「いま甦るアダムスミスの思想」堂目卓生―中央公論5月号

2009年04月27日

中央公論社「アダム・スミス」で話題の著者による、古典派から現代の経済学までのドローイング。
アダム・スミス「道徳感情論」の現代的意義を説く。
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     ※     ※     ※
(以下ダイジェスト)

個人の規範原理 
利己主義=自分の幸福を最大にするという原理 
功利主義=社会全体の幸福を最大にするという原理
権利主義=幸福に還元することなく、基本的諸権利を守る
道徳感情主義=公平な観察者からの非難を避け賞賛を得るという原理

道徳感情論の人間学
   弱い人=世間の評価を気にする、利己主義→繁栄をもたらす
   賢人=胸中の公平な観察者の評価を重視する→社会秩序をもたらす
   ※弱い人は、しかし賢人の原理によって制御されなければならない。
     こころの内に両方の要素を持つのが、人間であるならばそのような人間によって構成される社会の秩序と繁栄をつかさどる立法者は「賢人の原理」を持つべきである。
国富論の経済学
   市場における交換は、利己心だけでなく、同感の能力を使って成立する。
   経済成長の真の目的は貧困の状態にある人、すなわち、社会生活を送るために最低限必要とされる富すら持たない人の数を少なくすることであった。
(「少なくする」とはどういうことか。何も基準が提示されない。
   スミスは、立法者は「賢人の原理」にたって、自由で公正な市場の構築を目指すべきであり、重商主義的な諸規制を緩和する政策を進めるべきだと考えた。しかしながら、スミスは、諸規制を今すぐ廃止することには反対した。
(セーフティネット、を主張した、わけである)
   イギリスにとって、アメリカ植民地が独立戦争を起こしたことは危機でなく、長年の重荷から開放され、理想的な状態に向かって一歩前進することができる好機であった。

スミスの後継者たち
ジェレミイ・ベンサム(1748〜1832)は、同感を基礎とするスミスの人間観を退け、個人の規範原理は究極的にはすべて利己主義の原理、すなわち自分自身の快楽を最大にするという原理に還元することができるとした。
そして、立法者がとるべき規範原理は、功利主義の原理すなわち最大多数の最大幸福であるとした。〜略〜彼の思想は、ベンサム・サークルの一員であった経済学者ジェイムズ・ミル(1773〜1836)やデイビッド・リカード(1772〜1823)大きな影響を与えた。

(ジェイムズ・ミルの長男ジョン・スチュアート・)ミルはこのように考えて、立法者の規範原理は、正義に反しないかぎり、個人が多様な快楽を自由に追求することを妨げず、むしろ促進するという原理、すなわち自由主義の原理を採用したのであった。ミルが提案した様々な政策――教育の普及、婦人の政治参加、労働者による生産協同組合の形成など――は自由主義の原理に基づくものであった。

アルフレッド・マーシャル(1842〜1924)の『経済学原理』(1890)もベンサム流の功利主義的な人間観に立った経済学の書物であった。〜略〜彼は経済学者にとってのメッカは経済生物学にあると考えた。経済生物学とは、経済と人間性との相互依存的な変化を取り扱う経済学のことであった。〜略〜彼の関心は常に「変化と進歩に駆り立てられる人間存在」にあった。

『一般理論』(1936)の著者として有名なジョン・メイナード・ケインズ(1883〜1946)は、哲学者ジョージ・ムーア(1873〜1958)の影響を受け、功利主義的人間観に批判的な立場をとった。ケインズにとって個人の規範原理は、「真理の探求」、「美的体験」、「愛情に満ちた人間の交わり」を快楽に還元することなく、それ自体として求めることであった。これらのものこそが「文明」なのであり、立法者は諸個人が安心して文明を追求できるように平和と豊かさ確保するべきであった。そして経済学者は文明ではなく文明の可能性の受託者であり、経済に関する究極的な真理を解明することではなく、時代状況に合わせて、豊かさのための処方箋を書くことが求められた。

数学的精密化の時代
「新古典派」と呼ばれる主流派の経済学者は、功利主義的人間観を再検討するよりも、それを前提とたうえで、諸理論の数学的精密性をたかめることにエネルギーを注いだ。最大化問題を中心とする数学的取り扱いにとって、功利主義的人間観は非常に便利であった。諸事実との整合性を検証する計量経済学の手法も開発され、統計データの整備も進んだ。

しかしながら、経済学者が功利主義的人間観を受け入れた期間が長く続いたため、経済学者は、それが、一時的に一定とされた「他の事情」にすぎず、いずれ再検討され修正されるべきものであることを忘れてしまったのではないだろうか。

世間の目には―特に経済学者が推進する政策によって損害や被害を被る人々の目には―経済学が前提とする人間観があまりに貧弱で、ときには不道徳にさえ見えたため、いつの間にか経済学者自身の人間性が貧弱で不道徳なものであると思われるようになった。

(1998年にノーベル経済学賞を受賞したインド生まれの経済学者)アマルティア・センは、人間は財やサービスを消費して快楽を得る受動的存在ではなく、自分のケイパビリティ(選択の幅)を自らの力で広げたいと願う能動的存在であるととらえ、自然的・社会的要因によって最大可能なケイパビリティを得ていない諸個人に財やサービス、権利や機会などが優先的に配分される制度を構築すべきだという立法者の規範原理を提示した。センの考えの一部は、平均寿命、識字率、一人当たりGDP(国内総生産)の三つの指標によって一国の発展の度合いを示す人間開発指数(HDI)に反映され、1993年から国連開発計画(UNDP)によってHDI世界ランキングが発表されつようになった(2007-8年度版の『人間開発報告書』では、世界第1位はアイスランド。日本は第8位である)。

