宮本太郎『生活保障』3 「生きる場」のためのアリストテレスの「共同体」の「フィリア」(カールポランニーによる)

2010年01月12日

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「経済」と「市場」の初発とは

「近代」経済社会の特異性

カール・ポランニーは「アリストテレスによる経済の発見」の中で、アリストテレスは当時「発生期の状態」にあった新しい複雑な社会現象の諸要素を理論的に把握しようとしていたのである、と述べている。

そしてまず「市場」が成立した「近代」の「経済」について次のように述べる。

  市場経済では、物的財の生産と分配は、原則として、価格を決定す
  る市場の自動調整的なシステムを通して行われる。それはさらに、
  それ自身の法則、すなわち、いわゆる需要供給の法則に支配され、
  飢えの恐怖と利得の希望に動機づけられる。個人を経済に参加させ
  るような社会的状況を作り出すのは、血縁関係や、法的強制や。宗
  教的義務や、忠誠心や魔術ではなく、私企業や賃金システムなど、
  特定の経済制度である。
     
  以上はすなわち、経済の領域が社会の中で独立している19世紀型の
  経済である。それは貨幣的利得の衝動をそのはずみとしているので
  あるから、動機的にも特異な経済なのである。この経済は政治や統
  治の中心から制度的に切断されており、それ自身の法則を持つオー
  トノミーに到達している。そこには交換手段としての貨幣の広範な
  使用に端を発する、社会から離床(アンエンベッディド)した極端
  な事例が見られるのである。
   ―カール・ポランニー「アリストテレスによる経済の発見」『経済の文明史』ちくま学芸文庫P285

近代社会では、(特異にも!)経済過程に参加することが社会に参加することである。
われわれは近代的動機を廃止して、身分や権威や習慣というような前近代的動機で「経済活動」に参加すべきであろうか。
否であろう。われわれの祖先はこうした前近代的動機を廃止すること目指して「近代」の「悲惨」を励んだのだ。
では「近代的動機」についてはどうであろうか。これももちろん、否である。われわれは飢えの恐怖や利得の希望によって社会に参加するべきでない。
われわれは、言うならば、経済的であろうと前近代的であろうと、いかなる動機づけもなく、経済に参加しなくとも、あらかじめ社会に「参加」してあるべきである。
近代的=経済的動機を除外した状態で、あらかじめ参加できる「社会」とはどのようなものであるか。

「生きる場」としてのアリストテレスの「フィリア」と「共同体」

カール・ポランニーが描いた、アリストテレスの体系の全体を見てみる。

  現に動いている組織としての集団は共同体(コイノニア)を形成し
  ており、その成員は善意(フィリア)の絆により結ばれている。家
  (オイコス)にも都市(ポリス)にも、それぞれのコイノニアに特
  有の、ある種のフィリアがあり、それを離れては集団は存続できな
  いであろう。フィリアは互酬行動(アンティペポントス)、つまり
  お互いに交代ですすんで負担を引き受けたり、共有したりすること
  よって表現される。
  
  共同体を存続させ維持するのに必要なことは、その自給自足(アウ
  タルケイア=アウタルキー)を含めてそれが何であれ、「自然」な
  ことであり、本来的に正しいことである。自給自足(アウタルキ
  ー)とは、外部からの資源に依存することなく生存する能力と言っ
  てもよいであろう。「公正」には(われわれの見方とは逆に)共同
  体の成員が不平等な地位を持つという意味が含まれている。人生の
  目的の配分に関するものであれ、サービスの交換の調整に属するも
  のであれ、公正を保証するものは、集団の継続に必要であるから、
  良いものである。そこで規範は現実から分離できないものとなる。
   ―カール・ポランニー「アリストテレスによる経済の発見」『経済の文明史』ちくま学芸文庫P287〜288

ひとは一人では生きられない。すなわち、共同体によってのみ生きる。
なんと言うことであろうか。
ひとは共同体によってのみ、生きるのだ。
いやいや、一般常識としてわたしたちはそのような言葉を口にするが、それは、個人の心的要請としてあるだけでなく、社会全体の存続条件として、あるのだ。

ここで共同体とは「フィリア」によって形成され、維持されるものである。つまり純粋な自然状態ではなく、人間の心的活動によって形成され、維持されるものである、ということになる。
その、核心である「フィリアphillia」は一般には愛(または友愛)と訳される、相互扶助や連帯を含む共同体を維持しようとする「気持ち」である。
カール・ポランニーは、これを「goodwill」と英訳した。goodwillは=善意、よき意志、であって、信用や信頼でもる。対人的な好意の意味で使われるFAVORに対して「公」的な、共同的なものであり、共同体を維持しようとする強い意志、である。

