端緒論1初発の夢と現実

2008年04月14日

何事にも初めはあり、
はじめのひとつ、にすべては内包される、か。

精神の共同体であるTESTKITCHENのはじめの一歩は、
出会い
であり、
経済的共同体である(プロフィットセンターである)
Salsiccia!DELIのはじめの一歩は、
サルシッチャであり、
立地であり、
予算であり、
不定形なデリのイメージであり、
するように不定形であったか。
(現実とは経済のことであるか…経済のことであるか…)
初発が内包する不定形は、無論、たくさんの不定形の未来を招来することとなる。

または、店とは法人格であり
店を作るとは、世界に手作りの一点の法人格を対置することに他ならない、であろうか。
このときわたしたちは全世界に対して、無防備な固体として立ち向かい、
孤独独一なるものとして固体存在の内奥から、この世界のこのようにある秩序(経済・社会)に相わたり
そのような赤裸なものとして他者と出会い直接に異和を受け止めるのであろうか…。

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そのようであるとして、
なおすべては手持ちの夢と現実の資源から始まる。

わたしたちは何事か夢見て、貧しい現実の資源を取り出して出会わせる。
708さんは、
彼の中のイタリア、と未来の幸せなKITCHENの夢を取り出して見せた。
豊かなイタリアには、ダリオ・チェッキーニがいて、「普通に」一から手作りで作るサルシッチャがあり、ラグーがあった。未来の幸せなKITCHENには、断念された切れ切れの詩語と現実に相わたる強い自信と、不似合いな繊細な不安があった。
わたしは、
わたしの中の30年の累々たる死者の点鬼簿を、希望のように取り出し、
ある不可能性の<夢>を可能性のように語った。
希望のようなもの、の中に新潟があり、米があり、野菜があり、土があり、八百辰もあった。
可能性のようなもの、のなかに、超越論があり、共食共同体があり、反秩序の革命…があった、かも知れない。

2006年冬。
封建遺制を解体し、近代主義からも遠ざかりながら、
大きく身を開いて行くかに思われた時代の、
なお停滞する季節のそこのほうに、
わたしたちは一粒の、たった一粒の種を播いた。
なおあいまいな時代の沃野に、あいまいなままの思想を据え、
接木でない、実生の「幸せのKITCHEN」と「反秩序の革命」を、
横様に合体させた、で、あったろう。

食べ物は、どう考えても肉と野菜、である。
作り方は、いちから手作業、に落ち着くしかない。

そこから、古代から近未来までの時代を高速で行き来しながら、
国境を廃棄した人文地理的世界を横断して、行くのだ。
初発の夢は多く現実と綯い交ぜになり、
初発の現実は多く夢に吸い込まれる。
そのまま、そのままでね、
夢と現実との間に、再び国境が出現しないように。
一緒くたにして行こう。

理論も哲学も大方は役に立たない。
現実から、秩序を超えてゆこう。






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