さらに近年、行動経済学や実験経済学、神経経済学など、実験やアンケート調査を用いて人間の行動仮説を立てた上で、経済理論を確立する新しい分野の研究が盛んになり〜略〜これらの分野を開拓したダニエル・カーネマンと、ヴァーノン・スミスに2002年のノーベル経済学賞が授与された。

行動経済学の研究成果は資産市場や労働市場におけるいくつかの問題に対して、有効な政策提言を示しつつある。例えばアメリカの住宅価格指数の開発者ロバート・シラーが、行動経済学の研究成果に基づいて、いち早くITバブルの崩壊を予測し、また、住宅バブルの危険性に警告を与えたことは有名である。『ソウルフルな経済学』(2007)の著者ダイアン・コイルが述べるように「人間の顔をした経済政策」の機は熟している。

『道徳感情論』の出版から250年たったいま、わたしたちはスミスが残した課題に真正面から取り組むべきときにある。そして一見すると人間不在に見える市場経済、感情、幸福、モラルといった人間の心の視点から捉え、その視点になじむものに作り変えていくことは、多くの時間と労苦を必要とするものであるとしても、決して不可能なことではない。

     ※     ※     ※

「いま甦るアダムスミスの思想」堂目卓生―中央公論5月号

ファンダメンタルな危機と、「対話」の意味 〜中央公論5月号「徹底討議 恐慌・国家・資本主義」対談西部邁・柄谷行人

2009年04月20日

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1 対話のなりたち
書店で偶然見つけて手にとった。微妙に「態度変更」しているとはいえ左派的なはずの、内面にこもりすぎ(?)な柄谷と、「保守主義」を振り回して大雑把な感じがする西部とは、妙な組み合わせだと思ったが、この奇妙さが現代的で良いかも、知れない。(こんな組み合わせでも「思想的対話」が成立するようになったのなら、である。二人とも第1次ブントのメンバーであり、いわば60年安保の「同志」であったとしても、いや、だからこそ、である。)

冒頭で西部が、マルクスの資本論を取り上げて、貨幣や資本についてのフェティシズム(物神崇拝)に言及しているが、これは経済学ではなく科学的神話である、といっているのは笑えるが、悲しい。やっぱ、無理なんじゃないだろうか、この組み合わせ、と思ったが、柄谷のほうがあわせて何とか持たせているように見える。

柄谷は「アメリカの没落」を語り、また宇野弘蔵は「マルクスが『資本論』で示したのは、恐慌の必然性であって、革命や社会主義の必然性ではないといった。一方、社会主義は倫理的な問題である。つまり各人の自由な選択の問題だ」とのべている、と西部にエールを送っている、というか話を穏やかにしようとしているようだ。
つづけて「社会主義は実践的(倫理的)な問題だという宇野の考えにも、影響を受けましたね。それをずっと考えてきた。宇野の考えはマルクスというより、カントから来ていると思う」
「現在の不況は1930年代の不況とは似て非なるもの」その理由は1930年代は世界商品の交代期に当たる構造組み換えのための不況であり、またイギリスに変わってアメリカが世界経済のヘゲモニーを確立したための構造転換の時期だったがいまは「没落した」アメリカに変わる国がない、とのべると、西部も「今柄谷さんが言われたマクロ的な歴史の概観というのは、その通りだと思う」と引きとったので、どうやら、安心して(?)読み始めた。

2 ファンダメンタルな危機と対話の成立
対話は、マルクス主義的見解に対して西部が批判し、またはアソシエーショニズムなどの自説を展開し、柄谷がそれに応じて、敷衍して返し、持論につなぐという形で、慎重に(違いが露わになるのを恐れるように、または6カ国対話のような対話の枠組みが壊れるのを恐れるアメリカのように)原理論段階から今日の状況認識と対応策へ進行する。

柄谷は、西部のマルクスや宇野弘藏の「原理論」では政府の存在が含まれず、現実には無効なものだという指摘に「資本論は純粋資本主義の原理論」として「原理論」を救い出しながら宇野経済学の「原理論」「段階論」「状況論」の3段階論で応じるが、西部はなおも「資本主義の内在的論理を論じている原理論に、政府の論理的可能性が含まれていないのは変」だとたたみかける。柄谷は「労働力商品の問題の問題を具体的に考えていくと、たちまち国家の問題が出てくる」とあっさり認め、西部は「少し驚いた(笑)。表現は違うけど、意見が一致している」と喜んで見せる。

西部は「社会の土台としての労働や、地盤としての自然資源の問題がある。ところがいま、商品化の波に飲み込まれて、地盤がほとんど液状化し、流砂状態になり釈迦という建物がまるごと陥没する気配が濃厚である。」と「ファンダメンタルル」な危機感を吐露するのだが、30年代のドイツの「ゲルマンの血と大地」、日本の「大和魂」のような「共有できる観念すらない」と一気に情緒的国家主義的「観念」に飛躍してしまう。
柄谷は現代は1930年代よりも、日清戦争ころの1890年代の日本の状況が近く、資源をめぐる領土主義がふたたび台頭する「戦前の思考」を穏やかに説く。
「労働力商品」廃止のための「協同組合」や、ゲゼルシャフトを媒介としたアソシエーショニズムをめぐって、ネーション=ステート(国民国家の「国家」と「国民」)の克服、地域通貨の可能性、広域国家の可能性などをめぐって、両者が近寄ってはまた離れていくような微妙な掛け合い進行で、内容濃くこれまでの持論が語られる。(語られる、だけであるような、見え方である)

