ブログ再開・最近読んだ本B 阿部和重の初発の非在の「少女」から「神町サーガへ」へのエロスと循環の神話へ 『アメリカの夜』と『グランドフィナーレ』

2010年06月02日

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阿部和重『アメリカの夜』・『グランドフィナーレ』

現存在の自由と不安を思想的に追求する

阿部和重は山形県出身の、1968年(!)生まれの作家だ。高校を中退して映画監督を目指して上京した。
近代の人間主義、理性主義が否定されるポストモダン的思想状況下で、人間の存在のありようを知的結構の中で追求している。すなわち、自己中心主義=市場原理主義でない、あるべき存在とというものが、実践的な生の現場でどのように現出し実現するするのか、その契機と可能性を造形しようとしているように思われる。

デビュー作『アメリカの夜』では、日本におけるポストモダンの代表的な思考者である柄谷行人の『探求』における、共同主観的な「他者」性を内部に繰り込んでいるような主体の追及をパロディしつつ、同一人物を分裂した2人の主体として登場させた。語られる主人公は自己を語りながら「特別な存在」=社会的なまったき承認と賞賛を受けるような存在を目指すが、彼が生きる現在の「職場」では承認も賞賛も受けられずついには、「外部」である海外へと脱出してしまう。出口のない閉塞とアイデンテティの不安に翻弄される、ポストモダンの社会状況を相当早い時期に、モノローグにモノローグが重ねられ重層していく手法で表現した。
その意味では、近代市民社会の中の孤独と自由と不安をスケール大きく正面から思想的に捉える作家であり、かつての、大江健三郎や高橋和巳や村上春樹の初期の軌跡が思い起こされる。

失われた「少女」への「逸脱」と回帰の物語へ

それから概ね10年、2003年には『シンセミア』で毎日出版文化賞・伊藤整文学賞を受賞して、『グランドフィナーレ』では、芥川賞を受賞した。
『グランドフィナーレ』では主人公は少女ヌード写真にかかわり「家庭」を崩壊させた孤独な男だ。市場社会の「職場」と「家庭」から、はじき出されるのは『アメリカの夜』と同じだが、今度は実際の故郷である、また「相互扶助」的な空気が濃密に残る地域共同体的なもの、である「神町」に帰る。ともかくも帰る場はあったのである。しかし「神町」は、たんに共生的共同体であるのではなく、「神」のいる町として「大きな物語」があるのではないかと主人公には感じられ、再び「少女」へと吸い寄せられるようにかかわっていく。

「少女」は失われた(あるべき)故郷または未来への暖かい夢であり、同時に主人公が行動に踏み出す誘因であり出発点でもあるだろう。
また、「少女」は人間の行動を促すフロイトの「欲動」の根源であるようでもあり、竹田青嗣言うところの「エロス的原理」の象徴のようであり、吉本隆明の「原生的疎外」の現れのようでもあり、マルクスいうところの自らに対して自由な存在に対するかのように振舞う「類的存在」としての人間の行動を形作る「美の諸法則」の現れのようでもある。

しかしながら「少女」は、本来的に存在の「裏側」の「非在なるもの」としてのみ詩的にまたは思想的に実在する。「裏側」の大きな深い通路を抱え込みながら、「存在」へとつなげて行く困難は数多の偉大な思想家や芸術家が実証してきた。

「グランドフィナーレ」では、フィナーレのはるか手前のところで、市場社会から疎外され、故郷の家族に生活の場を与えられながら地域共同体にももう一つ馴染まないで、生気をなくした無気力な主人公が、自殺願望を示唆する「少女」を「救う」決意をするところで終わる。

「少女」を「救う」決意は、不安と戦う人間の生衝動の原点であり、生存秩序からの「逸脱」の出発点であるが、しかし同時に最後にまたたどり着く「自由」と「安逸」の「夢」でもあるかもしれない。
つまり、初発において、すでに大団円=「グランドフィナーレ」が「循環」なるもの、すなわち「永遠」、として暗示されているだろう。

現在のところ、作家は「神町サーガ」を標榜する最新作「ピストルズ」へと性急に走っているように見える。
物語の復活へのストーリーはまだ始まったばかりだが、初発の非在の「少女」と、「少女を救う決意」が大事なのだ、と言っておきたい。

     ※     ※     ※

人間は共同体の中で保護されて生きながら、同時に,「あるはず」の、つまり「非在」の「自己」や「自由」を夢見る存在である。そして「夢見る」そのとき、共同体の中で割当てられた役割から逸脱し、または脱落して「夢」へと踏み出してしまう厄介な人間の宿業はどんな「神話」を作り上げるだろう。
作家や芸術家思想家は、「新しい神話」を構築する義務がある。
正面から思想的な課題を追っていく、また小説の形式に挑戦する作家の進む道に注目していきたい。

※     ※     ※

■阿部和重『アメリカの夜』講談社文庫2001年1月15日第1刷2006年3月24日(原本1994年7月講談社・)1994年『群像』新人賞)、『グランドフィナーレ』講談社文庫2007年7月13日第1刷(原本2005年2月講談社・第123回芥川賞)

宮本太郎『生活保障』3 「生きる場」のためのアリストテレスの「共同体」の「フィリア」(カールポランニーによる)

2010年01月12日

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「経済」と「市場」の初発とは

「近代」経済社会の特異性

カール・ポランニーは「アリストテレスによる経済の発見」の中で、アリストテレスは当時「発生期の状態」にあった新しい複雑な社会現象の諸要素を理論的に把握しようとしていたのである、と述べている。

そしてまず「市場」が成立した「近代」の「経済」について次のように述べる。

  市場経済では、物的財の生産と分配は、原則として、価格を決定す
  る市場の自動調整的なシステムを通して行われる。それはさらに、
  それ自身の法則、すなわち、いわゆる需要供給の法則に支配され、
  飢えの恐怖と利得の希望に動機づけられる。個人を経済に参加させ
  るような社会的状況を作り出すのは、血縁関係や、法的強制や。宗
  教的義務や、忠誠心や魔術ではなく、私企業や賃金システムなど、
  特定の経済制度である。
     
  以上はすなわち、経済の領域が社会の中で独立している19世紀型の
  経済である。それは貨幣的利得の衝動をそのはずみとしているので
  あるから、動機的にも特異な経済なのである。この経済は政治や統
  治の中心から制度的に切断されており、それ自身の法則を持つオー
  トノミーに到達している。そこには交換手段としての貨幣の広範な
  使用に端を発する、社会から離床(アンエンベッディド)した極端
  な事例が見られるのである。
   ―カール・ポランニー「アリストテレスによる経済の発見」『経済の文明史』ちくま学芸文庫P285

近代社会では、(特異にも!)経済過程に参加することが社会に参加することである。
われわれは近代的動機を廃止して、身分や権威や習慣というような前近代的動機で「経済活動」に参加すべきであろうか。
否であろう。われわれの祖先はこうした前近代的動機を廃止すること目指して「近代」の「悲惨」を励んだのだ。
では「近代的動機」についてはどうであろうか。これももちろん、否である。われわれは飢えの恐怖や利得の希望によって社会に参加するべきでない。
われわれは、言うならば、経済的であろうと前近代的であろうと、いかなる動機づけもなく、経済に参加しなくとも、あらかじめ社会に「参加」してあるべきである。
近代的=経済的動機を除外した状態で、あらかじめ参加できる「社会」とはどのようなものであるか。

「生きる場」としてのアリストテレスの「フィリア」と「共同体」

カール・ポランニーが描いた、アリストテレスの体系の全体を見てみる。

  現に動いている組織としての集団は共同体(コイノニア)を形成し
  ており、その成員は善意(フィリア)の絆により結ばれている。家
  (オイコス)にも都市(ポリス)にも、それぞれのコイノニアに特
  有の、ある種のフィリアがあり、それを離れては集団は存続できな
  いであろう。フィリアは互酬行動(アンティペポントス)、つまり
  お互いに交代ですすんで負担を引き受けたり、共有したりすること
  よって表現される。
  
  共同体を存続させ維持するのに必要なことは、その自給自足(アウ
  タルケイア=アウタルキー)を含めてそれが何であれ、「自然」な
  ことであり、本来的に正しいことである。自給自足(アウタルキ
  ー)とは、外部からの資源に依存することなく生存する能力と言っ
  てもよいであろう。「公正」には(われわれの見方とは逆に)共同
  体の成員が不平等な地位を持つという意味が含まれている。人生の
  目的の配分に関するものであれ、サービスの交換の調整に属するも
  のであれ、公正を保証するものは、集団の継続に必要であるから、
  良いものである。そこで規範は現実から分離できないものとなる。
   ―カール・ポランニー「アリストテレスによる経済の発見」『経済の文明史』ちくま学芸文庫P287〜288

ひとは一人では生きられない。すなわち、共同体によってのみ生きる。
なんと言うことであろうか。
ひとは共同体によってのみ、生きるのだ。
いやいや、一般常識としてわたしたちはそのような言葉を口にするが、それは、個人の心的要請としてあるだけでなく、社会全体の存続条件として、あるのだ。

ここで共同体とは「フィリア」によって形成され、維持されるものである。つまり純粋な自然状態ではなく、人間の心的活動によって形成され、維持されるものである、ということになる。
その、核心である「フィリアphillia」は一般には愛(または友愛)と訳される、相互扶助や連帯を含む共同体を維持しようとする「気持ち」である。
カール・ポランニーは、これを「goodwill」と英訳した。goodwillは=善意、よき意志、であって、信用や信頼でもる。対人的な好意の意味で使われるFAVORに対して「公」的な、共同的なものであり、共同体を維持しようとする強い意志、である。

しかも、共同体は自給自足でなければならない。
逆に言えば、自給持続できるものが、共同体であるといえる。

ついでアリストテレスの、もう少し社会学的な「経済」分析が記述される。

  外界のと交易が自然なものになるのは、それが共同体の自給自足性
  を支えることによって、共同体の存続に役立つときである。拡大家
  族が人口過剰となり、その成員が分散して住まななければならない
  ようになるや否や、このことが必要になってくる。いまや、自分の
  余剰から一部を与える(メタシドス)という行為がなければ、成員
  の自給自足は全面的に崩れることになるのである。分け与えられる
  サービス(すなわち、最終的には、財)が交換される比率はフィリ
  アの要請、すなわち成員間の善意によって支配される。なぜならフ
  ィリアがなくなれば、共同体自体が停止する。したがって、公正な
  価格はフィリアの要請から生じるのであり、あらゆる人間共同体の
  本質である互酬制に表現されるのである。
     ―同前 P288

ポランニーは、アリストテレスは共同体存続の根源を「フィリア」の要請に見ており、経済的な面は「互酬性」に表現されるとしており、自身もその見解を支持しているようだ。

ポランニーはこうした、アリストテレスの時代から、「経済」は社会に埋め込まれた状態(エンベッディド)から離床(アンエンベッディド)をはじめて、ついには自立する「近代経済社会に至る」とする。



     ※     ※     ※

宮本太郎『生活保障』岩波新書11月20日第1刷800円 

目次
はじめに――生活保障とは何か
第1章 断層の拡がり、連帯の困難  1
   1 分断社会の出現  2
   2 連帯の困難  15
   3 ポスト新自由主義のビジョン  29
第2章 日本型生活保障とその解体  39
   1 日本型生活保障とは何だったか  40
   2 日本型生活保障の解体  49
   3 「生きる場」の喪失  57
第3章 スウェーデン型生活保障のゆくえ  71
   1 生活保障をめぐるさまざまな体験  72
   2 スウェーデンの生活保障  88
   3 転機のスウェーデン型生活保障  106
第4章 新しい生活保障とアクティベーション 119
   1 雇用と社会保障  120
   2 ベーシックインカムの可能性  128
   3 アクティベーションへ 143
第5章 排除しない社会のかたち  169
   1 「交差点型」社会  170
   2 排除しない社会のガバナンス  191
   3 社会契約としての生活保障  204
おわりに――排除しない社会へ  219
あとがき  225
参考文献

宮本太郎『生活保障』2 社会保障論からする「排除しない社会 」「相互承認」の視点を実践へ

2010年01月07日

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宮本太郎は、現在の「断層」が広がり、「連帯」が困難な社会から「排除しない社会」への転換が必要であり、そのコアとなるものは「相互承認」だという。

  (ドイツの社会学者アクセル・ホネットによる「承認」の議論)
  ホネットによれば、近代社会では三つの次元での承認関係が、相互
  に分離しながら形成されてきた(Redistribution or Recognition?)
  第1に、夫婦や親子などの間での関係であり、主に家族を舞台とし
  て発展してきた感情的、情緒的な関係である。第2に、法的な権利
  関係であり、社会的に不利な立場におかれていた集団や個人を社会
  の他の構成員と同じ権利主体として認める関係である。そして第3
  に業績達成による承認関係であり、相互に同じ関係主体である前提
  に、社会的あるいは経済的な業績を認め合う関係である。ひとびと
  が自己について肯定的な感覚を持つためには少なくともいずれかの
  相互承認の中にある必要がある。
    ―P64 第2章 日本型生活保障とその解体

ひとは、パンと言葉によって生きる。
すなわち食料・経済的要因(社会保障の言葉では「再分配」)と、心的要因である。
この心的要因をさして「相互承認」(ハイデガーでは「気づかい」、広井良典では「ケア」および「コミュニティ)といい、食料・経済的要因を含む両者を指して「排除しない社会」とあえて、「ゆるい」言い方でいっているように見える。宮本の叙述はきわめてまっとう、とでも言うしかないように見える。いや、あまりにもまっとうで表面的にすぎるように思われる。
「承認」ということを言うには、明らかに言葉不足である、とわたしには思われる。宮本はこれを補って、次のように「社会的包摂」にいたる思考があるべきだとも言う。

  社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の問題
  社会的包摂とは、EUの社会政策ではもっとも基軸的なコンセプトと
  なっている言葉で、さまざまな貧困、失業、差別などにかかわって
  社会から排除されている人々を、社会の相互的な関係の中に引き入
  れていくことを目指す考え方である。
     ―P65 第2章 日本型生活保障とその解体

だがこれらの議論は、いかにも踏み込みが足りず、事の本質に近づきかねているように見える。ここから何が生産されるのであろうか。いかにも国家の政策論を論じる「論客」でしかないようなこの遠さ、は何なのだろうか。
社会保障学者、社会福祉学者は、どこまで行っても、大学教員でしかないということであろうか。
いやいや、何を思ったか、相手を間違えてしまったようだ。わたしに宮本や、社会福祉学者を非難する権利はない。
彼らは遠景に「人と人との関係」の場を見ている。ひとは国家によっても、政策によっても生かされはしない。ひとは直接性をはらむ関係においてのみ生きる。
「相互承認」の場は、一人の人間の生きる現場であるほかなく、それはひたすら実践的な契機の問題である。国家の制度の問題ではなく、行政の問題ではなく、学説の問題ではなく一対一の人間の個体的な問題であり、毎日の生活の問題である。
実践的な契機を含む思想的言説は、実践の中からのみ生まれる、のだ。
わたしたちは実践的に「相互承認」の可能な「生きる場」を作り出し、行政または国家を越えてゆかなければならないだろう。
「さて、歩まねばならぬ」(高橋和巳)というように…。

     ※     ※     ※

わたしは、カール・ポランニーの次のような言葉を想起するべきであろうか。

  われわれは亡霊の世界にいるのであるが、、この世界では、亡霊こ
  そ現実なのである。商品の擬似的生命によって、交換価値の客観的
  性格は決して幻想ではない。同じ事は、貨幣価値、資本、労働、国
  家などのように、「客観化」されたその他のものについてもあては
  まる。これらは、人間が自己から疎外された事態の現実の姿なので
  ある。
    ―カール・ポランニー「ファシズムの本質」『経済の文明史』ちくま学芸文庫P192

亡霊である貨幣や国家を現実態として思考するから、行政こそは主体であると考えるのであろうか。
さらにいうなら、官僚(行政)とは、本質において「主権者」(「国家」の成立を前提とした「国家」の主権者!つまり支配者。「民主」主義にあっては理念として擬制された「個人」。だが実態は市場原理社会の権力を掌握したところの支配共同体である)への奉仕者として成立しながらいったん成立すると国家を僭称しつつ(擬制でしかないはずの国家権力を)私益のために行使する、「自己疎外」を私益と知るものたちである。
自在に「国家」に成り代り、政策論議をしてしまう学者諸君にも、官僚同様の不遜があるとすれば、それは市場社会または貨幣というものへの本質的な洞察が足りないのだ、といっておきたい。

わたしは少し性急に言い過ぎているかもしれない。あるいは広井良典に感じている不満を宮本太郎または福祉学者全般に対して放出しているのかもしれない。
あるいは「社会的包摂」という言葉に、わたしはいらだっているかもしれない。

     ※     ※     ※

宮本太郎『生活保障』岩波新書11月20日第1刷800円 

目次
はじめに――生活保障とは何か
第1章 断層の拡がり、連帯の困難  1
   1 分断社会の出現  2
   2 連帯の困難  15
   3 ポスト新自由主義のビジョン  29
第2章 日本型生活保障とその解体  39
   1 日本型生活保障とは何だったか  40
   2 日本型生活保障の解体  49
   3 「生きる場」の喪失  57
第3章 スウェーデン型生活保障のゆくえ  71
   1 生活保障をめぐるさまざまな体験  72
   2 スウェーデンの生活保障  88
   3 転機のスウェーデン型生活保障  106
第4章 新しい生活保障とアクティベーション 119
   1 雇用と社会保障  120
   2 ベーシックインカムの可能性  128
   3 アクティベーションへ 143
第5章 排除しない社会のかたち  169
   1 「交差点型」社会  170
   2 排除しない社会のガバナンス  191
   3 社会契約としての生活保障  204
おわりに――排除しない社会へ  219
あとがき  225
参考文献



宮本太郎『生活保障』1 社会保障システムに社会革命のコアがあるということ

2010年01月03日

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今日の福祉政策論の共通認識

筆者は元日本共産党指導者の宮本顕治を父に持つ比較政治学・比較福祉政策論学者である。
福祉国家論に始まる、アクチュアルな視点の社会福祉論。
広井良典のような時間論やコミュニティ論への論及はないが、誰もが首肯するような、「派遣切り」や「高齢化」の現実を「分断社会」、「連帯の困難」と捉える視点から「ベーシックインカム」「排除しない社会」までの社会福祉論を展開する。現実の事象の確認紹介はそつなく、現実を捉えるデータも適切で過不足なく捉える。今日のいわば共通認識を示す上で必要十分な書と言える。

