鳩山辞任〜国民国家はどのように廃棄されるか

2010年06月03日

近代国民国家体制廃棄への「率直で力のある」自爆
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昨日、鳩山首相が辞任表明した。
辞任表明演説では、その原因となった事態は、
1 国内支配共同体との差し違え(政治と金の話)、
2 世界市場システムへの拙速な反抗(普天間移設の話)による地域主権主義の自爆
の二つであった。
演説は、論旨明快、率直で力を感じた。

率直さはこの人らしく、時に政治的実務的な拙劣に直結するのであるが、清冽さは捨てがたいものを感じる。力は、現実の政治過程の諸関係が強いる不本意や口に出せないでいたこと、すなわち小沢・鳩山の資金問題と普天間基地移設問題にまつわる「思い」をさっぱりと口に出したことの自分らしさへの確信がもたらすものであろうか。

思えば、「政治と金」問題についての対処がすっきりしないままで推移してきたのは、鳩山の唱える「クリーン」な「倫理」が、本人がいかに真剣に理想を目指そうと、その出自からして、経済的に拠って立つ基盤は結局国内支配共同体であり、いわば「同じ穴の狢」であることを免れないと言う悲劇的自己矛盾を自ら際立てて証明してしてしまっていた。また鳩山が拠った対抗思想も対抗勢力の実態も脆弱で非力であることを示している。
最後に力を振り絞って、もっとも身近な支配共同体勢力であり本来やめて当然の小沢一郎と、それも敢えて刺し違えたように見える発言に「理想」を口にするものの矜持が最後の一刺しの微力となって現れた、と言うべきか。

「普天間問題」は世界市場システムを軍産複合体制で貫徹しようとする近代世界資本主義=市場主義の力を、拙劣にも勘違いして、地域主権の論理(人間の生活のために生存共同体の利益が優先されるべきで、地域生存共同体が持続するために、その範囲内で世界市場体制は維持されるべき)を対置した、「狂者ドン・キホーテ」的な突進であったが、軽くいなされて倒れてしまった。あまりに非力な実体をわたしたちはあらためて認識させられる。

そもそも2009年総選挙における民主党のブーム的勝利は、近代市場社会の資本の自己増殖論理を支える支配共同体の枠組が解体しつつあることの大衆的表現であっただろう。
鳩山政権は国内支配共同体解体の象徴であり、なお残存する強固な市場社会と市場拡大勢力に対する弱小非市場化勢力のきわめて微妙で繊細なバランスの上のトリックスターのようなものであっただろうか。
政権の崩壊は、その危険性についての認識を欠いた、あまりの率直な態度とあまりに弱小な力のアンバランスが招いた自爆であったと言うほかない。

固体の近代=国民国家体制から政治的国家の死滅へ

資本の自己運動は、産業化推進のため「国家」による監視・システムを有効に活用した。
資本は、本来的に国家を土台に世界市場を形成し拡大してきた。
国家は資本の庇護者から支援者に変わり事実上一体のものであったが、
本格的な世界市場の形成<グローバリズム>からは、世界市場は国家の「庇護」や「支援」を「規制」ととらえ、国民国家の利害と資本の利害は一致しなくなってきた。

資本は国家から離陸して世界市場経済に所属している。
そして、時に、その本来的な自己本位さのために「地域経済」や「国民経済」に、したがって「国民国家」とも、敵対することさえあるのだ。
市場化システムの推進者としての国民国家は、軸足を、本来の使命である市場システムの推進から、地域=生存ためのシステムまたは共同体の持続へと移すほかなく、監視者・支配者の地位から取り除かれ、解体されつつあると言わねばならないだろう。
(ここでは、アメリカだけが強い市場原理主義勢力=軍産複合体が軌道修正しながら、なお市場システムを推進する監視者・支配者として行動しようとしているように見える)

普天間問題で際立っていたのは、その進行の拙劣さとともに、首相が沖縄県や徳之島の自治体に(現在の仮想の地域主権者に)、「依頼」したり、結果として「謝罪」したりする姿勢であった。
「成田」の時に、こんなことは考えられないことであっただろう。「成田」の時には国民国家は、「合理的に」有無を言わさず強制収用手続きを進め、国家の暴力装置を「合理的」に使用し、成田―三里塚における生存=地域共同体は惨めに踏みにじられ、解体された。
「法は支配者の法」であり、国民国家が地域共同体の敵であることを鮮明に示したのであった。
もちろん支配共同体の政治セクターたる政府が「依頼」したり「謝罪」したりはしなかった。

今回の鳩山の「地方優位」という姿勢は、なにがしか、時代の変転を感じさせる、いままでになかったものだ。

これまで、国家の利害がもっとも大切で、地方は国家の利害のために、国家の指揮にしたがってきたが、しかし国内においては、すでに生存-生活を保障するシステムとしての「地域」の利害がもっとも大切だという事態になりつつある。


資本は、市場化された地域では、すでに国境を越えて、諸「国民国家」の「規制」を脱出して「世界市場経済」の拡大にいそしんでいる。その先端で残り少なくなってきた地球上の非市場化勢力(イスラム、北朝鮮など)との抗争を主導しているのがアメリカ軍産複合体制である。
今日、軍事・外交などにおいては世界市場を主導するアメリカのもと、「市場化社会」勢力として統一されつつあるところの、ニホンなどの市場内地域では政治的国家は主体性を失い「死滅」しつつあり、社会保障主体の「地域政府」化しつつある。
政治的「国家」は現実には、世界市場システムを主導するアメリカ軍産複合体制が、一手に担おうとしている。

ここでは諸「国民国家」は、すでに、主体ではなく「地域」に対する従属的なしかし、いまだ強力な支援者である。すなわち、「国家」は主権者としての「地域」の生存-生活保障システム(それはまだ建設、または再建に着手された段階であって、まことに未熟・微弱といわねばならないが)に従属し、それら主権者が協働してしてゆくための支援システムである。
したがって国内「政治」というものは独立したものとしては消滅しつつあり、少なくとも、「政治」を国家権力をめぐる駆け引きや術数であると理解する旧来の「政治」は最早存立基盤を失っている。

(もちろん単純な共同体主義で事はすまないのであって、そこでは生存保障と自由との深遠にして困難なせめぎ合いが展開されてゆくのであるが)


     ※     ※     ※

しかしながら、今回の辞任演説の中でも、鳩山は「国難」ということばを使っている(一方で「地域主権」と言いながら、である)。
「国難」はアメリカ政府に対して、交渉力の極端に微弱な「関係」をさしていよう。
今日でも国家が自国資本を庇護または支援して国家どうしが自国資本の市場拡大を競っているという幻想が生き残っている。

世界化しつつある市場社会の中で、役割を終えて解体されつつある(ニホンなどの)「国民国家」の残存支配共同体は、なお「国際関係」の舞台では、政治的「国家」を僭称して、政治的「国家が」最大の利益誘導者であるかのように振舞う欺瞞(個人や地域との逆立性を露出した共同幻想であること)を強いられているのである。


生存―生活保障のために「相互―生存―単位」としての地域的・非地域的コミュニティの建設、さらに「協働社会」へ

今日、市場社会によって分断され孤立した個人が、生存と生活を保障する事の可能な強い「相互―生存―単位」を地域的共同体に、または非地域的コミュニティに構築してゆくことが最優先の課題であるように見える。それは生存―生活を保障する主権の最小単位であって、かつ最終単位である。
さらには地域間、コミュニティ間の協働組織たる広域協働組織、それらの日本語文化圏内(日本市場圏内ではなく)における協働組織としての文化圏協働体が、生存―生活保障の「主権的担い手」たる単位コミュニティや単位地域を支援する生存―生活保障国家が実体として構築されてゆくと思われる。

今日の隙間のない「世界市場社会化」がもたらした事態に、その事実をはっきりと認識し、非市場的な「生存ー生活」の場を「協働社会」として対置してゆくこと。

人間の歴史に、大文字も小文字もありはしまい。そのように見えるのは「歴史」が国民国家のものだという錯誤から来る言説に過ぎない。

わたしたちは、自然との絡み合いの中で基本的に自らを異和として、ようやく普通に認識できるようになったに過ぎないが、すでに、市場と共同体が絡み合う次代の、また今後しばらくの「社会」システムの構築が始まっている。

■藤本敏夫著、加藤登紀子編著「農的幸福論 藤本敏夫からの遺言」その1 68年の最高潮と最深部の「良心」

2009年10月29日

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藤本敏夫は68年7月三派系全学連委員長になり、60年代後期の学生叛乱の最高潮期を担ったが、実質的に主導したとはいえないだろう。藤本は党派的世界には無関心な、ある意味68年の無垢な良心のような人であった、だろう。
赤軍派の塩見孝也は1941年生れ、戦旗派の荒岱介は一年下の1945年生れ、でいずれもノンセクトラジカルをになった68年全共闘世代(団塊の世代)の直前に位置する人たちである。
私が大学に入り東京へ出てきた1973年ごろ、藤本敏夫は「加藤登紀子の夫」として名を知られていたが、「遅れてきた」私たちにとっては、はるかな前世代の人で、「別な世界」へ行ってしまった人であった。

68年10.8の羽田闘争や10.21のブント防衛庁闘争などで11月7日逮捕投獄後、69年6月16日保釈後、69年7.6ブント分裂(赤軍派の結成―ブントの分派闘争)の大ゲバルトに接して運動から離脱。長崎県平戸に逃亡? その後新左翼政治運動とはほぼ絶縁していたといってよいであろうか。
1972年4月実刑判決、5月獄中で歌手の加藤登紀子と結婚、この人の特異さがよく出た結婚。
76年「大地を守る市民の会」(その後「大地を守る会」と改称)を設立、会長に就く。77年株式会社大地設立、社長に就く。
1981年千葉県鴨川市に移住。「似非百姓」として農業を試み「鴨川自然王国」設立。
1992年「希望党」をつくり参院選出馬。99年農水省諮問委員「持続循環型農業」を提案。
2002年5月農林水産大臣に「建白書」提出。7月31日死す。58歳。

セクト化する新左翼運動をみてさっさと絶縁し、独力で思考をかさねて「自然」にまで解消される人間の深みにまで立ち返り、そこから立ち上がろうとした、その足跡は、「自己否定」の精神を貫徹したという点で68年の良心そのもの、と言ってもいいかもしれない。
あるいは68年の良心的現実派の非凡だがそれゆえ凡庸な現実態、とでもいうべきなのか。いいや、私に、評価がましいことをいう根拠も権利もなにもない。生きることより、生き方、が大事なのだ。「生き方」は定立しないものであり、評価を拒むものだ。評価を超えるもの、であるかもしれない。
わたしたちはみな、そこへ行こうとしているのかもしれない…。

1971年ころの藤本の「自然」や「自然と人間」についての認識は、すでに40年近くを経てみると、現在のわたし(たち)の理解を先取りしている。感嘆せざるを得ない。
そのころの藤本敏夫に会えていたなら…、と自堕落な自分の経歴を情けなくも思ってみたりする。
しかし、1992年の参議院立候補や、2002年の農水省への「建白書」などは暗澹とした気持ちにさせられてしまう。一体そんなことに何を期待していたのだろうか。
農水省にも農協にも、個人的に話せば、話が通じるような気になる人はいる。私も1983年ころ、うっかり「野菜の日」なんていうイベントを農水省後援でやろうとしたことあった。
(結果は思想的には無論、経済的にもさんざんであった。それにはこちらにも、未熟という要因があったことももちろん含まれるが…)

個人的には「良い人」であっても(人間はよほどのことがない限り個人的には「良い人」であるほかない)国家権力を背景に、「補助」や「推進」を考えた瞬間に、人は「国家」を僭称する。「行政」である瞬間に人は個人を裏切らざるを得ない。(「資本」や「利益」を背景にしても同じだ)
ましてやこのクニの「農」の特殊性を慮るに、国家権力は徹底して「農」から否認され、徹底して自己否定するという通路を経ずして、「農」に出会うことはできないのだ。逆に「農」は徹底して国家を否認し尽くすところにしか自身を明示できない。
藤本ともあろうものが何故…と思ってしまうのは、田中清玄や今西錦司への傾倒も含めた、そこのところだ。

藤本敏夫という、68年をその最高潮で担い、最深部で受け止めたであろう、「68年の良心」とも呼びうるすばらしい実践者にして思想者について、できうる限りで、今のうちに、考えておきたい。
(わたしは高校2年生ころ=1971年ころ、初めて自分で高価なLPレコードを買ったが、それは加藤登紀子の「美しき5月のパリ」であった)

     ※     ※     ※

藤本敏夫著、加藤登紀子編著「農的幸福論 藤本敏夫からの遺言」角川文庫15671 2009年4月25日705円+税

目次
まえがき 加藤登紀子 6
第1章 人間はこの時代に生きられるのか
    生産力という神話 12 
    自然の破壊 23 
    人間の破壊 36 
    われわれは何に立脚するのか 56
第2章 農的幸福論
  T 21世紀型ライフスタイル『農的生活』 72
    消費者から生活者へ、そして農的生活へ 72
    共同体とは人間と社会と自然の生活の流れ 74
    どの職業にも「専業」はなかった 77
    自己能力の開発の実感 80
  U 自然王国の自給ごっこ 84
    自然王国の農林省 84
    大豆を国王の座に 88
    厳粛な儀式 93
    「食」の本当の意味 99
    田んぼ奮戦記 104
    草取り隊の総括 109
    稲刈りの充実感 112
    鴨川の共同態 115
    村の夏祭り 121
第3章 僕の少年時代は幸せだった 
    「現場」に聞け 128
    貧困と幸福の幼年時代 145
    少年時代の儀式 160
第4章 藤本敏夫が残したもの 加藤登紀子 188
第5章 農村回帰の時代 対談 甲斐良治vs加藤登紀子 236
あとがき 加藤登紀子 259
藤本敏夫 年譜 263





