2・26事件と昭和経済史への註1 パトスとしての革命〜「2・26事件」概略と安藤と磯辺

2008年04月16日

本稿は2008年4月8日公演された、メイコーポレーション主催モノオペラ「悲嘆(GRIEF)」のパンフレット用に書き起こされた原稿をもとに、心性(パトスとエトス)と経済を一体として整理した昭和史(経済精神史?)へと加筆し改稿してゆく意図でアップしています。
以下のことに触れ、随時改定してゆく予定です。
1日本近代史が古代的、封建的心性と遺構を多く含むものであったこと
2大正7年米騒動をもって近代的心性が「公認された」こと。
3昭和初年代に封建特性を含む近代主義と古代的心性が分裂し、日本近代の近代化運動が始まったこと。
3高度成長を経て1969年安保・学園紛争〜73年早稲田紛争(ドルショック・オイルショック)をもって封建的心性は解体され近代的自我期に入ったこと。
41991年バブル崩壊〜1993年米不足をもって日本近代の心性は急速な自己解体期に入ったこと。
52004年ころから別な新しい経済社会構成の時代に入ったであろうこと。


二・二六事件の概略――皇道派青年将校の「昭和維新」決起と天皇の「不快」

 一九三六年(昭和十一年)二月二六日未明、前夜からの降りしきる雪の中を、陸軍皇道派の影響下の青年将校たちは歩兵第一連隊、第三連隊などを主力とする計一四八三名の兵をひきいて「昭和維新」に決起した。首相官邸、警視庁などを襲撃し、高橋是清蔵相など四人の政府要人と六名の警察官を殺害、霞が関、永田町、三宅坂、赤坂にかけての地域を占拠した。
 決起将校らは陸相官邸を包囲し川島陸相に面会、「決起趣意書」を読み上げ、「要望事項」を手渡して「速やかに天皇陛下に奏上し後裁断を仰ぐ」ことを要求した。九時三〇分、川島陸相は天皇に拝謁、決起将校たちに同情的な説明をする。しかし天皇は反乱軍を「暴徒」と呼び「速ニ事件ヲ鎮定スベシ」と厳命する。
午後一時になって「蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達セラレアリ」などと内容を偽装した陸軍大臣告示が示され、青年将校たちは天皇聖断の希望を感じる。さらに、陸相官邸に集まった陸軍最高幹部の参議官七名全員に、「昭和維新」の断行を要求、信奉する真崎陸軍大将に事態収拾を一任し、期待を持ち続けた。鎮圧のための「皇軍相撃」(日本軍どうしの戦闘)を避けたい幹部たちは心情的な理解を示すが、裏では鎮圧の準備が進められ海軍は東京湾に第一艦隊の戦艦長門以下を急行させる。
翌二七日午前三時には戒厳令が発せられ、反乱部隊を原隊に復帰させよという「奉勅命令」が出た。穏便な解決を図ろうとする陸軍幹部はこれを決起将校たちには伝えず、武力行使を避けていたが、適切な解決策を見出すことができず時間ばかりが過ぎて行く。
天皇は事態が指示通りに進まないことに苛立ち「朕が最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ、朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ」とか「朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、ソノ精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ」と強い不快感を示し、「朕自ラ近衛師団ヲ率ヒ。此ノ鎮圧ニ当ラン」とまで激しく鎮圧を求めた。
  二十八日には、収集のための動きが活発となり、戒厳司令部もようやく本格的な武力制圧の準備を始め、二万四千の戒厳部隊の出動が始まる。それを知った決起将校たちは全員自決をしようと話すが、決起に最後まで慎重だった安藤大尉の「最後まで反対していた僕が、決起したのは、最後までやり通す決意ができたからだ。僕は僕自身の決心をやり通す」という言葉を聞いて思いとどまる。
食料は届かなくなり、夕刻には思想的指導者とされる北一輝が拘束された。維新実現の道は閉ざされてゆき、次第に決起部隊にも動揺が始まる。
二九日午前五時十分、戒厳司令部から討伐命令が出され、八時三十分には総攻撃が開始されることとなった。有名な「勅命下る 軍旗に手向かふな」のアドバルーンや「下士官兵ニ告グ、今カラデモ遅クナイカラ原隊ヘ帰レ。抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル。オ前達ノ父母兄弟ハ国賊トナルノデ皆泣イテオルゾ」のビラが撒かれた。

『そのころ、飛行機が宣伝ビラを散布して飛び去る。下士官、兵にそれが拾い取られて、手より手に、口より耳に伝えられて,忽ちあたりのフン意気(原文のまま)を悪化してゆく。「下士官兵に告ぐ、御前等の父兄は泣いている、今帰れば許される、かえらぬと国賊になるぞ」と云った宣伝だ。余は「これでもう駄目かな」と直感した』
――磯部浅一元一等主計遺書「行動記」

  早朝から投降帰順する部隊が出始めた。九時を過ぎたころからは続々と兵が原隊へ帰り始め、決起部隊の崩壊は決定的になって行く。磯辺、村中、栗原といった青年将校たちは最後に残った安藤大尉の部隊が陣取る山王ホテルに集結して、こもごもに意見を述べた。
ひとり徹底抗戦を主張していた安藤も、度重なる説得に、ついには兵を帰す決意をして、最後の訓示をして全員で中隊歌を歌う。歌声の中で銃声が響き、安藤が倒れている。
  かくて、二九日十四時までには、兵はすべて原隊に復帰し、事件は終息した。