本書は、基本的には社会保障を「生活保障」といいかえる視点を提起することに最大の意義があると言えよう。
近代国民国家の最終的段階としての「福祉国家」が市場原理を前提としながら、いわば社会民主主義に大きく舵を切り、所得再分配と社会保険システムを通じた貧困の救済を目指したとすれば、「近代」以後の「現在」の社会福祉論は、同じように市場原理を温存しながら、一方にあらかじめ「貧困」を発生させない仕組みを構築することを目指そうとしているように見える。
ここには、「近代」終焉後の、根本的な発想の転換がある。

社会保障に社会革命のコアがある、ということ

社会の構成原理の再転倒、すなわち社会革命、は政治過程における(暴力的な)権力奪取にあるのではなく、政治過程が消滅した後の所得と資産の再分配にかかわる社会保障(社会福祉)において語られている。

原理的に社会の目標が「生存」であることは、原始以来自明のことのように思えるが、しかし人類史は社会の中でも外でも自滅的でさえあるような排除と抗争を常に行ってきた。人類は生存のための「社会」=共同体を作って、共同の利益を図ってきたが、しかしいったん共同体ができると、「共同の利益」は「共同体の利益」にすり替わった。この「価値の転倒」の最大形態が国民国家であっただろう。
国民国家は、近代市場社会の個人優先主義=私益優先主義=自国優先主義(ナショナリズム)を貫徹することを国家として最大価値とする。そしてその原理は、たとえばヨーロッパでは1960年代の成長のピークをもって「終焉」したであろう。日本では1980年代のバブル経済期(消費資本主義期)をもって終焉し、アメリカではなおしぶとく2008年金融バブル崩壊期までは確実に持続していたであろう、か。

すでにわたしたちは共同体の利益より「個人」の利益が大事だという考えを持つ時代に立っている。
そのことによって個人の利益に反するような「幻想」としての「共同体の利益」を廃棄しても良いと、考え始めているだろう。すなわち国民国家は資本主義の発達によって死滅しつつある。

今日の社会保障=福祉の論議は、現前する貧困や貧困を生み出すシステムに対する最もアクチュアルな戦いの前線であるように見える。

政策論ではなく、個人が行うものとして

また湯浅誠言うところの「溜め」を「生きる場」と言い換える論議は、哲学的な深みに論及しようとする部分だが、著者はあえて避けているように見える。

社会保障論が、社会革命のコアに触れる議論であるとして、求められるものは思想的な強靭さと安易に「国家」に成り代ろうとする官僚主義的な錯誤への否認の根拠であろう。
広井良典はまだしも思想的な深みを持とうと努めているが、宮本太郎はあえて政策論としてのみ語ろうとしているように見える。

社会保障は、クニや行政が行う政策としてではなく、自立した諸個人が共同して行う個人主権に基づくものとして語られねばならないのではないか。


     ※     ※     ※

宮本太郎『生活保障』岩波新書11月20日第1刷800円 読了

目次
はじめに――生活保障とは何か
第1章 断層の拡がり、連帯の困難  1
   1 分断社会の出現  2
   2 連帯の困難  15
   3 ポスト新自由主義のビジョン  29
第2章 日本型生活保障とその解体  39
   1 日本型生活保障とは何だったか  40
   2 日本型生活保障の解体  49
   3 「生きる場」の喪失  57
第3章 スウェーデン型生活保障のゆくえ  71
   1 生活保障をめぐるさまざまな体験  72
   2 スウェーデンの生活保障  88
   3 転機のスウェーデン型生活保障  106
第4章 新しい生活保障とアクティベーション 119
   1 雇用と社会保障  120
   2 ベーシックインカムの可能性  128
   3 アクティベーションへ 143
第5章 排除しない社会のかたち  169
   1 「交差点型」社会  170
   2 排除しない社会のガバナンス  191
   3 社会契約としての生活保障  204
おわりに――排除しない社会へ  219
あとがき  225
参考文献

■大塚久雄「共同体の基礎理論」3 資本主義に変わる新しい「富」のパラダイムへ自由と共同への「直接性」を幻視する

2009年10月28日

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成長期にのみ有効だった「共同幻想」という残存原始共同態への視角

続けて、大塚はこのように書き添える。

  ついでながら、「共同体」という基盤の上に築かれている社会諸関
  係が、何らかの形において、つねに「経済外的」な性格を帯びて現
  れてくることは周知のとおりであるが、この事実がすでにそうした
  「共同体」のもつ原始的な性格のうちに深く根ざしているというこ
  とをも、ここで念のために記憶に止めておきたいと思う。
    ――P28

ここには、状況的な問題意識を深めて普遍的課題に行き着いた、というような、日本封建遺制を論理的に追いつめていく思想の言葉がある。「近代」=個人=自己意識は、必ず遭遇しなければならない、真の「敵」を見出した、というように。

大塚(1907年生れ)の「次(丸山真男は1914年生まれ)の次」の世代に属する吉本隆明(1924年生まれ)は「原始共同態」の上に築かれている「経済外的」な社会諸関係を「共同幻想」として取り出し、「国家」も「法」も、その他の社会的強制力も「共同幻想に過ぎない」と言い切った。
背景には1951年の朝鮮戦争特需から一気に成長軌道にのり、1960年代の「高効率」な「高度成長期」最盛期にいたる日本資本主義の成長による「富」の顕在化があった。その原動力はまさに近代的個人の桎梏たる、「原始的共同態」であったであろう。
「原始共同態」が年功序列や生涯雇用(保障)をそのまま「カイシャ共同体」に移行し、「カイシャ」は労働者にとって、運命共同体として認識される、巨大な呪縛であった。また地域共同体は、押し黙り閉じこもる「核家族」へと解体されてゆく。社会全体でも「原始共同態」の秩序がそのまま封建的な遺構を強く残す「社会秩序」にスライドして、「田の神」は「末は博士か大臣か」という権威主義や上昇志向に「平行移動」した。
しかしながら、そこでは、「富」は大地=自然からではなく「商品」=市場からもたらされるものであった。いや、「市場」という「新しい富の基底的形態」こそは、無限に、幾何級数的に拡大する富を生み出し続けるという、「救済者」または「絶対者」であっただろう。
何たるいびつな光景だろう。われわれの資本主義近代は、「市場」という下部構造の上に「前時代の共同態秩序」(上部構造=共同幻想)を接木したものだった。

言いかえれば「原始共同態」が資本主義の成長を支えている間にかぎって、当の「原始共同態」こそは「個人」にとって最大の桎梏であり、思想的な解体の対象であったのだ。

資本主義の成長こそが残存共同態を含む破壊的資本主義を死滅させた

日本資本主義は1960年代の高度成長期、その後の1970〜80年代の世界資本主義の形成期を通じて、製造業の実用的商品力と大量生産技術で世界的競争力を獲得し、富を加速度的に増殖すること=経済成長すること、というその本来性において自己を実現した。
その後「近代」の最終段階、すなわち産業資本主義から自分の足を食らうように自己増殖する金融資本主義へ、さらには「大地」=「地域」を越えた世界資本主義へと転移し、「桎梏」の汚名を着せられた「原始共同態」はわずかに企業や協同組合や運動に保存されるほかには、きれいさっぱり解体し家族から地域からも消尽したが、「自立した個人」の「自由な連帯」も「相互扶助的なコミュニティ」もいっこうに「孤立した個人」を救いには来なかった。

あげくの果てに、世界―日本資本主義は1991年「土地と金融バブル経済」、2000年「ITバブル」、2008年「グローバル資本主義の金融バブル」と、本来商品にしてはいけないものを「商品」化するという、「生産」の倫理破りを3度も犯し、その都度必然的に壊滅的に破綻し、ついに「富」の生産や顕在化の土台としての「商品」=市場、すなわち近代的個人は存亡の危機に瀕しているといわねばならない。

資本主義の成長こそが残存共同態を含む破壊的資本主義を死滅させたのであり、同時に個人の富の(自然存在としての本来の)基底的形態たる原始的共同態という外枠も死滅させたのである。

資本主義に変わる新しい「富」のパラダイムへ
自由と共同への「直接性」への幻視のとき


資本主義がもたらしたものは「共同体の果てるところ」に生まれた「市場」が生み出す新しい「富」であったが、破壊したものははるかに大きく、自然の「富」すなわち「生命」の「基盤的形態」の破壊であったといえる。その意味では資本主義と資本主義的に生きる人類は巨大爬虫類と同じく、自己意識に欠け、自己制御も共同的コミュニケーションもできないことによって自らの生存条件を破壊し、破滅にいたるべきもの、であるといわねばならない、であろう。

今日、人間はその「富」の根拠を再び自然=大地に移そうとしている。
それは近代=資本主義的生産-商品-市場-個人-自由というパラダイムが、新時代=(新しい共同体生産+資本主義的生産)-(新しい協同の富+商品)-(新しいコミュニティ+個人)-(連帯+自由)というような新時代のパラダイムに変換される時代であろう。
しかし「新しいパラダイム」はまだ幼く、用語すら(個人のうちにすら)「共同態」化していない。
わたしたちには、いまだに、自立的な諸個人(自由性)が、存在論的根拠からそのまま直接的に(「直接性」をもって)、自由な共同態または共同性へと相渉る道がないのである。
わたしたちは、大きな障害が消滅したあとでも、なおその「道」を「幻視」している。

    ※     ※     ※

■大塚久雄「共同体の基礎理論」岩波現代文庫2000年1月14日第1刷2007年8月3日第6刷、原本1955年7月

目次
 改版に際して
 第一版はしがき
第一章 序論  1
第二章 共同体とその物質的基礎  9
  一  土地  9
  二  共同体  23
第三章 共同体と土地占取の諸形態  61
  一  アジア的形態  61
  二  古典古代的形態  81
  三  ゲルマン的形態  115
解説 姜尚中  159

■大塚久雄「共同体の基礎理論」2 人間の根源的な実存的諸条件としての共同体

2009年10月27日

P1120002.JPG

「実存諸条件」の根源としてのマルクス自然哲学

続けて、マルクス「資本制生産に先行する諸形態」からこのように補足する。

  原生的な部族共同体は…彼らの生活およびたえず再生産される対象
  的活動の客観的諸条件の占取の第一の前提である。
  労働主体が自然的個人であり、自然的定在であるごとく、彼の行動
  の最初の客観的条件は自然、大地として、彼の非有機的肉体として
  現れる。
  大地は労働手段のみならず、労働素材を、さらに共同体の居住地、
  基地をも提供するところの大仕事場であり、武器庫である。人々は
  共同体の所有としてのそうした大地に素朴に関係する。
  〜略〜
  生産の原始的諸条件は…根源的にはそれ自身生産されたもの―生産
  の成果ではありえない。…生きた活動的な人間と自然的な非有機的
  条件との統一。…労働自体が…生産の非有機的条件として、家畜と
  並んで、あるいは大地の付属物として、その他の自然物の系列のう
  ちにおかれることとなる。言いかえれば、生産の原始的諸条件が自
  然的前提、つまり生産者たちの自然的な実存諸条件としてあらわれ
  ることは、あたかも彼の肉体が、彼によって再生産され発展せしめ
  られるにもせよ、根源的には彼によって措定されたものではなく、
  むしろ彼自身の前提となっているのと全く同様である。
   ――P13

根源的な人間と自然との関係、マルクスの自然哲学の確認である。
大地は、つまり自然は、人間にとって「贈与」されたものとして前提であると同時に、対象であり、「大仕事場」であり「宝庫」であり「武器庫」である。また人間が再生産していく当のもの、である。
人間と自然の関係は、「生きた活動的な人間と自然的な非有機的条件との統一」として存在してゆくという、「実存諸条件」として「根源」である。

「残存する外枠」としての「原始的共同態」

また前近代=共同体的生産=共同体的生産物に対して、近代=資本主義的生産=商品、というパラダイム対比の中で「生産関係」の歴史的変遷が概括して語られる。

  そのような「原始共同態」はそれを構成する諸個人が「大地」の諸
  断片を占取しつつ生産活動の中心を次第に農耕に移すにつれ
  て、単なる「原始共同態」から次第に「農業共同体」へと移行する
  にいたるのであるが、そのさい、多かれ少なかれ歴史的所産である
  種々な人為的変容をうけつつも、その根底になお長きにわたって
  原始共同体」という「原型から持ち込まれた諸特徴」すなわち
  「共同組織」をなんらかの形で残すことになるのであって、この
  「共同組織」を根底にもつ社会関係こそが「共同体」なのであり、
  またそうしたいわば原始的事態を残しているかぎりにおいて、「共
  同体」は「共同体」でありうるのである。――P26

  (生産諸力の発達段階に照応した)形態上の段階的相違はあるにし
  ても、社会関係の基本が「共同体」の形態をとっている限り、その
  根底には、ともかくつねに原始的な共同態が何らかの形の「共同組
  織」として生きのびており、その集団性のいわば外枠を形づくって
  いるといわねばならない。――P26

「共同体」の「外枠」として残る「原始的共同態」こそは、一連の日本近代の民主化運動、大正デモクラシー〜戦前民主主義と戦後民主主義革命を敗北せしめた「日本封建遺制」=「村落共同体的タテ関係」の強大な力であっただろう。
大塚は、この桎梏としての「共同体」を人間の根源的な実存的諸条件にかかわるものとして見据えていた。


    ※     ※     ※

■大塚久雄「共同体の基礎理論」岩波現代文庫2000年1月14日第1刷2007年8月3日第6刷、原本1955年7月

目次
 改版に際して
 第一版はしがき
第一章 序論  1
第二章 共同体とその物質的基礎  9
  一  土地  9
  二  共同体  23
第三章 共同体と土地占取の諸形態  61
  一  アジア的形態  61
  二  古典古代的形態  81
  三  ゲルマン的形態  115
解説 姜尚中  159

■大塚久雄「共同体の基礎理論」1 「近代的個人」にとっての「共同体」の理論と現実

2009年10月26日

P1120002.JPG
学生時代に次いで、たぶん2度目だが、1回目の記憶はほとんどない。筆者の問題意識(=シニフィエ≒自己表出)が理解できずしたがって、「書かれたこと」(=シニフィアン≒指示表出)を、そのまま字義通りに受け取っていたにすぎず、すなわち何一つ理解していなかったのだ。アジア的とか古典古代とかゲルマン的共同体といった述語を単なる、中世とか古代というような時代区分のように受け取っていたように思う。
理解する下地は、それなりにはあったと思うが、こちらの問題意識があまりに幼く、すなわち真の思想とか知識というもになっていなかったのだと思う。

今回読んでみて、ことんと腑に落ちたことがいくつかあった。
書き抜いておくとしよう。
全体的な内容としてはマルクス自然哲学とヴェーバー社会学を全面的に援用しながら「共同体」の本質的な理論の確認である。

「近代的個人」にとっての、自然=大地に根ざすものとしての「共同体」の理論と現実――桎梏としての前近代

  (マルクス「資本論」の第1部冒頭では)「商品」との対比におい
  て、いわば間接的にではあるが、資本主義以前の社会においては社
  会の「富」がそれ(※「商品」)とまったく異なった原理規定の下
  にあること、そしてそれを支える生産関係が「共同体」にほかなら
  ぬこと、が指摘されている。
   〜略〜
  念のためにいえば、このようなばあいにおいても、部分的には、つ
  ねに多かれ少なかれ何らかの形での商品生産をともなって現れはす
  る が、そうした商品生産は「共同体」という主要な関係に対して
  「一つ の従属的な役割を演ずるにすぎない」のである。
    ――P10 第2章共同体とその基礎 1 土地

ここには、近代的な個人にとって桎梏であるほかなかった「共同体」の尻尾を捕まえようと勇躍する精神がある。

資本制生産に先行する社会では商品生産は(共同体的生産に対して)「従属的である」とするマルクスの指摘を、『「共同体」という主要な関係』があると読み替えたとき、目の前に日本資本主義がその内部に併せ持つ強大な「アジア共同体」的くびきが立ち上がってきたであろう。
また「多かれ少なかれ」商品生産は、共同体的生産関係にともなって現れるなら、商品生産の社会=資本主義社会にも「アジア的共同体」は「多かれ少なかれ」、必然的に、含まれうる、ではないか。

資本主義国として発展しながら個人意識や民主主義の成長が遅く「民主主義」や「個人」の自立的な意識は、封建的家父長制的な意識や制度を濃厚に残す日本社会の「特殊性」に、打ちひしがれてきた。資本主義は、むしろ強大な「原始的共同態」を支配共同体へと「すり替える」ことによって、非常なほどに効率的に発展することができたのだし、「戦前」の急速な超国家主義への収束は無論、2.1スト以降急速にしぼんでいく「戦後革命」と「戦後民主主義」の運命もまた、強大な「アジア的共同体」の「残滓」の力に打ち負かされることであると思われた、であろう。

また、「共同体」形成において「土地」の重要性を次のように述べる。

  (マルクス「資本論」第3部においては)そうした諸社会(=資本主
  義以前の諸社会)においては、他ならぬ「土地」Grundeigentum
  が、多かれ少なかれ、そのうえでおこなわれるあらゆる労働のため
  の包括的な「主要な生産条件」をなしており、それに照応して「土
  地」はその中にあらゆる種類の労働生産物をその「自然的形態」
  のままで、したがってそうしたすべての個別的な「富」をその「特
  殊性において」「直接に」包み込んでいるところの、「富」の包括
  的な基盤―あるいは原基形態といってもさしつかえなかろう―とし
  て現れている、というのである。
    ――P11第2章共同体とその基礎 1 土地

共同体とは土地(大地)に根ざすものである。そして大地は人間の富の「原基的形態」である。
そして「共同体」を基本とする社会では、人間は大地(土地)を離れては生きてゆけない。ここまではよい。

近代合理主義=戦後民主主義の立場からは、資本主義の発達に見合った「合理的理性」=近代的個人の確立が望まれ、「共同体」は、前時代の遺物(日本封建遺制)として桎梏でしかなかったのだ。

「土地」を離れた、連帯なき孤立と分断の近代

大塚も丸山真男も、もちろん「近代的個人」は、それとして確立しつつ、前近代的共同性を脱し、自立的な個人として互いに、真に尊厳に満ちた「新しい連帯」を構築するべき主体として認識されていたであろう。

しかし、現実には、近代的な個人は、「共同体」の崩れ去ったあとに、他者との通路を再建することなどできもせず、「社会的諸関係」から疎外されるものとしてたち現れた。すなわち、共同体の廃墟に立つ、孤立し分断され、コミュニケーションを失った被害者であり、死にいたる存在、として。

