おせちの古代史的近世史的註 その3ミニ江戸経済史

2008年01月11日

若い商業精神の日本的プロテスタンティズムはどこへ往ったか

【前期1600年代】 復興上昇期

◇1600〜戦後復興期

◇1630年代〜封建制の相対上昇安定期 かぶきもの、尾形光琳、貞門俳諧、日光東照宮

◇1688〜1703年 成長成熟期 元禄時代〜好景気、米経済・上方文化全盛期 荻原重秀による貨幣政策、松尾芭蕉、井原西鶴、近松門左衛門、友禅染、江戸では歌舞伎、菱川師宣、湯島聖堂、浮世草子生類憐みの令
1697年「農業全書」宮崎安定

【中期1700年代】前半 相対停滞期

◇1709年〜新井白石 正徳の治 
◇1716年〜45年8代将軍吉宗と儒学系学者による享保の復古的改革、米価乱高下、甘藷栽培、荻生徂徠、
1709年「大和本草」貝原益軒
1732年享保大飢饉

【中期1700年代】後半 成熟拡大期

◇1767〜80年代 田沼意次による近代化時代。通貨制や商業税、事業税を初めて定めた。
海保青陵、富永仲基、山片蕃桃、本田利明による経済思想・合理主義。
平賀源内による科学精神、本居宣長による人間性称揚、塙保己一による書誌学的実証主義、蕪村、一茶、山脇東洋、杉田玄白、丸山応挙…。

1752年安藤昌益「自然真営道」
1782年〜天明大飢饉

加賀、仙台、米沢、熊本、松江、秋田など藩財政改革で商業化。

【後期】前半1787〜1840年 爛熟頽廃期

◇1787年〜 寛政の改革 超保守派・松平定信による反動的改革、寛政異学の禁、

◇1793年〜 11代将軍家斉による大御所政治・化政文化
1821年二宮尊徳、小田原藩政指導(倹約主義)
1827年「経済要録」佐藤信淵
1829年「農政本論」佐藤信淵
1830年おかげ参り
1833年〜天保大飢饉
1837年大塩平八郎の乱
1839年蛮社の獄

※長州、薩摩、佐賀、の重商化・洋式化、水戸の藩政改革

【後期】後半1841〜1868年 混迷解体期

◇1841年〜43年 水野忠邦による、時代錯誤的改革から暗黒と混乱の20年 町人を対象に広げた贅沢禁止倹約令・風俗取締り、株仲間禁止、人返し、上知令
◇1853年代 幕府・雄藩による海外貿易、物産奨励時代
1859年「広益国産考」大蔵永常

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商業化の始まりー大坂・元禄

そもそも日本封建社会の根幹である米の集散は、秀吉によって開かれた若い夢の都、当時の海運の中心地である大坂(おおざか)に集中していた。また、その他の商品経済の中核は、多分北前船の運ぶ東北や北海道の産物であったろうが、その中心はやはり大坂にあった。もちろん商業集積も、資本も大坂により多く集中していたのであって、この経済格差は、多分1970〜80年代まで確実にあったような気がする。
その間大坂(大阪)は日本全体の経済と文化の中心であり、井原西鶴や近松の元禄文化に始まり、多くの文化や産業やを生み出した。
(人口を見ると大坂は38万程度で推移。京都は比較的安定して35万前後で推移)

消費型エピキュリアン経済センター:江戸1700年代

1700年代享保年間には、江戸は人口100万に近く、巨大な武家社会を抱えて、一大消費市場であった。
 ※江戸の人口:統計は町方支配の町人の人口と寺社方の人口について
  は公式なものがあるが武士人口の統計はない。享保年間に始まって
  おり、享保6年(1721年)には501394人の町方人口が記録されてい
  る。寺社方人口は享保18年(1733年)に68059人を数えている。武
  士人口は20万人程度から60万人くらいまでの推計がなされている
  が、全部を合わせると少なくとも80万人以上の人口はあったかと推
  計される。1800年代以降は100万以上と推定される。

全国の商流・物流センターである、大坂に対し、大坂からの「北前船」の運ぶ物産(昆布や、干しいわしや、紅や…)を関東に集散する基地であり、また上方産の着物や装飾工芸品や、全国からの材木や、灘の酒や紙や陶器や、桐生足利の絹や川口の鋳物や野田の醤油など…を扱って利益を上げる、関東の経済センターであり、より消費型、享楽型、個人型であったろう。