救われざるものとしての「使命共同体」〜理念と現実の避け目の深さ ■小田桐誠「巨大生協の試練と挑戦」三一新書1994年3月31日

2009年10月21日

いささか古い本なのでどうかと思ったが、今日でも本質的にはそのまま問題意識が生きている。ありがちな賛辞だけのちょうちん本かとも思ったがそうでもない。また新書なので、軽い現実的ルポかと思ったが、読んでみたら「生協」を運動として、経済体として内部関係者への取材をとおして、生協というものの根本的な課題をまじめに扱っている結構深いルポだった。

歴史も総覧し、周年事業も総覧しながら、多数の現場スタッフを含むインタビューを織り込みながら、「現在」を析出してゆく。
賀川豊彦の友愛主義と、奈須善治実業家精神という「理念」に始まったささやかな「購買」の協同意思が、組織化し巨大化して灘神戸生協からコープこうべとなり、150万会員を抱える巨大生協となって、行政をしのぐほどの影響力を持ってしまう成功の歓びと戸惑い。そして理念性・急進性を弱め、現実肯定的、妥協的、穏やかにならざるを得ない現実。

「生協運動は本来組合員に依拠し、民主的運営を貫徹することが何より大切であり、組合員組織の充実こそが生協発展の基礎であることを意思統一しました。つまり、組合員の願望やエネルギーをいかに汲み取り、生協の日常運営に結合させるかということでです。その主体的力量を基礎に商品政策、店舗政策を検討することが大切であり。この基調を軽視して経営戦略的観点でビッグストアの進出に対処したり急速成長を考えた場合には、かえって本末を転倒して、生協運動を危機に陥れることになる」p293 1970年日本生協連の総会「結語」

ここには運動としての生協の、だけではなく、すべてこの社会の運動というもの、もっと言えば共同性というものが必然的に、孕む矛盾と困難が映し出されている。
「主体的力量」とは、個が結集する力である。原生的共同体が解体したあとで、力を振り絞って生存の困難から脱出し、自由意志で結集する力である。相互扶助であり生存のための共同性への参加である。

「生協」の初発の理念や思い(幻想)と、現実には組織原理で自分を縛ることになる共同幻想の呪縛(現実)とのギャップ、距離、裂け目に、試行錯誤しながら自分で自分を作り直してゆく巨大な氏名不詳の存在体、すなわち亡霊のようなものとして日々自己革新し自己を更新し続けなければならない、理念運動体の自己矛盾的存在様式。
当事者は、日々の「現実」のなかで、実務的な課題を実務的に処理しつつ、その強い風化圧力の中で、現実から理念的な課題を問われ続け、「日常」に深々とひろがる裂け目を、「救われざるもの」として生きるもの、なのだ。

※個人的には生活クラブ生協の共同購入主義、思想主義との比較検討をした部分が収穫だった。

     ※     ※     ※

■小田桐誠「巨大生協の試練と挑戦」三一新書1994年3月31日900円294頁

目次
プロローグ 日本の生協の縮図としてのコープこうべ 5
第1章 マンモス生協の七十周年と記念事業 9
第2章 あらゆる業種・業態を網羅せよ 45
      ――業態多角化の現状
第3章 社会福祉法人に結実した生活文化・福祉活動 95
第4章 購買さんからコープさんへの七十年 133
第5章 安全・安心の砦は機能しているか167
第6章 地域分権の壮大なる実験 199
      ――コミュニティの一員としての活動 
第7章 好対照!? 生活クラブ生協から見たコープこうべ 217
第8章 巨大生協の舵の取り方を問う 255
      ―連続トップインタビュー
エピローグ ニッポンの機関車生協は迷走しないか 275

■内橋克人「共生の大地 新しい経済が始まる」〜今日なお示唆的な提言と先駆的事例〜「使命共同体」と「多元的経済社会」

2009年10月21日

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「匠の時代」で知られ、小泉政権の市場原理主義=新自由主義への警鐘を鳴らし続けて名を上げた「良心的」経済評論家内橋克人の本。
1994年に日本経済新聞に連載され、1995年に出版されたもの。当時は1991年のバブル崩壊後の一時的な相対安定期だが後に「失われた10年」といわれる時期の真っ最中であり、不良債権問題による銀行危機・金融再編の前の時期である。

内橋は「使命共同体」というパラダイムと、その帰結としての「多元的経済社会」という考え方を提言する。
「使命共同体」とは、「同一の使命(ミッション)を共有する人々の、自発的で水平的な集まり」であって、生協やNPOなどのような利益を目的としない、資本主義に対する「市民の自衛・対抗勢力」をさしている。

「多元的経済社会」とは、利益主義の資本主義の「企業内有用労働」の一元的経済社会に対して、利益主義でない「使命共同体」のような「社会的有用労働」による経済活動をもう一つの重要な要素として併せ持つ社会である。

筆者はたくさんの萌芽的事例に、時代の行方を語らせているが、ここで語られていることは、まるでその後の市場原理主義による金融資本の暴走と破綻を見通しているようであり、今日の地球環境保全のエコ経済や、NPOの活発化や民主党政権の「脱官僚依存」政策、を予言もしていて、今もなお十分示唆的である。
そして、筆者の「予言的提示」は、先に取り上げた、大江正章「地域の力」(岩波新書2008年2月20日)などに引き継がれ、いまや現実のものとなりつつある、だろう。

(たくさんの先駆的事例の一つとして、失敗に終わったが、柄谷行人のNAM(New Associationist Movement)を主導的にになった、フェアトレード(自分だけでなく、相手の利益も考える「公正価格」を実現する)を主張し実践する潟vレスオールタナティブが取り上げられているのは、筆者の観察の鋭さでもあり、主張はしても実践することの困難な「使命共同体」の現在を象徴してもいるだろうか……)

叙述は達意で無駄がなく、論旨は明快、大変もっともではある。が、多くの事例を取り上げるせいか、週刊誌的な簡潔な叙述によるものか、「事実の紹介」の足早な駆け足の連続で、もう一つ思想的に、また、事実のディテールにおいても掘り下げがほしいようにも思われる。

(対象の「内部」にまでせまり、入り込み格闘することを通じて、対象のその自己との関係性を、自己にとって切実な課題として「内在化」してゆく衝迫がないから、表面を軽くなぞっているような「軽さ」を脱出できない、というコトバの水準の問題である。ここではそのような観点は除いてもよいか、と思ったが、やはり、そうは行かないように思われる)


※     ※     ※

■内橋克人「共生の大地 新しい経済が始まる」岩波新書1995年3月20日第1刷2007年2月15日第25刷

目次
1 「使命共同体」のパラダイム 1
  1協同の思想 2
  2資本・経営・労働を一体化する 9
  3自然に向けて住まいを開く 17
  4中小企業を支える精神 25
  5労働者協同組合 33
  6働きがいのある仕事を起こす 41
  7顔の見える国際協力 49
2 「辺境と周縁」の条理 57
  1丹後ちりめんの危機 58
  2過疎に挑む「童話村」 66
  3技術革新の逆説に撃たれる 74
  4町工場から強力達人集団に 82
  5国境をこえる泉州織物 90
  6活性化の道を探る「生活の町」 98
  7地域産業の原点を問いなおす 106
3 「実験的社会システム」の旗 115
  1再生可能エネルギーへの転換 116
  2市民協同発電方式へ 123
  3車を迂回させる街 131
  4コンソーシアムで問題解決をめざす 139
  5エネルギー・アウタルキーへの挑戦 147
  6社会コストがエネルギー転換を迫る 155
  7官主導の政策に限界 163
4 「政策と合意」のはざま 171
  1行政の壁に風穴をあける 172
  2公共事業シェア変動せず 180
  3“たなざらし”にされる議員立法 187
  4特殊法人存続に意味はあるか 195
  5国際舞台にNGOの力拡大 203
  6市民排除の政策決定がリスク生む 211
5 「多元的経済社会」への道標 219
  1社会的有用労働の活用へ 220
  2NPOが地域を活用する 228
  3ゼロ・エミッションへの挑戦 240
  4よりよく生きることを支える社会 248
あとがき

■大江正章「地域の力―食・農・まちづくり」3 「食農同源」・地域共生経済への強い意思 

2009年10月13日

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本書に帰ろう。

第1章「開かれた地域自給のネットワーク」で最初に取り上げる島根・木次乳業の事例は、広汎な広がりを持つ成功例として大江が重視し高く評価しているようだ。
木次乳業の取り組みは「工業的」乳業・牛乳への疑問から、「乳業」というものを捉えなおすことで始まった。
そして「風土プラン」という近隣食企業の啓発、オルグ、地域共生思想による同化活動で、製麺機開発に有力な製麺企業・出雲たかはしや、こだわり型の製茶業・桃翠園、西製茶所、国産菜種だけを使う影山製油所といった、高品質事業者を生み出す。 

さらには「食の杜」という「食」を通して「世の中を変えてゆく」ことを、語れるような「食」の事業者の拡大を目指す。農用地を造成することに始まり、住民15人出資による室山農園、レストラン併設ワイナリー、葡萄畑、国産大豆100%の手作り豆腐工房、国産小麦100%のパン屋など絶対的な品質の実現をとおして、多くの自立的な高品位な食事業を生み出し。雇用にも貢献し「地域の力」となりつつある。
ここには、食の複合事業体的なネットワークを通じて既存の社会システムに対抗する意思がある。

第4章「地産地消と学校給食」では、行政主導で『「食」を媒介に自立を目指す街づくり』の様子がレポートされる。愛媛県今治市は20年前、「有機農業」も「地産地消」もまだ市民権を得ていなかった「バブル」時代の1988年に「食料の安全性と安定供給体制を確立する都市宣言」を行い、1998年には「安全な食べ物による健康都市づくり戦略」を打ち出し、販売・生産両面において、広汎な市民参加を求めた。生産においては「安全な食べ物を耕そうとするすべての市民を担い手と考え」、農業講座等により新たに133名の新規就農者=農業の担い手を生み出しているという。
クニ=農水省が行う「規模による」選別の論理とは無関係であり、むしろ相反する行き方だ。
また「学校給食はまち作りの核」とされ、「一括調理」の給食センターを排して、学校ごとの個別調理とし、市内で栽培奨励される有機農産物を優先して使う。野菜の市内産使用率は39.9%(2007年)、米については100%、さらには定年退職者によるパン用の小麦生産も始まり2007年には54ヘクタールまで作付け面積を拡大し、給食の大半をまかなうまでになった。給食は地産地消の核として雇用も生み出しているようだ。
また、あわせて取り組む有機栽培や地産地消の生産者交流や体験学習効果もあって、児童たちの食べ残しは毎日20kgあったものが3kgへと劇的に減ったという。
同様の取り組みは東京都日野市や福島県喜多方市と合併した熱塩加納村、などでもすすめられている。
「地域」において、食べることと農業、は一体であり(したがって当然にも、食べる人と農民も!)、さらに生産や販売に市民が参加することで地域食農コミュニティが形成されていく。
ここには、食の高品位化と自給圏的な地域のまとまりを目指す共助的コミュニティへの意思がある。

第5章「北の大地に吹く新しい農の風」では、全共闘運動、特にその中の「自己否定」思想の契機を通じて、社会の一員として商業性をも追求し、積極的に畜産農業を展開するに至った本田廣一(興農ファーム)を取り上げる。
本田は獄中での日々の中で、自然のうちにあって、自然との相互性として存在する「いのちの天性」という人間のまた自然のあり方に思いいたしてのち、「農業を機軸とした学校」の創設を目指した。「農業」ではなく「学校」である。
ここには思想を「自給自足」への解消でこと足れりとする、の自己満足的自立主義でない、「普遍的農業」への意思がある。

本田は、自ら、世界市場に立つ農民として振舞おうとする。
「ただ、農産物はきっと自由化されると思った。アメリカに負けないためには、ある程度の規模を持ち、集約的かつ多様なな農業をやらなければならない」と考えた本田は、沖中士・ちり紙交換をやり、さらには清掃会社を買い取り6年ほどで2500万の資金を作り「アイヌが集落の条件とした、海と山と川がある」北海道標津(しべつ)町に45ha(代金は3600万、不足分は国の融資)の農地を買った。ここまででも相当すごい。
運動仲間の2家族と個人1名で「興農塾」として入植、抗生物質入りのえさを拒否する有機農業、有機畜産にこだわった。何度もの苦難を味わい、現在も模索は続くが、農地は120ha以上に広がり肉牛から養豚、加工食品、寒冷地に適した野菜作りなどに事業を広げ、30人に近い雇用も作り出している。

第8章「市民皆農のすすめ」は、「すすめ」の段階の素材ではあるが、その本質性において、大江の思想をもっともよく表現しているように思われる。
練馬区は農家が耕作プログラムを定め、市民に道具や苗を提供し、耕作ノウハウや技術を教えまた市民が農家に協力もしながら作物を作る体験型市民農園をすすめ、農家には一口(30uほど)につき1万円ほどの「補助」を出す。2007年で12の体験農園に1300余区画を確保するようになった。利用料金は区民なら3万1000円ほどで、いわゆる土地貸しだけの市民農園の数倍から倍ほどの価格だが、毎年平均3倍ほどの申し込みがあるという。参加する市民は、減化学肥料、減農薬栽培の指導や、自分の畑からの収穫、さらにはともに耕作するもの同志のコミュニティなどに満足しているという。
行政であろうと、民間であろうと、「市民皆農」への入り口をこじ開けることに意味があり、市民が農に参加する場面さえ作れば、失われていた地域の新しいコミュニティが育ってゆく、という強い意思がある。

     ※     ※     ※

この本の中には、各地の地域に息づく自立共生的な試みの息吹が詰まっているが、それらを貫く大江の強い意思、地域から、ローカルから「食農同源」に根ざして地域が共生する経済を、なんとしても作り上げよう、という強い意思が立ち上がっている。