「近代資本主義」の時代にいたったとしても、人間は地球上に生存する以上は、自然=大地を離れては生きて行けないことは、恐竜の過剰増殖が自らの生存条件を破壊したように、資本主義の自己増殖がついに人間の生存のための自然環境を破壊するにいたろうとしている今日ではあまりにも明白である。
また「富」というより「生命」の「基底的形態」でもある「共同体」としての他者、との通路を失っては生きて行けないことも、明白であろう。

「共同体」は桎梏である事をやめたとき、「生命」の「基底的形態」であることをも停止してしまったように見える。

ここには「近代」を善とした時代の思考の困難と逆説が深く刻印されている。

    ※     ※     ※

■大塚久雄「共同体の基礎理論」岩波現代文庫2000年1月14日第1刷2007年8月3日第6刷、原本1955年7月

目次
 改版に際して
 第一版はしがき
第一章 序論  1
第二章 共同体とその物質的基礎  9
  一  土地  9
  二  共同体  23
第三章 共同体と土地占取の諸形態  61
  一  アジア的形態  61
  二  古典古代的形態  81
  三  ゲルマン的形態  115
解説 姜尚中  159

宮崎学「叛乱者グラフィティ」〜「生きること」より「生き方」が大事という倫理の論理

2009年09月02日

P1100265.JPG
■宮崎学「叛乱者グラフィティ」朝日新聞社2002年8月5日、1300円+税

目次

はじめに1
T 『査問』への道 11
   川上徹 1940年生まれ 元日共系全学連委員長 91年離党 現在出版社「同時代社」主宰
U マグロ船に乗り込んで 31
   福田武 1945年埋めれ 65年早稲田入学 元早大全学共闘会議事務局長 71年中退 不動産業などを営む
V 「原理主義」という不毛 51
   呉智英(くれもとふさ) 1946年名古屋生まれ 65年早大法学部入学 元無党派新左翼活動家 著述家
W 体育会系文学青年、ポルシェに乗る 73
   荒岱介 1945年千葉生まれ 65年早大法学部入学 元ブント戦旗派代表 現在は実践社経営、編集者・著述家
X 壮大なるゼロ 93
   三上治 1941年三重生まれ 60年中大法学部入学 元共産同叛旗派議長 1975年離脱 著書に「1960年代論」など 編集・校正業 聚珍社代表を務めた

Y 成田空港いまだ使わず 115
   大口昭彦 1944年生まれ 63年早大政経学部入学 元早大全学共闘会議議長(社青同解放派) 66年除籍 70年 京大入学 弁護士 救援活動にいそしむ   
Z 機関銃工場に殴り込む 129
   朝倉喬史 1943年岐阜生まれ 元アナーキストグループ活動家 早大第一文学部中退 ノンフィクション作家
[ 「異国」の中の少年 147
   崔洋一 1949年生まれ 元社会主義学生同盟ML派 東京朝鮮高校、東京総合写真学校卒 映画監督
\ 「脱マル派」を生きる 161
   設楽清嗣 1941年生まれ 元構造改革派 慶大文学部 93年労組「東京管理職ユニオン」結成
] 連合赤軍と下級戦闘員 177
   植垣康博 1949年静岡生まれ 元赤軍派〜連合赤軍 67年弘前大理学部 98年出所後スナック経営
]T 逃亡・潜行十年七ヶ月 199
   竹本信弘(滝田修) 1940年京都生まれ 元京大パルチザン活動家 ローザ・ルクセンブルグ研究家 著述業
付論 キツネ目は「スパイ」か?
エピローグ――帰ってきた重信房子

     ※     ※     ※

宮崎は1945年京都伏見生まれ 1965年早稲田大学法学部入学、68〜9年東大闘争などで日本共産党の学生ゲバルト部隊長として知られる。また京都伏見のやくざ、寺村組組長の息子で、1975年運動離脱後は家業の解体業を継いだが倒産した。この間「闇家業」にも従事、グリコ・森永事件では「キツネ目の男」と疑われる。著書に『突破者』『突破者それから』『オウム解体』『「正義」を叫ぶ者こそ疑え』など。

波乱の行程をたどる人であり、いくらか、どころでなくヤクザ、地上げ屋も実践してきた、怪しげな「汚れ役、悪役」の影の付きまとう悪意の人かと思わせて、実は愚直といえるほどに率直な(そこが魅力的で三上治や荒岱介より人物的な陰影に富んで面白い)宮崎の60年代新左翼活動家との対話集。(朝日新聞社の「論座」なんていう論壇雑誌に連載したのもどうしたことかと思わせるが、単行本化に当たっては公安スパイ事件が起きたりしているのは、いかにもという感じ、が面白くせつない)
対話を通じて「60年代」を総括しようと試みるが、感覚的には驚くほど明るく健全に60年代の人であるはずの宮崎にはいくらか「60年以前」の言葉に縛られている気配があって、その感覚と言葉(ここでは概念とか、思い込み)のギャップが逆にこの本を書かせたり、様々に活動するエネルギーの源泉になっているように思われるのは一種痛快で悲劇的な逆説である。
対話者11名は、当時の運動からは離れているが、だからといって保守主義に転向したものはいない。むしろ当時を「反省」しつつ運動にかかわったときの「初心」を貫こうとしている。荒岱介の『破天荒な人々』でもそうだった。
反省したり自己批判したりすることはあっても後悔はしていないのも同様だ。
対話はうまく編集されていて、60年代の指摘すべき達成と欠如(問題点)を(ときに無意識に、または逆説的に)明快に照射している。この明快さは、得がたい。

     ※     ※     ※     ※

宮崎は、まえがきで、運動の記憶ははっきりと覚えているが、その後の生業の記憶は忘れていることが多い、と述べた後、このように述べる。
   
   運動の中で問われたものは「生き方」であった。
   生業の中で問われたものは「生きる」ということであった。
   「生き方」と「生きる」ということ、その重要性、切実性が転倒
したまま、今日に至ってしまったのではないか。

もちろん、それでよいのだ。60年代の叛乱が持った意味は「生き方」の再構築抜きには「生きる」ことは不可能だという全世界的な人類の精神史の転機=危機だったのであり、「切実」な自己変革を一人ひとりの個人が強いられ、実践せざるを得なかったということなのだ。「生き方」(を構築すること)が「生きる」ことの内実そのものであったのであり、転倒していたのは時代のほうだったのである。だからこそ「自己否定」は大衆的に高揚したし、「生き方」の「原点」だけを手にしたものたちは、その後「生きる」場を模索し、あるいは放棄し、または新たに作りださねばならなかった。もっともそれは、60年以降、いや、1920年代以降ずっとそうなのだ。近代とは、そういう時代なのである。まただからこそ「個人」を前面に押し出したのであり、個人はやむを得ず押し出されてしまった、のだ。
それは「近代」が完成段階に達して、「前近代」=封建遺制としての権威的ヒエラルキーや支配共同体の秩序やを個人の内部において廃棄して、新しい「倫理」の論理を打ち立てる時代であったといえよう。

ここでは、それぞれに誠実なポストモダン時代の「新しい倫理」の論理が、語られている。 

    ※     ※     ※

いくつか書き抜いておこう。

1 川上徹との対話
  
(官僚腐敗の要因として、「その組織に属することによってのみ、その個人(官僚)は社会的地位を吹含む生活を保障されている思い込む。そして、あるときから、組織が存在することがあって個人が成り立つという「逆転」の思考へと入り込むのである」と述べて、話柄を共産党に戻す)

  共産党の場合も同様ではなかろうか。共産党にいることで社会を変
  革できる可能性、つまり社会性というものをもつ、と同時に専従の
  職員になれば組織が生活になってしまう。〜略〜そこに共産党の党
  組織が全人生をも支配してしまうことになり、それから離れること
  の恐怖感を日々蓄積していくことになったのではないか。
  それは結局は万世一系の組織ではないかというふうに考えざるを得
  ない。官僚組織もそうであるように共産党組織というのはスターリ
  ン主義というような表面的なものではなく、表面的なものでは計り
  知れない深さをもって存在している組織、つまり、極めて日本的な
  万世一系の組織ということになりはしないだろうか。
     ――P26

もちろん、そのような「計り知れない深さを持って存在している組織」をスターリニズムと呼ぶのであり、それは天皇制とも、会社優先の日本企業統治システムとも相通じるものである。そのような支配の共同体は前近代的な生産力の時代の遺物であり、近代の補完物として有効であるがゆえに生き延びていたが、1960年代「高度資本主義化」時代の到来とともに、本質的には死滅してゆく。

2 福田との対話

   60年代を「総括」する方法として、知的に総括する方法と肉体的
  に総括する方法がある。福田は後者の方法を取った。70年代の初期
  に社会企画社というグループを解散した時点で、福田は肉体的総括
  の道を決意したと思われる。借金返済のためにマグロ船や中積み船
  で二航海もしたのはかれ特有のロマンの追求であったろうが、同時
  に60年代の運動への福田的無言の痛烈な批判だったのではなかろう
  か。
     ――P48

「肉体」の偏重は60年代の本質であって、福田の潔さはむしろ、60年代の「身体性」を直接性において「肉体化するもの」として60年代的である。それが批判であるとすれば60年代の運動を錯誤した「党」への身体的な否認としてラディカルであっただろう。
(福田の潔さは、個人的にうらやましい。わたしにもその知恵と踏ん切りがあってほしかった)

3 呉智英との対話

   宮崎 まず、旧左翼、新左翼という問題があるよね。それで言
      うと、新左翼というのが60年安保の時に共産党を超える形
      として登場するのだが、俺、やっぱりその超え方が問題だ
      ったと思うんだよ。それは例えば「レーニンはこういって
      いることから言えば、共産党はおかしい」とか「マルクス
      がこういっているところから言うと、共産党はおかしい」
      というように、より原理主義的に依拠して説明するわけ。
      それ自体を否定せずに「よりレーニンなのか、マルクスな
      のか」ということでの競い合いをやった。
   呉  それはね、その中に原理主義があるわけだから、それを言
      うわけでしょ。
   宮崎 そう、そう。
   呉  そういわれると皆、何か自分が悪くないというふうに思わ
      れたいものだから、そうじゃあないって、より過激な方針
      を出すわけだ。〜略〜


   宮崎 新左翼は「反帝・反スタ」ということで原理を持っていて、
      「反帝」で国を倒そうということになり、同時に「反ス
      タ」で共産党を否定することになる。けれど、彼らの作っ
      た組織というのは共産党よりひどい組織を作っちゃってい
      るように俺には思える。
   呉  国家より国家的というか、抑圧的なものを作っている。
   〜略〜
   呉  そうそう。というのは、原理主義というのは楽なんだよ。
      自分に責任がないから。原理でかんがえて、原理に責任負
      わせればいいわけだ。
      ――P69

支配共同体内部では、「原理主義」が「故郷」になる。「故郷」は人をひきつけ安心させる求心力である。だから、人は原理主義のもとに集まり、原理主義が支配共同体を制覇してしまう。
党(支配共同体)の問題に加えて、個人の露出の問題とも違う、人間の暗黒が提出されていると思う。ひとはその暗黒部として人に打ち勝つことを価値とする思想を持つ。


5 荒岱介との対話

 荒  かつての新左翼が、俺たちがやってきたことは継承したい。だ
   けど、いったん夢破れたこと、これは認める以外ない。夢が破れ
   たことということは悲惨なことだよ。俺、苦しんだよ。スイスイ
   じゃあないよ。自分は人生賭けて、刑務所にも入ってやったんだ
   けど、できなかったんだ。できない夢を追っている、無理なんだ
   というところからもう一回いくしかないんじゃあないか。
 宮崎 そうなんだろうね。
 荒  かなり悩んだ結果、最終的には共産主義者同盟という名前もや
   めちゃった。今、「BUND」って名乗っている。ただのブント。ブ
   ントというのはドイツ語でいえば「同盟」ということだけど、そ
   れは決して共産主義者同盟ではなく、ただの同盟なんだよ。
 宮崎 90年代の路線転換に当たって、荒の頭の中での格闘って言うの
   はずいぶんなったんだろうということは推測できる。しかし、あ
   る程度の人数の若い奴が集まっていただろうから、そっちのほう
   もそれは大変だっただろう。
 荒  10年ぐらいかかった。80年代の末からずっと論争してて、名前
   を変えたのは97年ぐらいで、その間、討論を続けていたからね。
   俺は60年代から三里塚闘争をやっているわけだが、もとをただせ
   ば、三里塚は農民が土地を守る戦いで、共産主義を目指す運動じ
   ゃない。その理屈からいけば、結局、教義を目指さない運動でい
   いんだという風になっていったんだ。だけど、教義を目指さない
   というのがなかなか難しくて、今もって暗中模索なんですよ。
      ――P84

6 三上治との対話

   三上のその十五年間は、社会変革というものが、イデオロギッシュ
   に意思統一された党派の指導者によって、絶対になし得ないこと
   を、自らが証明した歳月であったとわたしは考える。
   旧ソ連や東ドイツを崩壊せしめたのは、党派ではなかった。むし
   ろ闇市場に見られる、人間の自然なあるがままの欲求が、巨大帝
   国を解体させた。重ねて言うが、党派によってなされた業ではな
   かったのである。
      ――P105

三上の『1960年代論』『1960年代論2』『1970年代論』は以前に触れた。同時代の意味を問い続ける強い意志が感じられる。

7 設楽清嗣との対話
   
 設楽 層としての学生運動や学園全体の共同体が壊れていく。それを
   何とかしたいという焦り、危機感、疎外感が、64年から67年ごろ
   までの私学で、学費値上げ反対闘争を次々に起こしてきたという
   流れがあります。
   〜略〜
   日本の新左翼という党派が、学園闘争のエネルギー、学生大衆の
   持っている疎外感や危機感を的確につかんでいたとは思えないん
   ですね。政治スローガンだけが前のめりにでてきて、新左翼党派
   主義の運動の在り方がずれたまま情勢に流されていった。
     ――P166

 宮崎 この時代、60年代には、学生とか大学とか言う共同体の意識と
   いうのは、まだそこはかとなくあったと思うんですね。
 設楽 ちゃんとありましたよ。その共同体というものが高度経済成長
   の中でゆらいできた。知識人とか知的大衆としての学生がちょっ
   と危ないというようにね。さらに高度成長と経済システムの転換
   の中で、そういうものがもたないというか、象牙の塔で何か言っ
   ているような知識人の像なんていうのは、もうすっ飛んでしまい
   かねないような状況がじわじわ来ていた。それでいて成長する消
   費文明の中で「これは俺の自由なんだから余計なことは言わない
   でくれ」というような若者文化的なわがままを含めた瀰漫化した
   民主主義がだーっと蔓延していた。そういう状況についても、な
   んて言うのかな、「民主主義ってこんなんでいいのか」「世の中
   はどんどん変化していくがこんなんでいいのか」というような思
   いが絶えず苛立ちとしてあったね。だから、どっかで不満が爆発
   してもいいような環境と条件はたくさんあった。喧嘩するのか、
   デモやるのか、学園紛争やるのか、何かやりたいという衝動がい
   つも動いているところがあった。  
     ――P175

「学生とか大学とかいう共同体」は、田舎者のわたしには高校時代までは、何がしか感じられた。1973年の東京では文字通りの残滓がそこここに残っているような感じで、学生たちは巨大化し、商業化の波にあらわれて行く大学と大衆消費社会の中で根無し草のような意識で彷徨っていた、であろう。

8 竹本信弘との対話
  
 竹本 「すべての革命は、大衆や民衆がやるのであって、自分がやる
   のではない」とローザは全人格をもって訴えているわけですよ。
   しかし具体的にはなにも教えてくれへんから、それを聞いたSPD
   の中央派や右派はやはりまどろっこしい。レーニンの場合は1か
   ら10まで細かく指示して「この通りにやれ」というでしょ。ロー
   ザはレーニンと違って、そういうことを一切言わない。〜略〜要
   するにローザは、そういう細かいことは、皆の中からでてくるも
   のであって、作り出すものではないということを言っているわけ
   だ。
     ――P210

京大パルチザンを組織し、ローザ・ルクセンブルグの研究家として知られる竹本は10年に及ぶ逃亡の果て、身もふたもない捕まり方をした(愛猫のつよしの話は泣かせる)。
日本支配共同体の警察機構は当時まだ、近代官僚機構の一方の極として、また封建的権力意識の極として、非常に強い権力意識を、体現していたのであった。
ローザの思想が、本格的に理解され、現実のものとなるのは、この国において真の個人意識が確立した1985年以降のことであろう、と思う。さらにむしろ今の時代にこそこそ、成熟した主権意識、個人意識を媒介に、自立的自発的な個人の運動意識が、共同体優先主義の組織秩序に優先して、動的に矛盾を矛盾として実現し宙吊りにしていくような対応が可能であるだろうか。

9 あとがき

  ただしわたし個人としては、現在の社会体制、特に今、作られよう
 としているソフトでクリーンな全体主義に対決し、清く正しく美し
 くではなく、汚れ曲がって醜くとも、自分なりにラジカルだと思うや
 り方で個人的に闘い続けていくだけです。自分が生きるためにです。
 別にいいよ、俺は俺で闘うから、そういう気持ちです。元からそうい
 う気持ちでしたから。  
     ――P228

個人が個人として、勝手に闘い続けることが当たり前になったということは、個人の価値が共同秩序に優先する時代になったということだ。しかもそれが一部「知識人」だけではなく大衆的に当たり前になってきた。前近代の共同体は最早その残像さえなく、近代の人間主義は最終的に資本の秩序の暴力性に、「世界を獲得」しえない個人としてじかに晒されている。
それでもなお、個人は個人として宮崎の言うように「俺は俺で闘う」ことを続けていかねばならない、のだろう。

    ※     ※     ※

人間は、また人間のつくるこの社会は、「自然成長的」にあるかぎり個人を救い出しはしない。
われわれは自然との対峙の仕方、社会というものの動力源(=剰余価値)を根本的に考え直す必要があるのではないか。

60年代から、すでに遠く、80年前半には封建遺制の残滓は一掃され、土地・IT・金融という本来それ自体としては「商品」になってはならない3種の禁じ手にまで踏み込んだあげく、3度ものバブル経済とその破産を体験した。
いい加減にしないといけないのではないか。
その3度目のバブル崩壊のあとの2009年に立って返り見ると、われわれには「生きること」より「生き方」のほうこそが大事なのであって、その視線は肉体的生存の資源たる自然とのかかわり方にまで及ぶのである、と60年代の叛乱者たちは告げているように思われる。