ここに旗本の次男坊以下の「かぶきもの」や、商人たちの自立思想としての芭蕉以来の風狂や、娯楽や享楽的態度を重視する浮世絵や歌舞伎や狂句や滑稽本が現れたであろう。

田沼時代の目覚しい経済改革と農業の無策

1700年代後半、明和・安永・天明年間は側用人上がりの田沼意次が実権を握り、積極経済に転じた。
幕府直営事業の座により、金・銅・朝鮮人参・ミョウバンを専売化して財源確保に努めた。
問屋制手工業、工場制手工業の拡大をみて、株仲間を公認してさらに発展を促すとともに、冥加金を課して財政改善と産業振興に努めた。しかし、冥加金の金額は納める側の任意でよく謝礼的な意味で解釈されていたようだ。
秀吉が堺、博多、京都、大坂を直轄地として支配していた事例もあるが、おそらく史上初めての商業一般への課税の試みではあったであろう。
(米の収入は年に130万両程度、幕府の貿易担当部門、長崎会所の上納金は年に2万7000両だった)
貨幣制を改め、金銀相場制を金1両=五匁目銀12個、という定位貨幣制とし、信用貨幣制の先取り的改革を行った。また海外貿易の振興策に手をつけ、長崎貿易の禁制を緩めた。

経済改革は目覚しく、商業は活性化したが、農業=米=食糧対策はお寒く、主要には民間資本導入策でも有名な印旛沼、手賀沼の埋め立てによる新田開発くらいであろう。農業技術も、思うほどには進歩せず、享保・天明・天保の三大飢饉のたびに人口は大きく減り経済は大きくダメージを受けた。
このシマグニの古代専制制も封建制も、農業や農民を収奪の対象としか見ておらず、有史以来まともな農のビジョンは存在しない。現在も、である。
また、このシマグニでは古来、豊かになった農民は、農を見捨てて収奪者に成り果てていった。

※商業者に対する課税は、臨時的なものはあったが、通常には1割、5分、などという率で、軽いものであったようだ。

※もしもフランス革命におけるように、というより前代の加賀一向一揆のように農民が自立的に革命に参加し、農業者の自立と権利を主張していたらば…。または田沼政権が農業の構造改善と農業者の権利の拡充に取り組んでいたらば…。……妄想、妄想。

結局、田沼意次は、封建制のウミとも言うべき賄賂の横行で評判を落とし、天明大飢饉で干拓事業なども挫折し、後継者もなく、商業活性化政策も武士たちの積極的支持を獲得するにいたらず、将軍家治の死とともに失脚する。同時に、日本近代化も100年ほど遅れることになった、であろう。
わいろは、停滞的な封建社会の特徴的な病だ。もっともっと自由な商業精神が育つことでのみ克服できるだろう。
農は、と書きかけて、困ってしまう。日本封建制は、なぜもっと積極的な増産に取り組まなかったのであろうか・・・。

科学的実証主義とパイオニア精神は

また、商業の発展を土台に、多くの合理主義的思想が、幕府の朱子学奨励の殻を破るように現れた。
新井白石の合理主義に始まり、富永仲基(大坂)の経済論や懐徳堂、海保青陵(丹後から全国漫遊、加賀藩財政改革や各地での物産奨励策)、本多利明(越後出身、科学を学び西域物語で西洋事情を紹介、経済総論で重商主義を展開)、山片蟠桃(大坂出身、無神論と商業経済論、仙台藩の財政改革)らが、商業重視の社会改革を唱え、実務的な経済化としても藩財政の改革や物産開発に貢献した。
この時期は、わが国史上、最も、というか、唯一、独自の経済思想が盛んだった時代ではないか。

さらには、平賀源内による科学精神、本居宣長による儒教的礼節ではなく「もののあわれを知る」人間性称揚、塙保己一による書誌学的実証主義、伊能忠敬による日本地図作り、などがフランス百科全書派的な社会啓蒙に勤め、科学的な実証主義とパイオニア精神が同時に花開いた、かに見えた。
目の前の現実に、自力で対処しようとする、プロテスタンティズムの精神(節約・勤勉・克己)にも似た、更にはピューリタニズムにも似た、パイオニア精神にも似た、自立的な、実践的な思想者の時代、といえようか。
新しい社会への希望が、人々の胸に芽生えた、であろう。

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<これら、新しい精神はどこへ行ったであろう。1787年松平定信が寛政異学の禁を持って歴史に登場すると、雲の子を散らすように、消え去り、わずかに伊能忠敬の日本地図つくりが細々と続き、外国船が到来し始めるなか攘夷思想が跋扈し始め、さらには水野忠邦・鳥居耀蔵の蛮社の獄で、完全な混乱時代に突入することになる>

<このころ田沼派が実権を握り続け、反武士の町人勢力が蜂起して、市民革命が起きていれば…なんて妄想妄想。

おせちには、てんぷらも入り、ジャガイモやサツマイモも入り、もしかして肉も入っていたかも、知れなかったが…。
しかし、このシマグニの現実には、外来思想の儒学、とりわけ朱子学が根を張り、商業と個人をさげすんでいた。さげすんでいただけではなく、弾圧さえした、のだ。
商業が、さげすみ、から開放されるのは、商業界倉本長治1948、ペガサスクラブ渥美俊一1962、主婦の店ダイエー中内功1957年、を待たねばならない。外食業にいたっては、1970年代のファミレス・ファーストフード群の登場まで待たねばならなかった。
恐るべし、朱子学。恐るべし、日本封建遺制>



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