     ※     ※     ※

目次
第1章 開かれた地域自給のネットワーク  1
  ―島根県雲南市木次町ほか―
第2章 商店街は誰のものか  27
  ―兵庫県相生市・三重県四日市市・東京都足立区―
第3章 これがほんまの福祉です  47
  ―徳島県上勝町―
第4章 地産地消と学校給食  71
  ―愛媛県今治市―
第5章 北の大地に吹く新しい農の風  97
  ―北海道標津町ほか―
第6章 四万十源流発、進化する林業の現場から  121
  ―高知県梼原町ほか―
第7章 公共交通はやさしい  147
  ―富山県富山市・高岡市―
第8章 市民皆農のすすめ
  ―東京都練馬区・神奈川県横浜市―
あとがき  197

■大江正章「地域の力―食・農・まちづくり」その2 地域は「共同幻想」を解体して「いのち」の循環共同体へ

2009年10月11日

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閉鎖共同体=伝統的農村共同体は「開かれる」

たとえば、このような記述を思い出す。

  「ウチ」「ヨソ」の意識が強く、この感覚が先鋭化してくると、ま
  るで「ウチ」のもの以外は人間でなくなってしまうと思われるほど
  の極端な人間関係のコントラストが同じ社会にみられるようになる。
  知らない人だったら、突き飛ばして席を獲得したその同じ人が、親し
  い知人(特に職場で自分より上の)にたいしては自分がどんなに疲れ
  ていても席を譲るといったようなこっけいな姿が見られるのである。
  実際、日本人は仲間同士でグループでいるとき、他の人々に対して冷
  たい態度を取る。
    ――中根千枝「タテ社会の人間関係」講談社現代新書 P47

閉鎖的で身内にとてもやさしい「農村共同体」はこのようにして、差別を生み出し、同時にその反映として超越的宗教権力=天皇制を生み出し、資本主義近代の発展にも「会社共同体」として遺伝し、非常な貢献をしてきた。また「支配共同体」の母体であり、基礎構造でもあった。つまり、「個人」の成立と尊重を阻害し、資本主義的市場原理の平等性を阻害してきた。
しかし、ついに、今日その死命を制せらたことを確認することができるのは、歴史的詩的名誉といわねばならない。
このことは歴史上、2度目の、または多く見積もって3度目の根底的な転換である。
わたしたちは経済的土台構造としては1969年から1972年ごろ、消費意識=個人意識としては1980年〜1985年ごろ、きわめて執拗な食にかかわる共同意識としては1993年ごろまでに、もっとも執拗な部類に属する共同幻想である政治形態としては2003年〜2009年に、完全に伝統的農村共同体の軛を廃棄した。いや、消尽するその現場に立ち会ってきた。

伝統的農村共同体は、その強烈な自己目的化した自己保存機能で、個人にも、市民社会にも桎梏であったが、歴史と社会の根源的母性として、共同体内の一員を微温的にくるみ、守る事においては抜きん出ていた。この、プラスの面だけを時代の波濤から救い出そうという、いささか虫のよい、しかし勇敢な試みが、ここにある。
この、伝統的共同体を、都市を基盤に開放的に構成しなおし、個人と共同体を矛盾または「逆立」させずに社会とつなごうという、虫のよい試みこそは、我々を生かす希望なのではないのか。

もちろん、共同体は、どれほどか開かれたとしても、個人と逆立または矛盾するから、そのときには、個人は共同体と別れ、別な共同体へと移動しなければならない。しかし「開かれた」共同体は、異邦人を受け入れる。

※「地域共同体」が開かれるためには、土地私有の廃棄、または非自然的生産(=知=言語=工芸=芸術=学芸=芸能など)の自然的価値が開かれていることが必要なのではないか。
いずれにしても、すべての基盤は自然性にあるというべきか。

「地域の力」とはなにか〜崩壊から再生へ、いのちを食らい循環させる力

ところで、「食農同源」に根ざして共生=相互扶助的コミュニティである「地域」は、農村共同体の解体と歩をあわせるように、日本近代においても解体してきた。
それは「都市」化に伴う通勤圏の拡大であり、人口の都市への移動であり、全国市場化に伴う流通の全国化であり、米作農業の生産単位としての「自然村」の解体である。

共同的な(米作の)農耕単位である「自然村」は、全国で18万ほどだが(広井良典「コミュニティを問い直す」ちくま新書2009年8月10日、による)、明治4年1871年1000戸籍を1単位として一神社をおく「郷社氏子」制がしかれた。このあたりまでは「市」の立つ範囲などとも符合し、生活感を保っている範囲、といえよう。
(ちなみに、広井良典によれば、明治初年には全国の神社数は自然村の数と同じ18万余社であった。自然村における人々のコミュティ核は神社や鎮守の森であったであろう)
ついで明治22年1889年明治「近代」国家の骨格が固まってくると、「行政組織」として市制・町村制がしかれ、以来「自然村」は「大字・小字」として格下げされつつ保存はされてきた。
これ以降、日本近代は「地域」を「行政組織の区画=行政区画」と捉え、コミュニティとは関係なく、効率化のために合併がすすめられた。明治22年の行政区画数は約7万、昭和20年代には「昭和の大合併で約1万、さらに「平成の大合併」ではついにに3000ほどにまとめられる。

近代の国家=国民国家(の支配共同体)は「地方自治」や地域の共生など何ほども考慮せず、行政という名の支配貫徹のために「地域」を解体してきた、であろうか。
「自治体」とも呼び習わす行政組織区画=国家の影としての共同幻想から発想する「地域」は、すでに国家の代理システムでしかなく、「自治体」ないことはもちろん、自然村の崩壊や、共生共同体の崩壊を支え、押しとどめることもできない。むしろ、国家(支配共同体)の末端組織として、地域の解体を進める側に与してきたのだ。

食は「いのちをくらう」(岡本かの子「家霊」)ことであり、「食農同源」に根ざして形成される「地域共生共同体」とは、土地や川や湖沼や、森林などに「根拠地」=コミュニティセンターをもち、地産地消を軸に食を、つまり「いのち」を食らい循環させる生命の力のまったき発現であり、そのようなものとしての「食農共同体」であるだろう。
すなわち「地域の力」とは「いのちを循環させるような、生命の力」であろう。

そのように形成される「地域」とは、自然との相互性としての「いのちを食らう」人間の社会の経済的構成の根底からの組み建て直しでも、あるだろう。

     ※     ※     ※

■大江正章「地域の力―食・農・まちづくり」岩波新書2008年2月20日700円+税 

目次
第1章 開かれた地域自給のネットワーク  1
  ―島根県雲南市木次町ほか―
第2章 商店街は誰のものか  27
  ―兵庫県相生市・三重県四日市市・東京都足立区―
第3章 これがほんまの福祉です  47
  ―徳島県上勝町―
第4章 地産地消と学校給食  71
  ―愛媛県今治市―
第5章 北の大地に吹く新しい農の風  97
  ―北海道標津町ほか―
第6章 四万十源流発、進化する林業の現場から  121
  ―高知県梼原町ほか―
第7章 公共交通はやさしい  147
  ―富山県富山市・高岡市―
第8章 市民皆農のすすめ
  ―東京都練馬区・神奈川県横浜市―
あとがき  197

■大江正章「地域の力―食・農・まちづくり」その1 「食農同源」に根ざして地域が共生する経済、というもの〜「共」のちから

2009年10月10日

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「食農同源」に根ざして地域が共生する経済、というもの

大江正章は、環境・農・食・自治に関する良質本にこだわる出版人である。
また「農は地域の食と切っても切れない関係がある(食農同源)」と主張してやまない。
本書では、自ら多忙の中取材・執筆して、自然との直接的な相互性として生きる人間の「食農同源」のあり方に根ざして、「食料自給圏」的な「地域」を形成し、さらには、いわば「地域共生経済」=「地域共生共同体」とも言うべき、非市場原理的または反資本主義的な生産―消費活動を実践している団体、グループを取り上げてこれからの経済社会構制の先行的モデルとして称揚している。

事例として取り上げられるのは、
島根県の乳業メーカー木次(きすき)乳業を中心とする一種自給自足的で密度の高い相互扶助的共生システム、
兵庫県相生市の市民による農業クラブが営む有機無農薬野菜の食堂や配食活動・三重県四日市市の市民参加食堂「こらぼ屋」などの市民参加の商店街活性化の取り組み…、
「市民皆農」的な有機栽培奨励と地産地消実践で食料自給率の拡大を量る愛媛県今治(今治市自給率は32%学校給食における地元産有機農産物比率は62%)、
東京練馬や横浜の「市民皆農」を目指す体験型農園等、
その他失敗例や、まだ着手段階のものも含めて、全国から11地区大きく見て11事例・細かく見て15ほどを取り上げる。

「食農同源」に根ざして地域が共生する経済、というものを啓発しようとする大江の主張を鮮明に展開するため、やや未熟な素材であっても取り上げ、むしろ本書のほうが実践者の意図をすくいあげてフォローしているところもあって、地域の現状や実例を掘り下げるというより、大江の主張に沿って地域の実例をがんばって発掘し編集した感じだ。
まだちょっと早かった、というようなことででもあろうか―。

「地域」であること、「共」であること

大江の意図を前書きから拾うと下記のようである。

  だが、地域に愛着をもった人々が自らの自然・環境・人的資源を活
  かし、活気ある地域づくりをしている農山村や集団も決して少なく
  ない。地理的条件が厳しいほど、知恵と工夫と斬新な取り組みが進
  んでいるように思われる。そうしたところを尋ねると、単に経済成
  長や市場原理という狭い世界にとどまらない、人と自然、人と人の
  関係性の豊かさが息づいている。利潤の追求のみを目的としない相
  互扶助を重視した「連帯経済」が生まれつつあるとも言えるだろう。
    ―p@「まえがき」

「利潤の追求のみを目的としない相互扶助を重視した『連帯経済』」の具体化、すなわち本書のタイトルでもある「地域の力」という意図は明快である。
それななぜ「地域」であり、「地域の力」とは何なのか。そしてその内実がどのようなものであるのだろうか。
大江はこのように言う。

  いうまでもなく近代化とは、共の領域を狭め、公(国家・政府)と
  私(市場)に引き裂く過程であった。だが、今や政府の失敗も市場
  の失敗も明らかである。〜略〜(公共サービスは)NPOやコミュニ
  ティ・ビジネスなどの効率だけにとらわれない「共」や「民」と
  「公」がそれぞれにふさわしい役割のもとに、連携していくべきな
  のである。
    ――PC 「まえがき」

「公・共・私」というような用語法はカール・ポランニーが『大転換』1944年のなかで示し、広汎な影響を与えた、社会における交換類型の3様式「再分配=公(=国家)、互酬=コミュニティ(=ローカル=地域)、交換=私(=市場=グローバル)」という分析軸に由来し、近年の「公共性」哲学の流れのなかでたとえば、山脇直司『公共哲学とは何か』(ちくま新書)での3つの社会的マネジメント「政府の公/民の公共/私的領域」の流れを汲んでいよう。

ここでの大江の公とはいわば経済体としての国家であり、その本質たる税を握る支配共同体の実行機関としての政府である。政府は国家として、国民一人ひとりではなく国家自体すなわち支配共同体の利益を図る。
私とは「市場」の担い手、参加者として登場する経済活動の主体である。それは個人でも法人でももちろん良いことになるが「私」の利益を図るものである。
そして、それら「公」と「私」に挟まれて「共」の領域があるといっている。
「共」の領域とは「NPOやコミュニティビジネスなどの効率だけにとらわれない」ものであるようだ。
それでは「共」とはどんなことなのか。
それは、自然保護や伝統文化保存など「公」を目的とするNPO=非営利法人などの「民」団体や、相互扶助的な「共」助組織である農耕単位としての村落共同体などをさすものである。


  自らの出身地であるかどうかとは関係なく、今暮らす場所の環境や
  生業を大切にする。そして、農林業であれ地場産業であれ自治体の
  仕事であれ、まっとうなものを作り、広めるという倫理観と、適度
  なビジネス感覚を持ち合わせる。そうした人たちが、元気な地域に
  は必ずいる。そこには世代を超えた人と人との関係性の豊かさがあ
  る。
  〜略〜
  こうしたいわば「非血縁・半地縁・地域共同性」「知縁・半地縁・
  選択縁」に基づく生業と関係性の発展が21世紀の豊かさのモデルと
  なるだろう。
    ――PC  「まえがき」

「非血縁・半地縁・地域共同性」とは前近代性を引きずる「農村共同体」ではなく「都市的な共同体」とも言うべきものを意味していよう。「非血縁・半地縁」であることに拠って新参者に、すなわち誰にでも、「開かれている」ということだろうか。
それでも「半地縁・地域共同性」であるのは、一つには「食料自給圏」的なものとして成立する「地域」が成り立たせる人と人の関係が、「商業」主義や市場原理主義を超えて、相互扶助的な一体性=連帯感を持つということであろうか、と思われる。

「知縁・半地縁・選択縁」というのは、個人が自らの意思で共同体を形成しうるということであろうか。

理解しにくい用語法はあっても、農村であろうと都市であろうと「地域」に根ざしつつ、しかしなお開かれた「共」というものが、「地域」を活性化してゆくちからなのだ、と本書で紹介する事例が十分雄弁に言っている。

そして地域活性化は「理論」としてではなく、地域における「実践」として、開示されるのだと、(だから本書は「ルポルタージュ」スタイルなのだと)大江は語っているようだ。


