鳩山辞任〜国民国家はどのように廃棄されるか

2010年06月03日

近代国民国家体制廃棄への「率直で力のある」自爆
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昨日、鳩山首相が辞任表明した。
辞任表明演説では、その原因となった事態は、
1 国内支配共同体との差し違え(政治と金の話)、
2 世界市場システムへの拙速な反抗(普天間移設の話)による地域主権主義の自爆
の二つであった。
演説は、論旨明快、率直で力を感じた。

率直さはこの人らしく、時に政治的実務的な拙劣に直結するのであるが、清冽さは捨てがたいものを感じる。力は、現実の政治過程の諸関係が強いる不本意や口に出せないでいたこと、すなわち小沢・鳩山の資金問題と普天間基地移設問題にまつわる「思い」をさっぱりと口に出したことの自分らしさへの確信がもたらすものであろうか。

思えば、「政治と金」問題についての対処がすっきりしないままで推移してきたのは、鳩山の唱える「クリーン」な「倫理」が、本人がいかに真剣に理想を目指そうと、その出自からして、経済的に拠って立つ基盤は結局国内支配共同体であり、いわば「同じ穴の狢」であることを免れないと言う悲劇的自己矛盾を自ら際立てて証明してしてしまっていた。また鳩山が拠った対抗思想も対抗勢力の実態も脆弱で非力であることを示している。
最後に力を振り絞って、もっとも身近な支配共同体勢力であり本来やめて当然の小沢一郎と、それも敢えて刺し違えたように見える発言に「理想」を口にするものの矜持が最後の一刺しの微力となって現れた、と言うべきか。

「普天間問題」は世界市場システムを軍産複合体制で貫徹しようとする近代世界資本主義=市場主義の力を、拙劣にも勘違いして、地域主権の論理(人間の生活のために生存共同体の利益が優先されるべきで、地域生存共同体が持続するために、その範囲内で世界市場体制は維持されるべき)を対置した、「狂者ドン・キホーテ」的な突進であったが、軽くいなされて倒れてしまった。あまりに非力な実体をわたしたちはあらためて認識させられる。

そもそも2009年総選挙における民主党のブーム的勝利は、近代市場社会の資本の自己増殖論理を支える支配共同体の枠組が解体しつつあることの大衆的表現であっただろう。
鳩山政権は国内支配共同体解体の象徴であり、なお残存する強固な市場社会と市場拡大勢力に対する弱小非市場化勢力のきわめて微妙で繊細なバランスの上のトリックスターのようなものであっただろうか。
政権の崩壊は、その危険性についての認識を欠いた、あまりの率直な態度とあまりに弱小な力のアンバランスが招いた自爆であったと言うほかない。

固体の近代=国民国家体制から政治的国家の死滅へ

資本の自己運動は、産業化推進のため「国家」による監視・システムを有効に活用した。
資本は、本来的に国家を土台に世界市場を形成し拡大してきた。
国家は資本の庇護者から支援者に変わり事実上一体のものであったが、
本格的な世界市場の形成<グローバリズム>からは、世界市場は国家の「庇護」や「支援」を「規制」ととらえ、国民国家の利害と資本の利害は一致しなくなってきた。

資本は国家から離陸して世界市場経済に所属している。
そして、時に、その本来的な自己本位さのために「地域経済」や「国民経済」に、したがって「国民国家」とも、敵対することさえあるのだ。
市場化システムの推進者としての国民国家は、軸足を、本来の使命である市場システムの推進から、地域=生存ためのシステムまたは共同体の持続へと移すほかなく、監視者・支配者の地位から取り除かれ、解体されつつあると言わねばならないだろう。
(ここでは、アメリカだけが強い市場原理主義勢力=軍産複合体が軌道修正しながら、なお市場システムを推進する監視者・支配者として行動しようとしているように見える)

普天間問題で際立っていたのは、その進行の拙劣さとともに、首相が沖縄県や徳之島の自治体に(現在の仮想の地域主権者に)、「依頼」したり、結果として「謝罪」したりする姿勢であった。
「成田」の時に、こんなことは考えられないことであっただろう。「成田」の時には国民国家は、「合理的に」有無を言わさず強制収用手続きを進め、国家の暴力装置を「合理的」に使用し、成田―三里塚における生存=地域共同体は惨めに踏みにじられ、解体された。
「法は支配者の法」であり、国民国家が地域共同体の敵であることを鮮明に示したのであった。
もちろん支配共同体の政治セクターたる政府が「依頼」したり「謝罪」したりはしなかった。