武井昭夫「武井昭夫対話集 私の戦後――運動から未来を見る」2  花田―吉本論争の事実と帰趨と倫理と、柄谷行人とすが秀実

2009年08月27日

P1100263.JPG

花田・吉本論争の話題も出てくるので、触れておこう。

  柄谷 きっかけは(記録芸術の会をめぐる問題で)つまらないと思
     うけれども吉本さんはそれを大きくしてしまって根本的な対
     立を作ったと思う。〜略〜
  すが(糸+圭) しかも、武井さんも当時からそう思っていたので
     はないかと思うんですが、花田・吉本論争なるものを冷静に
     検証すれば、論理的には花田が勝つに決まっているものだっ
     た。しかし、論理だけでは勝てないことがある。〜略〜「反
     スタ」埴谷雄高が、吉本さんの勝ちだとジャッジメントした
     こともある。しかしその時に最初吉本さんとの共著でデビュ
     ーされた武井さんが、吉本さんのほうに行かなかったという
     ことはどのようなモチーフがおありにあったからでしょう
     か。
  武井 花田さんの二つの焦点という有名な楕円論のテーゼがありま
     すね。これは組織論としてみると、対立者を一つの運動の中
     に共存させるということですね。〜略〜だから花田さんは吉
     本さんに対しても、倒すか倒されるかの敵対的な抗争という
     よりは、論理の上では厳しく対立しても、大いに討論をする
     ということを考えていたはずですけれども、少なくとも、少
     なくともはじめは。吉本さんのほうはそうは考えないで、論
     争を徹底した敵対関係にしてしまった。その結果もたらされ
     た事態に60年代の文学状況は強く影響されましたね。無論
     マイナスのほうに。
      P143〜144「U 50年代の運動空間 2.50年代文学芸術運
           動に内在した可能性」

武井の言うとおり、斜に構えた花田に対し、吉本は正面から反撃した。花田は斜に構えすぎて余計なことを書いてその部分で大きく失点していたし、吉本は花田の論旨を十分に汲み取っていなかった点もある。
しかし、きちんと読めば、この「論争」は論理を争ったのではなく、時代と政治認識についての態度すなわち倫理が争われたのだ。
「政治と文学」とか「戦争責任」とかをどこまで真摯に受けとめて、生きる倫理として内在化して考えるかという態度の争いだった。それは、「党」や「輸入思想」やの「権威」に寄りかからない思想的態度の問題であって、戦後思想の質を決定的に高めた。

埴谷雄高が「吉本の勝ち」と判定したのも、その一点においてであると思う。時代は吉本の「自己否定の契機を社会的批判に転化することで打ち出した」戦争責任論を含む思想の倫理性を、このとき要求していたのだ。花田は、優れた芸術運動家だと思うが、このときやはりどこかに「党」や「正系」の慢心があって、相撲で言えば突進してくる相手を軽くいなそうとしたが、相手は予想外に馬力があって委細かまわず突進してきて、ついには躱しきれなかったのである。
すが秀実は「論理的には花田の勝ち」というようなことをあちこちで書いているが、その根拠は「吉本は状況証拠だけで花田を転向ファシストと断定した」ということだけのように読める。だとすれば、問題の本質をまったく見誤っているとしか言いようがない。問題は花田が「転向ファシスト」であるかどうか、あったかどうかではなく、第2次大戦中の「獄中非転向者」や「獄外抵抗者」の評価の問題である。

もっとも、花田が「獄外抵抗者」を擁護したのは自分もそうであった(はずだった)から、岡本潤や壺井繁治への理解もシンパシーも深く、ある意味(花田的言説空間の同調者を守る倫理=支配共同体=党=運動、を守る意味では)当然のことだったであろう。
問題は「協力のような抵抗」が真摯になされたとして、その結果が、客観的には「協力」的部分を含むもの、または結局は「協力」としてしか機能しなかったものであった、あるいは「抵抗」としては決定的に無力であったときに、その当事者たる個人の主観的正義はいかにして、なお「自分は抵抗した」と主張しうるか、という点にある。
論理的にみて、「党」的な立場、個人的な立場からそれは誤ってはいないが、しかし「社会的」な同感ないし共感をそれは獲得できるか、という倫理の問題から言えば「協力した」といわれても仕方のないものであるだろう。すなわち「党」の倫理と「社会」の倫理の峻別が問われていたのである。
この「倫理」の問題は吉本的には「自己否定の契機を社会批判に転化」する(内面世界から現実世界に相渉る)ときの「関係の絶対性」の問題して明確に措定されていたものである。

 ※武井は本書の青木実との対談の「注」P198のなかで、「きっかけ」
  を以下のように書いている。長いがことの成り行きを当時の雰囲気
  とともに伝えているのでそのまま引用する。  
  
 岡本潤さんは文学運動の世界では『赤と黒』以来の経歴をもつ年配の
 方だったが、私の接していたかぎり、外見つっぱり型に見えて内面は
 内省心の強い方であった。吉本さんからの最初の批判に接したときに
 は激しい反発から来る反駁も試みられたが、わたしの「戦後の戦争責
 任と民主主義文学」(『現代詩』1956年三月号)などで問題が戦後の
 文学運動の在り方への検討が進む過程で、岡本さんは吉本・武井の論
 説を相当部分認める姿勢に転じた。[「詩人の対立」(『詩学』56年2
 月号)から「文学の仮構性と真実――詩人の対立U」(『新日本文
 学』56年4月号)の変化にもそれがみられたと記憶する]。しかし、戦
 時下の岡本さんには戦争に抵抗者として対処してきた一面も確かにあ
 った。そういう岡本さんの示した二面性の解明も、文学上、また政治
 上にもそれなりに大切だったように思われるが、岡本さんのきっぷの
 よさというか追及者へのあっさりした「対応」がそれをかえって妨げ
 たように、いまになってわたしにも思える。
 戦時中、文化再出発の会(機関誌『文化組織』)で協働していた花田
 (清輝)さんは、岡本さんを励ましてそうした二面性を解明するとと
 もに、真実、戦争に対する文学者の抵抗とは、ひいてはインテリゲン
 ツィアの戦争や権力との闘いとは、それが有効性を持つためには、ど
 のようにあるべきかといった問題点を抽出したかったのではないか、
 と思わないでもない。
 花田さんが問題の火付け役となった『現代詩』(新日本文学会詩部会
 機関誌)の編集長秋山清さんに話して、自分が司会役を引き受けて
 「岡本―吉本対談」を実現させた意図はそのあたりにあったのではな
 いか。
 「芸術運動の今日的課題」(『現代詩』1956年8月号)の鼎談は、先
 に述べたような岡本さんの対応もあって、花田さんの意図とはちがっ
 て、花田―吉本の直接的な対決的討論となり、花田の論述が論理的に
 吉本を圧倒した。そしてこれが、吉本の花田=ファシスト呼ばわりに
 始まる不幸な「論争」に続いていったようにわたし(武井)には思え
 る。  ――P198〜199

    ※     ※     ※

柄谷行人は「吉本以降」の思想状況のリーダー的存在として、すが(糸+圭)秀実も、いまはぱっとしなくなってきた「ポスト構造主義」を駆使する日本における代表的な文芸批評論家としてみなされているようだ。わたしは、柄谷もすがも基本的にはとても優れた書き手だと思うが、ときどきとても変な判断をするように思われる。それは花田清輝や武井昭夫が現実の政治や政治運動やについて、ときどき盲目的なほどに判断停止に陥るのによく似ているように思われる。花田や武井が外来思想であるモダニズムである「マルクス主義」(というより運動空間としての「党」)に盲てしまったように、柄谷やすがも外来のポストモダニズム(というよりポストモダニズムの日本における言説の運動空間としての「党派性」とも言うべきもの)に盲てしまっているのではないか。
ここにもまだ、現実や対象との遊離から来る観念のオートマチズムとして思想が空転しているのではないか。

わたしは、柄谷についてもすがについても、武井についても良い読者ではないので、あらゆる断定は避けねばならないが、そんな気がしてしまう。


     ※     ※     ※

■ 武井昭夫「武井昭夫対話集 私の戦後――運動から未来を見る」星雲社2004年7月31日2800円+税

目次

序に変えて 私の8月15日 9

T 私の戦後――運動から戦後を見る 聞き手 小松厚子
1 大衆運動としての全学連 16
2 戦後初期の文学運動から 37
3 運動の土壌を耕し直す作業――その困難 68
4 頽勢の挽回と統一戦線の形成―そのための提言と苦言 87

U 五〇年代の運動空間 対話者 柄谷行人 すが(糸圭)秀実
1 大衆運動としての学生運動、文学運動 114
2 五〇年代文学芸術運動に内在した可能性 138
3 六〇年代運動空間をどう見るか

V この国の「戦後責任」とは――文学者の戦争責任論を振り返って 対話者 青木実 記録 加野康一
1 「文学者の戦争責任」論とはなんだったのか 180
2 戦争責任・戦後補償をめぐる日本とドイツ 200

W 戦後史問答――現代の危機とは何か 聞き手 土松克典 広野省三
1 草の根ファシズムの再来とどう闘うか 227
2 これからの反戦平和運動の在り方を探る 247
3 ふたたび朝鮮と日本の関係をめぐって 267

X 拉致報道と草の根ファシズム
1 朝鮮半島をめぐる危機と日本の報道・言論 298
2 いま、戦後の60年代が問われている 318

Y 著作・座談など年譜(稿) 363

本書所収文書の掲載紙誌一覧 411
あとがき 412

武井昭夫「武井昭夫対話集 私の戦後――運動から未来を見る」1 武井昭夫の政治と文学 なぜ思想は空転するのか――

2009年08月26日

P1100263.JPG
自称「運動族」「古典的マルクス主義者」武井の戦後回想の対談集。「武井昭夫論集」の2巻にも相当することになっている。

現在的意義があるとも思えないのであるが、すが(糸+圭)秀実が「革命的なあまりに革命的な」や「1968年」で取り上げていたので、また吉本と共著の「文学者の戦争責任」の一方の書き手でもあるのに、殆どまったく読んだ事がなかったので図書館で発見したのを機に読んでみた。60年代の空気を傍証するものではあるはずだから。


武井(1927.1.29生まれ〜)は1948年設立の全学連の初代「輝ける委員長」であったし、精神史的な内在的な戦争責任論の嚆矢である『文学者の戦争責任』を吉本隆明と共著で書いている。旧制高校生として勤労動員中に敗戦を向かえ、戦後すぐに共産党に入党以来「党」や「新日本文学会」に籍をおき、それなりに重要な役割を果たした。「正系」にありながら反主流的なリーダーであり、新左翼や「近代文学」や「荒地」などの反日共勢力とも交わるという「幅の広さ」が特徴であった。逆に言えば新左翼にも通じる共産党反主流でありながら、「党」へのかたくなな信仰には疑問の余地のない「古典マルクス主義」者であった、であろう。1940〜50年代には、その「幅の広さ」が一定の役割を果たしたが60年安保以降は存在意義を喪失したということが出来ようか。
吉本転向論に言うところの、「原則論理を空転させて、思想自体を現実的な動向によってテストし、深化しようとしない」「日本の封建的劣性(懐かしい言葉だ!)との対決を回避」した宮本顕治、小林多喜二的な「非転向的『転回』」に近いように思われる。
日本共産党2度目の除名後1969年政治運動党派である「思想運動」を設立したが、基本的にはソ連北朝鮮など既成社会主義国を支持し、北朝鮮による日本人拉致事件については「共和国は拉致しただけだが、日帝は朝鮮女性を拉致した上に強姦した」と述べている。
また、2004年の発言には以下のようなものがある。

  (英国サッチャー政権1979年、アメリカ・レーガン政権1981年、日
  本・中曽根政権1982年で「新保守主義連合」とでも言うべき政治ラ
  インが国際的に形成されて)以後、この「新保守主義(ネオ・コン
  サーヴァティヴ)」(これがいましきりにいわれる「新自由主義」
  の原型にほかなりません)が、国際的にはソ連・東欧の社会主義体
  制に対して、それぞれの国内では労働者人民の既得権利にたいし
  て、猛烈な攻撃を展開していくことになるのです。以後約10年、こ
  の「新保守主義」の展開のなかで、ソ連・東欧の社会主義体制の解
  体の土壌が切り開かれ、一方、70年代後半には中南米諸国にあふれ
  た反帝民主民族革命の戦いが次々にたたきつぶされ、先進資本主義
  国の3極では労働者人民の運動が大きく後退させられていくので
  す。
     P81「T 私の戦後―運動から未来を見る 3.運動の土
        を耕しなおす作業――その困難」

勿論、レーガンは古典自由主義によって、中曽根は「統制派的」官僚主義を通じて、ともに「戦争」を通じて「資本」の支配を貫徹しようとするものであることは論を待たないが、それにしてもソ連東欧社会主義圏は守られるべき良いものだという、古典的なあまりに古典的な見解は、どうやって保存されるものだろうか。

きっと、共産主義や党は批判など思いもよらない「聖域」として保存されているのではないか。(いや批判はあるし、誤謬もあると認めていながら、どうあろうと最終的には救われるべきもの、擁護されるべきものとして、措定されているのではないか。なにか現実にはないが、本来あるべきもの、本来性としての「故郷」のようなものとして夢見られているのではないか…。「自然」を離脱したものが近代に夢見る幻視の「故郷」を、「離脱」を強いた時代への反抗という一点での共同体=「党」として夢見ているのではないか…)
それは師匠筋に当たる花田清輝がその芸術運動においてな極めて先進的で柔軟で厚みのある柔構造を内蔵していたにもかかわらず、政治思想や運動や新日文などをめぐる現実政治や政治運動においては、現前する状況に鈍感であってまさに「『原則論理』を空転させる」教条主義にとどまるような対応であったことに似ている、であろう。
個々の政治問題への対応を見てみると、その批判は救い出したいと思えるまっとうなものだが、しかし常にソ連東欧社会主義(もちろん北朝鮮社会主義も)を犯しがたい神聖なるもの、無謬ではないと言ってはいるが、それでもなお「正義」として揚言するこの無邪気さは何なのだろうか…。
もちろん、それは現実から遊離した空論的モダニズムだからなのだ。
(花田も、武井も、人として良い人で、ル・サンチマンとははじめから無縁な、典型的な優等生のような気がする)


それにしても合点がいかないのは、柄谷行人とすが(糸+圭)秀実がインタビュアーとして、武井に目一杯に媚びているところである。

      (1954年、宮本顕治の意を受けたであろう中野重治が主導
      して、当時の新日本文学花田清輝編集長を解任した件につ
      いて、武井が宮本、中野の政治主義的対応を批判したのを
      受けて)

  すが(糸+圭) あの時期に宮顕(宮本顕治共産党委員長)と論争
     すると言うのは画期的なことでしょう。
  武井 当たり前だと思っていましたよ。
  柄谷 あれは度胸だけではできないと思う。大西(巨人)さんは、
     それから二十何年かかって『神聖喜劇』を書いた。野間宏の
     『真空地帯』はだめだという批評が、この作品で証明された
     と思う。
       P156「U 50年代の運動空間 2.50年代文学芸術運動
         に内在した可能性」

なぜこんなに教条主義の武井に媚を売るのか。政治と文学(芸術)とにおいて政治の優位性を否認するのであれば武井は党を批判し離れるべきであったのだ。武井も花田もそうしなかったのは、中野重治と同じく「党」=正系へのコンプレックスから解放されることがなかったからだ。芸術や文学を依然として政治への従属から解き放つ視点を確立できなかったからなのだと言いうるだろう。

古典マルクス主義は、いわゆる史的唯物論を唱えて教条化し、かえって現実を遊離する空論に陥ったが、そのように古典マルクス主義を批判して登場した構造主義もポスト構造主義も、さらにはポスト・ポストモダンに与するものたちも、「脱構築」的読み替えの「構造」に執心するあまり現実を遊離しているように見える。

ただ、武井の茫洋とした人間的な大きさ、人のあたたかさ(中身はどうあれ)は魅力だ、ということは言っておきたい。また「注」に見られる誠実な事実訂正の努力にも注目した。(しかし、本文の誤植がちょっと目立つところで数箇所あった)

     ※     ※     ※

■ 武井昭夫「武井昭夫対話集 私の戦後――運動から未来を見る」星雲社2004年7月31日2800円+税

目次

序に変えて 私の8月15日 9

T 私の戦後――運動から戦後を見る 聞き手 小松厚子
1 大衆運動としての全学連 16
2 戦後初期の文学運動から 37
3 運動の土壌を耕し直す作業――その困難 68
4 頽勢の挽回と統一戦線の形成―そのための提言と苦言 87

U 五〇年代の運動空間 対話者 柄谷行人 すが(糸圭)秀実
1 大衆運動としての学生運動、文学運動 114
2 五〇年代文学芸術運動に内在した可能性 138
3 六〇年代運動空間をどう見るか

V この国の「戦後責任」とは――文学者の戦争責任論を振り返って 対話者 青木実 記録 加野康一
1 「文学者の戦争責任」論とはなんだったのか 180
2 戦争責任・戦後補償をめぐる日本とドイツ 200

W 戦後史問答――現代の危機とは何か 聞き手 土松克典 広野省三
1 草の根ファシズムの再来とどう闘うか 227
2 これからの反戦平和運動の在り方を探る 247
3 ふたたび朝鮮と日本の関係をめぐって 267

X 拉致報道と草の根ファシズム
1 朝鮮半島をめぐる危機と日本の報道・言論 298
2 いま、戦後の60年代が問われている 318

Y 著作・座談など年譜(稿) 363

本書所収文書の掲載紙誌一覧 411

あとがき 412


荒岱介「破天荒な人々」2 自分をあけすけに語るとは〜「恥ずかしさ」を越えて回想を読む

2009年08月21日

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本書に戻ろう。Amzon.comの本書のないよう紹介には下記のようにある。

ニューレフトが最も光り輝いた時期に、自らが滅びることをおそれず、闘いの可能性に賭け、壮絶な生き方をした叛乱世代とのインタビュー

内容的には、ほぼその通りの内容で、6人の当時の活動家と一人の盲目の医師に、あけすけなインタビューを荒氏が試みるもので、荒のあっけらかんとした聞き方はそれはそれとして心地よい。過去には対立も抗争もゲバルトさえした相手にもインタビュアーとして、冷静に自分を押さえながら、過去から現在にわたる話を引き出してゆく。政治を謀略や策略と心得ていたもの(例えば古賀暹など)には未だに口を閉ざす事情もあるようだが、個人としてかかわったものにはすでに口を閉ざすべきことなどありはしない。花園紀男の塩見批判や「やっとマルクス主義が理解できるようになった」とか「(革命は)まだ始まったばかりだ」とか「仏(さらぎ)さんには申し訳なかった」とかと頑固さとセットになったようなあけすけさは、爽快ですらある。ただごく底のほうにいまだに発語にいたらぬもの、があるか、または語るにも値しないものがよどんでいるだけだ。
荒の客観的な態度にも、結果として引き出された事象や心情にも、考えさせられることは多いが(感動したり賛成したりしているわけではない)、いまのわたしにはきちんと述べることが出来ないので、いくつか現在の問題意識に通じる事柄を拾っておく。

