ディーン&デルーカのCPナンバー1の質実剛健な「ミニ」シーザーサラダ

2007年12月26日

ディーン&デルーカのショーケースは気に入っている。
照明の加減、かな、見え方がきれい、なような気がする。
ディスプレイも悪くない。
(丸の内と、品川が良いかな。これは丸の内店。
ほかでは赤坂ペルティエかな〜)

DSC03435.JPG
日本ではDDとかd&dとかで、おしゃれで高級感のある
「食のセレクトショップ」であるらしい。

IMG_1260.JPGIMG_1264.JPG
20年前から3年前まで、NYで見たときは、
(内装も、ディスプレーもリニューアルされて、いたが)
商品も内装もデイスプレイも格別のこだわりも感じられず、安物ではないが、
高級でもなく、スペシャリティでもなかったような。
ただ、SOHOならでは、なのか、5ドルくらいから10ドルくらいの、
高くはないパックのSUSIが大量におかれ、
アパレル屋さんや、アーティストたちの嗜好にあっても、いたであろうか。

P1020323.JPG
お気に入りの「ミニ」シーザーサラダ420円。
しかし、食べ応えは「ミニ」ではない。
一人で全部食べると、結構なボリューム、
二人で分けても良いほどだ。
パンと、飲み物があれば十分な昼食になる。
見た目は(DDの中では)豪華ではなくむしろ地味だが、質実剛健な一品。
たぶん、味の上でも食べ応えでも
コストパフォーマンスbPの偉大なデリ・サラダ、だと思う。
なくならないで欲しい。

ドレッシングは、別添えでアンチョビ入りの
独特のシーザードレッシング。
このカップの中でしっかり混ぜるのは大変だが、
これが味わい強くしかもまろやか。良いできだ♪

DSC03444.JPG
マリネしてグリルしたチキンが入っていて、うまい。
これも、結構「食べで」がある。

P1020325.JPG
そのまま、食べても良いが、
さらに出すと、デイナープレートに山盛りになる。
びっくりするほどだ。
ちゃんと盛れば立派な料理サラダ。

わたしは、これをそのままもってでて
オープンエアランチにしたり、
夜のワインの友にしたり、
便利にも豪華にもでき、
おいしいうえにマルチユースのシーン演出力を持つ
八面六臂プレーヤーなのだ。

DSC03442.JPG
多層で美しいラザニア。
きれいなので、サービスショット、ということで(^^ゞ

posted by foody at 19:07 | Comment(3) | TrackBack(0) | おいしいもの

イル・ギオットーネの「夢なら醒めるな」―デリにはデリの、パニーノ

2007年12月25日

疲れて、大阪からの新幹線。
梅田阪急でイベント出店のイルギオットーネの
パニーノとビールで一息。

DSC01528.JPG
うわっ〜、黄身が、ながれてる〜?!
柔らかい地鶏とポルチーニ茸ジャガイモのフォカッチャサンド。
確か800円ほど。
巨大だ。最大直径15センチ、厚さは8センチほどもあろうか。

バーガー風の分厚いフォカッチャは、
外側はやや固めに焼き上げて歯ごたえ良く、中はもちもち。
麦のうまみと適度なバランスの良い塩味、
オリーブオイルの優しい風味。
それだけでもどんどん食べられる。

DSC01525.JPG
開けば、このインパクト。
炭火で焼き上げた大きな地鶏ももにくは迫力だ。ゆうに一本分はある。
立派なデイナー、だな。

真ん中には、ふるふるの温泉卵。
濃い黄身の黄色と、真っ白なしろみ。
さらにソテーしたポルチーニとほうれんそう。
栄養バランスも考えているのだな。
温野菜にして、たっぷり、はさんでいる。

DSC01530.JPG
黄身はちょっと流れてしまったけれど、
(それが、良いのだけれど(^^♪)
かぶりつけばパンのうまみ、鶏のうまみ、ポルチーニや野菜や、たまごが一緒になって、万華鏡のよう。
次には鶏を少し、これだけでも滋味深い。
ビールを一口、口の中を滝のようなおいしいシャワーが清めてくれる。
パンを一口。
また、ビールを、黄身に包まれた濃厚なポルチーニを、またビールを…。
夢なら醒めるな、醒めるな、よ…(;_;)/~~~

DSC01531.JPG
一つ一つの完成度もボリュームもたっぷりな、豪華な気持ちになるサンドイッチ。
リストランテ「イル・ギオットーネ」で味わう料理とは
値段も中身もまったく違うが、
このサンドイッチからは、
おなかいっぱいになるだけじゃない、おいしいだけじゃない、
このサンドイッチなら、こんな場面を作ろう、
こんな場所へ持っていこう、こんな人と食べよう、というような
「こんな食べ物を楽しむ楽しみ方(スタイル)を考えようよ〜」と
呼びかけるオーラが出ているような…。
もちろん、ビジネスとしてレストランより拡大しやすいので…といった経済的背景や意図はあろうが、
日々戦いの「レストラン」稼業から搾り出されたような、
かけ離れた品質の高さが、デリというものの値打ちを考えさせてくれる。

デリにはデリの、位置と姿勢が、つまりスタイルが、育つのだ。
だからデリで、だからサンドイッチなんだな。
豪華な、楽しい出張ごはんになった。
ごちそうさま。

IL GHIOTTONE CUCINERIÁ(イル ギオットーネ クッチネリア)
京都発、笹島保弘シェフの京都ならではのイタリアンレストランのパニーノとドルチェのテイクアウトショップ。

東京都中央区日本橋室町1-4-1三越新館B1F
03-6427-0805
http://www.cucineria.jp/home.html
現在京都と、東京丸の内にレストラン。
posted by foody at 10:42 | Comment(3) | TrackBack(0) | おいしいもの

かもめ食堂の時代性と、食 その2おにぎりと、シナモンロール――メディアとしての、食と「文化」、の「自立」

2007年12月24日

最初にかもめ食堂の扉を開く客は「日本かぶれ」の、学生トンミである。
トンミはやはり一人でたんたんと行動している日本かぶれの<孤立者>だが、
「日本かぶれ」という風狂=自己投企(=自己同一化への唯一の突破口)のようなものが、
サチエとのコミュニケーション=conviviality(共感・共愉・共有)の扉をうっすらと開く。
つまり「ガッチャマンの歌の歌詞を知っていますか」の呼びかけの一言だ。
些細で、普遍的にはほぼ無意味だが、時代の共有・共生感覚、のようなものが、
個人には、とても大切な意味を有する、
他者との唯一の狭い通路、である、か。
食においては共食共同体=食の家族、の経験、であるか)
文明ではない、「文化」(司馬遼太郎的な)の共有が、人を生かすものである、か。

また最初にサチエが自分から開く他者との接点は、
同じく日本から、ほぼ無意味にフィンランドへ来て、
何の予定も計画もない若い女性ミドリと書店のカフェで偶然出会い、
思わず、ガッチャマンの歌詞を聞くことである。

■食の身体性・自立性
かもめ食堂を手伝うようになったミドリは、
あまりの客の少なさに、
旅行者向けのガイドブックに掲載することをすすめるが、
サチエは、「ガイドブックを見てくる日本人とか、
日本食といえばスシだと思っている人はこの店のにおいと違う。
レストランではなく食堂なのだ」
とにべもなく断る。

他律的な借り物(他律食)でない、
身についた身体性となった食(自立食)
が求められている、のだ。
孤立し分断された個我は、それゆえ時代や社会の文化や、
他者や自分をよく見、感受しうる。
孤独になった個、裸体の自分、
が直截に時代や社会や他者や自分と対峙して
自力で感じとられたもの、戦いとられたもの、
だけが、「わがもの」であり身についたもの、である。