     ※     ※    ※

■大江正章「地域の力―食・農・まちづくり」岩波新書2008年2月20日700円+税 

目次
第1章 開かれた地域自給のネットワーク  1
  ―島根県雲南市木次町ほか―
第2章 商店街は誰のものか  27
  ―兵庫県相生市・三重県四日市市・東京都足立区―
第3章 これがほんまの福祉です  47
  ―徳島県上勝町―
第4章 地産地消と学校給食  71
  ―愛媛県今治市―
第5章 北の大地に吹く新しい農の風  97
  ―北海道標津町ほか―
第6章 四万十源流発、進化する林業の現場から  121
  ―高知県梼原町ほか―
第7章 公共交通はやさしい  147
  ―富山県富山市・高岡市―
第8章 市民皆農のすすめ
  ―東京都練馬区・神奈川県横浜市―
あとがき  197




■谷口誠「東アジア共同体」に触れて 5 それでも東アジアは連帯するか――国家の解体と市民社会の再構築、金融資本主義の解体と地域の再構築、すなわち国家から地域へ

2009年09月28日

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「国民国家」の落日、「〈帝国〉アメリカ」の衰退、金融資本主義の解体からポストモダンの「秩序」への模索

「大規模地域間統合」は「国民国家」(=欲望と暴力の時代)の拡大発想なのか

わたしは、谷口誠の「東アジア共同体」論の農業に関する部分だけを取り上げて自論の展開に利用し、無用に谷口誠を貶めているかもしれない。
著者はOECDなどで世界経済の分析と今後の展望・政策を扱ってきた第一人者である。
本書は、無論、農業に主眼を置いたものではなく、金融に始まり、IT・環境関連など先端産業を念頭に置いた、貿易と通貨と技術・情報の(政治はカッコに括って)「経済共同体」を主眼とするものである。
農業は、むしろその実現を阻害する要因として(のみ)取り上げられている、といえよう。

「東アジア共同体」がなぜ、あるべきなのか、という筆者の、本論に属する部分の主張をみていくと、世界では、グローバル化の一方でEUやNAFTAなどの地域統合化が進行しているから東アジアもFTAなどで地域共同体化しなければいけないといっているように見える。
欧米の後を追えという、近代主義、である。

そして、EUの拡大は汎欧州主義という理想主義もある反面、国際政治における「アメリカ一極支配」に対する対抗的なものだ、という。つまり、世界は世界中を「国民国家」が埋めつくすほど近代化したが、同時にすでに国民国家を超えた大規模地域統合の時代(国家ではなく、拡大された新たな地域主義・地域間競合の時代)だといっているようだ。
また、途上国やNGOが力をつけてきたため、GATT/WTOの先進国支配が崩れ、機能障害に陥っているので「世界」レベルの話し合いを主導できなくなった欧米先進国グループが、「大規模地域」の形成に走っているのだという。
だから東アジアも、と筆者の中では論理が直結しているようだ。

「現実政治」や「行政」は依然としてパワーゲームの中にある。他者と闘争または戦争をして、これに打ち勝つことが何より大切だという、人間の承認欲望がパワーゲームを作り出す。

またこのようにもいう。

  OECDで私は、「2020年の世界――新しいグローバル化へ向けて」
  (The World in 2020:Towards a New Global Age)と題する世界経
  済の長期見通しに関する研究のイニシアチブをとった。1997年末発
  表されたこの研究報告には、21世紀には中国を中心とする東アジ
  ア、さらにはインドを含めたアジアが、世界のもっともダイナミッ
  クな発展のセンターとなりうるというシナリオが画かれている。
    ―PAまえがき

  長期の経済停滞から脱するためにも、まず「東アジア経済圏」を
  構築し、ASEAN、中国、韓国とともに発展し、それにより東アジア
  の発展と安定に貢献する道を進むべきであるとかんがえるようにな
  った。
    ――同前

ここでは、「進歩し他国に打ち勝たねばならない」という「近代国民国家」の発想がそのまま「大規模地域統合」に拡大され、投影されているように見える。
まだわれわれは「欲望と暴力の世紀」を続けるのだろうか。
否である。
われわれは、まったく別の発想と水準から、社会を作って生きる人間の存在の価値を見いだし、まったく別の根拠をもって「共同」することの意味を見いださねばならないだろう。

金融・通貨という資本の暴力的世界支配の本体システムをどう解体するか〜抵抗線としての「地域」

東アジアの地域統合の現実化のはじめはアジア経済危機のときの日本政府の対応であるという。

  1997年アジア通貨危機が発生し、それまで順調に発展してきたアジ
  ア経済は深刻なダメージを受けた。これは東アジアにとっては不幸
  な出来事であったが、この通貨危機に際して日本が講じた、新宮沢
  構想を含む多額の救済措置は、日本と東アジアの連帯感を強めるこ
  ととなり、結果的に東アジアの地域統合の契機となった。アジア通
  貨危機によりもっとも深刻な被害を被ったASEANが苦しんでいると
  きに救済の手を差し伸べたのが、米国でもIMFでも(※実質アメリ
  カだが=前山)APECでもなく、東アジアの一員である日本であった
  ことを認識し、通貨問題を通じて、地域協力の重要性に目覚めたこ
  とは大きな成果であった。
    ――PBまえがき


ニホンというクニが「東アジアの一員」であるかどうかは甚だあやしいといわねばならないが、それはおくとして、これではアメリカが援助していればアメリカ―ASEAN共同体に目覚めることになる。
この程度に場当たり的な論理なのだ。問題は、ニホンが援助せざるを得なかった事情にこそ、ある。

  通貨危機発生の原因については〜略〜これらの経済が、更なる成長
  を達成するため、ヘッジファンドのような短期資本に大きく依存し
  ており、この投機の対象になってしまったことによると考えられ
  る。〜略〜東アジアのNIEsに、マクロ経済政策の一環として資本
  市場の自由化の促進を強く要求し、指導してきた(アメリカ主導
  の)IMF、OECDの責任は大きい。アジア通貨危機に際し、米国主導
  のIMFの政策は、これを防ぐどころか帰って悪化させた。通貨問題
  についてはつねに議論していたAPECも、いざ通貨危機が起こったと
  きには、何の役にも立たなかった。
    ――P20〜21 第2章動き出した東アジアの地域統合 2 地域
           統合化へのきっかけとなったアジア通貨危機

今日、国家を超える唯一の存在である通貨=金融システムは、世界システムとしてのみ成り立っている。通貨=金融システムの自己増殖の論理は実態として世界を、つまり〈帝国〉アメリカの金融資本支配共同体の政治セクターたるアメリカ合衆国政府を支配している。
アジア通貨危機という事態が現出したのは、国家も金融資本主義も、それらを支えるたんなる制度でしかないように見える通貨制度もそれ自体が世界を破壊する契機を孕んだ、しかも自己管理できない、矛盾に満ちた存在だ、ということである。

資本主義社会は、通貨という「妖怪」のような共同幻想を生み、これを共同幻想であるにもかかわらず商品として取り扱い、それゆえ「利子(利息)」という利益を生み出すことが出きるという倒錯した「ファイナンス」理論=金融資本主義の根源を生んだ。
「金融資本」は「時間的利益」と「リスク負担」というキイを使って、自己増殖していけるという倒錯した金融資本主義は、モノを作って売ることにより価値体系の差異から利益を売る産業資本主義とは、まったく水準の違う「妖怪以上のもの」である。

アジア通貨危機とは、金融資本主義の世界支配システムがその本性を集中的に暴露したものであり、かつてのニホンのバブル崩壊も、同じくITバブル崩壊も、2008年のアメリカ住宅金融バブル崩壊に端を発する、世界経済危機も、金融資本主義の自己矛盾の現れである。

ニホン国政府が、アジア金融危機に際して、ASEAN諸国に救済の立場で振舞ったのは日本資本主義もまた、世界金融資本主義に翻弄される「子羊」であったからだ。そしてそのとき投じられた資金の多くは、ニホンという地域産業資本主義の生み出した資金であった。
世界金融資本が自己増殖に走り、自己コントロールを失ったとき、破綻に瀕するものを救済しうるのは地域資本であった。この事実は、世界の同時的短期資本主義化のためと称して金融資本主義が世界を跋扈するのに対する抵抗線として「地域」が有効であることを指し示していよう。

われわれは「地域」に根ざした社会のあり方を根柢から問い直し、構築することで、金融資本主義を解体することができるだろうか。ただしその「地域」が東アジであるとは、まだ、言えないであろうが―。

「国家」(近代国民国家)の廃棄から、その、「次」へ

ヨーロッパ「先進国」と日本では近代「国民国家」が自壊しつつあり、一方で新興国の台頭で世界の支配共同体は揺らいでいる。その中核たるアメリカ〈帝国〉のグローバリズムは経済的にも失墜し政治的にも世界の警察官たることを諦めねばならなくなってきている。
世界は、現実過程として、明らかに「近代の次」の時代に入りつつある、と強く感じる。
国家(国民国家)は外からは世界金融資本主義の荒しによって、内からは資本主義の成熟による市民社会の台頭によって解体されつつある。

われわれは実体として、マルクスが予言した「国家の廃棄」が実現されつつあることを感じており、未生の「次」の予感に震えているだろうか。
廃棄された国家(国民国家)のあとに、何があるだろうか。
小規模な生存共同体の復興と、ダイナミックな地球規模の交易共同体、のようなものであろうか。
それは小さな生活共同体と大きな交易共同体とが「地域」を媒介にして同時に構成されるようなものであろうか。地域を媒介にすることによってそれらは単一化せず、常に絶対でありながら相対化され続ける否定的な自己権力のようなものであるだろう。

東アジアとの連帯が、それでも求められるなら、それは資本の支配システムと国家(国民国家)を同時に廃棄するような運動のなかで、派生してくる「大きな地域」=交易共同体として、であるだろうか。

■谷口誠「東アジア共同体」に触れて 4 農業はクニのものではない〜自立し市民と連帯する農へ

2009年09月21日

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谷口誠の農産物貿易自由化=「農業犠牲」必至論
 〜行政は裏切る…


冷静な学者である谷口は農業に目を転じて、ごく簡潔にかつ明快に、日本においては農業の貿易自由化も必至であり、その前提で考慮するべきだと、述べている。

   〜〜日中韓とASEANがそれぞれにFTA(Free trade agreement=自
   由貿易協定)、EPA(economic partnership agreement=経済連携
   協定)交渉を進めている現在、日本は農業問題を抱えているから
   といって、後ろ向きの姿勢をとり、WTO(世界貿易機関)の農業
   交渉におけると同様、米を含む重要農産物の自由化の先延ばし策
   を取るべきでない。日本の農業問題は、東アジアとの農業分野に
   おける地域協力、さらには私の提唱する「東アジア共通農業政
   策」の一環として対応する心構えが必要であろう。
    ――PF はしがき

   ASEAN、日・中・韓の経済はそれぞれ長所と短所を持っており、FTA
   の適用は短期的には各国に多大の困難をもたらすこともあろう。
   しかし長期的にはより多くのメリットを得ることができることに
   注目しなければならない。日本も農業問題という、大きな国内問
   題を抱えているが、農業問題では多少の犠牲を払っても、日本の
   得意分野であり、比較的優位を持つ、ハイテクを主体とした製品
   分野を活かした方が、長期的には日本経済の発展に繋がるという
   視点を持つべきであろう。
   ――P102

たしかに古来、このようにして、極東のシマグニ日本は貿易で巨利を占めてきたかも、しれない。遣唐使も平清盛も、松浦の松浦家も、能登の時国家も、蝦夷の松前家もそのように生きていたかもしれない。

実務家の苦労というものが思いやられる。同時に、容易に国家というものになりかわって自分が国家のように発語する錯誤もここにある。「国益」などという思想が、ここにはまだちらついて見える。もっと分解して、就業人口300万人の農業者より95%以上を占める都市流民の生活を成り立たせるほうが大事だという、あたかも当然のような、当然でない論理が当然のように見えてくる。行政実務を担当するものはそれだけで人の存在を裏切る存在である。

農業の最大の目的とはなにか 
 〜国家は農にも自然にも個人にも届かない


また、谷口はこのようにも言う。

   国土が狭く、農業人口も減少しつつある日本にとって、農業の自
   由化が非常に困難な課題であることは疑う余地がないが、WTO、
   APEC、ASEANとの交渉の場において、農業の自由化が避けて通れ
   ない以上、日本としては、将来日本の農業はいかにあるべきか、
   そのためにはどのような改革が必要か、どうすれば農業の最大目
   的である日本国民への食料の安定的供給が維持できるかをしっか
   りと見据え、その展望に裏付けられた長期的戦略を打ち立てねば
   ならない。
    ――P156

   農業の自由化を通じ、生産性を高めることにより自給率の向上を
   図ることは望ましいが、日本の農業のかれている現状から見て、
   英国やスイスレベルの自給率を回復することは、難しいであろ
   う。自給率の向上のみを優先課題とし、農業の自由化を遅らせる
   ことで、競争力のない農産品の温存をはかることは、長期的に
   は、日本の農業の競争力強化のための構造改革の意欲を失わせる
   ことになる。
    ――P170

しかし「農業の最大目的は、日本国民への食糧供給」ではない。農業者が農業者として自立すること、であり、そのことに拠って一市民として市民と連帯して生きてゆく事である。
なぜなら、農民は日本国政府の意図に従って生まれたものでも、その意図を実現するために存在するのでもない。農民は本来は自然との相互性として生きるものとして存在するのであり、まずはそのことを全うすることが農の自然性であり人間の本来性でもある。そして社会を作って生きるものとして、他の構成員すなわち市民と連帯して食を基盤とする社会の存立条件を満たすようにつとめるものである。
そのあとで国家があるのだ。国家が、先にあるのではない。
そのことの視点がなければ、お上として国家ありきで、数字合わせの上っ面の論理だけをなぞる農水省と変わらない、と言わねばならない。