1  ※68年の「われわれはぁ〜、ここにぃ〜」という、語尾を延ばし
   て抑揚をつけ一語ずつ区切りながらする、独特の「全学連口調」
   のアジテーションは、62〜3年ごろ建設された明大独立社学同の
   阿部氏が、「慣れていなくて、次に何を喋るか考えねばならなか
   ったので」始めたらしいという話。
「これはアジテーターの大衆化を意味しているのですね。全共闘運動というものがそうでしょう。指導者はいなくなり、だれしもがアジテーターになれる時代の到来をそれは告げていたのかもしれませんね」(古賀暹)p115

2 「あの2.2協定(※67年2月の明大闘争でのブント=古賀暹の裏切りといわれる事件)の後も雪でしたね。残雪が残る中を、神田の明治大学の校舎の前からタクシーを拾って去っていったとき、再び、ここに学生運動の指導者として帰ってくることはないだろうと思うと同時に、今まで努力してきたことは一体なんだったのか考えさせられました。あの構図、何となく2.26事件の青年将校に似てもいますよね」(古賀暹)P129
  ※(前山)ここには、革命や思想の切実さから来る必然ではなく、
  ロマンティックな冒険物語の舞台として革命思想と運動を選び取っ
  たものがいる。ロマンチシズムは現実よりもロマン(虚構)に真実
  さを感じる心情であって必然的に自己本位のロマンを他者に強要す
  る。私たちの歴史の多くにこうした思想がかかわっていたことを、
  むしろこれを「情熱」と呼んで称揚した歴史もあることを銘記せね
  ばなるまい。ロマチシズムゆえに多くの才能が育ち、光芒をはなっ
  たのだとしても、である。

3 そしたらある日廣松さん(注 哲学者だがブントの黒幕たらんとした廣松渉)から電話がかかってきて「神保町の喫茶店に来い」という。〜略〜ワイシャツを脱ぐとサラシが巻いてあって、そこからポンと100万円。サラシから湿った100万円(笑)を出して「これすくないかもしれないが、新雑誌発刊の一部にしろ」という。(古賀暹)p130
   ※(前山)「古きよき時代」のロマンティックなエピソード。難
   解で深い切実なことを考えながら、現実の行動はかけ離れて子ど
   もじみたロマンチシズム状態を呈するというのはこのシマグニ
   の、輸入思想に身をゆだねて、政治にも経済にも社会にも自前の
   思想というものを持たなかった伝統のなせる業かもしれない。

4 なんていえばいいのかな。そう岩田さん(岩田弘)は、マルクスは「搾取」は詳しく解き明かしたけれども、「支配」は説明しなかったと言っていた。職場というところは、労働の搾取と支配が同居しているところなんだよ。〜略〜「労働の搾取」ばかりでなく「労働の支配」にも物申すのでなければ人間の解放なんて言ったってしょうがない。そういう思いがずっと昔からあった。実際工場に入って、本当にその通りだと思ったね。
でもね、今となって考えたら、さらにその先がある。今となってはこう思う。支配だから悪いとはいえぬ。いい支配と悪い支配があるのではないか。〜(望月彰)p166
   ※(前山)「労働の支配」は「支配の共同体」の、日常に転化し
   た生政治であり自己権力である。それは「支配の幻想」を伴って
   個人を侵食し、共同体が個人を支配する。

5 だけど、それはある程度しょうがないんじゃないですか。例えば岩田弘さんじゃなくて、岩田昌征さんというユーゴスラビアやポーランドの社会主義を研究している研究者がいますが、いわゆるアソシエーション社会主義では、労働者同士の兄弟殺しが起きると言う。(荒)p167
   ※(前山)ルサンチマンのないところにはうそざむいかわいた言
   葉があり、ルサンチマンから生まれた思想を超えることは超人に
   しか出来ない。

6 〜略〜しかし僕が体験してきた鉄は腐りきっています。原子力産業も腐りきっている。(望月彰)p172
〜略〜上が言った命令は、どんなにおかしいと思っても逆らってははいけない。逆らえば次の受注がはない。そういうルールなんです。(望月彰)p174
 ※鉄と原子力だけが腐りきっているのでは、勿論ない。それは日常世
  界(市民社会)に網目のように張り巡らされた「悪い支配」なの
  だ。ただ、「良い支配」と「悪い支配」の間にどのように境界線を
  引けばよいのか、ということについて人類は、正しい答えを承知し
  ているのにもかかわらず、まだそれを正しい答えだと認めないでい
  る「悪い支配」が好きな、生き物なのだ。

私には、新左翼諸党派の興亡や、闘争の細かい経緯やには関心がない。無効になった岩田理論にもまったく関心はないが、宇野経済学と廣松哲学には少しだけ関心はある。また新左翼諸党派の政治思想にも運動そのものの中にも救い出すべき理念や、思考があるようにも思えない。ましてや懐かしく思い出すようなことではない。ただそれぞれに「自由意志」で「叛乱」に与した「個人」の精神の内部から、「現在」に通じることがらを抽出して、自分の「現在」に対置してゆくことだけが、私の希望、で、あるように思われる。

    ※     ※     ※     ※

■荒岱介「破天荒な人々」彩流社2005年10月15日発行

(目次)
序に変えて――彼らは誰ひとり人生を悔やんでいない 

第一回 小嵐九八郎
 戦場(いくさば)は遠きにありて想うもの そして哀しく歌うもの 
 『蜂起には至らず』…直木賞候補4回の歌人―― 13
第二回 花園(前之園)紀男
 この門より入るものはあらゆる怯懦を捨てよ
 カリスマ活動家、長い沈黙を破る―― 35
第3回 青砥幹男
第4回 古賀暹(のぼる)
第5回 望月彰
第6回 斉藤まさし
第7回 大里晃弘

※それにしても一般市販図書とは思えないほど誤植が多かった。誤植は言葉の文化の衰弱である。

荒岱介「破天荒な人々」1 68年は「解放」か「檻」か〜「恥ずかしさ」を越えて回想を読む

2009年08月19日

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読むのが気恥ずかしい本、というものがある。例えばこの本などは、私にとってそういう種類のものの代表で、全共闘〜新左翼にかかわった人の書いた回想的な文章を読むことを避けてきた。それは、文章にして書くことなど不可能なことがあの時代の本質として多くあるはずだと、固く信ずる根拠があるからだ。また自分の幼稚と無知を思い起こさせる傷、のようなものに、容易に無遠慮に触れてくるものがあるからだ。
しかし、いたずらに年月は流れ、私にも時間のゆとりはなくなった。いくつか、あの時代の当事者の回想を読んで確かめておこうという気になった。
恥ずかしい感じ、を越えて、自分をも確かめて、おかねばならないからだ、と思う。

     ※     ※    ※    ※

荒岱介は、1945年生まれ、1968年12月社学同委員長、1970年25歳で共産同戦旗派を結成、最高指導者となった。第2次ブント(共産主義者同盟)では、塩見孝也のオルグで関西派に属し、ペンネーム「日向翔」で「過渡期世界論」の論陣を張る。「危機論」「前段階武装蜂起論」に燃える塩見が69年7月赤軍派を作った時に袂を分かつ。70年に戦旗派を結成みずから最高指導者となる。以後戦旗派〜戦旗・共産同の代表を続けたが1995年「左翼思想のパラダイムチェンジ」でマルクス主義からの訣別を表明、環境保護運動に転じた。戦旗・共産同は市民団体ブントとなりさらにはアクテイオ・ネットワークへと変身する。
この間の経緯には批判も多いようだ。
2007年正式にブント(2008年アクテイオネットワークに名称変更)代表を降りる。いまは出版社を経営するとともに作家・編集者であり、癌で闘病している、らしい。68年をそのピークで体験、その後の変遷を担うために生まれたようなめぐり合わせの、人生のタイムスケジュールである。

ちなみに自身のhpでのプロフィールは以下のとおり。
  1945年生まれ。1965年早稲田大学第1法学部入学、現代文学会に所
  属し文学活動を志していたが、1966年ベトナム反戦闘争を契機に学
  生運動に参加。第二次ブント8回大会社学同委員長。三里塚闘争や
  東大安田講堂占拠闘争で実刑判決を受け三年有余下獄する。
  1960年代後半より実践家であると同時に新左翼運動の代表的イデオ
  ローグとして活躍。近年哲学者故廣松渉との交流をつうじて現代思
  想を研究、マルクス主義に立脚した社会変革は無理との結論に達す
  る。
  教義に基づかない、人権を守り地球環境破壊に抗すラディカリズム
  を提唱している。出版社を経営。ブントを代表する実践家。

このあまりに短くするがゆえにホンネや本心を感じさせる大幅な「裁断」と「編集」には、見ていて気恥ずかしくなるような内心の動きを感じさせる。誰でも、自分の経歴を短くまとめることには「無理」があり、そこを無理にも、ヒトに伝わるようにと自負(のつもりの陶酔)と少しの(つもりの)弁解と、少しだけの(つもりの)自己正当化が綯い込まれている。「ことば」の水準が、その人の「存在」の深みにまで、達していないからだ、とも思われる。また「貨幣」や「商品」におけると同様の作為が無意識になされているからのようにも思われる。  

     ※      ※     ※

1965年早稲田第一法学部入学とは、私も同じ法学部(私のときはすでに第二法学部は社会科学部に統合されていた)で、8年先輩にあたるのだ。1973年には、早稲田にはすでにブントの姿はなく、革マル派が他派を暴力的に追い出し統制派的な専制支配を確立していた。昔日の早大闘争の舞台、第2学館は廃墟のまま正門前に残り、第一学生会館は革マル派が押さえていたが、その、確か16号室の、荒が属したこともある現代文学会には政治色はなく、政治の季節はまだ燃え続けくすぶってはいたがはっきりとした退潮期にあった。3年浪人して第一文学部に入学し、現代文学会に入ってきた元高叛共闘の寺田君は、すでに運動を離脱していて、荒とブント(もしくは戦旗派)の(元)信奉者だった。

「遅れてきた」わたしたちにとって「政治の季節」は「大きな」「最後の」退潮期にあったが、しかし早稲田では1972年11.8の川口大三郎君虐殺事件をきっかけとして革マル派の暴力的支配に反対する大衆的な反革マル運動が起こり、ノンセクト主導とされる11.8早稲田行動委員会が結成され、1973年4.28一文学大を成功させ全学的な勢いを得ていくかに見えた。これに対し革マル派は全国動員で高田馬場〜早稲田間を制圧、暴力で反対派を排除にかかった。解放・ブント・中核の各派は(特に解放派とブントは)これに積極的に介入して応援部隊を送り込み5月〜6月にかけ、数次の衝突を繰り返した。第5・第8などの機動隊が常駐し、早稲田は檻と化したともいわれ、朝日新聞は「どうしたワセダ」と自己解決できない状況を揶揄する記事を掲載した。それぞれの場面では武力的に、ブントや解放派が革マルを放逐したが、「常駐」できず「制圧」し続けることが出来ない彼らが立ち去るとまた鉄パイプを持った革マル派が戻りキャンパスを「監視」することとなり、事態は「檻」として膠着・停滞・固着していくこととなる。(法学部長〜総長を歴任した刑法の西原春夫、会社法の奥島孝康は、個人としてどうあろうと結果として革マル支配〜檻の早稲田に手を貸した有罪者である、と言わねばならない) 
無論どの「党派」が制圧しようと「檻」は「檻」でありつづけるほかはないのである。「檻」の中からは、手に届くかに見えた、「解放」の空気が虚空に消えて行くのがありありと感じられ、わたしたちは「解放の感覚という希望」と「現在に反転する身体の絶望」とに引き裂かれていた。

(「檻」の中の、わたしは現代文学会で少数の友人たちと文学や政治に「焦慮」(死んだ4年先輩の岩間さん)しつつ、現実の前の自分のあまりの無力に打ちひしがれていた(だけだった)のだろう。
「檻」はあるいは、わたしの中にも育っていたのかも知れず、そちらのほうがむしろ「檻」として有効だったのかも知れない。「檻」が今日、どのように継続しどのように変容しているか、わたしたちはよく承知しているが…)

     ※     ※     ※

60年/68年を頂点とする新左翼運動の持った意味は、勿論1900年代初頭の前資本主義化段階のロシアレーニン主義的な政治革命の問題ではなく、全体としては高度資本主義化が近代化の徹底を通じて封建遺制としての支配共同体を解体するに至ったことをうけて、人間とその社会の構成の仕方の原理を革新することであった。
それは全体として個人と支配共同体の関係を逆転し、個人の優位性を出現させ、桎梏としての前近代的、近代主義的思想・観念を無効にしたのであった。そしてそのかぎりにおいて「革命」であった。

それは全共闘においては「大衆」化された個人がその存在を主張し、個人が闘争を快楽としてエンジョイした。高度資本主義がもたらす新たな人類の段階の社会関係が大衆としての個人の身体性から表現された。

新左翼所諸党派においては個人の反支配共同体のエネルギーを、吸収するというより、そのエネルギーに「のって」運動の高揚と捉えたが、「党派」であることにおいて近代主義的というより前近代的な支配共同体としてしか存立しえない構造ゆえに、時代の「負」性として結果せざるを得なかった。
  ※支配共同体は、常に自己を保存するため、敵または被支配者を作
   り出す。そして、それはそのまま差別にも排除にも、そして監視
   にも、処罰にも自律的自動的に移行する。

これらの変化は1956年には兆しがあらわれ、1960年安保、さらには66年〜69年全共闘運動として大衆的に認知され、さらに質的にも純化されて1980年消費資本主義(高度資本主義)として大勢を占め、定着する。
1991年バブル経済の崩壊〜2000年ITバブル崩壊〜2008年高度IT化金融資本主義(グローバリズム)バブルの崩壊は封建制の残滓(支配共同体)を最終的にその感情においても解体し、消費資本主義のはっきりとした定着から、さらに次なる時代または段階への変容を迫る。
日本国の「政治」においても55年体制から、2009年自公政権崩壊へと、支配共同体の解体を追認している。

しかし、支配共同体がもっとも有効に作動する場面(生産・支配の場面=企業・官僚組織)にはなおその秩序が根強く残っている。(自由民主党など保守派の中にさえ、「脱官僚」=脱統制派を唱える動きが出てきたが…)

    ※     ※     ※     ※


■荒岱介「破天荒な人々」彩流社2005年10月15日発行

(目次)
序に変えて――彼らは誰ひとり人生を悔やんでいない 

第一回 小嵐九八郎
 戦場(いくさば)は遠きにありて想うもの そして哀しく歌うもの 
 『蜂起には至らず』…直木賞候補4回の歌人―― 13
第二回 花園(前之園)紀男
 この門より入るものはあらゆる怯懦を捨てよ
 カリスマ活動家、長い沈黙を破る―― 35
第3回 青砥幹男
第4回 古賀暹(のぼる)
第5回 望月彰
第6回 斉藤まさし
第7回 大里晃弘

※それにしても一般市販図書とは思えないほど誤植が多かった。誤植は言葉の文化の衰弱である。

吉本隆明『生涯現役』3 繰り返し通奏する「思想の根源」としての「マルクス自然哲学」

2009年07月22日

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吉本的「情況」論はやはり、この人の本質的態度であって、変わることはない。

  サルトルのような、マルクス主義は超え難いというようないい方
  ね、ぼくはそんなことは思ったことはありません。一つには乗り越
  えられるべきものはどんどん乗り越えて、新しい状況や時代に向かって
  いかなければならないと思うのと、もう一つはこれを乗り越えれ
  ば、今まで考えてきたような歴史の範囲のもう少し先まで、例えば
  宗教のことをどう考えるかといった問題に対しても、あらたな解答
  が出てくる可能性を感じるからです。宗教というのは、要するに人
  間が人間であるための精神活動の起源ですからね。これには具体的
  にいうと、ネパールとかチベットのそうした人たちを弾圧するのは
  間違いだと思っていることも含みます。それがロシアのマルクス主
  義の失敗のもとだったんだよと思ってますから。P116

人間の精神をめぐって、極めて原理論的なようでありながら、すべては最後の「それがロシアマルクス主義の失敗のもと」へと集約・還元されてゆく。この人の関心は徹底して「現在」にはじまり、「現在」に帰るのか。
※ここでは「情況」ではなく「状況」という用字、である。はじめて見た、ような気がするが…。

また呪文ののようにこのクニの左翼(社共)や、日韓関係に相当危うい仕方で言及する。昔日のインパクトも際立った論理性もないが、その執念は変わらぬものがあり、心底懲りない人、飽きない人という印象だ。

そして、意外にもこの本の中でも繰り返し語られ、飽くことなく強調されるのは、あの、「思想の根源としてのマルクス自然哲学」である。やはり1963年ごろの「マルクス紀行」と「カール・マルクス」は吉本にとって、その後の「思想の根源」を掴むものだったのだろう。

  マルクスが価値論でいったことは、人間は精神的にであれ肉体的に
  であれ、外界に対して何らかの働きかけをする。働きかける対象は
  人間でも動物でも無生物でもかまわないんだけれど、とにかく外界
  に対して何かをした途端、外界は肉体的なあるいは有機的な人間の
  延長になる。つまり、価値を生じるんだっていうことです。〜略〜
  ですから、その部分的なところに働きかけて稼ぐ、あるいは生活す
  るっていうことも、ぼくらが働くってことも、マルクスのそういう
  考え方の中の一部分に当然入ってきますよね。たとえばサラリーマ
  ンとか労働者とかが、働くってことで外界に手を加えたら、精神的
  にか肉体的にか、必ず自分も有機的な自然物になっちゃうんだとい
  うことですね。つまり、人間が動物や無生物と同じになるんだ、そ
  のときに外界は必ず価値を生じているんだってことです。―p123

  マルクスのイデオロギーというか理念、思想の前には、一種の身体
  論的な自然哲学があるんです。身体論にはメルロ=ポンティをはじ
  めいろいろありますけど、ぼくはマルクスの身体論が一番いいんじ
  ゃないかなって思ってます。要するに精神であれ肉体であれ、人間
  が外界に対して働きかけ外界が変形して価値が生じると、人間は生
  きた有機的な自然に変化する。要するに人間が有機的な自然に変化
  しなけりゃ外界に働きかけることはできない。そういう自然哲学で
  す。外界が価値化する、つまり、自然が人間の肉体の延長線になる
  ということと同時に、人間も有機的な生きた自然というふうに変わっ
  ちゃうんだと。働きかけた瞬間に相互がそう変わるっていうこと
  ですね。自然が価値化して、人間も変わる。それは今も一番妥当な
  んじゃないかなとぼくは思っています。p194〜5