ならば、人を癒し、包み、共感させてくれる農村的共同体が根底から消滅した現在は、
個人が、自分の食について自立することが不可欠で大切な時代だ。

そしてサチエは、「この世の終わりって時には、おいしいものを食べたい。
好きなお酒を飲んで好きな人を呼んで…」
共食共同体」、の夢を語ってみる。

自立食から、自立した個人の共食共同体への通路が夢見られる、のだ。


■おにぎりとはなにか―自立食の固有性と文化性

それでもミドリは、フィンランドではフィンランド人の好むものを出すべきでは、と、
おにぎりにトナカイの肉(ロースト?)、ニシン(オイル漬け?)、
そしてザリガニ(ボイル?)といった
フィンランドの国民食を使うことを提案する。
作って、食べてみるが、
サチエは、おにぎりには合わない、とにべもない。
サチエにとっておにぎりは、父の思い出に繋がる思い入れのある固有の食べものだ。
かつて食べた、日本の固有の食文化にくるまれた、
父の作ってくれた固有のおにぎりでなければならない、のだ。
(数少ない、サチエの、そして荻上の執着の一つだ)

固有性は文化だ。
固有性こそが他者の通路をつなぐもの、であるはず、なのだ。

■シナモンロールとコーヒー(コピ・ルアック)―メディアとしての食
フィンランド人はコーヒー好きだ。(一人当たりのコーヒー消費量が世界で一番多い)
フィンランド人は、コーヒーと一緒にシナモンロールを食べる。

ある日、一人の男がやってきて、おいしいコーヒーの入れ方を教えていく。
おまじないのコトバは「コピ・ルアック」だ。
コピ・ルアックは、「幻の」とも言われるコ−ヒー豆だ。
「ルアック」(=ジャコウネコ)は好んで甘みの強いコーヒー豆を選んで食べるが、
完全には消化されずに、おなかの中で「良い加減に」調整して、ふんとして排泄する。
この豆を仕上げて、製品化したものが、コピ・ルアックだ。
薫り高く、風味豊かな絶品、といわれる。
(ジャコウネコそのものが減少したので幻のコーヒーとなった)

また、サチエは、フィンランド風おにぎりは受け付けなかったが、
翌日シナモンロールを作った。
風味豊かなコーヒーと、
甘やかで、爽やかなシナモンロ−ルの香りは、
店の外で中をうかがう、フィンランドの老婦人たちに届き、心を開き、
中へと導いた。
普通のフィンランド人がお客となった。

文化は徹底して固有性の根を持つものである。
折衷は、結局双方とも中途半端なのだ。
フィンランドに徹して、初めて「日本」への通が開き、
「日本」もまた、フィンランドに受け入れられてゆく。
固有性は文化だ。
固有性こそが他者の通路をつなぐもの、真のメディアであるはず、なのだ。

現実から拒絶されて(夫=他者に出て行かれて)、
絶望と悲しみに絶えられず泥酔し、
サチエたちにも酒を無理強いする孤独な老婦人は、
飲みつぶれるまで飲んではじめて仲間になる。
彼女の叫びのようなグラスを受けてたった、マサコの飲みっぷりは、
ヒトを仲間にする飲みっぷり、だ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


日本での両親を介護する生活に区切りがついてしまい、
生きることの、プラットホーム(となる共同性)も、意味も喪失したマサコは、
なんとなく、(ほぼ無意味に)フィンランドに来たものの
大きなカバンを空港でなくし、
フィンランドの風土的基盤である森で見つけた大量のきのこをも、
どこかになくしてしまうが、
なくしたきのこは、
なくしたと思っていたカバンの中にぎっしり詰まっている。
あるはずのものはなく、なくしたと思ったものはここにある。
あるはずのものがなくても、人は大して困りはしない。

文化も風土も、過去にも現在にもこだわりはあるが、なくなったとしてもたいしたことはない。
人は、あるがままに生きる現場で、他者と出会い、
他者との出会いを通じて
自分の「文化(リテラシー)」を作り上げてゆくもの、だからだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、「コピ・ルアック」とつぶやいて、コーヒーを入れよう、か♪

なまけもののパン屋@栃木のホンモノのパン

2007年12月23日

なまけものでない、
なまけもののパン屋さんから、注文していたパンが届いた。

P1000197.JPG
早速、取り出して
手書き説明書の通りに並べて、撮影。
これで1500円分だ。

ついでに、一番持ち重りのする、ライ60%をちょっと試食。
しっとりした繊細な舌触りが、思いのほかに長く続き、
麦の香りと甘みがやってくる。
ふくざつで力強く、かつ細やかな旨みの交響詩のような
長大な叙事詩のような…。
噛めば、噛むほど味が出る。
仄かな酸味も彩りだ。
期待通りのずっしりした食べ応え。
たのしみ、たのしみ。

P1000198.JPG
説明書。
裏には、手書きの手紙が書かれていた。
ならさん、ありがとう。
きちんといただきます。

なまけもののパン屋
栃木県大田原市富士見1-3885-3 
電話0287-23-6246
http://www.h7.dion.ne.jp/~n-panya/
posted by foody at 11:01 | Comment(0) | TrackBack(1) | おいしいもの

かもめ食堂の時代性と、食 その1 空虚の明るい孤立〜無意味に堪えて身体に還元される生のリズム

2007年12月21日

今頃になって、荻上直子監督の出世作「かもめ食堂」(2005年製作・2006年春公開)を見た。
(見終わって、何で今まで見てなかったんだろう、と思えた)

かもめ食堂 ポスターフィンランド版.jpg
舞台はフィンランド・ヘルシンキ。
日本から「フィンランド人も鮭が好き、日本人も鮭が好き」という、
ほぼ「無意味」な理由でヘルシンキへ来て、
日本食レストランを営む、小林聡美演じるサチエ。
地域とも、社会とも接点がなく、友人もなく、客はまったく入らない。

サチエは、いつか来るお客を、
それでも心待ちにしながら、あわてず、騒がず、
毎日を食器をぴかぴかに磨いて、
夕方にはプールで泳いで、すごす。
この現実からの遠さ、孤独、孤立、
無意味かと、思ってしまいそうな時間をたんたんと生きる姿が、
ほぼ純粋感覚=時間そのものになったような感覚、
生物として身体そのものに還元されてしまったような感覚で
軽く、淡々と独特のリズム感で描かれる。
これが、荻上直子の世界、である。
心地よい……わたしには。

(この時代の人たちは濃密な共同体に包まれて生まれたのではなく、
生まれながらに、透明な孤独の中にあるだろう。
身についた孤独、とも言うべき、か。)

小津安二郎のひたひたと重いほどの現実感とは対極だが、
描かれる生のリアリティ、という点では共通のものがあるだろう。

純化された身体感覚(生体感覚)は、
サチエが毎夜寝る前に行う「膝行」とプールでの水泳のシーンに象徴されている。
より昇華凝集した次作「めがね」では、
浜での「たそがれる」時間と「メルシー体操」として明快に整理されている。
孤立に堪え、世界の不条理に堪えるためには、ここまで戻るんだよ、といっているように、わたしには思われた。

また経済性は2つの点で暗示的に象徴的に扱われている。
ひとつは、観客は見ながら、早くかもめ食堂の扉が開かれてほしい、と
やきもきすることで映画に引き込まれることを計算に入れている、
という点で、荻上が社会的な背景を十分に意識して、逆襲している。
もうひとつは、ストーリーの上では、一切触れないということで、
現代哲学同様に忌避している。
とても太刀打ちできないから、である、かな………。

(私などはすぐに、これでは運転資金が…などと思ってしまう(苦笑))

