■広井良典『コミュニティを問いなおす』1 時代を画する新しい思考の登場

2009年12月06日

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近代とは資本主義成熟に伴う富の分配の闘争の歴史であるという視点

読んで衝撃を受けた。「ケア」や社会保障論といった政策論から「出発」して、革新的で本質的な社会保障論・定常化社会論を構築してきた広井良典が、近代という時代を全体として鮮やかに捉えるところから「持続する福祉社会(定常型社会)」実現のためのキイとしての「個人をベースとする公共意識」を持つコミュニティを論じる最新の成果である。
1970年代以降の資本主義の現実に根ざした、時代を画する新しい構制の思考であると思える。無理なく平易な言葉で、淡々と客観的な事実から、劇的な変化を遂げた資本主義社会全体の構図と課題を鮮やかに描き出す。

要約すると、近代における社会−政治思想的な対立軸は基本的には、資本主義市場社会の成立に伴う富(ここでは所得=フローとしての富)の再配分の考え方であるとし、自由放任的な市場原理派と社会民主主義的な社会保障派の対立であるとする。政治思想的には前者が自由主義であり、後者が社会民主主義である。後者の極端な例が所有(資産=フローとしての富)の段階において「平等」を実現しようとする社会主義や共産主義的な思想である。
(資本主義の半ばで、マルクスは「資本主義の発展は必然的に資本主義を死滅させる」と予言した。その予言は消費資本主義を通過した今、半分は、実現されようとしている)
しかし、資本主義の発展により後期産業資本主義期=消費資本主義にいたり「豊かな社会」がもたらされると、上記の対立はその幅を狭めてきて、次には環境をめぐる対立軸が出てきた。これは、富の分配の問題ではなく、人類が持ちうる富の総量が、自然の制約下にある、という富の総量の問題である。経済社会システムを「富の総量が増えない=定常化」という現実にあわせて、経済成長なしで持続可能ないわば定常型環境型非資源型社会システムに作り変えるべきだという環境派と、現在の資本主義経済社会システムは成長なしには維持されないとする経済成長派の対立だとする。
そして、時代はもちろん経済成長を前提としない社会へと向かっているのであり、広井は資本主義市場社会を容認しつつ、ストック(資産)の再分配を含む(いわば過激で極端なはずの)社会主義的共産主義的な「政策」(「持続可能な福祉社会」)を現実的な課題として提案している。

社会の現実の「深層」に根ざす言葉

現在の時代社会の全体像の鮮やかなドローイングと「提案」だ。こういう、何らかの前提なく社会の現実から組み立てた明晰なドローイングはこれまでないのではないか。

広井は、われわれの、この社会の実態を、偏見なく見てみれば、もはやその「深層」とでも呼ぶべき本質論的な水準においては、暴力革命の必然性も、政治革命の必要性もなく資本制社会は根底から、「社会民主主義」または「社会主義市場社会」とでも呼ぶべきものに、改変される道を進んでいるのだ、といっているように見える。

それは「意識」から出発する「観念論」の頂点のヘーゲルに対して、社会経済的な現実の、きわめて深い分析から出発して「行動」と「運動」に「意識」を転倒・転換して実現しようとしたマルクスの方法を思い出させる。

「脱構築」を主張することに拠って社会的現実から思考を組み立てる道を放棄し「観念のオートマチズム」に陥ったポストモダンの思考の言葉も、ポストモダン以前の「理念」(かくあるべし、という「べき」論)に軸足を置くこれまでのすべての哲学も思想も相変わらず現実に届かない。
社会経済的な展望を失って「自立」に閉塞した吉本隆明も、同じく展望を失って現実的には妄想でしかない「世界共和国」を唱える柄谷行人も、マルクスに対するヘーゲルであるように見えてくる。
実務的な良心的経済評論家である内橋克人の実務論も、非現実的なスローガンに見えてくる。
思想的偏見(イデオロギー)とくに政治的なそれ、を廃棄して、現実を現実としてみて言葉にすること、を広井はみずから行っているように、みえる。

思うに、意識から始まる近代観念論をその頂点で迎え、体現したものは、日本語圏においては吉本隆明であっただろうか。そのように見てみれば、70年代反近代論から「世界共和国」へと進んだ柄谷行人も80年代ポストモダンの浅田彰も、中沢新一も、90年代の宮台真司も大塚英志も、ゼロ年代の東浩紀も、みんな「観念論」の徒であるように見える。みな媒介項としての観念の学抜きには叙述=発後不可能な、自分の言葉の出自(=近代性のくびき)を感じてしまっているから、大きなパースペクティブを現実として語ることができずデイテールにはまり込んでしまっているように見える。