だが、時代が「ファンダメンタルな危機」にあるなら、ファンダメンタルな「処方箋」があるのか、どうか、その切迫感に答えるような答えはあるのだろうか。(もちろん語られているのは「思想」であって、経済政策ではないから、「今日」に効く処方である必要はないだろうが)
どうしても、物足りない感じがしてしまうのはやはり、柄谷は「うちにこもり」、西部は大雑把にすぎるからだろうか。
ともあれ、両者のあいだに、対話らしく体裁が整ったことを寿いでおくべきだろうか。時代は少なくとも、「教条的マルクス主義」や「党派」観念の時代から、大きく「進んだ」のだ。それが、逆に「ファンダメンタルな危機」の証でもあるだろうか。

※     ※     ※     ※

今日の不況(恐慌)の要因が本質的に、「資本」化した「貨幣」の自己増殖(資本の商品化というフィクション)にあるのなら、やはり資本制=貨幣制経済の根本的廃止が射程に上がらなければならない。
また「土地」の商品化や労働力の商品化が要因であるなら(明らかに、要因なのであるが)その廃止が追及されねばならない。
(それは近代資本主義経済の発生の時代(日本においては江戸後期〜明治維新〜不公正税制是正までの、「国策資本主義」=「社会主義的な国家主導の資本の蓄積過程」の時代)、と市場=貨幣の制度化(古代的「国家」の成立)の時代の国家システムの中の貨幣システムが追求され、解明されることをも含まねばならないのではないか。歴史的現実を踏まえるべきではないのか…。)

「労働」の人間にとっての本質についてはマルクスが自然哲学から、哲学的にも実践的にも相当程度解明してくれている。「貨幣」は柄谷も追求したが、むしろ岩井克人によって追求された。岩井との微妙な違いを柄谷はどう考えているのか。「土地私有」が解消されるべきというのは当然のことのように言われることが多いが、その本質的意義や、具体的手続きはまだどこにも述べられていないように思える。

西部はともかく、柄谷は「協同組合では、全員が自分たち自身が共同所有者、経営者であり、かつ、労働者です。だから、労働力商品は存在しない」などと言い、それだけで終わらせるような姿勢はどうなのだろうか。もっとしつこくあって欲しい、と思うのだが…。
協同組合は内部に共同体がさらに形成され、「疎外」の発生する。また現代資本制社会の中で、隔離されて、そこだけに「労働力商品」が形式的にでも存在しなくなるのか、実感的な説得力はないのではないか。
また「遠隔地交易」と「ローカルな市場」を切り離す「地域通貨」は、実験段階だが、そのまま成長していけばやはり、資本に転化する危険をはらむものなのではないか。

  ※     ※     ※     ※

それにしても「いまいいたいのは、普遍的な観点からものを考えることですね。日本の経済はどうなるか、なんてことを括弧に入れて、ものを考えてもらいたいですね」(柄谷)という最後のメッセージは、西部を意識してのことではあろうが、やっぱり「こもって」しまうのか、と思ってしまう。「当たり前」とはもちろん人によって違うものなのだ。「教えるー学ぶ」のウィトゲンシュタインはどこへ行ったのだ。柄谷よ。
「若者諸君はかわいそうである。このくだらない世の中に長々と生きねばならぬ。ご苦労!という気がするね」(西部)「それはぼくもそう思う」(柄谷)という終わり方は、無反省で傲慢に見える。現実は、理念とも思想ともかけ離れたところで行われているように見える。あるいは理念や思想は、現実にははるかに届かないように見える。
「ダイアローグ」でない、たんなる討論に「長々」とつき合わせられた読者は「ご苦労」だったわけである。本質的な対話が行われなかったにもかかわらず、対話であるかのような見せ掛けが成立しているなら、そこに思想の欺瞞がある。


吉本隆明のあたたかさ〜吉本隆明「読書の方法」

2009年04月13日

「共同幻想論を読む」の7回目を書こうとおもって、吉本本人の「性についての断章」や「個人・家族・社会」や大杉栄の「男女関係」やレヴィ=ストロースの「親族の基本構造」や、柄谷行人の「内省と遡行」、マルクスのいろいろやヘーゲル「精神現象学」や、その他いろんな文献などを読んでいたら、まとまらなくなってしまい今になってもまだ収拾がつかない。大きなパースペクティヴが見えてくるのに眼を凝らしたいのに、眼に疲労がたまって重たく、見続けることができない。そんな憔悴と懶惰の時に、ふと、「読書の方法」という文庫本を手に取った。
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吉本隆明には硬質な政治的情況的な論理性と憎悪の感情の面と、その裏返しのように柔らかいあたたかい、巨大な量の愛情に満ちたいわば内向する深い愛情の面の両方がある。

1972年に書かれた珠玉のような名文「なにに向かって読むのか」、1960年4月発表された「読書について」をよむと、吉本が詩や、詩人や、過去の自分や、ようするに詩的精神または詩的存在に、温かい、愛情をあふれさせていて、こよなくやさしい人に見える。こうした、親和力のようなものをかもしながら書かれた柔らかい文章は魅力的だ。「思想の極北」を目指すような晦渋な文章、緊張した論理を読む合間に、こんな文章に出会うと「ころっと」いってしまう。(わたしは、もちろんものの見事に「ころっと」いって、ほぼ失語のような自閉的な一年を吉本隆明の詩や文章だけで過ごしたことさえ、ある)

  わたしは、なぜ文章を書くようになったかを考えてみる。心のなか
  に奇怪な観念が横行してどうしようもなくもて余していた少年の晩
  期のころ、喋言(しゃべ)ることがどうしても他者に通じないとい
  う感じに悩まされた。この思いは。極端になるばかりであった。と
  うとう誰からも無口だといわれるほど、この感じは外にあらわれる
  ようになった。父親は、おまえこのごろ覇気がなくなったというよ
  うになった。過剰な観念をどう扱ってよいかわからず、喋言ること
  は、自分をあらわしえないということに思い煩っていたので、覇気
  がなくなったのは当然であった。
   〜略〜
  そうして、喋言ることへの不信から、書くことを覚えるようになっ
  た。それは同時に読むようになったことを意味している。
  わたしの読書は、出発点でなにに向かって読んでいたのだろうか。
  たぶん、自分自身を探しに出かけるというモチーフで読みはじめた
  のである。
    ――「なにに向かって読むか」
  