マルクス自然哲学の、この絶妙な把握は、価値形態論にも通じるマルクス理解のキイであり、また吉本のもともとの思考法に通じるものがあり、自立論の根幹をなし、その後の思想的営為の基盤となってきた、と思う。

この「根源」を維持するかぎり、おれは「生涯現役」なのだとでも言うように、強い調子で語られている、ように見える。


吉本隆明『生涯現役』2 吉本的「生活の倫理」の明るさと今日的「明るさ」の虚妄

2009年07月22日

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その他の老いの問題は多岐にわたり、それはそれとして十分大きなテーマなのだが、さらに経済的な問題に言及して、年金や何かでもうちょっと「隠居」らしい暮らしができると思っていたが、現実は今も働かないといけないという一節には、驚きを禁じえない。

  今もちゃんと働かなければ、つまり銭を取らなきゃ参っちゃう、ちょっ
  と手を上げちゃうな、というのが正直なところで、こんな馬鹿らし
  い商売はねえやというのが実感ですね。―P16

あの、「戦後思想」の第一人者吉本にしてそんなものなのか、これが「生涯現役」という生な意味か?という驚きとともにわが身を振り返ると、さらに心もとない気がしてはなはだ薄ら寒い思いがする。
この世界の成り立ち方の経済主義的な非情な事実は、ひとを様々にインスパイアしエンカリッジしてきたが、それ以上に荒ませても、来た、であろう。わたしたちは時に、人はパンのみにて生くるにあらず、ということばに、確かに救われることがある。が、それは、食は食によってのみ贖われつぐなわれるというそれ以前の、動かせぬ真理があるからこそ「救い」なのだ。

吉本隆明は、歴史上初めて自分の生活の糧をどこからどのように得るか、ということを文学や思想にかかわる当然の倫理として問題にして、自ら実践してきた文学・批評家業にかかわる人物である。
東工大の恩師、遠山啓の紹介で特許事務所に隔日で通って生活費を稼ぎながら1950〜60年代のもっとも創造的なまた「情況」的にも緊迫した時期を、生きたことは有名だ。文京区内に家を購入したについても、ことの次第を概ね推量できる程度にはあけすけに語っていた。
そのような「生活の倫理」を、「武器」に転換して、つまり論理化して、丸山真男を自らは東大教授の権威に安住しながら政治に口を出す「いかがわしい文化人」と呼んで痛撃した。
(今日では、当時とは様変わりして、大学教員の身分に安住しながら思想する、または文学することは半ばほどは「特権的」ではなくなっているかもしれないし、その分後ろめたさはなく、「市井の生活者の気分」として「明るい」気分になっているかもしれないが…。
そうであるならば、多くの、生活の糧を自ら絶つように、社会の「入角」のような市井の、その影の一隅に身を置いたものたちは、そしてその無声の否定の叫びは、どこへ行ってしまったのか…。それは、もちろん、半ばほどはそそっかしい勇み足、のようなものとしてここにあり、この同時代に突き刺さる棘、としてある。突き刺さることさえない多くの公認された「明るい」言説は虚妄である。はずだ…。わたしにはそのように言う根拠がある、と言っておきたい。「本当のこと」は、なんら許される展望を持ちえないもの、負性の「許されざるもの」としてのみ、当時も、今日も、在りうるのだ、と言っておきたい。)

そうした「倫理」を「論理化する」荒業は、「詩的絶対性」として精神の中に凝縮され胚胎されていた。

  <この執着は真昼間なぜ身すぎ世すぎをはなれないか?
  そしてすべての思想は夕刻とおくとおく飛翔してしまうか?
  私は仕事をおえてかえり
  それからひとつの世界に入るまでに
  日ごと千里も魂を遊行させなければならない>
    ――「この執着はなぜ」

  ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
  引出しからつかみだすように 心の傷から
  ひとつの倫理を つまり
  役立ちうる武器をつかみ出す
    ――「涙が涸れる」

吉本思想の大きな基盤となった「民衆」の生活(=「大衆の原像」論)の視点は、吉本の思想的正当を証すものかどうかはともかく、論じつくすことができないほど多くの収穫を時代にもたらした。
私たちの社会は、このやんちゃで深い老人にどれほどの尊敬と経済的報酬をもって報いているだろう。

吉本隆明『生涯現役』1 まえがきの重さ、あけすけな「老い」への内部からの言及

2009年07月22日

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「生涯現役」というタイトルにひかれて、きっと老いの繰言を(流石に吉本も!)語っているのだろう、と気軽に読み始めた。
確かに座談であって、「軽い感じ」で読めたが、内容は幅広く、いろいろなことに及んでいる。
しかも自身の思想の来歴をごく短く振り返った、抽象性の高い、内容の濃い、読み応えのある「まえがき」では、老いてこそ、ようやく「思想」というものがわかった、とまで書いている。
(まえがきは、本文の後で、読んだのだ)

  身体性の順序でいえば、種としての遺伝子の変化、風俗習慣の変
  遷、地域ごとの言語発展の仕方の違い、文明・文化の進展の仕方と
  度合いなど根底にある自然への働きかけなどが、個々の身体性の内
  在史と外在のいわゆる「歴史」とを媒介する主な項目だといえよう。
  わたしは、老齢期に達して身心(ママ)の新しい感覚の変化を体験
  し思考に乗せたとき。本質的に<思想>の意味を理解できたように思えた。
  
※注 根底は「根柢」ではない。身心はそのまま写した。「心身」ではない。また珍しくもはじめの方4行目で明らかに訂正ミスかと思われる舌足らずな言い回しが発見される。これらの用字用語の変化はなんなのか。言い回しの変化はゆるみ、のようなものなのか。と思っていたらこの項一番下の「書くこと」の困難の記述が出てきて、ああ、このようにしてこの「まえがき」は書かれ、校正されたのか、口述ではないのだ、とわかって感慨に打たれた。

微妙な変化もあるが、老いてますます言葉は重みを増し、重厚を増し、抽象の純化度は増している。ごく若いころ鮎川信夫が吉本隆明に向かって、日本人はたいていとしをとると緩んでしまい、円満になって、好々爺になるが、ユダヤ人は年をとるにしたがってますます闘争的になり、きつくなる。吉本はユダヤ的だと、いうような事をいっていたのを思い出す。
この「まえがき」だけでも十分重い。解読するのも大変だ。
やられたな、という感想だ。

     ※     ※     ※

中身は、まずは、予想通りにやって見せてくれる「老い」の話である。

吉本隆明は、今年85歳である。「生涯現役」ということは、吉本的「情況」からはすでに引退したとしても、今も現役と、本人は思っているのであろう。※本書は2006年の刊行である。この老人が生きて、変わらぬ「姿勢」で発言し続けるている、ということは、死んだ岸上大作みたいに「この世は〜」、ではないが、何かやはり、自分にとって何かすることの「つっかえ棒」みたいなもののような気がする。
  ※『「言語芸術論」への覚書』(2008年刊行)では「この社会に生
きることのどこにいいところがあるのか、といわれたら、どこにも
ないと言うよりほかにない」、また「情況判断はさらに私の思考力
を超えて劇的に展開した」、「ことに科学的に少しの思いつきを追っ
たに過ぎないと思えることが莫大な富の権力に結びつきうるという
自体の怖さを見せつけた」と述べて、「情況」からのリタイアを宣
言した。と思えるが…。

相当あけすけに老いの肉体や気持ちについて語る。吉本の上の歯が全部入れ歯で具合がいいとか、性欲について女は灰になるまで、またはなっても、だが男(の老人は)実際には性交はできないが性欲も異性への関心もあるとか、また定年前の医者に老人のことは分からないとかはそれだけでも十分、老いというものに関しても、吉本という人はやはりホンネで言うのだな、と思わせる。「老い」というもがそもそも逃れようも隠しようもなく「あけすけ」だからであり、それはすなわち「生」というものの意識にとってのあけすけさであり、ある意味、吉本はその「あけすけ」を従来にない「あけすけさ」と緻密さで思想の言葉にして見せた、のだと思う。

  ぼくは、読むほうは、片手でもてる小さなテレビカメラみたいなも
  のを使いながら、モニターで拡大してみています。
  しかし、書く段になると、桝目のある用紙を左手で押さえ、用紙の
  桝目を目当てにして書くという不自由なことをしています。〜略〜
  こっちを左手で押さえ、こっちでボールペンを持つと、たとえば、
  何かを引用して書きたい場合なんかに、両手はふさがってるし、字
  は見えないしで、とても困っちゃうんですよ。―P101

こんなにまでしても本を読み文字を書くのだ、この人は――。わたしならとっくにそんなことは「放棄」してしまうのではないか。(「稼ぎ」になるなら、別、かも知れないが…)

■吉本隆明『生涯現役』洋泉社新書y2006年11月20日780円+税

橋本治の「自由」と断言肯定命題〜深さとくどさと柔らかさ 「橋本治という行き方」

2009年07月18日

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橋本治は、今まで読んだことがなかった。
「軽い」小説と読み物を書く人、程度の印象で見過ごしていたのだ。
わたしの読書と思考の偏り具合にあらためて思い至る。

読む気になったのは三上治の『1970年代論』の後半で、三上が三島由紀夫を大きく取り上げ論じる中で、橋本の『三島由紀夫とは何だったのか』を、重要な参照先としてあげていたからだ。

その後、書店で見かけて「院政の日本人 双調平家物語ノート2」という本をついふらふらと手に取り、手に取っただけでなく、ぱらぱらめくり、それが平家物語の解説ではなくいわば日本史を書き直そうとしている、というか、自分のための日本史を「作り」つつある、ようだったので、思わず購入してしまった。何か私の目指していることをそっくり先取りされているような、嫉妬感があった。
そして、そのまえに橋本が自分自身について言及している本を読もうと思って、「橋本治という行き方」を買った。
「生き方」かと思って、ちょっと腰がひけたが、「行き方」だったので、自分を「微分」する人だな、と思い読んでみた。

橋本は徹底して、権威とか、体系とかに反逆しつつ自分の権威とか体系とかも解体し続ける、といった、しかし読みやすい(比較的)、柔らかい日本語の「フーコー」みたいだ。
ここでも柔らかいフリをして、いやフリもしているが、実際相当柔らかく消化され、角や入角の取れたしかし辛辣で深みのある、相当突っ込んだ議論をしている。
読み終えて目次を見てみると、実は大きな流れに沿ってかかれていて、隠された(というほどでもないが)「大きな物語」が見えてくる。どこから読み始めてもよいような内容と構成だが、しかしあとで振り返ると、この構成でなければならない――つまり体系的、なのである。

    ※     ※     ※

断言のための文体 くどさ⇒深さ⇒柔らかさ

最初の「この厄介な自分」は、物書きとしての自分を語る自分解説、である。最初のほうでいきなりこんな断定に遭遇する。
  
 「原稿を書く」が、私にとって必須となるのは、それをしないと、
 「人の思惑」という独房の壁が迫ってきて、圧迫死させられそうにな
 るからだ。

「人の思惑」も「独房の壁」もよく分からない。人とは何をさしているのか、なぜ人の思惑が独房の壁なのか、まったく分からない。饒舌な2〜3行をおいてすぐ次のように言い直す。

  現実の中で漫然と過ごしていると、へんな他人の思惑が壁のように
  迫ってきて息苦しくなってしまうから、自分の自由空間が閉塞しな
  いように、「自分」という防護壁を築く――それが私にとっての
  「原稿を書く」で、おそらく、それ以上に積極的な意味はない。私
  にとって、生きることと原稿を書くことは、息をするのと同じよう
  に、一つなのである。

この言い直し、言い換えはある意味くどいのであるが、抽象の美しさより具象の実在性や身体性を選ぶ、ということである。難しい言葉で提出される大文字の「概念」は通時的な普遍性や抽象化された美と引き換えに、現実の生な手触り(=「現在性」)または共時性と言うようなものを失うからである。

「漫然」はどうも頻出する橋本用語だが、他者に働きかけるというより自分のリズムで生活の中で普通にやっているということで、けして何もしないわけではない。「現実の中で漫然として」いるのだ。「漫然」は、現実の生活の中で普通にやっていると、ということで、「へんな他人の思惑が壁のように迫ってきて息苦しくなってしまう」は再度説明なしで反復されているのだが、ここはこちらが推量しなければならない、ということだろう。あるいは橋本のよい読者なら承知していることなのだろうか。あてずっぽうで言ってみれば他者との関係が、ある朝虫に変身するグレゴール・ザムザのような受苦的なものであるというような不条理をさしているだろうか。
というように深読みをさせることになり、「くどさ」が「深さ」にかわって行き、「ひきこまれ引きづられるように読まざるを得ない独特の粘りのある文体」の柔らかさにいたる。で、読んでゆくが、ところどころに、概念的な凝集した文章があらわれ、「思想界」や「文学界」や「批評界」ときちんと繋ぎをつける。
(この「深さ」は示唆されるだけで、けして踏み込まれはしないが)

そして、いきなり「生きることと原稿を書くことは、息をするのと同じように、一つなのである」という断言肯定命題がくる。
この断言はいったい何なのだろう。この断言が軽く許される感じ、を維持するのが橋本治の場所だ。ここへいたるためにぐるぐる周囲を回って見せているように思われる。

コトバが、意味や概念や論理で凝集されずに、少しずつずらされたり膨らまされたりしてつながってゆく。言いかえをしながら輪郭を狭めてゆき、ある程度まで凝集してくると、もう、いいよ、という感じで切る。
これは、楽になるような気がする。

粘りはあるが、粘り続けない。

自由と断言肯定命題の仕組み

またこのように言う。

  昭和が終わったその日、私は「自由になった」と思った。
  「なぜ自分は自由だと思うのか?」と考えると、その答えは一つし
  かない。昭和が終わるとともに、「正解の座は一つしかない」とい
  う状況が終わったからだ。  

また、すぐにつづけて次のように言い直す。

  「なにをもって、“自分の自由”を実感するのか? どういう状態
  が自分にとっての自由なのか?」――それを考えると答えは一つし
  かない。昭和が終わるとともに、「正解の座は一つしかない」とい
  う状態は終わったのだ。

普遍的でオープンな実にまっとうな、まっとうすぎるほどまっとうな問いかけをして問題を「自由とは何か」という風に思いっきり広げて期待させたあとすぐ、前文とまったく同じ断言を繰り返す。分析をするより、生な実感に帰ってくるのだ。抽象から程遠い。
断言肯定命題、である。饒舌な。
だがそれぞれの断言がそれぞれの局面で相当考えねばならない断言なので、繰り返し読む気になる。

橋本治の「自由」は橋本治の内部に強く明確に感覚されていて、そこでは、たぶん、「概念」化される前の、いわば原初の「感覚」の残像のようなものが渦状星雲みたいに渦を巻いているのだろう。そしてその「内部」はともすると閉じこもろうとするようだ。
その閉じこもりを、「閉じこもってもいいんじゃないの」と言いたげに「断言肯定命題にして」とりあえず外部に投げ出してしまう。この命題はいわば「概念」として対象化されてゆくものだが、それはそうなってもよいように、「棄てる」ものとしてに投げ出してしまう、ように見える。
この、頑強な仕組みは興味深い。

人間の生活の歴史は、労働が生み出す価値を動力源に、安全と豊かさと満足を実現するシステムを形成してきた。調和のための秩序、みたいなものだ。
しかし、人間の精神は、個人を共同体の秩序のくびきから解放することを求めてきた。「自由への道」みたいなものだ。
外部との異和や齟齬は、人間が社会を作って生きるかぎり、なくならない。それは生きるのにどうしても経済活動やお金が必要であることに象徴されている。
ならば、人間の自由は、外部へと相わたるぎりぎりのところで死んだフリをしてみせ、また内部へ戻って戦闘力をつけて外部へと相わたる網目のような構造のあちこちをつつき続けるということであろうか。

類的本質の中に自由への道は続いているのであろうか。例えば「共感」することのように。「社会」を作ることが人間の必須の条件なら、そのなかに「自由」はなければならない。ので、あるが……。

読み終えて目次を見てみると、実は大きな流れに沿ってかかれていて、隠された(というほどでもないが)「大きな物語」が見えてくる。該博な知識と、弱さをさらけ出すことで居直ったかたちの一般常識を持った、ふてぶてしい強靭な生活人なのだ。
とにかくこの達者な語り手には、楽しませてもらえることを期待できそうだ。

    ※    ※    ※


■橋本治「橋本治という行き方」朝日文庫2007年9月30日(初出「一冊の本」2001年7月号〜2005年1月号 初出タイトルは「風雲流水録」)
目次
この厄介な「自分」
なぜ書くか 12
小商人の息子 18
「自分」はどこへ行った 23
「自分」を消す 28
「思想」というよく分からないもの 33
おとぎ話を捨てた時 38
この「作家」という職業
自由になりたい 44
芯を読む、芯を書く 49
ある作家について 54

この不思議な「距離感」
遠い記憶 60
錯誤としてのスタート 65
在野というポジション 70
「アカデミズム」を考える 75
「教養」という枠組み 80

「雑」と教養
教養と標準語 86
恭順後としての教養 91
「キイワード」というキイワード 96
一山の本 101
蚊柱のように 106
「貫くもの」を考える
コンピューターと別れた日 112
縦軸と横軸 117
頑固者としての縦軸 122
「どうでもいい」という実感 127
批評言語としての日常語 132
「バカげたこと」をもう一度 137

「広がること」を考える
批評の台 144
批評軸のねじれ 149
機械の苦悩 154
行きづまりの研究 159
批評軸の乱立 164
受け手の責任 169

この悲しい「マーケット」
そういう「批評」の不在 176
世界観の差 181
批評とマーケティング 186
いらないかもしれない職業 191
バッシングと批評 196
「本」というもの 201
「よかった」と思うこと 206

この「自分の生まれた国」の文化
俗の豊饒 212
つっこまない文化 217
始まりのない文化 222
すでに始まっていた文化 227
物語の土壌 232


ファンダメンタルな危機と、「対話」の意味 〜中央公論5月号「徹底討議 恐慌・国家・資本主義」対談西部邁・柄谷行人

2009年04月20日

090420中央公論「恐慌・国家・資本主義」柄谷行人、西部邁.jpg
1 対話のなりたち
書店で偶然見つけて手にとった。微妙に「態度変更」しているとはいえ左派的なはずの、内面にこもりすぎ(?)な柄谷と、「保守主義」を振り回して大雑把な感じがする西部とは、妙な組み合わせだと思ったが、この奇妙さが現代的で良いかも、知れない。(こんな組み合わせでも「思想的対話」が成立するようになったのなら、である。二人とも第1次ブントのメンバーであり、いわば60年安保の「同志」であったとしても、いや、だからこそ、である。)