しかも、共同体は自給自足でなければならない。
逆に言えば、自給持続できるものが、共同体であるといえる。

ついでアリストテレスの、もう少し社会学的な「経済」分析が記述される。

  外界のと交易が自然なものになるのは、それが共同体の自給自足性
  を支えることによって、共同体の存続に役立つときである。拡大家
  族が人口過剰となり、その成員が分散して住まななければならない
  ようになるや否や、このことが必要になってくる。いまや、自分の
  余剰から一部を与える(メタシドス)という行為がなければ、成員
  の自給自足は全面的に崩れることになるのである。分け与えられる
  サービス(すなわち、最終的には、財)が交換される比率はフィリ
  アの要請、すなわち成員間の善意によって支配される。なぜならフ
  ィリアがなくなれば、共同体自体が停止する。したがって、公正な
  価格はフィリアの要請から生じるのであり、あらゆる人間共同体の
  本質である互酬制に表現されるのである。
     ―同前 P288

ポランニーは、アリストテレスは共同体存続の根源を「フィリア」の要請に見ており、経済的な面は「互酬性」に表現されるとしており、自身もその見解を支持しているようだ。

ポランニーはこうした、アリストテレスの時代から、「経済」は社会に埋め込まれた状態(エンベッディド)から離床(アンエンベッディド)をはじめて、ついには自立する「近代経済社会に至る」とする。



     ※     ※     ※

宮本太郎『生活保障』岩波新書11月20日第1刷800円 

目次
はじめに――生活保障とは何か
第1章 断層の拡がり、連帯の困難  1
   1 分断社会の出現  2
   2 連帯の困難  15
   3 ポスト新自由主義のビジョン  29
第2章 日本型生活保障とその解体  39
   1 日本型生活保障とは何だったか  40
   2 日本型生活保障の解体  49
   3 「生きる場」の喪失  57
第3章 スウェーデン型生活保障のゆくえ  71
   1 生活保障をめぐるさまざまな体験  72
   2 スウェーデンの生活保障  88
   3 転機のスウェーデン型生活保障  106
第4章 新しい生活保障とアクティベーション 119
   1 雇用と社会保障  120
   2 ベーシックインカムの可能性  128
   3 アクティベーションへ 143
第5章 排除しない社会のかたち  169
   1 「交差点型」社会  170
   2 排除しない社会のガバナンス  191
   3 社会契約としての生活保障  204
おわりに――排除しない社会へ  219
あとがき  225
参考文献

宮本太郎『生活保障』2 社会保障論からする「排除しない社会 」「相互承認」の視点を実践へ

2010年01月07日

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宮本太郎は、現在の「断層」が広がり、「連帯」が困難な社会から「排除しない社会」への転換が必要であり、そのコアとなるものは「相互承認」だという。

  (ドイツの社会学者アクセル・ホネットによる「承認」の議論)
  ホネットによれば、近代社会では三つの次元での承認関係が、相互
  に分離しながら形成されてきた(Redistribution or Recognition?)
  第1に、夫婦や親子などの間での関係であり、主に家族を舞台とし
  て発展してきた感情的、情緒的な関係である。第2に、法的な権利
  関係であり、社会的に不利な立場におかれていた集団や個人を社会
  の他の構成員と同じ権利主体として認める関係である。そして第3
  に業績達成による承認関係であり、相互に同じ関係主体である前提
  に、社会的あるいは経済的な業績を認め合う関係である。ひとびと
  が自己について肯定的な感覚を持つためには少なくともいずれかの
  相互承認の中にある必要がある。
    ―P64 第2章 日本型生活保障とその解体

ひとは、パンと言葉によって生きる。
すなわち食料・経済的要因(社会保障の言葉では「再分配」)と、心的要因である。
この心的要因をさして「相互承認」(ハイデガーでは「気づかい」、広井良典では「ケア」および「コミュニティ)といい、食料・経済的要因を含む両者を指して「排除しない社会」とあえて、「ゆるい」言い方でいっているように見える。宮本の叙述はきわめてまっとう、とでも言うしかないように見える。いや、あまりにもまっとうで表面的にすぎるように思われる。
「承認」ということを言うには、明らかに言葉不足である、とわたしには思われる。宮本はこれを補って、次のように「社会的包摂」にいたる思考があるべきだとも言う。