サチエの社会からの分断と孤立、
にもかかわらずたんたんとすごす空虚のような明るさと
生体そのものが持つ原初的なリズム、のような感覚には
ほぼ無意味とわかってしまった生をそれでも扱っていかねばならない、
時代のある本質的なありかたがよく示されているように思う。

初めの一歩の、ホンモノのパンチェッタと手打ちのパスタ

2007年12月19日

今年1月、初めて708君の料理に触れた。

CIMG3538.JPG
お得意のパンチェッタを持って現れた。
豚ばら肉を塩漬けにして、様子を見ながら熟成すること2週間ほど。
多分、彼が修行した、
トスカーナ・パンツアーノの「詩人の肉屋」
ダリオ・チェッキーニ譲りのハーブの入った、特製の塩だ。
チェッキーニならではのハーブ使いで塩だけでも、十分食べられるほどうまい。
さらに熟成されたバラ肉のうまみと一つになって…期待が高まる♪

CIMG3552.JPG
断面。熟成した肉の断面が美しい。
脂は真っ白になり、赤身は透き通るように澄んでゆく。
力を溜めてゆくと透き通ってゆくのだな。

CIMG3539.JPG
野菜も、特に撮影用ではなく、さりげなくおいても、さまになる。

CIMG3543.JPG
下準備が終わると、やおらパスタを捏ね始めた。

CIMG3550.JPG
出来上がった美しいパスタ。PAPPARDELLA(パッパルデッラ)かな。15mmほどの幅ひろの、たっぷりした姿。

CIMG3563.JPG
パンチェッタをじっくり炒めてクリームソースを作り、
茹で上がったパスタを投入。
手早く、手早く♪
手前は同時に作った野菜たっぷりのスープ。

CIMG3572.JPG

出来上がったPanchettaのクリームソースパッパルデッラ。
P・P・P(Panchetta=パンチェッタ、Piselli=えんどう豆、panna=生クリーム)
という広く食べられる、いわば、基本的な食べ方、かな。
(Panchetta=パンチェッタ、Pomodoro=トマト、panna=生クリームというのもあるが)
パンチェッタのパンチの効いた、肉のうまみとウマい塩味、パスタのずっしりもちもちした食べ応え。
クリームソースのまろやかさ。
シンプルだけに、一つ一つの手間や、工程の確かさがストレートに出る。
708さん、確かな手ごたえだった。
ごちそうさま。
posted by foody at 09:01 | Comment(3) | TrackBack(0) | おいしい店(東京)

悲情のカンテから身体芸術へ〜フラメンコ覚書

2007年12月15日

フラメンコはもともとヒターノ(ジプシー)と呼ばれる、
インドに始まる流浪の民の民族音楽であり、民族舞踊だった。
ヒターノはユダヤ人とともに迫害され、殺戮された歴史を持つが、
ユダヤ人のようには、
結束せず、自己主張せず、故国へ帰ろうともしない。
歴史的にもあまり知られていない。
黒い瞳と黒い髪を持っている。

1980年代、ヒターノへの関心とバルセロナモデルニスモへの関心と人民戦線への関心でスペインへ行き、最初にグラナダを訪れた。

(多分、サントリー社のガウデイのCFはすでに流れていた。その後アンダルシアやバレンシアのひまわり畑や、コスタデルソルへの老後移住計画などが話題になった)

アルハンブラで靴磨きをする少年に財布を掠め取られそうになり、
仲良くなったりした。
赤いアルハンブラから見える白い岩山に洞窟が点々と穿ってあって、
それがヒターノ居住区のアルバイシンの丘であった。
市街地からも、職業からも追われ、洞窟が住居だった。

わたしは、その洞窟でフラメンコを見せてもらった。父親がカンテ(歌)とギターを担当して、その他の家族がみな踊った。
すでに相当観光化はしていたが、
陽気なもの、哀調に満ちたもの、複雑で多様な曲調(コンバス)を
時に激しく、時に淡々と踊るバイラオーラ(女の踊り手)たちはしかし、
けして笑顔というものを見せない。
(笑顔を見せないだけなら、様式化された民族舞踊には少なくないが)
むしろ、眉間にしわを寄せてせつなげに悲しげに、感情の強い踊りを踊る。こんな民族舞踊がほかにあるだろうか。

観客にこびない、自分(たち)の感情を感じて確証する踊りなのだ。合わせる相手があるとすれば、それはカンテオール(男の歌い手)でありバイラオーラ(女の踊り手)どうしであり、民族の血と歴史であるほかない。

(ここでは、共同体が固体の自己意識(個我)を包み込んでいるように見える。個は共同と美しく添い寝している、か)

民族の血と歴史とは、放浪であり、分散と孤立であり、迫害と虐待を堪えることであり、仲間同士の離反であり、たくさんの愛憎と流血と無残な死であり、それらを際限もなく反復しつつ、それでもなお生きるという…人類史の総過程にその発生からすでに深く深く底なしに深く刻まれた不条理、そのもののもっとも不条理な、それ、ではないのか。

カンテは、わが国に伝わる民謡のかなりのものがそうであるように、黙々と生きる市井の民が、
何者かにささげる祝祭歌であり労働歌であり、民族の感情を歌い、慰める悲傷歌であり、するに違いない。
生活は悲傷に満ちていた、であろう。

踊り終わると一家は、そそくさと場を片付け始めた。
楽しげではないが、悲しげでも、ない。
父親とガイドは一仕事終えて、何事か話しながら、煙草をふかしている。

複雑な感動で外へ出ると、アルバイシンの白い岩肌に痛いほど射していた陽は落ち、空は累代にも及ぶかと思われる、恐ろしいような血の色に染め上げられていた。

ばらをくわえるどころじゃないな。(あれはまったくの創作だ)
あれは血の色、なんだな。
たっぷりと絶望と惨劇を吸ってきたおぞましい血だ。
血が空をめぐり、体をめぐり、累代をめぐり、吹雪のようにからだにもこころにも吹きつのっている。
わたし、にも。(身は疲れ、心はうつろ、それでも、なお、生きるというのか)というように。

頭を抱えて、佇むしかなかった。

※このあとグラナダとセビリヤとマドリッドのタブラオでやはりフラメンコを見た。なお、濃厚に民族のものであった。
その後数年して、1929年の万博のときに作られた、バルセロナのミース・ファン・デル・ローエのモダニズム建築の記念碑的作品《バルセロナ・パビリオン》のすぐそばでもフラメンコをみた。やはり、濃厚に民族のものであった。「近代」はフラメンコと鋭い対比を見せて、民族の行方を指し示してもいたろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

◆フラメンコの本質的な特徴は、カンテ(歌)にこめられた深い心情だ。ケヒーオ(悲情のうめき声)は魂のそこから、ヒターノの民族的悲情を歌い上げ、存在の不条理をかきたてる、ように聞こえる。
それは、日本の各地に残る民謡の悲傷歌の発声に似ている。
日本の民謡については、十分な記録や研究があるとは思えない。変貌も激しく、研究もあまりされていないように思われるが、一方で陽気であり、一方で腹のそこに響くような悲傷歌であるだろう。

◆日本は、たぶんスペインについでフラメンコが盛んな土地である。
そういえば発音も共通性が高い。感情表現が豊かでなく、手の動き(ブラセオ)で感情を表現したり、マイナーキーの楽曲であったり、悲歌(エレジー)を好む心情も肖ていよう。

(われわれもまた、「迫害」をしのぶだけの、自己主張のできない民の末裔である、のか)

日本人のバイラオール、バイラオーラも多く、スペインで活動する人も少なくない。国内では小島章司と小松原庸子によって広められた、か。わたしは小島章司は見ることができた。