谷口の農業政策 
 国家は農に届かない〜行政は裏切る…


次いで、谷口は、日本の農業の構造改革についての提言を簡略に行う。
まず農水省の「食料・農業・計画」の中間報告は「やっと日本の農業改革の一つの方向を示したもの」として評価するが「これまでの日本の農業政策の保守的な体質からみて、どの政策も実現させるのは容易なことではない」、つまり実行はできないに等しいといっている。
その上で次のように自身の提言を行う。

1 中小規模で効率のよい農業経営を目指すべき。
2 食料自給率よりも、ハイテク技術、高品質かつ安全な産品で生産性の向上を目指すべき。
3 付加価値の高い農産品に重点を置いて農家所得の向上を目指すべき。米にこだわらず多角化すべき。
4 農業の構造改革とセットで、初期には農産物価格に影響を与えない直接所得保障を含め財政支援をするべき。EUの予算の半分は農業予算、アメリカも同様の政策である。

確かに、農水省の木で鼻をくくったような無味無内容な上っ面の数字合わせよりは、農業の現実をよく踏まえ心を砕いている。「中小規模」で、「生産性の向上」を目指すとか、「付加価値の高い農産品に重点を置く」とかいうあたりである。また直接所得保障を前提に考えて(ということはすなわち農産物の貿易自由化を前提に考えるということだが)ということは現実的に避けられないであろうしそのような庇護を受けながらしなければ農業の存続など考えられないだろう。しかしそこまででとどまっては支配共同体の行政からする空中からの視線であることをやはりまぬかれないというべきであろう。

結局、国家の視点に立つものが百万言を費やしても、農、の本質には届かない。農は、資本主義近代からすれば「商品」を超えたもの、であるかもしれないが、農の本質から言えば、「商品」以前のものである。農、の本質的な存在価値=自然との相互性において生きるという人間の根源的なあり方の社会と人類にとっての本来の価値、をあきらかにする仕事は農自身が引き受けなければならない。

しかしごく近日の農産物自由化は必須の現実である。国産米の米価は、約10分の一のタイ米と競合することになる。一体どうするべきなのか、具体的な指針も対策も、どこにも存在しない。
マクロ的な経済専門家である谷口からすれば、農業は行政的に救済すべき対象である外はない。このクニの農業の悲劇を思ってみるほかない、であろうか。

     ※     ※     ※


クニから自立し市民と連帯する農業へ

このクニの歴史は古来、農を一方的に収奪してきた収奪者の歴史

このクニは、古代においても利益分配のための支配共同体として成立し、その主要な任務は農を産業として向上させることではなく農からの収奪システムの構築・強化にあった。農からの利益が(つまり収奪が)大半であり、まさしくクニを支える根幹として農はあったであろう。(もちろん網野善彦の論を肯うとしてもなお、である)鎖国政策の江戸期の非農業への課税はかけ離れて軽く、1割程度のものだったとされている。
にもかかわらず、江戸期の終わりまで、灌漑など農業土木や、品種改良などは篤志家の業績に帰せられる、であろう。(幻に終わった長屋王の「100万町歩開墾計画」を除けば、である) 吉本隆明は、このクニの「耕作田の狭さ、また島嶼的条件から」「インドや中国のように〈アジア的〉的専制を支えた大規模な水力灌漑のための工事や、運河の開削などを必要としない地理的な特性を持っていた」(『共同幻想論』「全著作集のための序」)と述べているが、もちろん泥田もあれば荒地もあり、灌漑はあるべきだったがなしえなかったか、なすべきという思想がなかったから、なされなかったかのいずれかであろう。古代纏向遺跡では長さ200メートル幅5メートルもの「運河」状構築物が発見されており、大阪や江戸の建設に当たっても巨大な水利事業は展開されている。支配者たちは農業のためにする水利灌漑も、もちろん、実行しようと思えば、困難ではあっても可能だったのである。にもかかわらず、ほぼ篤志家事業としてのみ農業灌漑などの土木工事が営まれてきたというこのクニの歴史は、つまり支配者たちは農業には投資する気はなかったということを証しているのである。
支配権力が農の内部の権力ではなく外部の権力であったからだ、と想像される。
今日、米とともに農はクニの土台でも、国家そのものという共同幻想でもなくなったが、古代からの被収奪者であるという構造的事情は染み付いていて変わらない。(で、あろう)

このクニの農は、今日もなお自分で自分を決定できない主権喪失者であり追われるもの=故郷喪失者なのである。農は、自らを自らの主として自らを決定しうる、自己権力を確立し、まっとうしその上で、「この世界」を発見しなければならないだろう。

クニを離れて、「農の主権」回復へ、農の本質的な存在価値へ

農業はもはや、クニを離れて農業の存在価値を見直し、新しい価格決定システムを市民と直接交渉して作り上げるべきではないのか。

何より農の社会における存在価値を、一から捉えなおすべきである。端的に言えば、現在大手スーパーなどの流通業者が主導して決定されている農産物価格(それは製造業をベースに、製造業の生産性を確保するために設定された給与をベースに設定された製造業産業資本のための価格なのである)の決定システムを根本的に見直す、ということである。もっと端的に言ってしまえば、スーパーには主導されない、農業者がかかわる価格決定システムを農業が作り出すことが必要なのである。
なぜなら、価格決定システムこそは農と資本主義との矛盾の根源だからである。

それは、たとえば、農民と市民とが直接交渉で価格を決めるというようなことであり、価格の決定要因は使用価値に基づくが、物質的な使用価値だけでなく精神的な価値も含めて決定するべきだというようなことである。


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■谷口誠「東アジア共同体」岩波新書2004年11月19日

目次
はしがき
第一章 なぜ、いま東アジアに地域統合が必要か…1
  1 グローバリゼーション下の地域化 1
  2 GATT/WTOの機能麻痺 2
  3 地域化の流れに乗り遅れた日本 4
  4 なぜ東アジアの地域統合が遅れたのか 6
第二章 動き出した東アジアの地域統合…11
  1 ASEANの役割の拡大 11
  2 地域統合へのきっかけとなったアジア通貨危機 20
  3 中国の地域統合への積極的な動き 25
  4 中国に次いで積極的な韓国の動き 28
  5 やっと動き出した日本の対応 29
  6 「東アジア・コミュニティ」構想の問題点 38
第三章 地域統合への障害は何か…43
  1 「東アジア共同体」は幻想か 43
  2 「共同体意識」 46
  3 新しい日中関係を構築するには 50
  4 対アジア外交の意識改革をするには 61
  5 「東アジア共同体」への現実的アプローチ 76
第四章 「東アジア経済共同体」の可能性…79
  1 東アジア経済の大きな潜在力 79
  2 日・中・韓の連携こそがカギ 99
第五章 「東アジア経済共同体」のメリット…105
  1 東アジアの協調的分業体制の確立 105
  2 日本経済を活性化するには 107
  3 日本に期待される役割 112
第六章 「東アジア経済共同体」の成立のために…123
  1 日本はより積極的で具体的な貢献を 123
  2 環境分野での地域協力 127
  3 エネルギー分野での地域協力 143
  4 農業分野における地域協力――「東アジア共通農業政策」 155
  5 アジアの通貨・金融協力――「アジア共通通貨圏」への道 187
第七章 さらに「東アジア共同体」をめざして

主要参考文献

■谷口誠「東アジア共同体」に触れて 3 東アジア共通農業政策とはなにか

2009年09月21日

P1100443.JPG

農産物自由化・価格の見通し、需要予測
谷口による「東アジア共通農業政策」の内容

2020年に非情に厳しい食糧事情がやってくること、そして日本は交渉経緯からして、ごく近い将来(2010年?)農産物貿易を自由化せざるを得ないこととして、筆者はその対応策としての「東アジアにも『共通農業政策』を」と提起する。

※そもそも「東アジア」はその範囲も判然とはしていないのであるが、今日主要にはASEAN+3(日中韓)をもって、東アジア共同体が論議されている。ニホン国政府は2003年東アジア・コミュニティの議論をするについて、アメリカへの配慮からオセアニア・アメリカを加えた「コミュニティ」を提唱しており、また今年8月21日のインドとASEANのFTA締結により、インドを統合市場に含む可能性が飛躍的に高まった。地理的には北朝鮮・ロシア極東エリア、モンゴルを含む場合もある。

@ 東アジア農業開発と地域協力のための政策協議
これは日中の食糧確保と、東南アジアの農業開発の1石2鳥を狙ったやや虫のいい話しだが、東アジアの農村が貧困にあえいでいることを思えば、十分相互メリットがあるようにも思われる。
中国を含むアジア各国の農業生産力向上は、各国の農村=手入れされた自然の保全のためにも必須だ。

A 東アジアのからの開発輸入の促進
上記@のために、まずは中国への農業技術及び一体のものとしての環境技術(なぜなら農業も、もちろん「自然破壊」の一種であるからだ。現に中国では耕作地開発の結果、自然災害を惹き起こしたり、砂漠化が進展したりしている)移転を狙って、中国からの開発輸入プロジェクトを。さらには東アジア全域からも、という構想。

B食料の「安全基準」と「環境基準」の設定
上記Aの開発輸入のためには、当然のことながら、あらかじめ商品および製造法の安全性と環境基準について共通認識を形成しておくことが求められる。

C緊急時のための食糧の共同備蓄構想
日本の現在の備蓄は米2か月分(150万トン)小麦2.6か月分(100万トン)大豆20日分(5万トン)となっており(ちなみに石油は160日分)、ヨーロッパより格段に少ないとのこと。そのヨーロッパは「共同備蓄」ではないがたとえばスイスでは小麦、米、砂糖、食用油等を各輸入企業が6か月分備蓄する義務があり、家庭は10日分の備蓄が義務付けられている。

東アジア単位で備蓄に取り組めば、食糧不足の国にとってもメリットがあるという。かくて日本と東アジアの安定した食料確保へと、なるのであろうか。
話はまだまだ迂遠でピンと来ないことが多い。


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■谷口誠「東アジア共同体」岩波新書2004年11月19日

目次
はしがき
第一章 なぜ、いま東アジアに地域統合が必要か…1
  1 グローバリゼーション下の地域化 1
  2 GATT/WTOの機能麻痺 2
  3 地域化の流れに乗り遅れた日本 4
  4 なぜ東アジアの地域統合が遅れたのか 6
第二章 動き出した東アジアの地域統合…11
  1 ASEANの役割の拡大 11
  2 地域統合へのきっかけとなったアジア通貨危機 20
  3 中国の地域統合への積極的な動き 25
  4 中国に次いで積極的な韓国の動き 28
  5 やっと動き出した日本の対応 29
  6 「東アジア・コミュニティ」構想の問題点 38
第三章 地域統合への障害は何か…43
  1 「東アジア共同体」は幻想か 43
  2 「共同体意識」 46
  3 新しい日中関係を構築するには 50
  4 対アジア外交の意識改革をするには 61
  5 「東アジア共同体」への現実的アプローチ 76
第四章 「東アジア経済共同体」の可能性…79
  1 東アジア経済の大きな潜在力 79
  2 日・中・韓の連携こそがカギ 99
第五章 「東アジア経済共同体」のメリット…105
  1 東アジアの協調的分業体制の確立 105
  2 日本経済を活性化するには 107
  3 日本に期待される役割 112
第六章 「東アジア経済共同体」の成立のために…123
  1 日本はより積極的で具体的な貢献を 123
  2 環境分野での地域協力 127
  3 エネルギー分野での地域協力 143
  4 農業分野における地域協力――「東アジア共通農業政策」 155
  5 アジアの通貨・金融協力――「アジア共通通貨圏」への道 187
第七章 さらに「東アジア共同体」をめざして

主要参考文献


■谷口誠「東アジア共同体」に触れて 2 食料は、どう問題なのか――近代の食の不在からポストモダンの食の露出へ

2009年09月12日

P1100443.JPG
2020年の日中の食料不足とアメリカ戦略農業の一人勝ち(OECDの予測から)

食料を考えたとき、このクニは食料自給率40%といわれる。この数字は農水省がカロリーベースで出した数字だ。この数字だけが一人歩きし、知られているがもう一つの農水省が出している「金額ベース」の数字ではなんと61%である。国産農産物の価格が高いからともいえるし、肉類など高カロリー食品が圧倒的に輸入に頼っているから、とも言えそうだ。最近は野菜も輸入シェアが上がっている。
またカロリーベースで統計を出しているのは日本と韓国だけだそうだ。この現実からしてインターナショナルではないわけだ。
ちなみにフランスは122%、米国は121%、ドイツは99%でいずれも増加傾向にある。韓国は49%で1970年の80%から大幅な減である。ちなみにニホンは同じく60%から40%に減っている(いずれも2001年の数値・谷口「東アジア共同体」による)。中国はデータとしてはっきりしていないが、現在はかなりの高率の自給率だが食糧輸入国にはなったはず、ぐらいのところであるらしい。

1994年の「例外なき関税化」を掲げるGATT(現WTO)ウルグアイラウンド(多角的貿易交渉)において、農産物自由化というより米の自由化に不明瞭だがきわめて強い抵抗をしめした日本政府は、最終的には交渉不成立の全責任を負う立場に追い込まれ、結局は一定量の輸入義務を負う「ミニマムアクセス」という形で妥協した。「妥協」の結果は、国内農業は破滅に瀕し、かつ毎年77万トンもの輸入をせざるを得ない。