  社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の問題
  社会的包摂とは、EUの社会政策ではもっとも基軸的なコンセプトと
  なっている言葉で、さまざまな貧困、失業、差別などにかかわって
  社会から排除されている人々を、社会の相互的な関係の中に引き入
  れていくことを目指す考え方である。
     ―P65 第2章 日本型生活保障とその解体

だがこれらの議論は、いかにも踏み込みが足りず、事の本質に近づきかねているように見える。ここから何が生産されるのであろうか。いかにも国家の政策論を論じる「論客」でしかないようなこの遠さ、は何なのだろうか。
社会保障学者、社会福祉学者は、どこまで行っても、大学教員でしかないということであろうか。
いやいや、何を思ったか、相手を間違えてしまったようだ。わたしに宮本や、社会福祉学者を非難する権利はない。
彼らは遠景に「人と人との関係」の場を見ている。ひとは国家によっても、政策によっても生かされはしない。ひとは直接性をはらむ関係においてのみ生きる。
「相互承認」の場は、一人の人間の生きる現場であるほかなく、それはひたすら実践的な契機の問題である。国家の制度の問題ではなく、行政の問題ではなく、学説の問題ではなく一対一の人間の個体的な問題であり、毎日の生活の問題である。
実践的な契機を含む思想的言説は、実践の中からのみ生まれる、のだ。
わたしたちは実践的に「相互承認」の可能な「生きる場」を作り出し、行政または国家を越えてゆかなければならないだろう。
「さて、歩まねばならぬ」(高橋和巳)というように…。

     ※     ※     ※

わたしは、カール・ポランニーの次のような言葉を想起するべきであろうか。

  われわれは亡霊の世界にいるのであるが、、この世界では、亡霊こ
  そ現実なのである。商品の擬似的生命によって、交換価値の客観的
  性格は決して幻想ではない。同じ事は、貨幣価値、資本、労働、国
  家などのように、「客観化」されたその他のものについてもあては
  まる。これらは、人間が自己から疎外された事態の現実の姿なので
  ある。
    ―カール・ポランニー「ファシズムの本質」『経済の文明史』ちくま学芸文庫P192

亡霊である貨幣や国家を現実態として思考するから、行政こそは主体であると考えるのであろうか。
さらにいうなら、官僚(行政)とは、本質において「主権者」(「国家」の成立を前提とした「国家」の主権者!つまり支配者。「民主」主義にあっては理念として擬制された「個人」。だが実態は市場原理社会の権力を掌握したところの支配共同体である)への奉仕者として成立しながらいったん成立すると国家を僭称しつつ(擬制でしかないはずの国家権力を)私益のために行使する、「自己疎外」を私益と知るものたちである。
自在に「国家」に成り代り、政策論議をしてしまう学者諸君にも、官僚同様の不遜があるとすれば、それは市場社会または貨幣というものへの本質的な洞察が足りないのだ、といっておきたい。

わたしは少し性急に言い過ぎているかもしれない。あるいは広井良典に感じている不満を宮本太郎または福祉学者全般に対して放出しているのかもしれない。
あるいは「社会的包摂」という言葉に、わたしはいらだっているかもしれない。

     ※     ※     ※

宮本太郎『生活保障』岩波新書11月20日第1刷800円 

目次
はじめに――生活保障とは何か
第1章 断層の拡がり、連帯の困難  1
   1 分断社会の出現  2
   2 連帯の困難  15
   3 ポスト新自由主義のビジョン  29
第2章 日本型生活保障とその解体  39
   1 日本型生活保障とは何だったか  40
   2 日本型生活保障の解体  49
   3 「生きる場」の喪失  57
第3章 スウェーデン型生活保障のゆくえ  71
   1 生活保障をめぐるさまざまな体験  72
   2 スウェーデンの生活保障  88
   3 転機のスウェーデン型生活保障  106
第4章 新しい生活保障とアクティベーション 119
   1 雇用と社会保障  120
   2 ベーシックインカムの可能性  128
   3 アクティベーションへ 143
第5章 排除しない社会のかたち  169
   1 「交差点型」社会  170
   2 排除しない社会のガバナンス  191
   3 社会契約としての生活保障  204
おわりに――排除しない社会へ  219
あとがき  225
参考文献