◆フラメンコはほぼ二人の男によって、世界的なショーまたは舞台芸術に仕上げられた。その二人はヒターノにとってのパイジャ(よそ者)である、バイラオール(踊り手)、アントニオ・ガデスとギタリスト、パコ・デ・ルシアである。
スペインで見ることのできなかったアントニオ・ガデスが来たときは見に行った。それは凄い迫力の「舞踏」であって、民族の思いは消えたわけではなかろうが、身体というものを通じて、さらに別のものにまさしく昇華していた。忘れられない。
今日、フラメンコは、異風の民族の血をそのまま生かした稀な、語り(カンテ)と音楽(ギター)と踊り(バイラ=身体芸術)の複合芸術である。

フラメンコは世界芸術になったが、能は民族的な伝承芸能、である、かな。

◆身体芸術 わたしは専門家でもなんでもないが、その後、身体というものを極める芸術が広まることになったように思う。
現代舞踊(あるいは前衛派は「舞踏」と呼び慣らしているが)はピナ・バウシェを生み、フラメンコのマリア・パヘスを生んだ。

ピナ・バウシェはやはり、そのころ東京で見た。身体というものが希望に通じる力のあるものだということを教えられたように思う。が、全体の水準があまりに高く、とても届かないような気がして、ひどく打ちのめされた。
マリア・バヘスは見たことがない。「笑い」というものを試みているそうだ。
わたしも、笑うこと、を意識して相当に練習したことがある。いまだに、うまくできないが…。

日本では身体芸術への感度が高いように思うが、唐十郎に始まり麿赤児、寺山修司、さらには小樽の海猫屋の増山誠らが現れた。今日では「パフォーマンス」と言ったりする。書や音楽やエンタテイメントも包摂し、また分離し、新しい総合芸術の舞台へと、模索が続いているように思われる。

(2006年11月23日 記)
posted by foody at 20:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | フラメンコ

凄愴な緋色の前奏

2007年12月15日

CIMG1991.JPG
何十年ぶりかでフラメンコを見ることにした。

夕刻、電車に乗って、フラメンコのこと、ヒターノのこと、
モデルニスモのことなどとりとめもなく思い出しつつ揺られていると、
急に目の前が真っ赤になった。

大気が澄んで、まるい空から血を流したような緋色の夕焼けが
地上へ滴り落ちる光景を見た。
緋色は翳となった地上を這い、
こころとからだの隙間にも流れ込んだ。
暮れ残る西の空を一面に染める夕焼けは凄愴で、
思わず振り返てみるほどに、わたしたちに孤独を感じさせる。
(夕陽があまりに美しかったので、
海へ海へと泳ぎだした詩人もいたっけ)


魯迅が初めて日本へ来たとき、
日暮里という地名を見て、
ハラハラと涙した、という話を突然思い出した。
魯迅の中の夕陽もさぞ凄愴なものであったろう。
(魯迅はその後、何事かに絶望して帰国し、
10年にわたって失語の人のように言葉を発しなかった)

アルバイシンの丘の、ヒターノ居住区で見る
夕焼けもこんな風にもの凄く、
フラメンコのひとつの核心に触れたような気がしたものだった。

ちょっと凄い前奏、というところ、だろうか。
多摩川を渡る鉄橋の上で、あわてて撮った。
惜しくて、次の駅で降りてみた。
木の翳で、地平は見えなかった。
なんだかほっとして、次の電車に乗った。

(2006年11月22日 記)
posted by foody at 18:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | フラメンコ

My tasty TESTKITCHEN  始まりの始まり、と繋がり

2007年12月14日

未来を楽しむ精神

「真夜中クッキング」と称して
自分で料理を作る青年708君と出会ったのは1年ほど前だ。
私が、「雇われ臨時編集長」みたいなことをしていた
インターネット上のグルメコミュニティサイトの、
新しい会員として、彼は現れた。
真夜中、というコトバは、
昔、文学青年たちの間で語られた
「深夜のドストエフスキー」というコトバを思い起こさせた。
深夜の王国に徘徊する孤独な精神の冒険者!--というほどでもなかろうが…。

彼のブログには「未来レシピ」と名前がつけられていた。
未来レシピ!
なんと明瞭な現状否認の表明であろうか。
もっとも、彼は現在に絶望して反抗しているのではなく、
(今ではないが、いつかの未来に)
この食べ物が食卓に登場する場面を思い、
食べる人のことを思いながら、思いをこめて料理することに
幸せを感じている。
具体的には塩漬けやなどの伝統保存食、と温めて食べるような惣菜類を作ること、らしい。

「未来」をより豊かに楽しもうとすること、
そのために「現在」をより多く深く機能させること、
それが結果として最も現在を豊かにする方法だ、と
未来レシピは言っているように思われた。

708君には未来のおいしいシーンがたくさん見えているのだろう。
未来をも、現在に還元して楽しむ精神!

未来の幸福を描くことによって、
(幸福でないかもしれない)現在を生きる自分を肯定しうる、
と芯から考える天性のオプティミスト、良識家なのだ。
未来の愛と幸せを食って、今を幸せに生きる、タフな男、だ。

仮に失愛の痛手が、架空の未来へと向かわせていたのだ
(というようなドラマティックなものであったかどうか、わたしは、知らないが)
としても、現在の痛みを率直に認識して、
未来の愛と幸せに変えてゆくダイナミズム、があるように思われた。
(愛と感情の量が、人よりすこし、多い、のだ)

そのような強固なオプティミズムで、
深夜、あれやこれや考えながら、パンチェッタや、
大量の秋刀魚の油漬けや酢漬けなどのあれこれや、イチジクのコンポートや、を作りつつ
「幸せのキッチン」を夢想する、この人の記事は微笑ましく思われた。
夢想の中の「幸せのキッチン」はまた
イタリア修行によって培われた技術と知識と、確信の深さによって、
裏付けられてゆるぎないもののようであった。

私は、初めて彼の記事に
「未来レシピは素敵ですね。秋刀魚のレシピ公開希望です」とコメントした。
「期待しないでお待ちください<(笑)」とにべもなかった。

その後も、性懲りもなく彼の記事にコメントする私に708君は同情していたかもしれない。
わたしの書いた「米についての感情の整理」という
ぶっきらぼうなペシミスティックな記事に、
短いが強い感動的なコメントをくれた。

11月も末になって、1月ほどの空白の後、突然708君は「料理の世界、レストランの世界へ」の復帰宣言を書いた。
すでに、何事か、彼の心事に共感し技術と知識の片鱗を知り、インスパイアされていたわたしは、
こんなコメントを書いた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「復帰」おめでとう♪
 ですね。
 食の世界で生きていくのは、
 特にレストランは、身がらみ骨がらみ、ですが、
 だからこそ、だからこそ
 宇宙の果てから、家族の心事まで含めて合わせて、練ってみたた上で、
 これと、見極めて踏ん切りつけての一筋の細い道、
 であるでしょうか。
 奥の細道ならぬ食の細道、前後しても、左右しても、ともに歩みたいものです。
 存分に健闘、祈ります。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

未来への超越的おいしいレストラン開始宣言」の骨格である。
思えば、これが「始まりの、本当の始まり」のような気がする。
このときは、まだ一緒にやることになるとは、夢にも思っていなかった

数日後、彼の書いた出張料理人としてのメニューに、
食べる人への思いや、食べ物への愛情を感じ取ったわたしは彼に、
一つのオマージュをささげてしまった。

////////////////////////////////////////////////////////////////

 食の細道での位置と姿勢 708さんへ 

  無防備の空がついに撓み
  正午の弓となる位置で
  君は呼吸し
  かつ挨拶せよ
  君の位置からの それが
  最もすぐれた姿勢である
      —-石原吉郎「位置」

