2・26事件と昭和経済史への註4 統制派時代の失われた14年

2008年04月16日

二・二六事件の意味

統制派による国家主導時代――失われた十四年

二・二六事件の結果は皮肉にも、決起した青年将校たちの意図とは逆に、皇道派勢力が壊滅し、東条英機らの主導する統制派が軍の中枢を握った。そして、陸軍大臣現役武官制度を復活させ、予備役に編入された皇道派の大物の復活の道を断ち、統制派支配を確立すると政治にも経済界にも軍の影響力が拡大し軍部独裁体制(軍国主義)が作られてゆき、盧溝橋事件を契機に日中戦争へと突入してゆく。
領袖の東条は「陸軍を抑えられる唯一の人物」として一九四一年(昭和一六年)十月、内閣総理大臣兼内務大臣兼陸軍大臣に就任、陸軍内規を変更までして大将に昇進する。 官界でも星野直樹・岸信介らの統制派が政府を主導し、「国家総動員法」をはじめとする日本的統制経済と高度国防国家(戦争のための国家体制)が現実になって行く。
自由や創意を失った経済活動は停滞してゆき、軍需を除く生産規模は下がり始める。GNPも名目は増えるが、実質的に対米比では一九四一年まで相当程度に低下し格差が拡大した。
しかし、「今なら戦争継続可能(今を逃せばもっと格差が開き戦争継続は困難)」とする統制派官僚の作成した甘いデータを持って、東条は反対を押し切り、無謀にもアメリカとの開戦に踏み切る。統制派の「高度国防国家」もまた、現実の認識を欠いていた…。
その後、東条は外務大臣・文部大臣・商工大臣・軍需大臣も兼務し、さらには慣例を破って参謀総長にも就いた。統制派と東条は、望んだ通りの権力を一手に握り、願った通りの独裁支配を実現して、破滅的な戦争を推し進めた。

敗戦後、軍人はほぼ排除されたが、しかし岸信介などの戦犯を除いて統制派官僚たちは生き残り、日本の統制社会は続いていた。経済政策が転換するのはドッジラインによる経済自由化政策が始まってからであった。一時的な後退はあったが、一九五〇年(昭和二五年)朝鮮戦争特需もあってようやく経済は上向きになった。
一九五五年(昭和三〇年)「もはや戦後ではない」と経済白書が誇らしげに言ったのは実に昭和十一年のGNPを実質的に超えたから、であった。二・二六事件以降ドッジラインまでの十四年間(昭和十一年〜昭和二四年)の統制派時代は時代の流れを大きく押し戻し停滞させた、失われた十四年、といえよう。そして旧統制派(革新派)官僚は、何事もなかったかのように高度成長をも担当し、戦後日本の保守本流を形成する。


この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。