広井が著書の中で提起した「ケアする動物としての人間」「定常型社会」「人生前半の社会保障」「ストックの分配」「持続する福祉社会」「環境と福祉の統合」といった考え方・広井的述語は、非常にラデイカルに社会的な変化の本質を捉えながら平易に語りだされている。
課題がラデイカルなのに語り口が平易で、やわらかくしかも論点の本質を深いところで捉えていると思える。この平易さは、前時代にはなかったことであり、また外国思想の輸入や敷衍を下敷きにしないというより、ほぼ含まない自前の言説でもあり、この意味でも大いに注目される。

それは、明らかに、時代の変化がもたらす視点の成熟である。
とくに人類の通史、近代史の本質といったスケールの大きなパースペクティブを描くときに、その叙述は魅力的である。多くの賛同者を得る力がある。
それは時代の現実の「深層」に根ざして、現実からいわば自分のものさしで社会総体を分析するという思考方法がもたらすものであろう。広井が多くの文献的蓄積を自分の言葉に昇華させているということでもあろうが、なんら観念的思惟を前提または媒介項とする必要のないところまで、時代が成熟して、直截に時代社会の本質的深層を析出させてきたということにもよる。

人間に、本当に生きる価値があるとしたら、時代というものがときとして、ふと見せてくれる鮮やかな転換をわがことのように感じること、は確かにそのひとつであるだろう。

※本文中に一部詩が引用されているところから、広井には、自分の感性だけで世界や時代やものやひとを捉えきろうとする、詩的なものへの嗜好と感性があるようにも思われ、それがこの平易な叙述につながっているようにも思われる。

論理はいかに切迫した現実の情況に届くか

しかし、平易であることは、実は論理が現実の障害にぶつかることがないために、自己完結して閉じたサイクルを構成しているのではないか、だから、本質的な把握だが本質そのものに届かない、または現実的な理解だが現実には届かない言葉の帯域にとどまっているのではないか、という危惧をも抱かせる。つまり所詮は「学」を形成する事を目的とするアカデミズムの中の革新派に過ぎないのではないか、という危惧もまたありうるのである。
社会保障は、今日、もっとも切迫したアクチュアルな社会的課題である。「少子高齢化」や「若年雇用」、「孤独」なるがゆえの犯罪や自殺といった今日、もっとも切迫した課題に対峙して、これを解きほぐすの社会全体の、社会として生き残るための自己保障、すなわち「社会保障」の課題であろう。
時務的、技術的で政策的な議論の多い社会保障を語るのに、遺伝子論や時間論、独我論、さらには福祉国家論だけでなくその前提としての、人類史の経済社会過程の総論からはじめるという深さは、あるいは論理的な普遍性にいたることを追求する思考の態度は、今日の高齢化や、経済的停滞への本質的視点の提出ではあっても、目前の政策論的時事論的状況への切迫感や臨場感を欠くきらいがあり、大所高所にとどまっている気配は、確かになくはない。
本人はその危険をよく承知しており、社会的には経済システム(資本主義市場社会)というものを容認しながら、これにかかわる幻想領域(学、思想、というようなもの)においては「開かれた」コミュニティということが大事だと繰り返し述べているし、市民運動との連携などの「実践」活動にも取り組んでいるらしい。

論理が閉じないためには「現実」を繰り込んでゆくことだ、閉じようとする組織や共同体を開くには、「外部」を繰り込んで行くことだ、というようなヘーゲル弁証法的認識を述べることなら、すでにわたしたちは吉本隆明にその強靭な先例を見ている。また通り一遍の「実践」を免罪符のようにやるだけなら、古典マルクス主義の中にそれを見出せる。

言葉の柔軟性、思考の柔軟性が、いかに現実を捉え、現実から遊離しないか、それは、言葉が現実から発するものであり続けなければならない、ということだ。
この後も、続けて「コミュニティを問い直す」にしたがって、広井の論理を確認してゆくことにしよう。

     ※     ※     ※

■広井良典「コミュニティを問いなおす」ちくま新書2009年8月10日860円+税

目次
プロローグ コミュニティへの問い 009

第1部 視座 029
第1章 都市・城壁・市民―都市とコミュニティ 030
第2章 コミュニティの中心―空間とコミュニティ 066
第3章 ローカルからの出発―グローバル化とコミュニティ 094
第2部 社会システム 115
  第4章 都市計画と福祉国家―土地/公共性とコミュニティ 116
    1 福祉国家と都市計画の国際比較 118
    2 歴史的展開における福祉国家と都市計画 127
  第5章 ストックをめぐる社会保障―資本主義/社会主義とコミュニティ 145
    1 これからの社会保障政策/福祉国家の方向性 147
    2 ストックをめぐる格差と土地・住宅政策 161
    3 福祉政策と都市政策の統合 172
第3部 原理 203
  第6章 ケアとしての科学―科学とコミュニティ 204
  第7章 独我論を超えて 229
  終章  地球倫理の可能性 

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