心情(パトス)の革命――捨石の思想

皇道派青年将校による二・二六事件の思想は、自分たちが立ち上がれば後に続くものがあるはずであり、自分たちの思いは通じるはずであり、その後は「陛下の下に一切を挙げてお任せ」すれば「ご聖断」により「君側の奸」はのぞかれ、「昭和維新」の時代になる、というものだった。そして、そのために、自分たちは捨石になるという「捨石」の思想による心情的革命の構想であった。現在から見ればひとりよがりでしかなく、具体的な政権奪取計画はなく、組織的背景も大きくはなかった。
しかしながら、その心情には時代的な根拠があり、多くの共感者も獲得したのである、が、それにしても、いくらなんでもあまりに純粋すぎた、といわざるを得ないであろう。だからこそ、天皇の「聖断」が得られないとわかると、崩壊もまた速かったのであろう。
最後まで維新実現の初志を貫き徹底抗戦を主張した安藤大尉の第六中隊の帰順の場面は悲しい。

 尊王軍の幹部全部山王ホテルに来る。安藤、香田、磯部、山本、村
 中、丹生、栗原、各将校重要会議に移る。会議事項不明、ただ黙する
 ばかり。
 
 磯辺大尉「すべて安藤に任せよう。何も力を持たない吾吾(原文のま
 ま)が計画したのが誤りであった」と話す。中隊長「俺はこうなると
 は思わなかった。はじめから自重説を唱えたのは俺だ、それで最後ま
 でがんばったのは俺だ、―略―」と泣く。中隊長全員にひそかに別れ
 を告げる。「みな良く闘ってくれた。(戒厳軍と)闘えば勝ったの  だ。
 最後まで頑張ったのは六中隊だけだった。中隊長は心からお礼を申し
 上げる。
 これから満州へ行ってしっかりやってくれ」と言う。
 「中隊長も行きますか」と兵は皆口々に叫ぶ。「ウン行くぞ」と悲し
 げに答える。
   大隊長聞き「安藤、愈々俺と一緒に死んでくれ」と叫ぶ。」
 「ハイ一緒に死にましょう」とピストルを取り出す。
 自分は夢中で中隊長の右腕に飛びつく。
 磯辺大尉も後ろから抱きしめる。「放してくれ」と泣く。皆泣く。
   中隊長「前島、はなしてくれ。中隊長は何もしない。するだけの
 力がなくなってしまった。随分とお世話になったなあ。いつか前島
 に、中隊長殿は農村の現状を知っていますか、と叱られたことがあっ
 たが、今でも忘れないよ。お前の心配している農村もとうとう救われ
 なくなったなア」と涙が抱きついている腕を濡らす。
   ―略―
   出発前にあたり、副官(兵士を受け取りに来た戒厳軍参謀副官)
 はまた「兵隊は皆中隊長とお別れしなければならない」と云う。
 これを大隊長がまた止める。
 中隊長、一同をホテル玄関のほうへ向かしめ、最後の訓示を与える。
 「では皆で中隊歌を歌ってくれ」
   中隊歌を皆涙を呑んで歌い出す。中隊長歌いながら、あとへあと
 へと、退る。変だ。中隊旗を投げすてて走り寄った時は突然一発の銃
 声、中隊長が倒れている。皆かけ寄り大声をあげて泣く。 
  ―― 安藤大尉当番下士官であった前島上等兵の手記より

 安藤大尉は一命を取りとめたが、その後の軍法会議で、「首魁」十七名の一人として「血気にはやる青年将校が不逞の思想家に吹き込まれて暴走した」と、死刑判決を受ける。しかし明らかに幇助にあたる荒木は告発されず、真崎は関与を否認し無罪となった。
磯部と村中を除く十五名の処刑は七月十九日執行され、磯辺と村中の処刑は民間人北一輝と西田税の裁判のため延期され、翌年八月十九日執行された。磯部は獄中で、決起の正当性と先に処刑された同志の無念、さらには天皇への「お叱り」を呪詛のようにつづった鬼気迫る手記を書き続けた。(磯部は、処刑されるとき、天皇万歳とは言わず、愛妻登美子の髪を棺に、と望んだ)

  陛下 日本は天皇の独裁国であってはなりません、重臣元老貴族の
 独裁国であるも断じて許せません、明治以後の日本は、天皇を政治的
 中心とした一君と万民との一体的立憲国であります、もつとワカリ易
 く申上げると、天皇を政治的中心とせる近代的民主国であります、左
 様であらねばならない国体でありますから、何人の独裁をも許しませ
 ん、然るに今の日本は何と云ふうざまでありませうか、天皇を政治的
 中心とせる元老、重臣、貴族、軍閥、政党、財閥の独裁国ではありま
 せぬか、いやいや、よくよく観察すると、この特権階級の独裁政治
 は、天皇をさへないがしろにしてゐるのでありますぞ、天皇をローマ
 法王にしておりますぞ、ロボットにし奉つて彼等が自恣専断を思ふま
 まに続けておりますぞ
  日本国の山々津々の民どもは、この独裁政治の下にあえいでゐるの
 でありますぞ
 陛下 なぜもつと民を御らんになりませんか、日本国民の九割は貧苦
 にしなびて、おこる 元気もないのでありますぞ  
  ――磯部浅一元一等主計遺書「獄中日記」より

 
 


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