 位置と姿勢。
 思いと思いやり。

 技術にも素材にも、ひとにも。

 判断し、一瞬の呼吸をみて、組み立て。

 食が食事になり、快適が快楽になるとき。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ≪コメントから再掲≫

 —-素敵なメニューだな。
 これがメニューというものですね。
 思いも、思いやりも、生き生きと料理に変わって、食事に変わって行きますね。

 —-食の世界で生きていくのは、特にレストランは、身がらみ骨がらみ、ですが、
 だからこそ、だからこそ
 宇宙の果てから、家族の心事まで含めて合わせて、練ってみた上で、
 これと、見極めて踏ん切りつけての一筋の細い道、であるでしょうか。
 奥の細道ならぬ食の細道、前後しても、左右しても、ともに歩みたいものです。
 存分に健闘、祈ります。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 708さんのメニューとか、位置とか、姿勢に感じるところ多く
 感謝と確認の意味で。

 ありがとうございます。

///////////////////////////////////////////////////////////////

これで、ほんとうに、何かが始まってしまった…ような気…が、する。

その1週間後、2006年12月6日わたしたちは
南青山のビルの一角で初めて対面していたのだった。
グルメサイト運営会社の商業主義や無知や無展望に辟易としていたわたしは、
「雇われ臨時編集長」をやめることにした。
その月のうちに「湘南から農業を変える」と、良い豚作りとかっこいい農業に取り組む
みやじ豚の宮路さんとCOVI’Sで会い、
2月にはみやじ豚バーベキュー会場で、
「タイ風」ではない、ほんもののタイ料理の研究家であるらーぷさんに出会い、
代官山のJ社で第1回目の試食をやるにおよび、
その後、長い曲折をへて
渋谷駅南口で、イタリア仕込のかけ離れて高品位なジェラートを
通販だけで売るアクオリーナmogaさんに会ったのは確か11月のはじめだったような・・・。
12月、今月10日に708君、らーぷさん、moga君が参加して総合的な試食会
国立で行い、
たくさんの人の出会いと、繋がりで
いよいよ、「始まり」は具体的な「始まり」になった。

あのときの「オマージュ」はそのまま、
新しいレストランプロジェクトの思想「未来への超越的おいしいレストラン開始宣言」に育った。
これからは、店作りの指針へと昇華してゆく、に違いない。
posted by foody at 12:09 | Comment(4) | TrackBack(1) | おいしい店(東京)

My tasty TESTKITCHEN  初発の位置から その2 ともに歩むひとたちへ

2007年12月12日

未来への超越的おいしいレストラン開始宣言

位置と姿勢。

思いと思いやり。

技術にも素材にも、ひとにも。

判断し、一瞬の呼吸をみて、組み立て。

食が食事になり、快適が快楽になるとき。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

—-食の世界で生きていくのは、
いずこも同じ、身がらみ骨がらみ、ですが、
だからこそ、だからこそ
宇宙の果てから、家族の心事まで含めて合わせて、練ってみた上で、
これと、見極めつけて踏ん切りつけての一筋の細い道。
すでに諸事放下の上の奥の細道ならぬ食の細道であってみれば
遅れても、遠回りしても、ひとたびはひざ屈してもなお、
迷わず一筋の細い光の後について進むひとびとよ。
前後しても、左右しても、
呼び交わし、見交わし
その先のほうへ、もっと先のほうへ。
蒼穹がついに撓み苦しげに手を振るその果てのほうへ。
われらの意思と希望が
敵対するたくさんの世界ととろけるように甘く
合流するまで。
または無残なまでに完膚なき、勝利に、蒼ざめるまで。
posted by foody at 12:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | おいしい店(東京)

My tasty TESTKITCHEN 初発の位置から――食を通して、世界を凝縮し、向こう側へ突き抜けるまで

2007年12月12日

未来への超越的おいしいレストラン開始宣言

自分の、レストランを始めることにしました。
といっても、資金から、なにから、たくさんの人にお世話になるので、
「自分の心の満たされるはずの、自分が願っていたはずの」レストラン、というほどのことです。

はじめるにあたってはいろんなことがありますが、
今から、いちいちこのブログに書き留めていこうと思います。

まずは、初発の志し、みたいなこと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一度、自分の位置へ、帰ろうと思う。

 無防備の空がついに撓み
 正午の弓となる位置で
 君は呼吸し
 かつ挨拶せよ
 君の位置からの それが
 最もすぐれた姿勢である
 —-石原吉郎「位置」

「無防備」な自分になりたい、と願う気持ちが言わせる一言かと。
無防備な自分が、それでも正中し、
世界の核心に触れることができ、
弓のように力を溜めていられるなら、
そのような、自分のままで、この世界に自分をさらけ出して
生きて行きたいと。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

時代が近代(モダン)から、超近代(ポストモダン)へと大きく身を動かしたとき、
私たちは、時代によって見捨てらたのではないか。

現実の自分も、食も、
さまざまな矛盾や、困難の中にあり、
本来のものでありえていない、
本来のあるべき位置にいない
のではないか…。

人々は、分断され、孤立し、さらに他者との交通は困難になり、
また窮迫し、時代の「進歩」が絶対的に保証するはずの、経済的ゆとりも
またあやふやなものなのではないか。

食は
個体として生きるための糧でありながら、
身体的健康のツールへ
自己確認のツールへ、
さらには個と共同をつなぐコミュニケーションのツールになり、
「上部構造」にかかわる領域のもの、となって、
食育などといわれ、レストランに星が付き、
一方、家族はばらばらになり
生産者は窮迫して農は解体され…。

食は、化け物のように肥大化して、膜(まく)みたいに薄められて
己を見失っているのではないか。

メルティングポットのようになった<食現場>にこそ、
なにか、共生する人々(せざるを得ない人々)の原初的な生命維持から創造までの営みの、
全てが凝集され、
初発の自分に始まる射程の長い試みが試みられ、語られ、共有され、
すでに始まりつつある新しい次の時代の何がしかの息吹を、小さい新芽を、
ここに見出すことが出来るのではないか。

新芽が芽吹くその瞬間に、同席し、共有し、共感したい、
そのような位置に立ちたいと。
そのような位置を持つ「場所」でありたいと、願いつつ。

posted by foody at 12:28 | Comment(0) | TrackBack(1) | おいしい店(東京)

「皿にはおどる肉さかな」――煮こみやなりたの伝説その3 ウチはワインバー

2007年12月09日

「ウチはワインバー」

予約の電話をすると、たいがい、とても腰の低い丁寧な言葉で成田さん本人が応対する。
そして、必ず出る一言。
「ウチは、ワインバーなので、ワインを飲んでいただけますか?」

何回目でも、最早、知人の域に達していても、
「しつこいようですが…」と言いつつ、
「ウチはワインバーなので…」と繰り返す、この執念。

P1010421.JPG
ワインリストは、レポート用紙のようなものに、手書きの文字が並んでいる。
使いこまれて、くちゃくちゃだが、一応ファイルケースに入っているのが体裁といえば体裁。
飾らない、のだ。

P1020770.JPG
この狭い店(失礼)の狭いテーブルで、しかも店内はハイテーブルでハイチェアだ。
ワインを置く場所にも、グラスを置く場所にも、店も苦労しているが、飲む側の工夫と忍耐も相当、要る(笑)。
が、そうして飲んだワインは、料理とあいまって、得もいわれぬ豊饒の記憶となって残る。