また、同書のOECD「2020年の世界」の予測によれば、現在も日韓中は食料の輸入エリアであり、将来2020年においては日中は世界の2大食料輸入エリアとなり、輸入額は1750億ドルと1700億ドルでほぼ世界の3分の一ずつ、つまり両国で3分の2を占めることとなる。残りの3分の一をほぼEUが占め、残りは10%ほどとなるが、EUは域内共通農業政策を持ち、対外的な貿易協定などで安定供給策を構築しているので、勢い、日中が輸入競合で競り合う羽目になるのは必至であるという。
これに対して食料輸出能力があるのは、圧倒的にアメリカで、1995年に200億ドル程度なのが2020年には2800億ドルに飛躍的に伸びるみこみになっている。他にはオセアニアと南米の一部で合わせて概ね2000億ドル弱程度のようである。
※人口大国のインドが、1995年に100%以上自給率を達成し、2020年には輸出国になるとの予測になっている。これには筆者の谷口も首をかしげている。逆に食料についての政策や、増産能力は、未だに世界各国の間で十分に熟した共通認識がもてる状況にはないということであろうか。
ということは、この時点でのOECDの予測もOECD主導国などの研究者の視点からするあまり当てにならない代物であると言えるかもしれない。
  
アメリカの2020年へ向けての飛躍的な農業生産力の伸びは、莫大な国家資金を投じた、国家的戦略によるものである。何よりこの予測が、高度資本主義下の農業というものの位置づけを雄弁に物語っている。農は「土地」ごと、「資本主義」の中に浮遊している。
農業生産力を消費の拡大を超えて増加できる戦略的能力を持っている「国家」はアメリカしかないのだ。

……なんたることだろう。この世界は、すでに壊れているのではないか…。

かくて、2020年、日中は食料争奪戦にしのぎを削り、アメリカの食糧戦略は世界一極支配を貫徹する、だろう。
そのとき、日中韓は食料的に自立できず、アメリカに依存せざるを得ないこととなる。
そして、ニホンという地域は特に自給率が低く、現在中東の石油に依存していたように、アメリカの食糧に依存するのだが、中国の10分の一の人口しかない(つまり2020年には経済規模においても中国よりはるかに小さく市場としての魅力も小さい)ニホンが、十分な食料を十分な条件で確保できるかどうかは「大いに懸念される」というのだ。(もちろん中国は中国で「懸念」されるわけだが、中国政府は穀物自給95%を目指す政策に取り組んでいる)
アメリカにとって食料は戦略物資である。アメリカだけに頼ることで様々な困難をも招来するであろうことは、容易に予想できることであろう。

そもそも確保する以前に、中国との食料争奪戦を闘わねばならないなどということ自体が大問題で、それは(かつて第2次大戦でアメリカと闘ったことのように)非常な困難を伴うものであり、生活者大衆に多大な負担を強い、国内的にも国際的にも大きなマイナスであるだろう。

     ※     ※     ※

自国主義的かつゲーム的な行政発想?

OECDにおいて『2020年の世界』を主導的にまとめた立場からの筆者の立論は極めて実務的で明快である。日本の農業とかには何の感傷もなく、「国益」を図ることを政府に提唱する。もちろん、国内向けのしかもうすい新書なので、日本政府向けに書いていて、かつ内容もとても圧縮されているのだろうが、こんなに「自国主義」的な行政的なもの言いで、ゲームみたいな数字の論理だけで本当に良いのだろうか、と思ってしまう。
どこかに人間の個体性や不可能な本来性への通路があるべきなのではないか――。

     ※     ※     ※

近代が強いる「食の不在」からポストモダンの「食の露出」へ

もちろん、食料を確保できるかどうかは、個人にとっても地域社会にとっても死活問題だ。肉体的にはまず、自然に拠って生きるものである人間にとって、食の不在はつまり身体の不在である。われわれはすでに潜在的には身体性の根拠を失いつつあるゾンビとして生きている。

身体の不在とは、自然の一部としての人間、自然に働きかけるものとしての人間の直接的感性的な把握の不在である。われわれは、「働きかける」ことにおいて露出する生な「自然」との接点を思想的にも実践的にも内部に回復させなければ、自然としての人間を見失う。共同幻想はいったん出来上がると、自然との疎外関係を見失い、共同幻想自体を目的化し、個人に対する桎梏と化する、のだから。

米が身体的にも精神的にも「主食」であった時代には、自然は物理的にも精神的にも「死」として、あるいは「食」として露出していたであろう。米が「主食」でなくなったのは、本質的には1969年の減反開始からであり、1993年の不作による「米不足騒動」を最後にいかなる意味でも主食ではなくなった。それは日本近代の貧困に満ちた「完成」であり、ポストモダンへの移行であった、だろう。

食において、ポストモダンとは、大方のポストモダニズム・ポスト構造主義の「主体の解体論」ではなく、「主体の外部論」をベースとした、「内部」化されつつなおも「外部」であり続けるところの自然性・身体性の回復を目指すものでなければならない、ように思われる――。
すなわち、近代の「食の不在」からポストモダンの「食の露出」へ、である。


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■谷口誠「東アジア共同体」岩波新書2004年11月19日

目次
はしがき
第一章 なぜ、いま東アジアに地域統合が必要か…1
  1 グローバリゼーション下の地域化 1
  2 GATT/WTOの機能麻痺 2
  3 地域化の流れに乗り遅れた日本 4
  4 なぜ東アジアの地域統合が遅れたのか 6
第二章 動き出した東アジアの地域統合…11
  1 ASEANの役割の拡大 11
  2 地域統合へのきっかけとなったアジア通貨危機 20
  3 中国の地域統合への積極的な動き 25
  4 中国に次いで積極的な韓国の動き 28
  5 やっと動き出した日本の対応 29
  6 「東アジア・コミュニティ」構想の問題点 38
第三章 地域統合への障害は何か…43
  1 「東アジア共同体」は幻想か 43
  2 「共同体意識」 46
  3 新しい日中関係を構築するには 50
  4 対アジア外交の意識改革をするには 61
  5 「東アジア共同体」への現実的アプローチ 76
第四章 「東アジア経済共同体」の可能性…79
  1 東アジア経済の大きな潜在力 79
  2 日・中・韓の連携こそがカギ 99
第五章 「東アジア経済共同体」のメリット…105
  1 東アジアの協調的分業体制の確立 105
  2 日本経済を活性化するには 107
  3 日本に期待される役割 112
第六章 「東アジア経済共同体」の成立のために…123
  1 日本はより積極的で具体的な貢献を 123
  2 環境分野での地域協力 127
  3 エネルギー分野での地域協力 143
  4 農業分野における地域協力――「東アジア共通農業政策」 155
  5 アジアの通貨・金融協力――「アジア共通通貨圏」への道 187
第七章 さらに「東アジア共同体」をめざして

主要参考文献

■谷口誠「東アジア共同体」に触れて 1 農業の消滅危機からの脱出は1300年来の収奪構造からの自力解放にある

2009年09月06日

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アメリカ市場原理主義批判、東アジア共同体目指す――今までにない論旨明快な「自前」の思考を提起した(ように見える)鳩山論文

総選挙の投開票も迫った8月27日、民主党代表で次期首相の鳩山由紀夫氏の論文(の抜粋?)がニューヨークタイムズなど世界の主要英字紙に掲載された。
内容は@ドル機軸通貨体制、アメリカのグローバリズム、新自由主義への疑問と意義申し立てA日米安保体制を日本の外交政策の礎石としつつ、「東アジア共同体」として地域統合と地域集団安全保障を目指す、としている。
安全保障にまで踏み込んで明快に「東アジア共同体」志向を言表しており、その明快さでも今までにないことだが、古代以来「外来思想」に拠って自らを律してきたこのシマグニの伝統にそぐわない自己主張という意味でも新味がある。
まして第2次大戦後は、アメリカの物心両面の保護下で、アメリカの「指導」に従ってきたことから言えば、相当な「反抗」とはいえよう。ただその主張の基礎として、何ほどか深みのある本当の「自前」の社会的経済的な思想や理念や政策があるようには思えない。まただからといって空疎なナショナリズムの心情をうたっているわけでもないのだが、このままでは、これまた伝統的ともいえる根拠のない空威張りになりかねない、と思ってしまう。

たまたまその時に、ちかごろあちこちで眼にするようになった「東アジア共同体」の基礎資料として、主導的な提唱者である谷口誠の「東アジア共同体」(岩波新書)を読んでいる最中だったったので、実にタイムリーだったのだ。
当面のわたしの関心の対象である農業の存立の危機をめぐるいくつかををかんがえてみる。

「農」の現在

農業の低所得という現実

ニホンというこの地域の農業は消滅の危機に瀕しているということはよく耳にするし、口にもしてきた。しかし、ではどのような未来を描くことが可能でどのようにあるべきか、またその上でどのように現在の状況に対処するべきかという具体的な対処法については明確な回答を持っていない。
問題を提出、または感じながら、解決法については眼を閉ざしているのである。

ニホンの農業が消滅していくのは跡継ぎがいないからである。跡継ぎがいないのは個人が営む事業として、農業に魅力がないからである。農業の魅力のなさは高度成長期に強く言われたようにかっこ悪くて収入が少ないからだ。農業従事者一人当たりの所得は年間110万円ほどでしかない。
かっこ悪いから収入が少ないわけではないが、収入が少ないからかっこ悪い、という面はたぶんにある。「近代」にあっては「農」は時代遅れだと思われてきたから、基本的にかっこよくはないので、横文字職業のように貧乏でもかっこいいというわけには行かない。つまり収入の少なさが根源なのである。

2001年ITバブルの崩壊後、アメリカグローバリズム(市場原理主義)に追従する「改革」政策によって「格差」が拡大し「ロスジェネ」世代の貧困が問題となってから、農業は、会社みたいに管理されない新しい就職先として注目されるようになっているが、実際には農業でメシが食える時代になったわけではなく、新規就農者の経済的困難は従来の農業者と変わりはしないのである

収奪されるものとしての1300年の歴史

それは「ニホン」国成立以来、農業は一度も産業として考えられたことがなく、ひたすら支配共同体の収奪の対象だったからだ。江戸期の新田開発が限定的だったのも、市民革命の中核たる自作農の創設(農地解放)を自力でできず1946年の占領軍指令によって実現できたのもその結果である。また農の側は、いくぶんか、この日本支配共同体のなかの宿命的ともいえそうな生かさず殺さずの収奪構造のなかの被収奪者とい、立場にむしろ甘んじてもたれて、場合によっては「農本主義」などというとんでもない錯誤の快感さえ感じる奴隷根性が身についていたといえなくもない、と書いておこう。

もちろん農と食は同源にして一体、不可分のものであり、社会に不可欠の基盤である。が、伝統的支配共同体は、自身は農から出自した(または引き継いだ)ものであるにもかかわらず(いや、だからこそその実体を隠蔽し)、農に携わるものを無視し、その生産物たる食を収奪することのみに尽力してきたのである。(672年壬申の乱を経ての天武王朝の成立を持って、一応ニホンにおける統一政権成立=支配共同体成立とみなして、のはなし)

農業消滅の危機

現在の状況下で農業で大企業のサラリーマン並みの収入を上げるには、生産者米価が60kg15000円から今年は12000円ほどに下がってしまった現在の状況では、米作なら10町歩(ha)以上、都市近郊の畑作なら2〜3町歩以上ほどの農地が必要である。しかし、「1軒の家」の家族経営で10町歩の水田を耕作するのは機械化すれば作業的には不可能ではないが労働はきつい。外部労働力は導入不可能ではないが、導入すれば途端に一人当たり収入は大きく減って、もとの木阿弥だ。

そして、現実には水田農家の平均耕作面積は1.5haほど、新潟西蒲原の機械化水田地帯で3haほどである。これでは殆どの農家が、採算割れか、または農業だけでは満足に生活していけない。畑作でも同様である。
その結果農業人口は1960年をピークに下がり続け2009年度は290万人で5分の一に減った。しかも6割以上が65歳以上である。ここ数年でも半減に近い減り方だ。
農業消滅の危機、といわねばならない現実がある。

農水省や政党の「無展望」と「対策」

この危機に瀕して、もちろん本質的な意味での理念的て展望や思想などというものはこのクニの支配共同体には存在しない。依然として農は収奪の対象でしかない時代が続いているのだ。

農水省の現在の方針は平成17年2005年の「食糧・農業・農村基本計画」や「農業経営の展望」http://www.maff.go.jp/keikaku/20050325/top.htm
に示されている。その対策の考え方は、「食糧自給率の向上」(40%を当面45%に)を大看板に掲げ、新規参入を促しつつ「大規模化」を図ることとし、10年後をイメージして家族経営の農家の規模を米作主体で15〜25haに設定、従事者一人当たりの年収を600〜950万に設定してそれぞれ「例示」している。つまり単純に言えば農家戸数を10分の一に減らせば農業は成立すると言っている。

しかし、この対策はこれまでもとられてきたものの延長線上にあり、農業に希望を見出せない「現場の現実」から組みあがってきたものではなく、上から見て数字の辻褄を合わせただけの作文のニオイが付きまとっており、具体策は推進力にも具体性にも力不足で説得力に欠けている(「家族経営」で15ha〜25haの水田耕作は、現状の機械化レベル、米の品質志向の状況下では作業時間的にも体力的にも相当無理があるだろう)。現に新規参入が増えた以外は進展しているとは言いがたい。

既成政党の政策を2009年衆院選マニフェストで見てみると自民党は現在の農産物に関する保護貿易主義を前提に、「担い手」にも「零細農家」にも補助制度を実施するとしている。当然だが農林省案に近く実効性は乏しいと推測される。
民主党は農産物自由化へ大きく舵を取ることを視野に、全農家を対象に税を使った「個別所得補償」を打ち出しているが莫大な税金が必要とされる。どちらかといえば農業を国際関係や国家システムの戦略部門と捉えるヨーロッパアメリカタイプである。(共産党や社民等を含む他の党も似たり寄ったりである)

政策の違いは「農」を資本主義的生産システムに組み込み「産業」化して「自立」させるか、または経済分配システムのなかで補助金予算に組み「政策的な延命」をするかである。
前者は支配共同体の資本主義的経済システムに適合し、「自然性」を解体しろと言っているし、後者は農業は資本主義的経済システムの外部に植民地的な異物として囲い込むといっている。どちらも農業を資本制の「外部」とみて、自分たちの秩序に合わせろといっているように見える。
しかしながら農業が存続するためには現時点では、もちろん両方必要だといわざるを得ないのである。
  
