死ねばよいのだ、と思ってきた、ようにおもわれる。
わたしにも、むろん、「蛍が数えられない」のであった。

まことに、生きることより生き方が大事、なのである。

     ※     ※     ※

■黒田喜夫『人はなぜ詩に囚われるか』日本エディタースクール出版部1983年12月26日第1刷2,000円

目次
序詩
遠くの夏 ――記・初秋某日
T
清瀬村より……15
U
インジヴィジュアルと共振 日本の歌謡と詩・覚書……61
神謡・生きられた詩的母体……89
超意味と不可能性の詩……119
精神の定型と関係主体……127
V
「帰路」の不在……149
不易生活とは何か……158
詩と権力 T君への手紙……167
「あるべき死」と供犠 アンケート・三島由紀夫の自決を考える……191
「阿Q」は生きているか……200
W
第一行をどう書くか……211
詩の生誕「狂児かえる」について……215
「戦後詩・自選」と「戦後」についての二千字のメモ……223
一篇の詩ができるまで……231

清瀬村(創作)日誌 あとがきに代えて……235
 初出一覧

時代を画する柔軟な思考の言葉 広井良典の著作との出会い

2009年11月11日

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『共同体の基礎理論』を読み直して以降、現代的コミューンや共同体についての全体を視野に入れた理論的考察を探していたが、偶然見つけた『コミュニティを問いなおす』(ちくま新書2009年8月10日)を読んで衝撃を受けた。
「近代の思考」が自己―意識―人間をめぐる、人間主義的、個人主義的、観念論的思考であるとすれば、ここには紛れもなく、「ポスト近代」の、「自然」へと最終的に回収される「個と共同」を視野のうちに収めたひろびろとした明晰な思考があり、ル・サンチマンのない(というより乗り越えた?)新しい人間とその社会と自然とのかかわりの地平が認識されてある、ように見える。
「近代」=自己意識=人間主義という意識のよろいをきれいさっぱり脱ぎ捨てたあとに見えてくる、人間と自然、人間と人間のかかわり方、コミュニティの歴史的変遷と現在的意義などが、あたかも手にとるように見えて来る。
この論理の明快さと深さは、すでに広汎に知られているようでネット上にはたくさんの読後感、書評が存在するし、2008年からは朝日新聞の書評委員をつとめている。千葉大学では広井が責任者となって公共哲学研究センターなるものが設立され、11月29日には同センターが主催して、目黒で「友愛」をめぐるシンポジウムが開かれるようだ。
うかつにもというか、30年に及ぶ非知的生活による無知から言えば、当然にも私は名前さえ知らなかったのだ。(これで概ね、時代に10年おくれくらいになったのかも、などと思ってみる…妄想妄想)

取り急ぎ、比較的手に入りやすい以下の7冊を、書店を歩き回って入手、読んでいるが、文章は平明で簡潔、内容は死や自然をめぐる哲学的議論から具体的な社会モデル、財源のあり方まで極めて幅広い。「哲学」する論理的な思考の言葉が、そのまま社会や経済の政策に関する思考に届いている。
稀有なことかと思われる。

『ケアを問いなおす――〈深層の時間〉と高齢化社会』(ちくま新書1997年11月20日)
『日本の社会保障』(岩波新書1999年1月20日)
『定常型社会 新しい「豊かさ」の構想』(岩波新書2001年6月20日)
『死生観を問いなおす』(ちくま新書2001年11月20日)
『持続可能な福祉社会 もうひとつの「日本」の構想』(ちくま新書2006年7月10日)
『「環境と福祉」の統合』(有斐閣2008年2月20日)
『グローバル定常型社会』(岩波書店2009年1月)

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1997年以前の著作などは医療経済などに関する研究書のようだ。(詳しい経歴や著作はこちらで>wikipedia

ご本人が『定常型社会』のあとがきに記したところでは「医療政策や医療経済から出発し、それが社会保障や福祉国家をめぐるテーマに広がり、さらに環境や経済システム全体の問題に視野が拡大する」ことになったかと見えるが、「けれどもそれはある意味で逆であって、もともと筆者自身は、学生時代を含め、もっぱら「私が世界を認識しているとはどういうことか」「価値判断の究極的なよりどころは何に求められるか」といった(理念的・哲学的な)テーマにしか関心をもたないような人間であった」ということのようである。
とすれば、20年ほどかけて大いなる遠回りをして、自分自身の内面を掘り下げ、内面の問いに答えを出す位置に立ち戻ったことになる。

わたしにとって最初の本となった「コミュニティを問い直す」のあとがきでは、その問題意識の流れを次の3つの流れが合流するようにして書かれたものだと明快に整理している。

  (1)「ケア」というテーマが自ずとコミュニティというテーマに
   行き着き、さらにその「空間」や「場所、土地」という次元に及
   んだという側面
  (2)都市計画やまちづくり、地域再生といったテーマそれ自体へ
   の固有の関心(これは定常型社会においては空間や地理、ローカ
   ル性が重要になるという理解とも繋がる)
  (3)(上記の原問題的な関心とも重なる)人間の「個体性・共同
   性・公共性」をそもそもどう捉えるかという主題と、またそれら
   が現在の日本社会における様々な問題の核にあるという認識

「個」と「共同」とが、「逆立」するものであり、疎外しあうものであり、するという現在的(近代的な、でもある)な課題を掘り下げて行けば、人間とはどういうものであるか、そもそも共同体とは何か、と問いを進ませざるを得ない。
これは、資本主義が高度に達成されることにより,その核心部に前時代からの封建遺制(村落共同体システム)を含む日本的資本主義システムそのものが解体されつつある現在も変わらぬ課題であり、資本主義的秩序が解体され衰弱しつつある現在、われわれはルサンチマンのない言葉、政治的共同性(暴力性=イデオロギー性)のない論理で語ることが可能になっているはずである。
そうした課題に、「現在」の言葉で答えることが、広井によって、(はじめて)思想的な深度をもって現に示されつつあるように思える。

順次読んで行きたい。

     ※     ※     ※


■広井良典「コミュニティを問いなおす」ちくま新書2009年8月10日860円+税

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