青年期の刺々しいほどにいらだったこころも、このように書かれると収まってくることがあった。「自分自身を探しに出かける」というフレーズは、原初的で無垢で、心安らぐものだった。
(しかし、後に「自分を取り戻しに行く」という浜崎あゆみの歌詞のほうが、自覚的であるだけ辛く、時代の深まった困難を象徴しているように思われる)
しかし、さらに若い年頃(36歳、安保の年)に書かれた「読書について」は全著作集第5巻に収録されていて、まだ十代のわたしは、前後の実生活を振り返る短文とともに生きる手引きのように繰り返して読み、そしてとても及ばないことを確かめては、時間を空費していた。

  今までの読書の体験のうち、恐ろしい精神史的な事件のような読み
  方をしたのは、十代の半ばごろに読んだファーブルの『昆虫記』
  と、20代のはじめごろ読んだ『新約聖書』と、20代の半ばごろによ
  んだ『資本論』であった。
   〜略〜
  このようにかんがえてくると、わたしの読書範囲で、ほとんど現実
  的な事件と同じように精神を動かした書物には、何か共通の性格が
  あるような気がする。
  (それは)人間とは、生まれ、子どもとなり、壮年となり、死ぬま
  での間に、何か為すべきことを程度に応じて為すために生涯がある
  のだ、というような軌道をまったくはずれて、とにかく、どんな微
  細な事であれ、巨大な事であれ、事の大小にかかわりなく、そのこ
  とのために膨大な時間を費やすことのできた人間の精神的な生活が
  書物の中にあるとき、その書物は事件のようにわたしのこころを動
  かすのではないか。
  『昆虫記』のファーブルも、『新約聖書』の作者も『資本論』のマ
  ルクスも、また、やがてわたしが遭遇するであろう優れた書物の著
  者も、その著書によってどうしようと考える前に、かれ自身の生自
  体がそこへのめり込み、のめり込んだ主題につきすすんだままやが
  て気がつくと、膨大な時間を浪費していた、という種類の人物であ
  ることはうたがいない。
  ファーブルは昆虫を眺めて、ふとわれにかえったらシラガのお爺さ
  ん。『新約聖書』の作者は人を愛憎して、ふとわれにかえったらシ
  ラガのお爺さん。マルクスは資本主義社会の正体を暴いて、ふとわ
  れにかえったらシラガのお爺さん。
    ――「読書について」

この、突然にあらわれ、読みながら思わず口ずさむようなユーモアは、吉本の天性のユーモアだ。恐ろしい苦境も一人で堪え切るような強い、さびしい精神だけが持っている、自分で自分に向かってするユーモアだ。(「強い精神」と書いて、岸上大作が書いた「あなたには負けたくなかった」や「吉本隆明が生きているかぎり、この世は捨てたものではない」を思い出してしまう。わたしはそのように書く岸上ほどにも、無論、強くはなかった)

そして、その「強さ」、は、「<エリアンおまえは此の世に生きられない おまえの言葉は熊の毛のように傷つける。><おまえは醜く愛せられないから>」(「エリアンの手記と詩」)、と拒絶された「愛情」がその強さに応じて突き詰められ、大きく反転して「拒絶された思想となってこの澄んだ空を掻き撩さう」(「その秋のために」)、とする孤立した「瞋り(いかり)」と憎悪に満ちた反逆の精神となり、そのことも含めて対象化してさらに詩意識に統合してしまうという荒業で、時代に深く深く拮抗する緊張感に満ちた「情況」的な詩精神となった。
それはときに、過剰な憎悪と「瞋り」の露出となって時代と詩の隙間をうずめ、かれの中の「詩」を掻きたてるが、ときにやさしいあたたかさとなって、孤立した詩的存在を慰めるのである。

   あたたかい風とあたたかい家とはたいせつだ。
      (ちひさな群れへの挨拶)

   ぼくのこころは板のうへで晩餐をとるのがむつかしい
      (廃人の歌)

   信ずることにおいて過剰でありすぎたのか
   ぼくの眼に訣別がくる
   にんげんの秩序と愛への むすうの
   訣別がくる
      (一九五二年五月の悲歌)

   わたしはねがう
   世界ぢゅうがこの夜 かれの
   つぶやきに耳をかたむけることを かれの
   破瓜病をいやすために
   抑圧をやめることを かれに
   20円くらいの晩餐をあてがって恥ぢない
   ものたちをつき倒すことを
      (抗訴)

   異数の世界へおりてゆく かれは名残り
   をしげである
   のこされた世界の少女と
   ささいな生活の秘密をわかちあはなかったこと
      (異数の世界へおりてゆく)

   その人の肩から世界は膨大なたそがれとなって見え
   願いに満ちた声から
   落日はしたたり落ちる
   行きたまえ
   きみはその人のためにおくれ
   その人のために全てのものより先にいそぐ
      (恋唄)

これらのやさしい詩句や短い文章のあたたかさと、激しい怒りと憎悪とのあいだに、わたしの19歳ころの一年はうずめられているだろう。

 ※     ※     ※     ※
 
それにしても、これからは、できるだけ頻繁にブログをアップしよう。内容や内実への自恃よりも、なにほどか、持続し呼吸することに、その呼吸の微細なまたは巨大な動揺の中に、「事の大小にかかわりなく」私の実体はある、のだろうから。