銀座じゃあなくても、セレブじゃあなくても、
美味しいワインと料理のマリアージュは、ある、のさ。
成田さんがいるかぎり、ある。
テロワール、だな。

以下、なりたで飲んだワインのいくつか。


P1010436.JPG

P1010442.JPG

P1020772.JPG

2 本目.jpg



「皿にはおどる肉さかな」――煮こみやなりたの伝説その2 ラム肩肉ロースト、鴨のコンフィ

2007年12月08日

主菜―ラム肩ロースのロースト、鴨のコンフィ
すでに相当おなかいっぱいになっている。
この事態を予想して、いささか食欲も落ち着いてきた年頃の私たちは、
メインのオーダーは2品にしておいた(^^ゞ。

P1010443.JPG
ラム肩ロースのロースト1500円。
写真の通りだ。
コメントの必要もないほど、大量の肉と野菜。
何度でもこの驚きを味わいたい。
これが1500円だ(くどい、が、お許しを)。

P1010445.JPG
肉はあくまで柔らかくジューシー。
バルサミコ(だったと思うが)ソースとよく合う。
口の中でジュワーッと、肉汁が溢れる。
たっぷりの野菜もやわらかく、優しい味わい。
見た目とは違って、
とてもやさしい一品。


P1010452.JPG
表面がカリカリになった大きな鴨のコンフィとフレンチフライ1500円。
ホントに、これをいただいていいのかしらん??
などといいつつ、手も口も忙しい。


P1010454.JPG
カリカリの皮がおいしい。
パンに乗せて、マスタードをつけて、タルティーヌ気分でいただく。
いろんな味が一つになって、しばしの陶酔。


P1010455.JPG
鴨は完食するも、
フレンチフライには降参m(__)m。
隣のテーブルの食欲旺盛な、(美しい)OLさんたちとの交流のための貢物になった(^^ゞ。

P1010449.JPG
夜もふけて、料理を出し切ったころ、
力戦の後を物語る男の顔。
わたしたちに、力をくれる雄雄しい顔だ。
ありがとう、ごちそうさま、そして俺たちもちからいっぱい戦うよ。






「皿にはおどる肉さかな」――煮こみやなりたの伝説その1 

2007年12月06日

前菜―狭いテーブルと砂肝のサラダと、レンズ豆とソーセージ、など

P1010423.JPG
多くの「ナリタリアン」を、代々木の裏通りにひきつけてやまない、
赤地に白い「煮」の一文字の看板。
何度か見ていると「煮」の字が、肉にも魚にも見えてくる(笑)、という。

確かに、なりたさんが狭い厨房でたった一人で、
全世界を相手に格闘するようにして作り出す皿は、
「皿にはをどる肉さかな」(萩原朔太郎「再会」)というような
生きた、躍動する命の一皿だ。
看板の「煮」の字も、躍るように見えてくる、よ。

P1010424.JPG
まだ寒いころに、若いときの仕事仲間三人で飲み食いした。
当然のごとく、2人がけのテーブルに3人。
外の席だが、ストーブで暖かい。
当然、通路は狭く、料理を運ぶときも、トイレへ行くときも
こころよく互いに譲り合う。
美味しいものを、楽しむ幸せをみんなで共有しようとする
自立的な意思の、小さなコミュニティのような世界。

P1010422.JPG
まだ19時だが、すでに黒板メニューには消されてゆくものがある。
メニューはこれのみ。
しょっちゅう変わるが、かわらずに続くものも、ある。

P1010432.JPG
まずは、必見の一皿、砂肝のサラダ1000円。
砂肝のサラダとはどのようなものか、想像も出来なかったが。
出てきたものを見て度肝を抜かれた。
まずはその量の莫大なこと。圧倒されしまう。
山盛りの葉野菜の上に、これまた山盛りのスナギモ!とくるみ!
そして、すぐにこの量では原価が…などと要らぬ心配をしてしまう。

P1010433.JPG
とりあえず、ハラは減っているので、大急ぎで始末にかかる。
期せずしてみなの口から「ウマーイ」の声。
始まったら、競争で食べる(笑)。
砂肝は、硬くなく、さくさくと歯が入るし
きちんと下味がつけてあり、爽やかにうまい。
胡桃の風味と食感がしっかり、土台を作る。
全体はオリーブオイルと塩コショウで丁寧にメランジェしてあり、
手を抜かない仕事ぶり。
シンプルだが絶対に、うまい。

P1010434.JPG
レンズ豆とソーセージ600円

P1010426.JPG
エスカルゴ700円
何しろ、どちらも涙が出そうな値段。
たっぷりのレンズ豆は、それだけでも十分一食分はありそう。
期待通りの味わいで、期待通りの食べ応え。
エスカルゴも、きちんとした料理で、バターソースがうまい。
ナリタリアン大量発生も当然、かな。

煮込みやなりた
〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷5−20−19
03−3355−2538 
18:00〜22:00LO 日祝休






ヨーロッパ料理界を担う気鋭のマルコ・ビスタレッリの絶品Bステーキとドルチェ―豪快と繊細  ウンブリア州おもてなしの芸術・クリスマスのテーブル展内覧会その5

2007年12月05日

矢継ぎ早に繰り出される、伝統と革新の息吹に、
もう満腹で動けないよ〜と思ったとき、
(パスタの後半あたりから参会者の動きも、鈍っていた)
厨房で赤いカタマリが動いた。
厨房で、厚さ5センチほどもある分厚い、
巨大な肉のカタマリを焼き始めたのだ。
イタリアサイズ、イタリアスタイルのステーキだ。

DSC06075.JPG
外側をしっかり焼き固め、
肉汁を中に閉じ込め、じっくりと熱を加え旨味を濃く深く凝縮させる。塩胡椒だけでも、レモンを絞っても、肉の旨味を堪能できる、のだ。

DSC06094 - コピー.JPG
焼きあがると、マルコは、やはりこの人らしく自分流のソースをパーティ用の小ぶりにカットされた肉一つずつにたっぷり載せてゆく。その手際の速いこと速いこと、あっという間に載せ終わる。

DSC06085.JPG
Jステーキ、フンギポルチーニのムース風ソース☆☆☆
出来上がりを早速、写真を撮ろうとして、おっとっと、ソースが多すぎて、垂れてしまう(T_T)
が、断面から溢れる肉汁はきらきら光って、しっかり見えている。
とりあえずかぶりつく。外側は、柔らかくはない。噛み応えがある。しっかり噛むと歯がスーッと入る。適度な弾力だ。口いっぱいにソースと肉の旨味が広がる。肉の味ははっきりわかる。噛めば噛むほど味がしてきて、ソースと混ざる。ソースの味は複雑で説明できない。ソースにはソースの旨味があって、こちらは柔らかく、深い。
両方が一緒になって、もう一つ別のやわやわ、ふくふくしたものになっていく。
豊かな、ゆたかな、これが大地の味わい。
食べ終わって、力が抜けて行くようだ。
「サシ」の入らない赤身肉の、肉そのものの旨味、いただきました。
ソースの妙技、いただきました。

デザートは3品。いずれも繊細で確かな技を感じさせる。

DSC06073.JPG
Kりんごのプリン風☆☆☆
ソース・アングレーズ(カスタードソース)ベースにりんごが入っている、らしい、(あやふやだが)ものをスポンジ生地に吸わせ、固めているらしい。歯に当たるとサクッと、割れ、ほろほろと溶けてゆくような絶妙の食感。バニラベースにりんごの風味のこれまた絶妙としか言いようのないカスタードの、上等の美味しさ。いくらでも食べられそう。

DSC06068.JPGDSC06069.JPG
Lヘーゼルナッツムースとコーヒーゼリー☆☆☆
甘みのたったヘーゼルナッツムースに、ほろ苦いコーヒーゼリーを、合わせて食べると最高。
Mチョコレートムースとシェフ手作りのチョコレート☆☆☆
ペルージャの名産品PERUGIA社のBACIというヘーゼルナッツの入った大粒の「キスチョコ」にしたかったようだが、日本では手に入らず(カルディなど輸入食品店にに結構あるように思うが)、ともあれシェフが手作りした。かえってラッキー♪である。

