共同幻想論1 わが1973年の共同幻想論

2009年02月24日

共同幻想論は「文芸」1966年11月号に初めて発表された。
2年後、1968年2月に雑誌発表の前半6章に加え、後半5章を書き下ろして「共同幻想論」は世に出た。
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おりしも高度成長絶頂期と学園紛争高潮期にあたり、政治的言語は波瀾を予感させたが、経済社会は政治ごときに微動もしないのであった。
田舎の文学少年であった私はたぶん1971年に、吉本氏に手紙を書いている。(夫人の手になる丁重なふっくら温かい気持ちになるはがきの返信をもらった。何を書いたかは、覚えていない。)
1973年高田馬場の大学に入った私は、文学サークルに入り、小数の友人と交流しつつ、文学や政治に半ばポーズじじみて熱中していた。優秀で早く世に出る知己もいたが、そのような「モノ」になる詩人や文学者は、信じられないほど努力をするものだということを知り、内心衝撃だった。私は吉本隆明の「詩は修練で書けるようになる」という言葉を救いにして詩を書いたりしていたが、続きもしなかったし、ほんとうはたいして真剣でもなかった、かも知れない。

時代の中で、時代に隔てられて、心情的には傷つき揺れ動きながら、文学の周りをうろうろしていたわたしたちには、時代を超越したような古典的な風格に満ち、また難解なこの書物は埴谷雄高の「死霊」とともに一種の畏怖に満ちて語られる存在だった。
(わたしは、たぶん、ミーハーな文学青年として1974年に埴谷氏の吉祥寺の、蝙蝠がでてきそうな、ヒイラギの生垣のりんとした「深い」自宅を訪ねた。夫人にもあった。埴谷雄高の「深い」やさしさは忘れられない)

■倫理としての吉本隆明
組織に属さず、一人立ちして、絶望の淵から「大衆の原像」を武器に既成の権威をなで斬りにする吉本の姿は強烈に印象的だった。それは「反逆の倫理」(「マチウ書試論」)を掲げて悪にたち向かうヒーローのようにわたしたちの胸に刻まれた。
また「固有時との対話」の孤独と絶望の淵から、「転移のための十篇」へと限りなく重苦しく、しかし鮮烈に論理的に「社会へと相渡り」、「ばら色の切符」を取り出して見せる、大衆化社会の希望のように、わたしたちの胸に刻まれた。
わたしたちにとっての吉本隆明は何よりも「生き方」であり、論理であるよりも「倫理」であり、そのようなものとして今までも、今もわたしたちの根拠でもあり、だからこそ、また逃れることのできない軛でもあるように思われる。
■「情況者」吉本隆明
「前世代の詩人たち」に始まり、「転向論」、「社会主義リアリズム論」、「戦後世代の政治思想」、「擬制の終焉」、「試行社」、「自立の思想」、「情況への発言」、「情況」と続く1950年代〜60年代の吉本隆明は、何よりも「現在」と「時代」をかき鳴らす情況の人、だった。
そのようなものとしてわたしたちの中に切迫した時代の音ををかき鳴らし、わたしたちは私たちの中に抜き差しならない「情況」を感知し作り出していた。
■「思想家」吉本隆明
1960年代「言語にとって美とは何か」に始まる、体系的原理的な論理的大作は、その晦渋さ難解さもあいまって、あるいは難解な故にこそ、知的なヒヨッコであるわたしたちを畏怖させた。
ことに共同幻想論は「国家も共同幻想である。社会も宗教も党派も風俗も共同幻想である」といった強烈で情況的なニュアンスを含む言説によって「世界を凍らせる」ようにわたしたちに響いた。
この頃の「共同幻想論」は「情況の人」であり「思想の人」でもある巨大な吉本隆明を象徴するものだった。
私たちは「国家は共同幻想である」とか「国家は共同幻想でしかない」などと浅薄にこの言葉を振り回していたが、一度もきちんと読んだことはなかった。

情況の人、吉本隆明がいかにして思想の人となり、倫理の人吉本隆明がいかにして論理の人であるのか、ついに理解できず、理解できないまま「この世界」のように遠ざかっていくの茫然と見ていた。

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「政治の季節」の終焉の儀式ででもあるかのような凄惨な党派の解体と殺戮の時代に、展望も希望もはっきりしない無力感と、この社会のこの現実に参加できないでいる焦燥にあえいでいたわたしたちは、そのまま何事もなく別れ、いまもばらばらに社会を漂っている。
私は、しかしわたしたちを傷つけ黙らせばらばらにしたあの時代を何とかわたしなりにつかんで、ばらばらにしてしまいたいという思いを引きずっていた。

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1974年に柄谷行人は「マルクスその可能性の中心」を書き、「資本制生産が、差異を同一化する貨幣そのものの神秘性に胚胎する」「だから貨幣を放置したままで、資本制社会を論じることは無意味なのだ」といっている。
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1991年、岩井克人は「不均衡動学」を手に「貨幣論」を書き始める。
「紙幣は流通するから価値を持つ(マルクス『経済学批判』)」「貨幣という存在は、自らの存在の根拠を自らで作り出している存在である。それは、全体的な価値形態Bと一般的な価値形態Cとの間の無限の循環論法によって、宙吊り的に支えられているに過ぎない」「貨幣が貨幣として流通しているのは、それが貨幣として流通しているからでしかない」
と貨幣がまさしく共同幻想であることを述べている。
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また「貨幣がまさに一般的な交換の媒介でしかないということが(そして一般的な交換の媒介である限りにおいて)、貨幣にその実体性とはまったく独立な流動性という名の有用性のごときものを与えてしまうのである」と資本への転化、金融資本制への転化を述べている。

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この貨幣論で得心の行くところがあって、30年以上前の積み残しを、できるだけ現在の関心に引き寄せて、古ぼけた書棚から取り出してみる気になった。

まさに時代は変わり、時代は動く。
この35年ほど、さして進展はないかとも思われた「世界認識」や「生き方」はしかし、遅々としながらも動いているように思われる。

政治の季節は、多くの傷を残して去ったが、現代もまた多くの傷を生み出す時代なのである。
失ったものは失ったものとして帰ってこないし、傷は傷としていえることはないが、それらを読み解くことで、新たな場を感じる=獲得することはできるだろう。
少しでも一歩でも、ほんのわずかでも、そのような課題を自分に課して、
私はわたしに近づきたいと思う。



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