冒頭で西部が、マルクスの資本論を取り上げて、貨幣や資本についてのフェティシズム(物神崇拝)に言及しているが、これは経済学ではなく科学的神話である、といっているのは笑えるが、悲しい。やっぱ、無理なんじゃないだろうか、この組み合わせ、と思ったが、柄谷のほうがあわせて何とか持たせているように見える。

柄谷は「アメリカの没落」を語り、また宇野弘蔵は「マルクスが『資本論』で示したのは、恐慌の必然性であって、革命や社会主義の必然性ではないといった。一方、社会主義は倫理的な問題である。つまり各人の自由な選択の問題だ」とのべている、と西部にエールを送っている、というか話を穏やかにしようとしているようだ。
つづけて「社会主義は実践的(倫理的)な問題だという宇野の考えにも、影響を受けましたね。それをずっと考えてきた。宇野の考えはマルクスというより、カントから来ていると思う」
「現在の不況は1930年代の不況とは似て非なるもの」その理由は1930年代は世界商品の交代期に当たる構造組み換えのための不況であり、またイギリスに変わってアメリカが世界経済のヘゲモニーを確立したための構造転換の時期だったがいまは「没落した」アメリカに変わる国がない、とのべると、西部も「今柄谷さんが言われたマクロ的な歴史の概観というのは、その通りだと思う」と引きとったので、どうやら、安心して(?)読み始めた。

2 ファンダメンタルな危機と対話の成立
対話は、マルクス主義的見解に対して西部が批判し、またはアソシエーショニズムなどの自説を展開し、柄谷がそれに応じて、敷衍して返し、持論につなぐという形で、慎重に(違いが露わになるのを恐れるように、または6カ国対話のような対話の枠組みが壊れるのを恐れるアメリカのように)原理論段階から今日の状況認識と対応策へ進行する。

柄谷は、西部のマルクスや宇野弘藏の「原理論」では政府の存在が含まれず、現実には無効なものだという指摘に「資本論は純粋資本主義の原理論」として「原理論」を救い出しながら宇野経済学の「原理論」「段階論」「状況論」の3段階論で応じるが、西部はなおも「資本主義の内在的論理を論じている原理論に、政府の論理的可能性が含まれていないのは変」だとたたみかける。柄谷は「労働力商品の問題の問題を具体的に考えていくと、たちまち国家の問題が出てくる」とあっさり認め、西部は「少し驚いた(笑)。表現は違うけど、意見が一致している」と喜んで見せる。

西部は「社会の土台としての労働や、地盤としての自然資源の問題がある。ところがいま、商品化の波に飲み込まれて、地盤がほとんど液状化し、流砂状態になり釈迦という建物がまるごと陥没する気配が濃厚である。」と「ファンダメンタルル」な危機感を吐露するのだが、30年代のドイツの「ゲルマンの血と大地」、日本の「大和魂」のような「共有できる観念すらない」と一気に情緒的国家主義的「観念」に飛躍してしまう。
柄谷は現代は1930年代よりも、日清戦争ころの1890年代の日本の状況が近く、資源をめぐる領土主義がふたたび台頭する「戦前の思考」を穏やかに説く。
「労働力商品」廃止のための「協同組合」や、ゲゼルシャフトを媒介としたアソシエーショニズムをめぐって、ネーション=ステート(国民国家の「国家」と「国民」)の克服、地域通貨の可能性、広域国家の可能性などをめぐって、両者が近寄ってはまた離れていくような微妙な掛け合い進行で、内容濃くこれまでの持論が語られる。(語られる、だけであるような、見え方である)

だが、時代が「ファンダメンタルな危機」にあるなら、ファンダメンタルな「処方箋」があるのか、どうか、その切迫感に答えるような答えはあるのだろうか。(もちろん語られているのは「思想」であって、経済政策ではないから、「今日」に効く処方である必要はないだろうが)
どうしても、物足りない感じがしてしまうのはやはり、柄谷は「うちにこもり」、西部は大雑把にすぎるからだろうか。
ともあれ、両者のあいだに、対話らしく体裁が整ったことを寿いでおくべきだろうか。時代は少なくとも、「教条的マルクス主義」や「党派」観念の時代から、大きく「進んだ」のだ。それが、逆に「ファンダメンタルな危機」の証でもあるだろうか。

※     ※     ※     ※

今日の不況(恐慌)の要因が本質的に、「資本」化した「貨幣」の自己増殖(資本の商品化というフィクション)にあるのなら、やはり資本制=貨幣制経済の根本的廃止が射程に上がらなければならない。
また「土地」の商品化や労働力の商品化が要因であるなら(明らかに、要因なのであるが)その廃止が追及されねばならない。
(それは近代資本主義経済の発生の時代(日本においては江戸後期〜明治維新〜不公正税制是正までの、「国策資本主義」=「社会主義的な国家主導の資本の蓄積過程」の時代)、と市場=貨幣の制度化(古代的「国家」の成立)の時代の国家システムの中の貨幣システムが追求され、解明されることをも含まねばならないのではないか。歴史的現実を踏まえるべきではないのか…。)

「労働」の人間にとっての本質についてはマルクスが自然哲学から、哲学的にも実践的にも相当程度解明してくれている。「貨幣」は柄谷も追求したが、むしろ岩井克人によって追求された。岩井との微妙な違いを柄谷はどう考えているのか。「土地私有」が解消されるべきというのは当然のことのように言われることが多いが、その本質的意義や、具体的手続きはまだどこにも述べられていないように思える。

西部はともかく、柄谷は「協同組合では、全員が自分たち自身が共同所有者、経営者であり、かつ、労働者です。だから、労働力商品は存在しない」などと言い、それだけで終わらせるような姿勢はどうなのだろうか。もっとしつこくあって欲しい、と思うのだが…。
協同組合は内部に共同体がさらに形成され、「疎外」の発生する。また現代資本制社会の中で、隔離されて、そこだけに「労働力商品」が形式的にでも存在しなくなるのか、実感的な説得力はないのではないか。
また「遠隔地交易」と「ローカルな市場」を切り離す「地域通貨」は、実験段階だが、そのまま成長していけばやはり、資本に転化する危険をはらむものなのではないか。

  ※     ※     ※     ※

それにしても「いまいいたいのは、普遍的な観点からものを考えることですね。日本の経済はどうなるか、なんてことを括弧に入れて、ものを考えてもらいたいですね」(柄谷)という最後のメッセージは、西部を意識してのことではあろうが、やっぱり「こもって」しまうのか、と思ってしまう。「当たり前」とはもちろん人によって違うものなのだ。「教えるー学ぶ」のウィトゲンシュタインはどこへ行ったのだ。柄谷よ。
「若者諸君はかわいそうである。このくだらない世の中に長々と生きねばならぬ。ご苦労!という気がするね」(西部)「それはぼくもそう思う」(柄谷)という終わり方は、無反省で傲慢に見える。現実は、理念とも思想ともかけ離れたところで行われているように見える。あるいは理念や思想は、現実にははるかに届かないように見える。
「ダイアローグ」でない、たんなる討論に「長々」とつき合わせられた読者は「ご苦労」だったわけである。本質的な対話が行われなかったにもかかわらず、対話であるかのような見せ掛けが成立しているなら、そこに思想の欺瞞がある。


吉本隆明のあたたかさ〜吉本隆明「読書の方法」

2009年04月13日

「共同幻想論を読む」の7回目を書こうとおもって、吉本本人の「性についての断章」や「個人・家族・社会」や大杉栄の「男女関係」やレヴィ=ストロースの「親族の基本構造」や、柄谷行人の「内省と遡行」、マルクスのいろいろやヘーゲル「精神現象学」や、その他いろんな文献などを読んでいたら、まとまらなくなってしまい今になってもまだ収拾がつかない。大きなパースペクティヴが見えてくるのに眼を凝らしたいのに、眼に疲労がたまって重たく、見続けることができない。そんな憔悴と懶惰の時に、ふと、「読書の方法」という文庫本を手に取った。
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吉本隆明には硬質な政治的情況的な論理性と憎悪の感情の面と、その裏返しのように柔らかいあたたかい、巨大な量の愛情に満ちたいわば内向する深い愛情の面の両方がある。

1972年に書かれた珠玉のような名文「なにに向かって読むのか」、1960年4月発表された「読書について」をよむと、吉本が詩や、詩人や、過去の自分や、ようするに詩的精神または詩的存在に、温かい、愛情をあふれさせていて、こよなくやさしい人に見える。こうした、親和力のようなものをかもしながら書かれた柔らかい文章は魅力的だ。「思想の極北」を目指すような晦渋な文章、緊張した論理を読む合間に、こんな文章に出会うと「ころっと」いってしまう。(わたしは、もちろんものの見事に「ころっと」いって、ほぼ失語のような自閉的な一年を吉本隆明の詩や文章だけで過ごしたことさえ、ある)

  わたしは、なぜ文章を書くようになったかを考えてみる。心のなか
  に奇怪な観念が横行してどうしようもなくもて余していた少年の晩
  期のころ、喋言(しゃべ)ることがどうしても他者に通じないとい
  う感じに悩まされた。この思いは。極端になるばかりであった。と
  うとう誰からも無口だといわれるほど、この感じは外にあらわれる
  ようになった。父親は、おまえこのごろ覇気がなくなったというよ
  うになった。過剰な観念をどう扱ってよいかわからず、喋言ること
  は、自分をあらわしえないということに思い煩っていたので、覇気
  がなくなったのは当然であった。
   〜略〜
  そうして、喋言ることへの不信から、書くことを覚えるようになっ
  た。それは同時に読むようになったことを意味している。
  わたしの読書は、出発点でなにに向かって読んでいたのだろうか。
  たぶん、自分自身を探しに出かけるというモチーフで読みはじめた
  のである。
    ――「なにに向かって読むか」
  
青年期の刺々しいほどにいらだったこころも、このように書かれると収まってくることがあった。「自分自身を探しに出かける」というフレーズは、原初的で無垢で、心安らぐものだった。
(しかし、後に「自分を取り戻しに行く」という浜崎あゆみの歌詞のほうが、自覚的であるだけ辛く、時代の深まった困難を象徴しているように思われる)
しかし、さらに若い年頃(36歳、安保の年)に書かれた「読書について」は全著作集第5巻に収録されていて、まだ十代のわたしは、前後の実生活を振り返る短文とともに生きる手引きのように繰り返して読み、そしてとても及ばないことを確かめては、時間を空費していた。

  今までの読書の体験のうち、恐ろしい精神史的な事件のような読み
  方をしたのは、十代の半ばごろに読んだファーブルの『昆虫記』
  と、20代のはじめごろ読んだ『新約聖書』と、20代の半ばごろによ
  んだ『資本論』であった。
   〜略〜
  このようにかんがえてくると、わたしの読書範囲で、ほとんど現実
  的な事件と同じように精神を動かした書物には、何か共通の性格が
  あるような気がする。
  (それは)人間とは、生まれ、子どもとなり、壮年となり、死ぬま
  での間に、何か為すべきことを程度に応じて為すために生涯がある
  のだ、というような軌道をまったくはずれて、とにかく、どんな微
  細な事であれ、巨大な事であれ、事の大小にかかわりなく、そのこ
  とのために膨大な時間を費やすことのできた人間の精神的な生活が
  書物の中にあるとき、その書物は事件のようにわたしのこころを動
  かすのではないか。
  『昆虫記』のファーブルも、『新約聖書』の作者も『資本論』のマ
  ルクスも、また、やがてわたしが遭遇するであろう優れた書物の著
  者も、その著書によってどうしようと考える前に、かれ自身の生自
  体がそこへのめり込み、のめり込んだ主題につきすすんだままやが
  て気がつくと、膨大な時間を浪費していた、という種類の人物であ
  ることはうたがいない。
  ファーブルは昆虫を眺めて、ふとわれにかえったらシラガのお爺さ
  ん。『新約聖書』の作者は人を愛憎して、ふとわれにかえったらシ
  ラガのお爺さん。マルクスは資本主義社会の正体を暴いて、ふとわ
  れにかえったらシラガのお爺さん。
    ――「読書について」

この、突然にあらわれ、読みながら思わず口ずさむようなユーモアは、吉本の天性のユーモアだ。恐ろしい苦境も一人で堪え切るような強い、さびしい精神だけが持っている、自分で自分に向かってするユーモアだ。(「強い精神」と書いて、岸上大作が書いた「あなたには負けたくなかった」や「吉本隆明が生きているかぎり、この世は捨てたものではない」を思い出してしまう。わたしはそのように書く岸上ほどにも、無論、強くはなかった)

そして、その「強さ」、は、「<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷つける。><おまえは醜く愛せられないから>」(「エリアンの手記と詩」)、と拒絶された「愛情」がその強さに応じて突き詰められ、大きく反転して「拒絶された思想となってこの澄んだ空を掻き撩さう」(「その秋のために」)、とする孤立した「瞋り(いかり)」と憎悪に満ちた反逆の精神となり、そのことも含めて対象化してさらに詩意識に統合してしまうという荒業で、時代に深く深く拮抗する緊張感に満ちた「情況」的な詩精神となった。
それはときに、過剰な憎悪と「瞋り」の露出となって時代と詩の隙間をうずめ、かれの中の「詩」を掻きたてるが、ときにやさしいあたたかさとなって、孤立した詩的存在を慰めるのである。

   あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ。
      (ちひさな群れへの挨拶)

   ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい
      (廃人の歌)

   信ずることにおいて過剰でありすぎたのか
   ぼくの眼に訣別がくる
   にんげんの秩序と愛への むすうの
   訣別がくる
      (一九五二年五月の悲歌)

   わたしはねがう
   世界ぢゅうがこの夜 かれの
   つぶやきに耳をかたむけることを かれの
   破瓜病をいやすために
   抑圧をやめることを かれに
   20円くらいの晩餐をあてがって恥ぢない
   ものたちをつき倒すことを
      (抗訴)

   異数の世界へおりてゆく かれは名残り
   をしげである
   のこされた世界の少女と
   ささいな生活の秘密をわかちあはなかったこと
      (異数の世界へおりてゆく)

   その人の肩から世界は膨大なたそがれとなって見え
   願いに満ちた声から
   落日はしたたり落ちる
   行きたまえ
   きみはその人のためにおくれ
   その人のために全てのものより先にいそぐ
      (恋唄)

これらのやさしい詩句や短い文章のあたたかさと、激しい怒りと憎悪とのあいだに、わたしの19歳ころの一年はうずめられているだろう。

 ※     ※     ※     ※
 
それにしても、これからは、できるだけ頻繁にブログをアップしよう。内容や内実への自恃よりも、なにほどか、持続し呼吸することに、その呼吸の微細なまたは巨大な動揺の中に、「事の大小にかかわりなく」私の実体はある、のだろうから。

 ※     ※     ※     ※
 
吉本隆明著「読書の方法」斉藤慎爾解説 光文社文庫 743円+税

岡本かの子「食魔」2 「家霊」の食の哲学

2009年04月04日

大久保喬樹の編になるこの作品集は、岡本かの子の「食」にまつわる小説5篇と、主要なエッセイ5篇、小文18篇に、「夫」岡本一平の「かの子の記」の一節を収録している。

「いのち」を食う人間の宿命とマルクス自然哲学

小説「家霊」では、「いのち」という名の、どじょうや鰻を食わせる老舗料理屋が舞台だ。そこではかの子の「食」観が端的に現れる。  

  「疲れた。一ついのちでも喰うかな」
  すると連れはやや捌けた風で
  「逆に喰われるなよ」
  互に肩をたたいたりして中へ犇(ひし)めき合った。
     ――P12

「いのち」という名の店で売るものは「いのち」そのものである。ひとのいのちは、他の生物のいのちを我が物とすることによってのみ維持されるものだ。そして人間の食物であるいのちはまた、他の命を我が物とすることによって維持される。その次もまた…という食物連鎖の世界である。しかしそれは否定的に言い出されているのではなく、「肩をたたいたりして」食するものである。
たんなる仏教的な、厭世的な食物連鎖否定でなく、他の生き物の「いのち」を食べてようやく生きながらえ、最後には死して自然に帰るしかない、そのことによって他の生物にいのちを提供する、「有機的自然」となるほかない、というような人間のいのちのありようを肯定的に捉えているように見える。
そして、「逆に喰われるなよ」とは、無論、「喰われる」こともまた多いのだ、という人間の、特にその精神の宿業のようなものを象徴している。
ここで、マルクスの自然哲学を想起しまう。

  肉体的には人間はただこれらの自然産物のみによって生きていく、
  たとえこれらが食物、燃料、衣服、住居といったかたちで現れよう
  とも。
  〜略〜
  人間は自然によって生きていくという意味は自然は人間の身体であ
  り、人間は死なないためには絶えずこれとかかわりあっていなくて
  はならないということである。」
  (「経済学哲学草稿」第一手稿、『疎外された労働』

まさしく肉体的生命を維持するために、人間は他の自然を「非有機的(意思を持たない、または人間の外部の)身体」とし、そのことによって人間は自然の「有機的自然」となる。すなわち自然の一部として存在し、自然を越えることはできず、個体的にも類的にも最終的に自然に統合されてゆくものである。
マルクスはこれを、「人間と自然との係わり合い」「人間と人間との関係」の「類的本質」として取り出し、「この歴史のこの場で生きる情熱」をもって人間の生きる舞台である「社会」の分析と「革命」へ結びつけた。

食は直接に肉体的生命の維持にかかわるもので、そのことを自覚し認識することにより、私たちは「有機的自然」でしかない自らの生命を、自然の一部として認知する。そして食することの、人間としての本質にかかわる重要性を、自然界の様々な他者との関係性においてのみ生きうる、あるいは生かされる存在であることを知るのである。
岡本かの子はこれを、仏教的修練の中から「いのちを食べる存在」としての人間(生物)として、取り出し、「犇めき合って」食べるような現存性としてのあり方から、芸術的哲学に高めていく。
これを宿命とよぶなら宿命であり、仏教的生命観とよぶなら仏教的生命観であり、哲学とよぶなら哲学である。

精神の糧としての食

先代のおかみの時代からの客で、今は年老いた彫金師の徳永は「百円以上もカケを拵えて」、「いのち」から「飯つきのどじょう汁」の出前を断られようになる。すると店に現れては、老人の彫金の仕事の「仕方」を語り、どじょうを請う。もちろん代価は払えない。