慌しいほどのたくさんの料理だったが、伝統と革新、豪快と繊細が同居していて、ただこつこつと美味しいものを作るだけでない、水際立った切れ味を感じさせる。ビュッフェパーティでも手を抜かず、どんな環境でも自分の水準の仕事にしてしまう才能も。よく掃除をするシェフでもあるらしい。
話せば、エネルギッシュで気さく。陽気なイタリア男だ。(もちろん、私は一緒に記念写真も撮ってもらった(^^ゞ)
ありがとうマルコ・ビスタレッリ、そして708君、moga君。
美味しい、が怒涛のように押し寄せる夜でした。

マルコ・ビスタレッリのお店はこちら
IL POSTALE(イル・ポスターレ)
Viale Raffaele De Cesare 8,Citta di Castello
tel : 0758521356
fax : 0758521356
http://www.ristoranteilpostale.it/
posted by foody at 12:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | おいしいもの

ヨーロッパ料理界を担う気鋭のマルコ・ビスタレッリの絶品Aパスタ―「基本」とか「伝統」というものの継承と革新  ウンブリア州おもてなしの芸術・クリスマスのテーブル展内覧会その4 

2007年12月05日

前菜だけでも、7品もあって、どんどん出てくる手際のよさはさすがだ。(順番の狂いや、盛り付けの狂いはあったようだが…)
厨房では多少ドタバタはあったようだが、スピードは落ちていない。

それだけでなく、ばらつき少なく、安定感も抜群だ。
次はパスタとリゾット。

DSC06071 - コピー.JPG
Gサルシッチャのペンネ☆☆☆伝統の生ソーセージ、サルシッチャをほぐしてたっぷり使う。サルシッチャの強い旨味がクリームソースでさらに深まる。見た目も重厚。ずしんとした力強い食べ応え。堂々たるメインディッシュだ。

DSC06057.JPG
H鴨のラグーのラザニア・マルコのスタイル☆☆
鮮やかな彩り、重々しさを感じさせないルックス。(食べれば十分重々しいが)鴨のラグーの独特の、鶏よりは重いが、牛よりは軽く、風味のある味わい。普通にトマトソースとラグー(豚挽き肉のミートソース)のものより格段に奥深くまろやかな味わい。伝統に繊細な技を施す、美しく上品な一品。

DSC06058.JPG
一番上をめくると、ラグーがどっさりだ。これがうまい。

DSC06077.JPGDSC06079.JPG
Iパルミジャーノリゾット鴨のラグー乗せ☆☆☆
鴨のラグーとパルミジャーノリゾットの愛称が抜群。これも伝統のパルミジャーノリゾットを精緻に作り、そこに鴨のラグーを乗せる。リゾットだけでも十分うまいのに、さらに鴨のラグーが華やぎを添える。力技だなあ。
料理、というものの力を存分に感じさせる。

マルコ・ビスタレッリのお店はこちら
IL POSTALE(イル・ポスターレ)
Viale Raffaele De Cesare 8,Citta di Castello
tel : 0758521356
fax : 0758521356
http://www.ristoranteilpostale.it/
posted by foody at 09:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | おいしいもの

ヨーロッパ料理界を担う気鋭のマルコ・ビスタレッリの絶品@前菜―「斬新」というもの ウンブリア州おもてなしの芸術・クリスマスのテーブル展内覧会その3 

2007年12月04日

お待ちかね、のパーティタイム。

DSC06092.JPG
マルコ・ビスタレッリさんはウンベリア州の州都ペルージャ生まれの42歳。脂の乗った、まさに仕事盛りだ。2000年にミシュランで一つ星になったが、「これ以上星はいらない」らしい。ヨーロッパ若手シェフ協会の代表を務め、イタリアの優秀レストランに与えられる「バローロ賞」を受賞するなど、星の数、以上に実力・信望を兼ね備えたヨーロッパ料理界の、次代を担うと期待される気鋭の星、だ。

DSC06043.JPG
寒い屋外で、もちろんスプマンテで乾杯。銘柄は聞きそびれたが、バランスのよい美味しい飲みやすいスプマンテ。

DSC06050.JPG
厨房では、シェフが精力的に追い込みの作業に没頭している。料理に、真剣なのが伝わる。期待が、高まる。

DSC06048.JPG

DSC06049.JPG
@マグロのたたき、バルサミコなどのソース☆☆☆
一品目は、マグロの赤身をたたきにして、彼ならではの複雑なソースで味わう。

プレゼンテーションはカップのソースに串刺しのマグロ。
見たこともないスタイルだ。
食べ方を聞いたら、「食べる・飲む・口の中でもぐもぐ」とのこと(笑)。
早速その通りにやってみる。
マグロを一口。さくーっと歯が入る爽やかな食感。マグロの旨味がじわーっと広がる。
火の通し方が絶妙なのだ。
ソースを飲む。華やかな味わいのなんともいえない複雑な旨味がふわーっと広がる。
まだ広がる、もっと広がる。
ふくよかでやさしくしなやか。しかも後を曳いて長―く余韻がひびくぞ。
なんだこれ、食べたことのない味。でも、う、うまい〜ヤバイ。
これは、かつて食べた中でも最上級の☆☆☆間違いない。
これぞ絶品のマルコのソースだ。
バルサミコを赤ワイン白ワインなどと煮詰めているらしいが、その技の巧みさには喜んで脱帽。

斬新なスタイルには、これだけの技があるのだ、な。

最初から強烈に「マルコワールド」全開に
後のことを考えて、パーティのモラルも考えて、
かろうじて一皿(一串?)で踏みとどまろうと理性は考えたが、
次の瞬間にはついもう一皿(串?)手に取っていた。
(あとが思いやられるなあ…)

DSC06059.JPG

DSC06060.JPG
Aいわしのマリネ、カリフラワーのピューレ、レモンの皮とカカオ☆☆☆
Bレンズ豆のスープ サルシッチャの肉団子☆☆☆
この2品も彼の、「らしさ」を十分に感じさせてくれる。
スープとかピューレとか、煮詰めて手をかけたソースとかに特に「わざ」が発揮されているように思う。(一つ一つの素材の処理が適切であることは言うまでもない)
いわしのマリネはあっさりと爽やかに口を通りほのかな旨味を漂わせ、カリフラワーのピューレはまろやかにその後を追ってゆく。
サルシッチャは肉の強さを発散させながら自己主張し、レンズ豆はふくよかに包み込む。
いずれも完成度高く、深い旨味を堪能させてくれる。
料理は、星の数じゃないよ、って私も☆をつけてるけれど(^^ゞ

DSC06055.JPG
Cほうれん草のソテー、サーモンマリネ巻き☆☆☆
変わった食べ方でたのしい。サーモンは漬け状態で、深みがありとても美味。

来日して三日目?
初めての、とても小ぶりなキッチン。
Moga君はかつて一緒に仕事をしたことがあるとはいえ、初めてのスタッフ。大皿だしのブッフェパーティ。これだけの品数。
この条件でこれだけの仕事をするのか、と感嘆させられた。