 ※     ※     ※     ※
 
吉本隆明著「読書の方法」斉藤慎爾解説 光文社文庫 743円+税

岡本かの子「食魔」2 「家霊」の食の哲学

2009年04月04日

大久保喬樹の編になるこの作品集は、岡本かの子の「食」にまつわる小説5篇と、主要なエッセイ5篇、小文18篇に、「夫」岡本一平の「かの子の記」の一節を収録している。

「いのち」を食う人間の宿命とマルクス自然哲学

小説「家霊」では、「いのち」という名の、どじょうや鰻を食わせる老舗料理屋が舞台だ。そこではかの子の「食」観が端的に現れる。  

  「疲れた。一ついのちでも喰うかな」
  すると連れはやや捌けた風で
  「逆に喰われるなよ」
  互に肩をたたいたりして中へ犇(ひし)めき合った。
     ――P12

「いのち」という名の店で売るものは「いのち」そのものである。ひとのいのちは、他の生物のいのちを我が物とすることによってのみ維持されるものだ。そして人間の食物であるいのちはまた、他の命を我が物とすることによって維持される。その次もまた…という食物連鎖の世界である。しかしそれは否定的に言い出されているのではなく、「肩をたたいたりして」食するものである。
たんなる仏教的な、厭世的な食物連鎖否定でなく、他の生き物の「いのち」を食べてようやく生きながらえ、最後には死して自然に帰るしかない、そのことによって他の生物にいのちを提供する、「有機的自然」となるほかない、というような人間のいのちのありようを肯定的に捉えているように見える。
そして、「逆に喰われるなよ」とは、無論、「喰われる」こともまた多いのだ、という人間の、特にその精神の宿業のようなものを象徴している。
ここで、マルクスの自然哲学を想起しまう。

  肉体的には人間はただこれらの自然産物のみによって生きていく、
  たとえこれらが食物、燃料、衣服、住居といったかたちで現れよう
  とも。
  〜略〜
  人間は自然によって生きていくという意味は自然は人間の身体であ
  り、人間は死なないためには絶えずこれとかかわりあっていなくて
  はならないということである。」
  (「経済学哲学草稿」第一手稿、『疎外された労働』

まさしく肉体的生命を維持するために、人間は他の自然を「非有機的(意思を持たない、または人間の外部の)身体」とし、そのことによって人間は自然の「有機的自然」となる。すなわち自然の一部として存在し、自然を越えることはできず、個体的にも類的にも最終的に自然に統合されてゆくものである。
マルクスはこれを、「人間と自然との係わり合い」「人間と人間との関係」の「類的本質」として取り出し、「この歴史のこの場で生きる情熱」をもって人間の生きる舞台である「社会」の分析と「革命」へ結びつけた。

食は直接に肉体的生命の維持にかかわるもので、そのことを自覚し認識することにより、私たちは「有機的自然」でしかない自らの生命を、自然の一部として認知する。そして食することの、人間としての本質にかかわる重要性を、自然界の様々な他者との関係性においてのみ生きうる、あるいは生かされる存在であることを知るのである。
岡本かの子はこれを、仏教的修練の中から「いのちを食べる存在」としての人間(生物)として、取り出し、「犇めき合って」食べるような現存性としてのあり方から、芸術的哲学に高めていく。
これを宿命とよぶなら宿命であり、仏教的生命観とよぶなら仏教的生命観であり、哲学とよぶなら哲学である。

精神の糧としての食

先代のおかみの時代からの客で、今は年老いた彫金師の徳永は「百円以上もカケを拵えて」、「いのち」から「飯つきのどじょう汁」の出前を断られようになる。すると店に現れては、老人の彫金の仕事の「仕方」を語り、どじょうを請う。もちろん代価は払えない。

  「わしのやる彫金は、ほかの彫金と違って、、片切彫りというので
  な。一たい彫金というものは、金(かね)で金(かね)を截る術
  で、なまやさしい芸ではないな。精神の要るもので、毎日どじょう
  でも食わにゃ全く続くことではない」

肉体のためであるだけでなく「精神」のために、どじょう、は要るのだ。
そして老人は熟練した仕事が芸にまで昇華した「仕方(型)」を示してみせる。

  老人は、左の手に鏨(たがね)を持ち右の手に槌を持つ形をし
  た。体を定めて、鼻から深く息を吸い、下腹へ力を籠めた。それは
  単に仕方を示す真似事には過ぎないが、流石にぴたりと形は決まっ
  た。柔軟性はあるが押せども壊れない自然の原則のようなものが形
  から感ぜられる。

  瞑目した眼を徐(おもむろ)に開くと、青蓮華のような切れの鋭い
  眼から濃い瞳はしずかに、斜めに注がれた。左の手をぴたりと一と
  ころにとどめ、右の腕を肩の附根から一ぱいに伸ばして、伸びた腕
  をそのまま、肩の附根だけで動かして、右の上空より大きな弧を描
  いて、その槌の拳は、鏨の拳に打ち卸される。窓から見ているくめ
  子は、嘗て学校で見た石膏模造の希臘(ギリシャ)彫刻の円盤投げ
  の青年像が、その円盤をさし挟んだ右腕を人間の肉体機構の最極限
  の土にまでさし伸ばした、その若く引緊(ひきしま)った美しい腕
  をちらりと思い泛べた。老人の打ち卸す発矢(はっし)とした勢い
  には、破壊の憎しみと創造の歓びが一つになって絶叫しているよう
  である。その速力には悪魔のものか善神のものか見判け難いある人
  間離れのした性質がある。見るものに無限を感じさせる天体の軌道
  のような弧線を描いて上下する老人の槌の手は、しかしながら、鏨
  の手にまで届こうとする一刹那に、定まった距離でぴたりと止ま
  る。そこになにか歯止機が在るようである。芸の躾けというもので
  あろうか。
      ――P20