宮本太郎『生活保障』1 社会保障システムに社会革命のコアがあるということ

2010年01月03日

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今日の福祉政策論の共通認識

筆者は元日本共産党指導者の宮本顕治を父に持つ比較政治学・比較福祉政策論学者である。
福祉国家論に始まる、アクチュアルな視点の社会福祉論。
広井良典のような時間論やコミュニティ論への論及はないが、誰もが首肯するような、「派遣切り」や「高齢化」の現実を「分断社会」、「連帯の困難」と捉える視点から「ベーシックインカム」「排除しない社会」までの社会福祉論を展開する。現実の事象の確認紹介はそつなく、現実を捉えるデータも適切で過不足なく捉える。今日のいわば共通認識を示す上で必要十分な書と言える。

本書は、基本的には社会保障を「生活保障」といいかえる視点を提起することに最大の意義があると言えよう。
近代国民国家の最終的段階としての「福祉国家」が市場原理を前提としながら、いわば社会民主主義に大きく舵を切り、所得再分配と社会保険システムを通じた貧困の救済を目指したとすれば、「近代」以後の「現在」の社会福祉論は、同じように市場原理を温存しながら、一方にあらかじめ「貧困」を発生させない仕組みを構築することを目指そうとしているように見える。
ここには、「近代」終焉後の、根本的な発想の転換がある。

社会保障に社会革命のコアがある、ということ

社会の構成原理の再転倒、すなわち社会革命、は政治過程における(暴力的な)権力奪取にあるのではなく、政治過程が消滅した後の所得と資産の再分配にかかわる社会保障(社会福祉)において語られている。

原理的に社会の目標が「生存」であることは、原始以来自明のことのように思えるが、しかし人類史は社会の中でも外でも自滅的でさえあるような排除と抗争を常に行ってきた。人類は生存のための「社会」=共同体を作って、共同の利益を図ってきたが、しかしいったん共同体ができると、「共同の利益」は「共同体の利益」にすり替わった。この「価値の転倒」の最大形態が国民国家であっただろう。
国民国家は、近代市場社会の個人優先主義=私益優先主義=自国優先主義(ナショナリズム)を貫徹することを国家として最大価値とする。そしてその原理は、たとえばヨーロッパでは1960年代の成長のピークをもって「終焉」したであろう。日本では1980年代のバブル経済期(消費資本主義期)をもって終焉し、アメリカではなおしぶとく2008年金融バブル崩壊期までは確実に持続していたであろう、か。

すでにわたしたちは共同体の利益より「個人」の利益が大事だという考えを持つ時代に立っている。
そのことによって個人の利益に反するような「幻想」としての「共同体の利益」を廃棄しても良いと、考え始めているだろう。すなわち国民国家は資本主義の発達によって死滅しつつある。

今日の社会保障=福祉の論議は、現前する貧困や貧困を生み出すシステムに対する最もアクチュアルな戦いの前線であるように見える。

政策論ではなく、個人が行うものとして

また湯浅誠言うところの「溜め」を「生きる場」と言い換える論議は、哲学的な深みに論及しようとする部分だが、著者はあえて避けているように見える。

社会保障論が、社会革命のコアに触れる議論であるとして、求められるものは思想的な強靭さと安易に「国家」に成り代ろうとする官僚主義的な錯誤への否認の根拠であろう。
広井良典はまだしも思想的な深みを持とうと努めているが、宮本太郎はあえて政策論としてのみ語ろうとしているように見える。

社会保障は、クニや行政が行う政策としてではなく、自立した諸個人が共同して行う個人主権に基づくものとして語られねばならないのではないか。


     ※     ※     ※

宮本太郎『生活保障』岩波新書11月20日第1刷800円 読了

目次
はじめに――生活保障とは何か
第1章 断層の拡がり、連帯の困難  1
   1 分断社会の出現  2
   2 連帯の困難  15
   3 ポスト新自由主義のビジョン  29
第2章 日本型生活保障とその解体  39
   1 日本型生活保障とは何だったか  40
   2 日本型生活保障の解体  49
   3 「生きる場」の喪失  57
第3章 スウェーデン型生活保障のゆくえ  71
   1 生活保障をめぐるさまざまな体験  72
   2 スウェーデンの生活保障  88
   3 転機のスウェーデン型生活保障  106
第4章 新しい生活保障とアクティベーション 119
   1 雇用と社会保障  120
   2 ベーシックインカムの可能性  128
   3 アクティベーションへ 143
第5章 排除しない社会のかたち  169
   1 「交差点型」社会  170
   2 排除しない社会のガバナンス  191
   3 社会契約としての生活保障  204
おわりに――排除しない社会へ  219
あとがき  225
参考文献

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