  「わしのやる彫金は、ほかの彫金と違って、、片切彫りというので
  な。一たい彫金というものは、金(かね)で金(かね)を截る術
  で、なまやさしい芸ではないな。精神の要るもので、毎日どじょう
  でも食わにゃ全く続くことではない」

肉体のためであるだけでなく「精神」のために、どじょう、は要るのだ。
そして老人は熟練した仕事が芸にまで昇華した「仕方(型)」を示してみせる。

  老人は、左の手に鏨(たがね)を持ち右の手に槌を持つ形をし
  た。体を定めて、鼻から深く息を吸い、下腹へ力を籠めた。それは
  単に仕方を示す真似事には過ぎないが、流石にぴたりと形は決まっ
  た。柔軟性はあるが押せども壊れない自然の原則のようなものが形
  から感ぜられる。

  瞑目した眼を徐(おもむろ)に開くと、青蓮華のような切れの鋭い
  眼から濃い瞳はしずかに、斜めに注がれた。左の手をぴたりと一と
  ころにとどめ、右の腕を肩の附根から一ぱいに伸ばして、伸びた腕
  をそのまま、肩の附根だけで動かして、右の上空より大きな弧を描
  いて、その槌の拳は、鏨の拳に打ち卸される。窓から見ているくめ
  子は、嘗て学校で見た石膏模造の希臘(ギリシャ)彫刻の円盤投げ
  の青年像が、その円盤をさし挟んだ右腕を人間の肉体機構の最極限
  の土にまでさし伸ばした、その若く引緊(ひきしま)った美しい腕
  をちらりと思い泛べた。老人の打ち卸す発矢(はっし)とした勢い
  には、破壊の憎しみと創造の歓びが一つになって絶叫しているよう
  である。その速力には悪魔のものか善神のものか見判け難いある人
  間離れのした性質がある。見るものに無限を感じさせる天体の軌道
  のような弧線を描いて上下する老人の槌の手は、しかしながら、鏨
  の手にまで届こうとする一刹那に、定まった距離でぴたりと止ま
  る。そこになにか歯止機が在るようである。芸の躾けというもので
  あろうか。
      ――P20

ここには美しいかの子独特の動きや景物の描写と、芸術観が現れていて、興味深いが今は食に沿ってみて行こう。

店のものみなの視線を一身に浴び、「これを五六遍くりかえしてから」、「皆さん、お判りになりましたか」「ですから、どじょうでも食わにゃ遣り切れんのですよ」と、「芸」と「どじょう」が等価であるような、請い方をする。

  店の者は、快い危機と常規のある奔放の感触に心を奪われる。あら
  ためて老人の顔を見る。だが老人の真摯な話が結局どじょうのこと
  に落ちてくるのでどっと笑う。
   ――P21

一般には「芸」(=真摯な精神の活動)は高貴で、食べ物(自然との関係)は下等であろう。あるいは少し普遍的に客観的に芸は上部構造で、食は土台としての下部構造だろう。

だが「芸」のためには、どじょうが必要だ、という徳永老人の言い種は、それ(肉体の糧、としての食)だけでない、食と精神の抜き差しならぬ関係を、あるいはそのようなものとして現れる人間の姿を言い当てているように思われる。
すなわち、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる言葉によって生きるのである」、というときの、「言葉」の役割をも果たす、「精神の糧」として「食」は現れる。

「喰う」ことは「喰われる」こと

続いて別のある日、老人はまたしても現れ、どじょうと自分の身体との、また「芸」との、深い「関係性」を語る。今度は店が閉まったあとのひっそりしたくめ子一人の場に、である。

  老人は娘のいる窓に向かって座った。広い座敷で窓一つに向かっ
  た老人の上にもしばらく、手持ち無沙汰な深夜の時間が流れる。
  老人は今夜は決意に充ちた、しおしおとした表情になった。
  「若いうちから、このどじょうというものはわしの虫が好くのだっ
  た。この身体のしんを使う仕事には始終精のつくものを摂らねば業
  が続かん。そのほかにも、うらぶれて、この裏長屋に住み付いてか
  ら二十年余り、鰥夫(やもめ)暮らしのどんな侘しいときでも、苦
  しいときでも、柳の葉に尾鰭の生えたようなあの小魚は、妙にわし
  に食いもの以上のなじみになってしまった」
  老人は掻き口説くようにいろいろのことを前後なく喋り出した。
  人に嫉まれ、蔑まれて、心が魔王のように猛り立つときでも、あの
  小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと.頭から骨ごと少しずつ
  噛み潰して行くと、恨みはそこへ移って、どこともなくやさしい涙
  が湧いて来ることも言った。
  「食われる小魚も可哀そうになれば、食うわしも可哀そうだ。誰も
  彼もいじらしい。ただ、それだけだ。女房は大して欲しくない。だ
  がいたいけなものは欲しい。いたいけなものが欲しいときもあの小
  魚の姿を見ると、どうやら切ない心も止まる」
  ――いずれもP22

「決意」に満ちた老人は、どじょうというもの、への愛着を語りだす。感じを含む日本語のもつ豊かな語り口と映像的なイメージが印象深いここには、だが、老人に仮託されたかの子の人生の深い孤独と芸術への衝動と食のかかわりの秘密が、きわめて密度濃く、凝縮されたかたちで開示されている。

「わしの虫が好く」とは、味覚の、相当に純粋な生理的な段階の、美味との出会いである。(何もしなくても、生まれながらの人間に、好悪を判断できる味覚が育つ、とは不思議だ)
また「身体のしんを使う仕事には始終精のつくものを摂らねば業が続かん」とは、「生命力」をすり減らすような激しい仕事をしてまで生きる人間の、逃れられない宿業として「いのち」を食べるというような、ある意味で此岸的な、「いのち」と食についての宿命的な関係の観察である。どじょうは、すでに老人の「いのち」の中に食い込み、命の一部となって、それなくしては生きてゆくことが困難なものになっている。
まさに「喰われる」こともあるのだ。
いや、「喰われる」ように「喰う」ことこそ本来的であり、「喰う」ことによって自然を肉体化するだけでなく、精神にもなっていくし「いのち」そのもの、生きるちからの源泉にもなってゆく、という「食」を媒介とする自然と人間との関係の、現存的本質がここには洞察されているのだ。
マルクスは書いている。
「したがって、一つの対象的な感性的な存在としての人間は受動的な存在であり、かつ、彼の苦しみを感じる存在であるがゆえに、情熱的な存在である。情熱、情念は人間が、その対象に向かって精力的に志向する本質的な力、である。(「経済学哲学草稿」『第三手稿 ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判』)
マルクスが「本質的な力」と呼んだもの、「情熱」「情念」を、岡本かの子の「いのち」になぞらえてみるのは、そうかけ離れたことではない、と思う。

彼岸の「魔王の猛り」と此岸の「童女」のいたいけ

しかし、「そのほかにも」、とかの子は、いや老人は急いで付け加える。
20年のうらぶれた侘しい、苦しいことの多い生活の中で、どじょうは「妙になじみ以上のものになってしまった」と。つづけて、「魔王のように猛り立つ」心を鎮めるのに、どじょう(=いのち)を「骨ごと少しずつ噛み潰していく」にいたって、老人が、生理的な「食」の範疇を超えて、何事か形而上的な、尋常でないものをどじょうに感じ取っていることを思わせる。
(「ぽきりぽきり」と老人がどじょうを噛み潰す、残酷といえなくもない場面が音も聞こえるようで鮮やかに生なましい。)
さらに「いたいけなものが欲しいときもあの小魚を見ると、どうやら切ない心も止まる」と、告白するにいたって、どじょうはどうやら老人の芸術的衝迫の核心に触れるもの、のようでもある。
(「いたいけ」は「幼気」であり、幼くて愛らしくいじらしく「可哀そうな」ものであり、岡本かの子の中の「童女」を象徴してもいるだろうか。)

ここでは、すでに現実の此岸的世界にはとどまることができない心が極限的に、ひとたびは彼岸の「魔王」となって、しかし肉体化した精神と精神の一部となった肉体の現存性において、ふたたび現実の世界に、芸術性に昇華した「童女」に統合されて帰ってきたという、存在の不条理と芸術の不可逆な関係が語られているのだ。

彼岸からの芸術的帰還

人は外部世界との関係性を理解し始め、「現在ここにある、あるがままの自分」を認識し、そのうえで自立しなければならないと感じるとき、つまり青年期に人間の社会や個人の人生が不条理に満ちていることを知る。
それは夢見られる自分と現実の自分との、どうしても埋められない「差」、であるかもしれない。または他者の裏切りのような、または無慈悲な天災や戦争のような向こう側からやってくる不条理であるかもしれない。これらはもちろん、人間が必ず通過する青春期から始まる精神の困難である。(岡本かの子の場合はそれが自分の客観的な容貌を認識したとき、ででもあったかもしれない)
しかし、いかなる経緯を経て個人の意識にたどり着こうと、この不条理は社会的には「貨幣制市場社会」の成立に由来し、個人的には望むことなく(=目的もなく)出生し、自力では生きられない長い小児期を生かされた上で、いきなり自立を迫られる存在そのものの根源的な不条理であり、「いのち」の不条理である。
そのとき、人は非常な孤独に襲われ、他者との交通や、自分自身との一体感の不可能性を強く認識する。ときにそれは人を絶望のふちに突き落とし、自殺を択ばせることさえあるだろう。多く、そうした青年期の葛藤の中で、人は自分を諦めて、惨めに、社会や自分の現在の秩序にしたがって、生きていくことを強いられる。
現実の「向こう側」からやってくる「不条理」を人は芸術や、信仰に、または恋愛や日常のささやかな楽しみに解消して、現実との折り合いをつける。

が、そのような不条理を感じ取る感性の純粋度が高くあればあるほど、現実の秩序に狎れてずるく生きる実際の人の生きてある様や、知識人や権力者や富裕者の、つまりうまくやっている他者に対しての、さらにはそのように人を狎れさせずにはおかない「秩序」総体への、「違和」は「怒り」となりますます膨張してゆく。が、ついには社会の成り立ちや、個人の生存の不条理の本質的な、普遍的な水準にまで及ぶとき、それは自分にはないものを持つ「他者」や「秩序」への個別的な「感情」ではなく、それらを総体として包み込むある普遍的な水準の「秩序」、つまり「いのち」の不条理、に対する極限的な「魔王のように猛り立つ心」となって、「この個人」にあらわれ、此岸の現実とはどうあっても相容れないものになるだろう。
 ※それにしても、そもそも「魔王のように猛り立つ」心とは、尋常で ない。そしてそれが「食」によって癒されるとはどんなことであろう
 か。
 「嫉まれ、蔑まれて」、「魔王のように猛り立つ」心性は、もともと 感情の起伏の激しい、生命力の強い気質と考えられるが、それは、自 らを恃むこころが、向こう側からやってくる「嫉みや蔑み」が惹き起 こす、屈辱に堪えに堪え続けたとき、圧縮された空気がついには点火 し爆発するように、増幅された怒りとなって猛り立つ、であろう。
 (それは吉本の詩作品や論争での激しい怒りをも連想させる。)

「相容れない」かれはまたは彼女は、向こう側、へ行ってそのまま帰ってこないひとになる。
「向こう側」を覗いた人がそれでも、諦めず此岸へ帰ってくるとすれば、それは、吉本隆明のように「関係の絶対性」というような高度に抽象的な作業を通じての、自らの心性の「絶対化」を通じて、そのようなものとして、そのまま帰ってくるしかない。すなわち「魔王」の怒りを秘めた「童女」(吉本にあっては「拒絶された言葉」)として。

「童女」の性的・身体的現存性としての食

青春(アドレッサンス)に始まる精神の彷徨は、老人にあっては「芸」の躾のような「仕方」になって解消されるかにみえるが、不条理への怒りや憎しみをこめて、彫金に立ち向かう老人の、ときに「魔王のように猛り立つ心」を静めるのは、「骨ごと」どじょうを(=つまり「いのち」を)「噛み潰して行く」ときである。言い換えれば、「いのち」を食うという「食」の行為を媒介として、「自然を人間の非有機的身体」(マルクス)とする自然存在としての人間の「類的普遍性」にまでいたることで、芸術的な感性も、身体的な現存性も渾然と一つになった「自然」の中に「違和」を解消してゆく、という食を媒介にした独特の自然哲学が語られているのだ。
よりよく「いのち」を味わい、この不条理をそのまま取り込み、内部化してゆくことだけが、「いのち」の食物連鎖を正当化し、さらには「いのちの不条理」をそのまま現実への武器に、「小説」に転化する根拠にさえなりうる。
それは本質的にはマルクスの言う自然哲学そのまま踏襲し、芸術的自己表現にに転化することのように見える。マルクスとの違いは、かの子が「いのち」の発現のしかたを、市民社会に生きる人間的普遍性にではなく、精神世界の中の性的で肉感的な現存性(感性的芸術的な普遍性)に求めたこと、だけのように見える。

岡本かの子にあっては、美への執着や青年期の奔放な性的彷徨となって現れた青年期の違和が、その後、夫・岡本一平の裏切り的な遊興と、奇妙な家族共同体的共生によってさらに増幅され、文学(短歌)、キリスト教、仏教の修練、3年間のヨーロッパ滞在という30年もの時を費やして、最終的に「童女」として自らの心性を凝縮して、すべてが「小説」に投入されたような、わずか3年間の執筆生活に表現されるというプロセスにも似ているであろうか。
そして彼女は、同じく、そのプロセスの中で「いのち」を食う食物連鎖のなかの自然存在としての人間を、「ぽきりぽきりと頭から骨ごと噛み砕く」肉感的な、現実的な、現存性(ただの生き物)として還元しあたかも、無辜の「童女」のように、「大乗仏教」的に大肯定したであろう。
「食」と「性」と「肉感的自然」とは「童女」において限りなく近づいて、重なり合っているようにさえ見える。
  
  ※     ※     ※     ※

岡本かの子著大久保喬樹 編
「食魔 岡本かの子食文学傑作選」
講談社文芸文庫
2009年2月10日第1刷 1470円

岡本かの子「食魔」1 予備的に―吉本隆明の「岡本かの子」観

2009年04月02日

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岡本かの子の4つの絡み合った深さ

2月に「食魔 岡本かの子食文学傑作選」が講談社文芸文庫からでた。
すぐに見つけて読んでみた。とても魅力的ですぐに引き込まれてしまった。その深々と広がる読後感は一種簡単には言いようのないもので、
すぐに読後感を書きとめておこうと思ったが、どこから書いても思ったより深く、長くなりそうで、書き始めることができず、ほかの計画を遅らせてまた読んだ。2度目を読了して、自分の感じていたもののいくつかの事柄がおぼろげながら焦点を現してきた。

わたしは、@細密で粘着力のある、しかしどこかに清々とした描写力にまず惹かれ、つぎにA食と自然についての哲学の鮮やかな提示に感じるところがあり、また「美食学」について気になり、そのつぎにB芸術にかかずりあって生きるこのひとの「性(しょう)」というものに、Cさらにはその「芸術」的な衝迫力の核である怒りのような憎しみのような感情、に引っかかったようだった。
そのどれも、岡本かの子その人についてもっと深く知らねば、ちょっと書きにくい、というようなものであった。
しかもそれらは、互いに絡み合ったような別の一つのものように現れてくるのである。もちろんそれらは渾然としているがゆえに味わい深いのであるが、それでももう少し分解してしまいたい、と思ってしまっているようなのである。

吉本隆明の岡本かの子観

岡本かの子は、吉本隆明が、ごく初期にも触れているので、学生時代から、きっとすごい作家であろうとは思っていたが、どういうものかまともに読んではいなかった。
また新潮文庫に収められた「日本近代文学の名作」でも明治以来の24「名作」のひとつとして「花は勁し」を取り上げている。その中から岡本かの子への言及を抜粋する。

1 最終的な評価
岡本かの子は、日本の文壇史の圏外にあるようなひとだが天才的な小説家であったことは間違いない。女性の作家としては、日本近代文学の中で最も優れていると思える。P173

2 仏教者としての岡本かの子
仏教、それも法華経の信者で〜略〜、観音経の協議に基づく宗教者としては一宗をなすほどの研鑽の深さを持っていた。小説も仏教の影響が強い。例えば、仏像に性がないことは、仏性、普遍的な性を示しているだろうが、岡本かの子の恋愛小説でも、性は性行為や成功の意味では描かれずに、「生命力」のぶつかり合いや和合として仏教的に理解される。P173

3 岡本かの子の「生命力」論から来る恋愛観
日本の文学史の中でも、こういう特異な作家はあまりいない。谷崎や川端などの日本的といわれる作家は恋愛を自然の季節の移り変わりと同じように考えたが、それは、古典時代から日本の文学の根本にある考え方だといえよう。〜略〜男女の『和合』や破局は両者の「生命力」の大きさの違いによるという人間観、男女観を岡本かの子は持っていた。P174

4 仏教観に基づく描写力
人間の性格や生活の仕方についても、仏教で言う五輪、「地水火風空」で考えているところがある。小説の中でも「自分が乞食のように放浪しているのは土の性(しょう)だ」「水の性なので河や海に惹かれる」と登場人の性格を表現したりする。知識として盛り込まれているのではなく、小説自体が仏教的な認識で貫かれていたのだ。(仏教をベースに「自己」が形成されていたのだ)しかも、そうした考えに基づく登場人物の性格などが実に見事に、感情の流れを描きながら豊富な形で結実している。
 高速度撮影した映像を普通の速度でまわすととてもゆっくりした映像が得られるが、そのような刻々とかわってゆくものの描写をよくする文体になっている。これらのものを相絡ませると、この作者の小説は類例がない完成を創り出している。P175

5 岡本かの子の表現の構造
岡本かの子の場合は、仏教的な生命の流れの雄大さが根本にあり、その上に個々の男女が持つ「生命力」と「性」のふたつの組み合わせによって作品ができている。日本近代は西洋の模倣から始まっているが、それとまるで違って、しかもモダンな近代という時代をきちんと描いている。P177

吉本の岡本かの子に対する接触のし方、取り上げ方は、ごく「素(す)」の感じで好きだ、というような、親愛をこめた友人知己(例えば大学時代からの盟友だった故奥野健男)に対するような、ごくざっかけない、といった触れ方である。
しかも文学的にきわめて高い、ほぼ最高レベルの評価をしていて、その文面には畏敬の念が漂っている。

「食魔」からは、上記の4の描写力はすぐに感じられるが、他の点についてはあまり感じられない。
寄り道はこのくらいにして、作品にそくしてみていこう。
(つづく)

  ※     ※     ※     ※

岡本かの子著大久保喬樹 編
「食魔 岡本かの子食文学傑作選」
講談社文芸文庫
2009年2月10日第1刷 1470円

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