ここには美しいかの子独特の動きや景物の描写と、芸術観が現れていて、興味深いが今は食に沿ってみて行こう。

店のものみなの視線を一身に浴び、「これを五六遍くりかえしてから」、「皆さん、お判りになりましたか」「ですから、どじょうでも食わにゃ遣り切れんのですよ」と、「芸」と「どじょう」が等価であるような、請い方をする。

  店の者は、快い危機と常規のある奔放の感触に心を奪われる。あら
  ためて老人の顔を見る。だが老人の真摯な話が結局どじょうのこと
  に落ちてくるのでどっと笑う。
   ――P21

一般には「芸」(=真摯な精神の活動)は高貴で、食べ物(自然との関係)は下等であろう。あるいは少し普遍的に客観的に芸は上部構造で、食は土台としての下部構造だろう。

だが「芸」のためには、どじょうが必要だ、という徳永老人の言い種は、それ(肉体の糧、としての食)だけでない、食と精神の抜き差しならぬ関係を、あるいはそのようなものとして現れる人間の姿を言い当てているように思われる。
すなわち、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる言葉によって生きるのである」、というときの、「言葉」の役割をも果たす、「精神の糧」として「食」は現れる。

「喰う」ことは「喰われる」こと

続いて別のある日、老人はまたしても現れ、どじょうと自分の身体との、また「芸」との、深い「関係性」を語る。今度は店が閉まったあとのひっそりしたくめ子一人の場に、である。

  老人は娘のいる窓に向かって座った。広い座敷で窓一つに向かっ
  た老人の上にもしばらく、手持ち無沙汰な深夜の時間が流れる。
  老人は今夜は決意に充ちた、しおしおとした表情になった。
  「若いうちから、このどじょうというものはわしの虫が好くのだっ
  た。この身体のしんを使う仕事には始終精のつくものを摂らねば業
  が続かん。そのほかにも、うらぶれて、この裏長屋に住み付いてか
  ら二十年余り、鰥夫(やもめ)暮らしのどんな侘しいときでも、苦
  しいときでも、柳の葉に尾鰭の生えたようなあの小魚は、妙にわし
  に食いもの以上のなじみになってしまった」
  老人は掻き口説くようにいろいろのことを前後なく喋り出した。
  人に嫉まれ、蔑まれて、心が魔王のように猛り立つときでも、あの
  小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと.頭から骨ごと少しずつ
  噛み潰して行くと、恨みはそこへ移って、どこともなくやさしい涙
  が湧いて来ることも言った。
  「食われる小魚も可哀そうになれば、食うわしも可哀そうだ。誰も
  彼もいじらしい。ただ、それだけだ。女房は大して欲しくない。だ
  がいたいけなものは欲しい。いたいけなものが欲しいときもあの小
  魚の姿を見ると、どうやら切ない心も止まる」
  ――いずれもP22

「決意」に満ちた老人は、どじょうというもの、への愛着を語りだす。感じを含む日本語のもつ豊かな語り口と映像的なイメージが印象深いここには、だが、老人に仮託されたかの子の人生の深い孤独と芸術への衝動と食のかかわりの秘密が、きわめて密度濃く、凝縮されたかたちで開示されている。

「わしの虫が好く」とは、味覚の、相当に純粋な生理的な段階の、美味との出会いである。(何もしなくても、生まれながらの人間に、好悪を判断できる味覚が育つ、とは不思議だ)
また「身体のしんを使う仕事には始終精のつくものを摂らねば業が続かん」とは、「生命力」をすり減らすような激しい仕事をしてまで生きる人間の、逃れられない宿業として「いのち」を食べるというような、ある意味で此岸的な、「いのち」と食についての宿命的な関係の観察である。どじょうは、すでに老人の「いのち」の中に食い込み、命の一部となって、それなくしては生きてゆくことが困難なものになっている。
まさに「喰われる」こともあるのだ。
いや、「喰われる」ように「喰う」ことこそ本来的であり、「喰う」ことによって自然を肉体化するだけでなく、精神にもなっていくし「いのち」そのもの、生きるちからの源泉にもなってゆく、という「食」を媒介とする自然と人間との関係の、現存的本質がここには洞察されているのだ。
マルクスは書いている。
「したがって、一つの対象的な感性的な存在としての人間は受動的な存在であり、かつ、彼の苦しみを感じる存在であるがゆえに、情熱的な存在である。情熱、情念は人間が、その対象に向かって精力的に志向する本質的な力、である。(「経済学哲学草稿」『第三手稿 ヘーゲル弁証法および哲学一般の批判』)
マルクスが「本質的な力」と呼んだもの、「情熱」「情念」を、岡本かの子の「いのち」になぞらえてみるのは、そうかけ離れたことではない、と思う。

彼岸の「魔王の猛り」と此岸の「童女」のいたいけ

しかし、「そのほかにも」、とかの子は、いや老人は急いで付け加える。
20年のうらぶれた侘しい、苦しいことの多い生活の中で、どじょうは「妙になじみ以上のものになってしまった」と。つづけて、「魔王のように猛り立つ」心を鎮めるのに、どじょう(=いのち)を「骨ごと少しずつ噛み潰していく」にいたって、老人が、生理的な「食」の範疇を超えて、何事か形而上的な、尋常でないものをどじょうに感じ取っていることを思わせる。
(「ぽきりぽきり」と老人がどじょうを噛み潰す、残酷といえなくもない場面が音も聞こえるようで鮮やかに生なましい。)
さらに「いたいけなものが欲しいときもあの小魚を見ると、どうやら切ない心も止まる」と、告白するにいたって、どじょうはどうやら老人の芸術的衝迫の核心に触れるもの、のようでもある。
(「いたいけ」は「幼気」であり、幼くて愛らしくいじらしく「可哀そうな」ものであり、岡本かの子の中の「童女」を象徴してもいるだろうか。)

