三上治
「1960年代論」(2000年5月10日)
「1960年代論2」(2000年6月25日)
「1970年代論」(2004年2月25日)
批評社

私は1973年ころ、吉本隆明の講演を聞きに、日比谷公会堂の叛旗派の主催する集会へ出かけたことがある。当時極少数派、であった叛旗派は吉本派であり、新左翼諸党派の中では唯一、教条主義的でないホンネに届く、ややくぐもったコトバを使う、気になる存在だった。
三上治はその指導者であった。
あれから30有余年後、あまりにきれいさっぱり一個人として身を振りなおした三上の思考が浮き彫りになる。私生活を交えて、抑制して、軽く軽くと心がけて書いたであろう青年期三上の回想は、やはりあの時代を自分のものとしたいという、激しい欲求に彩られている。特に1960年代論1の「体制全体の変革につながるような反乱はもう終わり」、「世界」と「存在」の両方の革命P63とか、2の「角材とヘルメット」の行動的ラディカリズムは、ふるびた国家権力への「急進民主主義的な異議申し立てである」とか、70年代論の「1969年1月安田講堂封鎖解除、4月28日沖縄闘争をもって運動は内発的退潮期」、さらには「日本において国家の革命はすべて支配共同体内部での革命であって。国家権力と大衆との関係が変わるという革命は登場しなかった」とかの言葉は60年代を総括する全体の核心であり、従来にない社会分析であり、共感をもって受け止めた。
またコトバの垂鉛が、機能的水準でなく、「生きる」こと、「存在」の深部にまで届くような、深さがあるように思われる。
たしかに、「角材とヘルメット」は、警察=国家権力の暴力への身体的=自然的水準からの直接的な抗議と防衛の意思表示であり、それが社会秩序全体への抗議にもつながっていたが、それで「政治革命」ができるなどと誰も(本当は)思ってはいなかった。
権力は強大で安定していたし、経済発展のおかげで民生も安定していて、大衆の意識は生活を破壊する「革命戦争」などを望んでいなかった。
ただ高度資本主義の出現は、大衆の異議申し立てを行動的ラディカリズムで表現可能にしたのだ。
権力や社会秩序からする、個人への「暴力」は、様々な水準とさまざまな規模であったけれども、身体的にも精神的にも「公」的には「個人の生命に危害を加えてはならない」という「戦後民主主義」が獲得した「生命優先」の枠の中にあったであろう。
「角材とヘルメット」は、民主主義は、固体の存在の深さと、固体の意志をもっと尊重した体系に作り変えられねばならない、という、「共同体」優先から「個人優先」へ、社会秩序の転換点であった。
それは、1985年の総理府調査「(未来より)現在を大切にするひとびと」で、消費社会として個人の生活意識にあらわれ、今日まで引き続いて「ポストモダン」社会を形成した。
スガ(糸+圭)秀実「1968年」(2006年10月10日)ちくま新書「吉本隆明の時代」の延長として読んだ。E・W・サイードやアントニオ・ネグリに寄り添う意識が強く、現代につながる思想の萌芽を見出そうとする姿勢が強い。
時代は、サイードやネグリの言説より、もっと深く解体しているのではないか。思想はその解体の、未明の暗い底からやってこなければならないのではないか、と思える。
思考が様々な要因に、いつも直線的に一定の反応をしたり、例えば弁証法的なオートマチックな反応をする、と考えるような言語の水準が問われているのだ。
岩崎稔、上野千鶴子など編「戦後日本スタディーズ2」(2009年5月30日)紀伊国屋書店これは読んだ、というより資料として眼を通した。60年代の思想動向、社会動向をまとめたもので総覧的な解説。年表が良い。
posted by foody at 18:30
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