いずれにせよ農業の大きな魅力となるであろう収入を増やすための策が必要なのだが、様々な困難な条件の複雑な組み合わせのなかで、安定的な解決策を見出すことはとても困難なのであって、今後、農業を持続させるための1)根本的な経営体の規模の拡大と2)生産性・品質の安定向上、3)価格設定のアップと、4)所得保障をも含む補助金という4つが組み合わさって、実現可能な形態を生み出していかねばならない。逆に言えば、いまはまだ、存続可能というような見通しは、ないのだ。
  
米・欧の「戦略的」農業対策  

アメリカ・ヨーロッパでは農業=食料は国家的な戦略部門であって、アメリカは莫大な補助と補償によって農業生産を拡大・維持し国際的な戦略物資としているし、ヨーロッパでは防衛的な食糧安全保障の観点から直接所得保障を含む、やはり莫大な補助とともに国際的な貿易協定により農の存続と食の確保に努めている。

そうまでして農業を存続させようとするのは、あまりにも自明ながら農業がわたしたちが生きる社会にとって必要だから、である。

現実には、このような欧米タイプの国家的・国際的政策としての取り組みがなければ、このクニの農も存続は、相当に困難であるだろう。
しかし、そこには支配共同体の収奪対象ではなくなり、むしろその末端に並ぶことになった、ただの量とカロリーと価格に換算される食品製造産業、ただの経済一部門としての農があるだけだ。

1300年の支配共同体から自立する本来性としての農へ 
 
繰り返すが、農と食は同源にして一体、不可分のものであり、社会に不可欠の基盤である。
感傷的なロマンチシズムではなく、自然との相互作用という人間の存在の根源的形態として存在する農というものを、経済的社会的に冷静に根本的に捉えなおし、困難でも自力で存続の条件を獲得するべく立ち上がることが必須であると思われる。
そして、仮に日本の農業が存続していくなら、存続可能なら当然だが、単に所得補償や補助金で延命しているだけでなく、世界の農産物市場の秩序に適合していなければ、発展も成長もないのだということも自明であるように思われる。

例えば、農産物環境・農・食・アジア・自治に関する良質本出版にこだわる大江正章の出版社コモンズから出ている「有機農業で世界が養える」では、有機農法のほうが「慣行農業」に比べ1.3倍の生産性を上げることができるとしている。
また大江自身は北海道新聞2008年3月25日号に「食・安さ考え直すとき―安心・安全支える農業に対価を」を寄稿し農業に正当な対価を与えるべきだと主張している。

これらは、クニからする補助や補償とは無関係に、農の内部で取り組むべき課題を指し示しているように思われる。
「国家戦略」として与えられる補助や、補償やは現実的に受け入れざるを得ないだろう。しかし本質的には、自然と人間との存在形態の根源性に根ざした、本来性としての農の姿が捉えられなければ、将来にわたってこのクニの農の真の自立はないだろう。

このクニの農は1300年余の収奪構造から、自力で自らを解放しなければ消滅する、という瀬戸際に臨んでいる。

2009総選挙 歴史的な日に 支配共同体=利益分配システムの崩壊から、新しい共生のための市民共同体へ

2009年08月31日

8月30P1100389.JPG日の総選挙の結果、自公政権は予想通り崩壊し、民主党が絶対多数を獲得した。

もちろん、民主党が選ばれたわけではない。比較的あたらしいものが、避難先として選ばれたのに過ぎない。

しかし、予想通りのこの結果が、結果として現前したことには意義深いものがある。
自民党=日本近代の支配共同体の政治セクター(幻想の共同性)は、産業構造の変化に伴って、支配共同体=国家(官僚)主導の利益分配システムが弱体化したことで、もはや恒常的に多数派を形成できなくなった。
大企業は収益源を国家の枠を超えた国際的な経済システムに依存するようになり、農業はもともと歴史上一度も保護も育成もされたことがなく国家から疎外されて収奪の対象でしかなかったのに支配共同体の一員であるかのように錯覚していたが、ようやく夢から覚めた。商業やサービス業や中小企業は連鎖的に大企業頼みの収益構造から排除された。
都市の(いまや農村でもそうなのだが…もっとも「農村」そのものが消滅しそうなのだが)「故郷喪失者」は「収益構造」からも排除され、「故郷」が幻想でしかないことを身に沁みて味わっているであろう。
これにより日本における封建遺制の残滓は、幻想過程たる政治セクターにおいても明確に一掃されたといえる。

しかし、前近代を引きずった近代支配共同体に換わる新しい社会の運営秩序は(または運動秩序)は、問題の根深さが、あまりに根深く根源的なために、「資本」のようには明快な形や権力や価値形態を現出しないであろう。
それは、逆に、形なく明快でないようなものとして、存在するのが、仕方である。

新しい共生共同体へ

これからは消費するものとしてしか存在し得ない大衆化された市民が、市民社会を基盤として自立的に生産と流通を確保・支援・協働し、そして利益分配をもコントロールすることが生存の基本形態になるだろう。
しかし、市民の経済基盤は脆弱であり多数の知的―準知的都市中層下層民(68年を担った人びと、以後の人びと=故郷喪失者)と、構造的に存亡の危機にあえぐ農林漁業・鉱工業を抱えている。

困難な現実を見据えるとき、このもっとも困難な場面にこそ新しい生活共同体の理念が実現され、実践されるべきであることが理解される。
この困難な社会的現実の入角にこそ困難を可能性として見据え、ごく小規模で私的な生活圏に非支配・非私有の自由な個人の自由で自立的な共同・協働生活共同体を形成してゆかなければならない。
資本が否応なく世界を統一するような運動であるならば、それは世界を解体し続けねばならないだろう。
そしてそれは、あるべき本来性=「故郷」として幻視されつつ、常に外部との協働を必要とし、そのような「協働」の場として公共的な流動的ネットワークの「場」を形成することにおいて、自己解体するようなものだ。
問題は自己解体がそのまま再生でなければならない点にあり、この困難は一回で何かを解決するというような一回的なものではなく、持続的反復的なものであり、従って永遠に提起され続けなくてはならない。

あたらしい市民=農民共同体、解体しつつ再生する農食共同体、帰還しつつ出発するための「故郷」を作り出してゆくときである、とおもう。

    ※    ※    ※

■当選者数

民主党 308
社民党  7
国民新党 3
みんなの党5

自民党 119
公明党  21

共産党  9

無所属  6

流山に茫々もえる〜中越さんの有機農法と農と食 3 恐るべし自然のうまさ。野太いオクラ、あま〜いきゅうり

2009年08月06日

おねだりして、お土産にオクラときゅうりをいただいた。
朝採ったもので、トラックの荷台に積みっぱなしなので、暑くなっている。水分も抜けてきゅうりは柔らかいが、しかしみっしり重い手応えがある。
オクラは茎が野太くてとても力強い。土の強さを感じる出来だ。
きゅうりはかたは良いがちょっとふにゃふにゃで頼りない。
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持ち帰って、少し水に放して、少し冷やして食べた。
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オクラは、予想通り、歯ごたえ強く、味は旨みが強く力強い。ハウスのものとは比べ物にならない味わい深さ。そのままで十分うまい。
この野太いうまさは、有機無農薬というより、自然農法のそれ、であって、たっぷりの土の力がオクラの力に乗り移っているようだ。

しかもこのうまさは、明くる日もその次の日も続いた。

きゅうりは、水を吸い、みずみずしく漲っている。
内部には、たね、が尋常ならざる美しさを放っている。
たね、の美しい果菜、または果実こそ内面からの美を放つものである。
口に含むと、甘やかな柔らかい味わいが広がる。
甘みがとても強い。こんなきゅうりは初めてだ。
もちろん、こちらも何も味付けはいらない。
噛むたびに、甘い甘いふくよかな、果物のようなきゅうりに驚いた。

恐るべし、3年目の有機農法、恐るべし自然の力、である。

農業に理念は大切だが、理念で農業はできない。
売れなければいけないし、安全は無論のこと、美味しくなければわざわざ手間をかける有機無農薬の価値はない。
美味しい、は確かにいろいろなことを救うのだ。

流山の「里」にはいろいろな力が育っていく土壌があるようだ。

     ※     ※     ※

◆私の畑 代表百姓 中越節生氏
 所在地 流山市大畔 字中ノ割321
 連絡先TEL/FAX 050-1358-0058
 URL http://ameblo.jp/watashinohatake/

流山に茫々もえる〜中越さんの有機農法と農と食 2 草ぼうぼう畑にもえる新しいちから

2009年08月06日

手入れの行き届いた「里」の畑に、中越さんは「有機」農法を持ち込んだ。中越さんの畑だけが草ぼうぼうだ。まあ、ちょうど秋物への端境期にかかることもあって、倒す前の畝はちょっと草取りを「休んだだけ」とのことなのだが、それにしてもすごい雑草の生命力だ。

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中越さん(右)は3年前まで、外資系生保の会社員。八木さん(左)とは同僚だったわけだ。一念発起して1年間の研修を受け、この地に2反ほどの畑を借りて農業に転進した。
3年間の努力が実を結んで、周辺農家にも自治体役所にもようやく認められてきて、来年はもう2反の畑と、6枚(たぶん2反田かな、と思うが聞き漏らした)の田んぼを借りられるのだという。
そして4反の耕地を経営するようになると「農業者」としてして認められ、何かと有利になるのだという。
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隣接農地はごく近接しており有機無農薬ではないし、3年ほどの耕作では「有機」認定には当たらない。しかし、牛糞などをふんだんに使った自然堆肥を多用した豊かな土地作りは確実に作物の品質に反映され、明らかな優位をつくりだしている。
殺虫剤はもちろん不使用。蜂や虫がいっぱいで、茄子の葉っぱはこんな具合だ。
(くれぐれも雑草は、端境期へ向かうのでちょっとだけ草取りを省いた?今だけ、なので…)
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トマトはもう終わりだが、まだまだ熾んに実を付ける。
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オクラの花は、ここでも美しい。
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傍らの畝では、もう秋ものの作付けが始まっている。
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茫々の草の中で、忘れられたように虫食いだらけのバジルが密生する。
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茫々百里とはゆかないが、この2反ほどのせまさの畑の中には密集したエネルギーが充満して萌え出ようとしているようだ。
それは、「近代」が解体しつくした「米」にまつわる「村落共同体」=「支配の共同体」など見たこともないあらかじめ分断されていた世代からする、一人の身体の深さをそのまま維持しながらあらたな「里」や「故郷」を作り出そうとする、まったく新しいちから、ポスト・ポストモダニズムというような力なのだ。と、わたしには思われた。

     ※     ※     ※

◆私の畑 代表百姓 中越節生氏
 所在地 流山市大畔 字中ノ割321
 連絡先TEL/FAX 050-1358-0058
 URL http://ameblo.jp/watashinohatake/

流山に茫々もえる〜中越さんの有機農法と農と食 1 「里」の風景に幻視の「故郷」を感じる

2009年08月06日

すっかり遅くなったが、7月29日に流山で脱サラして有機農法にチャレンジしているという、中越節生(なかごし・せつお)さんの「私の畑」を訪ねた。

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駅で言えばつくばエクスプレスと東武野田線が交差する、流山おおたかの森が最も近くて、直線距離にして1kmほど。歩いても15分ほどだろうが、このあたりで歩く人はまれだ。
交通空間としてはここはすでに「イナカ」なのである。

090806流山2の2.jpg
しかしもちろん住宅は立て込んでおり、さして農地が残っているわけではない。流山市の公開データによると平成17年現在で農家戸数447戸、経営耕地面積398.8haとなっている。(平成20年版流山市統計書)
平成6年には農家戸数は938戸、経営耕地も624haあったから、戸数は半減、耕地は3分の2になった。
主要な農地は江戸川沿いに広がる水田と、市街地内に取り残されたような小規模な畑地である。
航空写真で見てみると、この場所は市街地内に残るなかではもっとも大きくまとまった農地のように見える。

今回は、旧知の生保マンで自分でも100坪ほどの畑を耕す「農業志向者」の八木さんが車で案内してくれた。
「郊外」特有の工場や商店や住宅が乱雑にばら撒かれたような殺伐とした2車線の細い道を走り、木立の茂るあたり自動車学校の角を一段と細い道へ曲がりこんで100メートルほども走ると、急に視界が開ける。

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そこには、まるで別の世界へ入り込んだように、畑が広がり、向こうには「里」の森が広がる。この「手入れされた自然」は私たちに懐かしいものだ。まさしくハイデガー言うところの「故郷」であり、私たちの心性に根付いた「本来性」というものであろうか。

何百年もの歳月、もしかしたら千年にも近く、良く手入れされ整備されてきた「里」の風景だ。広々と開けた畑の向こうには防風を兼ねた屋敷森というより、「里山」と呼びたいような巨大な森が広がるのだ。

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この良く手入れされた畑地の周囲には数軒の農家が取り囲むように点在する。しかし、多くは後継者に悩んでおり、この風景は実は存亡の危機に瀕しているのだという。

すでに「故郷」としての観念の力は喪失しているにしても、今に生きる「里」は、人間の「本来性」の根拠を、あるいは身体的に確認するなにものか、であるだろう。
傷つき、滅びようとしている幻視の故郷がここにある。

     ※     ※     ※

◆私の畑 代表百姓 中越節生氏
 所在地 流山市大畔 字中ノ割321
 連絡先TEL/FAX 050-1358-0058
 URL http://ameblo.jp/watashinohatake/
 