ここでは、すでに現実の此岸的世界にはとどまることができない心が極限的に、ひとたびは彼岸の「魔王」となって、しかし肉体化した精神と精神の一部となった肉体の現存性において、ふたたび現実の世界に、芸術性に昇華した「童女」に統合されて帰ってきたという、存在の不条理と芸術の不可逆な関係が語られているのだ。

彼岸からの芸術的帰還

人は外部世界との関係性を理解し始め、「現在ここにある、あるがままの自分」を認識し、そのうえで自立しなければならないと感じるとき、つまり青年期に人間の社会や個人の人生が不条理に満ちていることを知る。
それは夢見られる自分と現実の自分との、どうしても埋められない「差」、であるかもしれない。または他者の裏切りのような、または無慈悲な天災や戦争のような向こう側からやってくる不条理であるかもしれない。これらはもちろん、人間が必ず通過する青春期から始まる精神の困難である。(岡本かの子の場合はそれが自分の客観的な容貌を認識したとき、ででもあったかもしれない)
しかし、いかなる経緯を経て個人の意識にたどり着こうと、この不条理は社会的には「貨幣制市場社会」の成立に由来し、個人的には望むことなく(=目的もなく)出生し、自力では生きられない長い小児期を生かされた上で、いきなり自立を迫られる存在そのものの根源的な不条理であり、「いのち」の不条理である。
そのとき、人は非常な孤独に襲われ、他者との交通や、自分自身との一体感の不可能性を強く認識する。ときにそれは人を絶望のふちに突き落とし、自殺を択ばせることさえあるだろう。多く、そうした青年期の葛藤の中で、人は自分を諦めて、惨めに、社会や自分の現在の秩序にしたがって、生きていくことを強いられる。
現実の「向こう側」からやってくる「不条理」を人は芸術や、信仰に、または恋愛や日常のささやかな楽しみに解消して、現実との折り合いをつける。

が、そのような不条理を感じ取る感性の純粋度が高くあればあるほど、現実の秩序に狎れてずるく生きる実際の人の生きてある様や、知識人や権力者や富裕者の、つまりうまくやっている他者に対しての、さらにはそのように人を狎れさせずにはおかない「秩序」総体への、「違和」は「怒り」となりますます膨張してゆく。が、ついには社会の成り立ちや、個人の生存の不条理の本質的な、普遍的な水準にまで及ぶとき、それは自分にはないものを持つ「他者」や「秩序」への個別的な「感情」ではなく、それらを総体として包み込むある普遍的な水準の「秩序」、つまり「いのち」の不条理、に対する極限的な「魔王のように猛り立つ心」となって、「この個人」にあらわれ、此岸の現実とはどうあっても相容れないものになるだろう。
 ※それにしても、そもそも「魔王のように猛り立つ」心とは、尋常で ない。そしてそれが「食」によって癒されるとはどんなことであろう
 か。
 「嫉まれ、蔑まれて」、「魔王のように猛り立つ」心性は、もともと 感情の起伏の激しい、生命力の強い気質と考えられるが、それは、自 らを恃むこころが、向こう側からやってくる「嫉みや蔑み」が惹き起 こす、屈辱に堪えに堪え続けたとき、圧縮された空気がついには点火 し爆発するように、増幅された怒りとなって猛り立つ、であろう。
 (それは吉本の詩作品や論争での激しい怒りをも連想させる。)

「相容れない」かれはまたは彼女は、向こう側、へ行ってそのまま帰ってこないひとになる。
「向こう側」を覗いた人がそれでも、諦めず此岸へ帰ってくるとすれば、それは、吉本隆明のように「関係の絶対性」というような高度に抽象的な作業を通じての、自らの心性の「絶対化」を通じて、そのようなものとして、そのまま帰ってくるしかない。すなわち「魔王」の怒りを秘めた「童女」(吉本にあっては「拒絶された言葉」)として。

「童女」の性的・身体的現存性としての食

青春(アドレッサンス)に始まる精神の彷徨は、老人にあっては「芸」の躾のような「仕方」になって解消されるかにみえるが、不条理への怒りや憎しみをこめて、彫金に立ち向かう老人の、ときに「魔王のように猛り立つ心」を静めるのは、「骨ごと」どじょうを(=つまり「いのち」を)「噛み潰して行く」ときである。言い換えれば、「いのち」を食うという「食」の行為を媒介として、「自然を人間の非有機的身体」(マルクス)とする自然存在としての人間の「類的普遍性」にまでいたることで、芸術的な感性も、身体的な現存性も渾然と一つになった「自然」の中に「違和」を解消してゆく、という食を媒介にした独特の自然哲学が語られているのだ。
よりよく「いのち」を味わい、この不条理をそのまま取り込み、内部化してゆくことだけが、「いのち」の食物連鎖を正当化し、さらには「いのちの不条理」をそのまま現実への武器に、「小説」に転化する根拠にさえなりうる。
それは本質的にはマルクスの言う自然哲学そのまま踏襲し、芸術的自己表現にに転化することのように見える。マルクスとの違いは、かの子が「いのち」の発現のしかたを、市民社会に生きる人間的普遍性にではなく、精神世界の中の性的で肉感的な現存性(感性的芸術的な普遍性)に求めたこと、だけのように見える。