今回の鳩山の「地方優位」という姿勢は、なにがしか、時代の変転を感じさせる、いままでになかったものだ。

これまで、国家の利害がもっとも大切で、地方は国家の利害のために、国家の指揮にしたがってきたが、しかし国内においては、すでに生存-生活を保障するシステムとしての「地域」の利害がもっとも大切だという事態になりつつある。


資本は、市場化された地域では、すでに国境を越えて、諸「国民国家」の「規制」を脱出して「世界市場経済」の拡大にいそしんでいる。その先端で残り少なくなってきた地球上の非市場化勢力(イスラム、北朝鮮など)との抗争を主導しているのがアメリカ軍産複合体制である。
今日、軍事・外交などにおいては世界市場を主導するアメリカのもと、「市場化社会」勢力として統一されつつあるところの、ニホンなどの市場内地域では政治的国家は主体性を失い「死滅」しつつあり、社会保障主体の「地域政府」化しつつある。
政治的「国家」は現実には、世界市場システムを主導するアメリカ軍産複合体制が、一手に担おうとしている。

ここでは諸「国民国家」は、すでに、主体ではなく「地域」に対する従属的なしかし、いまだ強力な支援者である。すなわち、「国家」は主権者としての「地域」の生存-生活保障システム(それはまだ建設、または再建に着手された段階であって、まことに未熟・微弱といわねばならないが)に従属し、それら主権者が協働してしてゆくための支援システムである。
したがって国内「政治」というものは独立したものとしては消滅しつつあり、少なくとも、「政治」を国家権力をめぐる駆け引きや術数であると理解する旧来の「政治」は最早存立基盤を失っている。

(もちろん単純な共同体主義で事はすまないのであって、そこでは生存保障と自由との深遠にして困難なせめぎ合いが展開されてゆくのであるが)


     ※     ※     ※

しかしながら、今回の辞任演説の中でも、鳩山は「国難」ということばを使っている(一方で「地域主権」と言いながら、である)。
「国難」はアメリカ政府に対して、交渉力の極端に微弱な「関係」をさしていよう。
今日でも国家が自国資本を庇護または支援して国家どうしが自国資本の市場拡大を競っているという幻想が生き残っている。

世界化しつつある市場社会の中で、役割を終えて解体されつつある(ニホンなどの)「国民国家」の残存支配共同体は、なお「国際関係」の舞台では、政治的「国家」を僭称して、政治的「国家が」最大の利益誘導者であるかのように振舞う欺瞞(個人や地域との逆立性を露出した共同幻想であること)を強いられているのである。


生存―生活保障のために「相互―生存―単位」としての地域的・非地域的コミュニティの建設、さらに「協働社会」へ

今日、市場社会によって分断され孤立した個人が、生存と生活を保障する事の可能な強い「相互―生存―単位」を地域的共同体に、または非地域的コミュニティに構築してゆくことが最優先の課題であるように見える。それは生存―生活を保障する主権の最小単位であって、かつ最終単位である。
さらには地域間、コミュニティ間の協働組織たる広域協働組織、それらの日本語文化圏内(日本市場圏内ではなく)における協働組織としての文化圏協働体が、生存―生活保障の「主権的担い手」たる単位コミュニティや単位地域を支援する生存―生活保障国家が実体として構築されてゆくと思われる。

今日の隙間のない「世界市場社会化」がもたらした事態に、その事実をはっきりと認識し、非市場的な「生存ー生活」の場を「協働社会」として対置してゆくこと。

人間の歴史に、大文字も小文字もありはしまい。そのように見えるのは「歴史」が国民国家のものだという錯誤から来る言説に過ぎない。

わたしたちは、自然との絡み合いの中で基本的に自らを異和として、ようやく普通に認識できるようになったに過ぎないが、すでに、市場と共同体が絡み合う次代の、また今後しばらくの「社会」システムの構築が始まっている。
この記事へのコメント
首相辞任ではなく議員辞職をしてもらいたかった。
鳩山由紀夫は、首相経験者は辞任後に影響力を行使すべきでないから、議員を辞めるべきと野党時代には主張していた。
Posted by 小沢総書記 at 2010年06月03日 09:39
鳩山さんは、すでに昨日、次回総選挙には立候補しないことを表明したと伝えられていますね。
まことに首尾一貫した態度と思われます。
Posted by foody at 2010年06月03日 09:56
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