<その他の前菜>
上記のものの印象が強すぎて、ほかの料理全部は説明しきれないので簡略に。

DSC06046.JPG
Dたことジャガイモとイタリアンパセリのサラダ 伝統料理を忠実に、しかしマルコらしく上品にまとめている。

DSC06047.JPG
E野菜の浅漬けピクルスとイカ・タコのサラダ これも伝統料理。上に同じ。穏やかな安らぐ料理。

DSC06053.JPG
F肉のテリーヌ 伝統料理を重厚に。

マルコ・ビスタレッリのお店はこちら
IL POSTALE(イル・ポスターレ)
Viale Raffaele De Cesare 8,Citta di Castello
tel : 0758521356
fax : 0758521356
http://www.ristoranteilpostale.it/
 
posted by foody at 20:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | おいしいもの

ウンブリア州おもてなしの芸術・クリスマスのテーブル展内覧会その2 食と芸術が融合した「テーブル文化(バンケット)」発祥の地

2007年12月03日

「セレモニー」の後は、クリスマスのテーブルデコレーションなどのプレゼンテーション。

DSC06034.JPG
ウンブレアはテーブル文化発祥の地といわれ、陶器・ガラス器などのテーブルウェアや、テーブルクロスや教会の祭壇を飾る装飾織物の最良の産地だ。またワインやオリーブオイルなどの主産地であり、トリュフも採れ、10月のチョコレート祭りでも知られる。食と芸術とが融合した「テーブル文化」の都なのだ。

DSC06035.JPG
代表的な陶器メーカー、ビッズィーリ社は大胆なアートの導入と伝統的な精緻なデザインで知られる。
プレゼンテーションはデイスプレイというよりインスタレーションというにふさわしい。ひとつひとつの食器は、写真では見えないが、細かいデザインが施されている。

DSC06036.JPG
会場には若い女性が目立つ。

DSC06037.JPG
赤のコーディネート。

DSC06038.JPG
とてもシックなコーディネート。

DSC06039.JPG
華やかで祝祭にふさわしい。

DSC06042.JPG
そろそろ階下では、乾杯の準備が出来てきたようだ(^。^)

posted by foody at 22:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | おいしいもの

ウンブリア州おもてなしの芸術・クリスマスのテーブル展内覧会その1 セレモニーもアート&エンタテイメントするイタリア魂

2007年12月03日

仕事上のパートナーである、どちらもイタリア帰りのシェフ、
708(ナオヤ)君moga君がお手伝いした、
Siodomeitariaクリエイティブセンターで催された
「ウンブリア州おもてなしの芸術・クリスマスのテーブル展内覧会」へにご招待を(ムリヤリ?)いただいた。
同展は12月1日から25日まで催される、「テーブル文化(バンケット)発祥の地」ウンブリア州のクリスマスの過ごし方を紹介し、食文化も紹介するもの。
もっとも、わたしは来日する、一つ星シェフというだけでなく、イタリア料理界の星である、マルコ・ビスタレッリさんに会うこととその料理を楽しみにきたのだが・・・。

DSC06040.JPG
Siodomeitalia(シオドメイタリア)もその中のクリエイテヴセンターも、場所の名前を聞いても、何をするところか、よくわからない。
汐留再開発エリアのうち、イタリア山手線の西側がイタリア街ということであるらしい。Siodomeitariaはイタリア政府観光局なども協力してイタリアの文化と産業(観光と物産)の紹介をするところらしい。クリエイティブセンターは日本イタリア間のデザインプロジェクトやイタリアのデザインを紹介するところらしい。
行って見て、そもそもなぜここにイタリアがあるのか、不思議な感じはするが、きれいに統一された町並みは今までの日本にはなかったもので、ひとつの試みではあるだろう。でもここに日本的なカレーショップはないだろう・・・などとつぶやきつつ会場へ。

DSC06019.JPG
1〜2階吹き抜けの大きな空間の中の建物。2Fでまずはセレモニー。イタリアデザインを大胆に生かした陶器メーカー「BIZZIRRI社」のファウスト・ビズィッリさんの謹厳な挨拶が数分。

DSC06022.JPG
だが、そこはイタリアらしく、挨拶もそこそこに、楽しませてくれる。まずはウンブリア州の食文化のひとつとしてロッセッラ・バスタさんの「陶器による易占い―ICHING(イーチング)」の楽しいデモンストレーション。

DSC06027.JPG
次にソプラノのガブリエッラ・ザンギさんとテノールのルイス・カーティン氏によるミニコンサート。
ミニコンサートとはいえ、たっぷり40分ほど、さすがの歌声で会場を魅了。参加者からパートナーを選んで、即興の恋のさや当てを演じると会場はやんやの喝采で盛り上がった。

DSC06029.JPG
次に登場したのは、フランチェスカ・セルヴァ振り付けの舞踊。
こちらも斬新で美しいパフォーマンス。
その美しさは、登場した一瞬で会場の空気を緊張させ、
また緩め、目を話すことが出来ないほどに楽しめた。

が、料理には、まだ遠いかな〜。待ち遠しいな〜


posted by foody at 14:33 | Comment(1) | TrackBack(0) | おいしいもの

VANULS@上野アトレの濃い、とても濃いパエリア   駅の「業態風化」圧力に抗して

2007年12月02日

上野アトレのリニューアルは9月28日のバニュルスで一段落。
他の新出店の顔ぶれは、立喰酒場buri、妻家房、アフタヌーンティルーム、ワイアードカフェとOL向けの人気店の中でも完成度も高いのもの。「最良立地」の駅ビルを握るJR-アトレの力を誇示するかのようだ。
中でも際コーポレーションの上海BARの後に出店したバニュルスはワインバー銀座オザミが開発運営するだけに、注目。
銀座バニュルスで静かなスペインブーム・立ち飲みブームの上質化を果たしたが、駅立地はこういう個性的な手作り感のある店にこそ、厳しい面もある。

土曜日の昼下がりだったが、思いのほか入りやすく、すんなり窓側の席に。

DSC05989.JPG
メニューを見つつ、グラスのワイン600円をなめる。
結構なボディがあり、のみ応えがある。上等だ。

DSC05994.JPG
丸の内で焼いているオザミグループのパンは、
とても深い味わく、それだけでも噛めば噛むほど味が出る。
ワインがすすむ、すすむ。

DSC05992.JPG
パエリアセット1500円には前菜が付く。
豚肉のテリーヌは結構なボリュームがあり、クリーミーで滑らかだ。サーモンマリネもきちんと仕事してあり芸が細かい。ポテトサラダはポテトの味わいはやや薄いが、とろけるようなやわらかい上品なものだ。ますますワインが進む。

DSC06001.JPG

DSC06007.JPG
看板のパエリア1200円(セットで1500円)は、
スペインの香辛料と、オリーブオイルがたっぷり、
とても濃厚なホンモノだ。
が、とても一般人向けとは,言いがたいほどで駅のランチ向きとはいえないだろう。

客層はやはり銀座店よりはるかに広く、高齢者も、ただ食事をしに入ったというだけの人も多い。
そういう人も取り込むのが狙いだろうが、それは、同時に業態を風化させる圧力でもある。
今のところ、サービスは、ランチの回転に追われて余裕がないようで、
各自が自分の仕事を「こなす」のに精一杯のようにも見える。

しかし、駅の巨大な集客力だからこそ、のこの風化の圧力に抗して、
本来の、ホンモノの美味しく楽しいバルが根付いて、
OL層の薄い上野でも支持されれば一段とブームも広がるか。

36坪にカウンターと立ち飲みのバルと、32席のレストランを併設。屋外席もあり、雰囲気は十分。
バルでは500円均一のタパスで飲める。
マッシュルームのガーリックオイル煮やたっぷりのハモンセラーノ、炭火焼野菜など20品以上が、そろう。
ランチはカタランカレー850円や、しっかりしたパエリア1200円(セット1500円)など。
もちろんタパスはいつでもいける。レストランも割安感のある値付。この品質でこの値段、一段と洋食文化が深まる。

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。