岡本かの子にあっては、美への執着や青年期の奔放な性的彷徨となって現れた青年期の違和が、その後、夫・岡本一平の裏切り的な遊興と、奇妙な家族共同体的共生によってさらに増幅され、文学(短歌)、キリスト教、仏教の修練、3年間のヨーロッパ滞在という30年もの時を費やして、最終的に「童女」として自らの心性を凝縮して、すべてが「小説」に投入されたような、わずか3年間の執筆生活に表現されるというプロセスにも似ているであろうか。
そして彼女は、同じく、そのプロセスの中で「いのち」を食う食物連鎖のなかの自然存在としての人間を、「ぽきりぽきりと頭から骨ごと噛み砕く」肉感的な、現実的な、現存性(ただの生き物)として還元しあたかも、無辜の「童女」のように、「大乗仏教」的に大肯定したであろう。
「食」と「性」と「肉感的自然」とは「童女」において限りなく近づいて、重なり合っているようにさえ見える。
  
  ※     ※     ※     ※

岡本かの子著大久保喬樹 編
「食魔 岡本かの子食文学傑作選」
講談社文芸文庫
2009年2月10日第1刷 1470円

岡本かの子「食魔」1 予備的に―吉本隆明の「岡本かの子」観

2009年04月02日

P1070693.JPG

岡本かの子の4つの絡み合った深さ

2月に「食魔 岡本かの子食文学傑作選」が講談社文芸文庫からでた。
すぐに見つけて読んでみた。とても魅力的ですぐに引き込まれてしまった。その深々と広がる読後感は一種簡単には言いようのないもので、
すぐに読後感を書きとめておこうと思ったが、どこから書いても思ったより深く、長くなりそうで、書き始めることができず、ほかの計画を遅らせてまた読んだ。2度目を読了して、自分の感じていたもののいくつかの事柄がおぼろげながら焦点を現してきた。

わたしは、@細密で粘着力のある、しかしどこかに清々とした描写力にまず惹かれ、つぎにA食と自然についての哲学の鮮やかな提示に感じるところがあり、また「美食学」について気になり、そのつぎにB芸術にかかずりあって生きるこのひとの「性(しょう)」というものに、Cさらにはその「芸術」的な衝迫力の核である怒りのような憎しみのような感情、に引っかかったようだった。
そのどれも、岡本かの子その人についてもっと深く知らねば、ちょっと書きにくい、というようなものであった。
しかもそれらは、互いに絡み合ったような別の一つのものように現れてくるのである。もちろんそれらは渾然としているがゆえに味わい深いのであるが、それでももう少し分解してしまいたい、と思ってしまっているようなのである。

吉本隆明の岡本かの子観

岡本かの子は、吉本隆明が、ごく初期にも触れているので、学生時代から、きっとすごい作家であろうとは思っていたが、どういうものかまともに読んではいなかった。
また新潮文庫に収められた「日本近代文学の名作」でも明治以来の24「名作」のひとつとして「花は勁し」を取り上げている。その中から岡本かの子への言及を抜粋する。

1 最終的な評価
岡本かの子は、日本の文壇史の圏外にあるようなひとだが天才的な小説家であったことは間違いない。女性の作家としては、日本近代文学の中で最も優れていると思える。P173

2 仏教者としての岡本かの子
仏教、それも法華経の信者で〜略〜、観音経の協議に基づく宗教者としては一宗をなすほどの研鑽の深さを持っていた。小説も仏教の影響が強い。例えば、仏像に性がないことは、仏性、普遍的な性を示しているだろうが、岡本かの子の恋愛小説でも、性は性行為や成功の意味では描かれずに、「生命力」のぶつかり合いや和合として仏教的に理解される。P173

3 岡本かの子の「生命力」論から来る恋愛観
日本の文学史の中でも、こういう特異な作家はあまりいない。谷崎や川端などの日本的といわれる作家は恋愛を自然の季節の移り変わりと同じように考えたが、それは、古典時代から日本の文学の根本にある考え方だといえよう。〜略〜男女の『和合』や破局は両者の「生命力」の大きさの違いによるという人間観、男女観を岡本かの子は持っていた。P174

4 仏教観に基づく描写力
人間の性格や生活の仕方についても、仏教で言う五輪、「地水火風空」で考えているところがある。小説の中でも「自分が乞食のように放浪しているのは土の性(しょう)だ」「水の性なので河や海に惹かれる」と登場人の性格を表現したりする。知識として盛り込まれているのではなく、小説自体が仏教的な認識で貫かれていたのだ。(仏教をベースに「自己」が形成されていたのだ)しかも、そうした考えに基づく登場人物の性格などが実に見事に、感情の流れを描きながら豊富な形で結実している。
 高速度撮影した映像を普通の速度でまわすととてもゆっくりした映像が得られるが、そのような刻々とかわってゆくものの描写をよくする文体になっている。これらのものを相絡ませると、この作者の小説は類例がない完成を創り出している。P175

5 岡本かの子の表現の構造
岡本かの子の場合は、仏教的な生命の流れの雄大さが根本にあり、その上に個々の男女が持つ「生命力」と「性」のふたつの組み合わせによって作品ができている。日本近代は西洋の模倣から始まっているが、それとまるで違って、しかもモダンな近代という時代をきちんと描いている。P177

吉本の岡本かの子に対する接触のし方、取り上げ方は、ごく「素(す)」の感じで好きだ、というような、親愛をこめた友人知己(例えば大学時代からの盟友だった故奥野健男)に対するような、ごくざっかけない、といった触れ方である。
しかも文学的にきわめて高い、ほぼ最高レベルの評価をしていて、その文面には畏敬の念が漂っている。

「食魔」からは、上記の4の描写力はすぐに感じられるが、他の点についてはあまり感じられない。
寄り道はこのくらいにして、作品にそくしてみていこう。
(つづく)

  ※     ※     ※     ※

岡本かの子著大久保喬樹 編
「食魔 岡本かの子食文学傑作選」
講談社文芸文庫
2009年2月10日第1刷 1470円

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