端緒論2 位置 近代の汀で〜近代の果てのより深い孤立分断の時代

2008年05月29日

産業資本主義から幻想資本主義へ

より深い孤独と分断について

1991年、バブル崩壊は
日本〜世界(この場から連なる同時代的世界)が、
「近代」から、次の時代へと踏み込んだことを象徴している。

資本制社会が、原始共産制の香りを残した産業社会から、
高度に「幻想」化、純化された、
いうならば、「資本=貨幣」オリエンテッドな幻想資本主義社会
またはメタ資本主義社会
というようなものへと転化した、大きな節目だったのではないか。

1980年代、個人消費が、設備投資を上回った時代に、
「よりよい消費」がよりよい生活の価値であるとする意識が育った。
生産や他者への貢献などによる社会・共同への自己同一化ではなく、
閉じたサイクルの中で消費を生活目的とする消費の自己目的化に陥った個人は、
何か客観化された目的のために生きるのではなく
分断されたこの生を生きることを目的として生きる、
という自家撞着に陥った。
(生きるために食べるのではなく、食べるために生きることさえある、というように、
または何かのために生きるのではなく、よりよく生きるために生きる、というように…)
そのとき、「世界」や「時代」や「社会」は、
いやいやをしながら、身を回転させて彼岸のものになった、
であろう。
個人は閉じたサイクルの中にあまりの発展性のなさに、ますます深く絶望して、「他者」への通路を自ら閉じた、であろう…。

経済活動は「消費」そのものを起源とも、目的ともする
というような閉じたサイクル(消費資本主義)に陥っているのではないか。
(人々は出口のない「消費生活」の中で事故閉塞に陥っている、のではないか)
したがってまた、経済は意識せず、ただ単に自身の自律的な自己増殖の欲望に従って、消費のないところ、すなわち貧困、な市場を、回避しようとしているのではないか。

そこでは金融システムが増殖して、
かつて「投資」であったものは「投機」へと自己増殖し(幻想となり)、
産業資本のオバケである石油メジャーも穀物メジャーも、
それぞれの「市場」の価格政策からも需給からも影響力を排除されつつあり、
市場の第一人者ではなくなっている。
すでに、資本主義の土台であるはずの「金融」が第一人者であり、金融は期せずして産業を媒介せずに直接「利益」を生み出す装置(金融資本主義)となっているのではないか。
(経済も自己閉塞に陥っている)

さらには、インターネットによる「通信」の多層化、高速化と、
現実と内部世界との境界があいまいな擬似現実の出現は、
経済活動をも、
手とモノが生み出す厳然たる物質の世界のものから、
観念の世界(幻想)にも踏みこんで「市場」(経済原理の貫徹される場)としているのではないか。

そこでは頭上を覆う「近代」の重たい、個人支配の秩序の網が晴れたように感じられ、
明るい日の下で輪郭のはっきりした個人が自由に振舞っているように見える。

しかし、わたしたちは、同時に「モノ」が自分の自由にならないことも、
「他者」がなお一層遠ざかって見えることも感じている。
「食」さえ、わたしたちの手の内にはなく、
わたしたちは人の顔の見えない得体の知れないものを口に入れなければならない。
哲学は一人ひとりが別々に用いる多用な用語へと分断され、この世界は統一された全体のようでありながら、諸個人の認識の内に違った顔で現れる。

わたしたちはひとつの事柄について語りながら、互いにまったく違う事柄を、同じことのように語っている、かも知れない。
あるいは、まったく別の次元にあるものを、共通の認識のように、
語っているのに過ぎないかもしれない。

わたしたちは、もっと深く分断され、もっと深く孤独を育てているのではないか。
これはポストモダンの時代がわたしたちに強いる錯視の幻想なのではないか。
かつて鮮明だった個と共同との「背理」または「逆立」は、一見解消されたように見え、
個人は直接に共同性に踏み込むことができるというような解放感を味わいつつ、観念の領域にも踏み込んだ幻想化した経済システム(幻想資本主義・メタ資本主義)によって容赦なく分断され疎外され、
排除されているのではないか。



  ※    ※    ※    ※


わたしは書いている。

 食は
 個体として生きるための糧でありながら、
 身体的健康のツールへ
 自己確認のツールへ、
 さらには個と共同をつなぐコミュニケーションのツールになり、
 「上部構造」にかかわる領域のもの、となって、
 食育などといわれ、レストランに星が付き、
 一方、家族はばらばらになり
 生産者は窮迫して農は解体され…。
   --My tasty TESTKITCHEN 初発の位置から――
    食を通して、世界を凝縮し、向こう側へ突き抜けるまで
    「未来への超越的おいしいレストラン開始宣言」
    http://eurekablog.seesaa.net/article/72413417.html


「修辞的な現在」とは、孤独を癒すための個人の自己防衛的な仮象の自己粉飾であり、
インターネットが提供するSNSとは、分断を手早く回復したと感じさせる、より深く精緻に仮構された幻想資本主義時代の仮構の共同性に過ぎないのではないか。
古来の共同性は解体され、抑圧からは解放されたが、
剥き出しになった個人は、よりくっきりと「個人」であり、
それゆえに直接に、無防備に、
外部の異和、に衝突することとなって、
悲鳴を上げて庇護を求めているのではないか。

また多くの個我が、超近代的な異和に衝突して、無防備に倒れてゆくのを、
わたしたちの近代遺制である国家=法は
犯罪にまで貶めているのではないか…。

それが、近代の個人開放の果てにある
わたしたちの位置から見える風景、なのであろうか…。
これが、わたしたちの、位置、であるだろうか…。

    2007年5月2日初稿 5月29日補筆

端緒論3 位置 近代の汀で〜2 拡張主義から多主観的、超主観的へ。時代の最後方から。

2008年05月03日

資本制の自己増殖と、近代自我の自己拡張の思想

産業資本主義は、
個人と個人との物々交換に端を発し、
剰余価値=利益というわけの分からない悪魔のようなものに
曳き摩られるように、自己増殖しこの世界を変えてきた。

生産は問屋制手工業〜工場制手工業〜自動化〜と変貌拡大して、
量産化・複製化・非自然過程化することになって、
自然人の手のとどかないもの(幻想)になった。
「経済」がもたらす自己疎外、というべきであろうか。

(食に戻っていえば、わたしたちは、この幻想化した資本制システムが
もたらす経済原理の必然の結果として、
「幻想」化した得体の知れない食べ物を、このシステム=幻想から与えられて、生きている。
非自然化した要素=農薬や薬品や異物や毒物など非適切食物と、
非人間化した要素=偽装品や劣化品や低品質品など意図的な反社会的食物である)


今日では、自然人が手の届く範囲から、
この幻想過程に参加することを「起業」と呼んで称揚する。

伴って、運搬・交通・通信・その他の産業システム(と、その反映である生活システム)は高度な技術革新とシステム化(複合装置化)によって、
速度と量と安定性と人間工学的快適性を増し、
それゆえ個人の自己調整の範囲を超え、
おそらくは生理学的にも自律神経の領域をはみ出したもの(幻想)
となっていよう。
技術革新は最終的に、肉体から個我(自己意識を持った個人)の場所を奪い取り、または個我の場所を破却し、個我そのものをさえ破壊するかも、知れない…。
少なくとも今日、自律神経の失調をもたらす一因ともなっていよう。
経済がもたらす自己疎外の、その2、であろうか。

わたしたちは、自然的な環境条件の下で、自律神経系の機能を回復し、
あわせてカタルシス(精神的浄化)状態を体験することを
「癒し」といってみたり、そのような「場所」をリゾート、といったりする。

一方、そのような原始から近代への総過程は、
個人の自己意識にとっては、
呪術的呪縛と古代共同体の桎梏を打ち破り、
自己を世界に投影するように拡大しようとする過程であったろう。
(古代からハイデッガーやサルトルまで)

資本の増殖と貨幣の浸潤は加速度的に進行し、
自己意識は過去へと向き合って、自己解放を目指していた。
「近代」の精神は、「近代」がもたらす孤独よりも、
過去の呪縛を主要敵として戦ってきた、であろう。

「身は現在に反転し
 こころは未来を語れない」

しかし、自己を拡張していっても、資本と貨幣と幻想の増殖に、貢献こそすれ、
それらを追い越すことは、ついに、できない。

資本と貨幣とそれらの幻想の自己増殖システムが、増殖する範囲でのみ、
わたしたちは「自己」を拡張しうる、のだろう、から。

(一体どこまで、
 行けばいいのか…)

多く、未来の希望のなさに、打ちのめされ、
倒れてゆく個我があった、であろう。
「自己投企」とは、希望のない未来に悄然として消え入るばかりの個我に、
無理やりに「希望」をこじつける文字通り幻想の哲学なのではないのか。

(そりゃ、人間は確かに、どんな理由ででも生きられるさ…。どんな理由でも死ねるように、ね。自己投企論ではそのような循環性を逃れることはできないで、あろう…ハイデッガーよ…)

あまつさえ、個我の希望のなさに慄然として、
近代的または古代的「党派」に自己解体的に自己投企していったものたち…。

<1973年、産業資本主義の頂点の時代の始まりに、
時代に扼されるように名辞を失った死者たちを点鬼簿に収め
死者としてともに生きる道、をわたしは選んだ、のであったかもしれない。

そこから、そこから、だ>


  ※    ※    ※    ※

自己限定から始まるもの

産業資本の増殖は、鬼っこのような金融の肥大化を生み、
サービスや商業や通信や交通やを日常の個人の生活の水準まで「産業化」し、
もっと肥大化した個人の手の届かないシステム=複合システム経済(幻想資本主義)へと移行した、であろう。

「近代」は近代自身によって超克され、
近代精神は全否定に近いくらい惨めに否定された、であろう。

近代の終わりから始まる、われらの時代は、
限界を知った自己が、
超越論的な他者と対峙する共同主観的(間主観的)世界の時代であるか…フッサールよ…。

いやいや、主観は主観として自立しつつ併在するわけで、多主観的、なんだよ、とか、併在するだけでは「当然に」異和として衝突するので、客観的な主観、として自立しながら主観を超えたものへと転位する超主観(=超越論的主観)だよ、なんて呟きながら、
わたしたちは手の届く限りの手持ちの資源をすっからかんにして、
「食」を選び取った。
そうして、そのこと(自己限定)によって、
他者と対等な危うい均衡を保って連なる道もあること、を知っている。

わたしたちは、深く孤立を感じ、
孤立のうちに食のカタルシスと出会い、
孤立のうちにも他者にも内在する食のカタルシスを知っている。

そして当然普通に手の届く範囲だけで、
自然人として<食>にかかわろうとしている、であろう。
それは間に合わせや、背伸びであってはならず、
<自然(あるべき当為としての自然)なあり方>性が貫徹されているもの
でなければならず、
当然、資本と貨幣が強いる多くの、根源的な矛盾にさらされながら、
堪えながら、
資本と貨幣にさえ超越論的に「相渉る」まで、
続けられる、であろう。

あらゆる仮象を拒絶して
この、いわば時代の最後方である場所から、
始まらねば、ならぬ。
あるいは、「多くを語りながら、何事もなさなかったもの」
の印象を残すことになっても、である。

端緒論1初発の夢と現実

2008年04月14日

何事にも初めはあり、
はじめのひとつ、にすべては内包される、か。

精神の共同体であるTESTKITCHENのはじめの一歩は、
出会い
であり、
経済的共同体である(プロフィットセンターである)
Salsiccia!DELIのはじめの一歩は、
サルシッチャであり、
立地であり、
予算であり、
不定形なデリのイメージであり、
するように不定形であったか。
(現実とは経済のことであるか…経済のことであるか…)
初発が内包する不定形は、無論、たくさんの不定形の未来を招来することとなる。

または、店とは法人格であり
店を作るとは、世界に手作りの一点の法人格を対置することに他ならない、であろうか。
このときわたしたちは全世界に対して、無防備な固体として立ち向かい、
孤独独一なるものとして固体存在の内奥から、この世界のこのようにある秩序(経済・社会)に相わたり
そのような赤裸なものとして他者と出会い直接に異和を受け止めるのであろうか…。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そのようであるとして、
なおすべては手持ちの夢と現実の資源から始まる。

わたしたちは何事か夢見て、貧しい現実の資源を取り出して出会わせる。
708さんは、
彼の中のイタリア、と未来の幸せなKITCHENの夢を取り出して見せた。
豊かなイタリアには、ダリオ・チェッキーニがいて、「普通に」一から手作りで作るサルシッチャがあり、ラグーがあった。未来の幸せなKITCHENには、断念された切れ切れの詩語と現実に相わたる強い自信と、不似合いな繊細な不安があった。
わたしは、
わたしの中の30年の累々たる死者の点鬼簿を、希望のように取り出し、
ある不可能性の<夢>を可能性のように語った。
希望のようなもの、の中に新潟があり、米があり、野菜があり、土があり、八百辰もあった。
可能性のようなもの、のなかに、超越論があり、共食共同体があり、反秩序の革命…があった、かも知れない。

2006年冬。
封建遺制を解体し、近代主義からも遠ざかりながら、
大きく身を開いて行くかに思われた時代の、
なお停滞する季節のそこのほうに、
わたしたちは一粒の、たった一粒の種を播いた。
なおあいまいな時代の沃野に、あいまいなままの思想を据え、
接木でない、実生の「幸せのKITCHEN」と「反秩序の革命」を、
横様に合体させた、で、あったろう。

食べ物は、どう考えても肉と野菜、である。
作り方は、いちから手作業、に落ち着くしかない。

そこから、古代から近未来までの時代を高速で行き来しながら、
国境を廃棄した人文地理的世界を横断して、行くのだ。
初発の夢は多く現実と綯い交ぜになり、
初発の現実は多く夢に吸い込まれる。
そのまま、そのままでね、
夢と現実との間に、再び国境が出現しないように。
一緒くたにして行こう。

理論も哲学も大方は役に立たない。
現実から、秩序を超えてゆこう。




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